帰らぬ日々に / 歴史創作 真田信繁(幸村)+猿飛佐助
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「前から知ってましたけど、」
「なんだ、」
「異常なくらい酒に強いですね。」
「馬鹿者、俺を誰と心得る。真田源次郎信繁ぞ。俺がこの程度で根を上げると思うておったか」
佐助は、修験者の格好になりながら一面に広がった人の波を見てこの方は人間じゃない、と思った。普段、思うように酒が飲めないから、大阪城に入城する為に開いた宴会で思い切り飲むだろうことは予想された。もちろん、その後長距離を行くのだから限度は見極めるだろうが――しかし、それにしても村人が泥酔するぐらいに飲んでいるというのに、同じだけの酒量を口にしたこの男がけろりとしているのが信じられないくらいだ。
呂律もしっかりしているし、足元もいつも通り、いやいつもより矍鑠としているかもしれない。着替えを手伝っている小者に軽口を叩くぐらいだ。
この男は、九度山に閉じ込められているのがちょうどいいのかもしれないと佐助は思った。
「これで大阪に行けるな。」
「ええ、」
九度山で真田を見張っていた村人達を全て呼び泥酔させて此処を脱出する算段であった。大阪方からお呼びはあったが、その入城方法など教示はしてこない。当たり前だが、大名の中に豊家に入城する者などなく、その名を戦場で轟かせたかつての者達―今や大半が落ちぶれ者となっていたが―がやってくるという。佐助が知っているだけでも、後藤又兵衛基次、土佐の太守であった長曾我部盛親が入城予定だという。他にも、関ヶ原であの宇喜多の御曹司を逃がし、自身も逃げ果せたという明石全登もやってくるらしい。戦上手で鳴らした剛勇たちの集まりに、佐助はこの一線が主以上に楽しみであったかもしれない。何故なら、真田がその中に混じっても遜色の無い、寧ろ彼らよりも秀でた存在であると身内の贔屓目なしに見てもそう感じるからだ。
「佐助、」
「はい」
「父上の言葉が本当だと思うか。」
数年前病床について亡くなった昌幸は、お前がどれほどの策を練ろうと何の役にも立たぬと云っていた。真田昌幸の名であれば皆が耳を傾けるであろう、だがお前が儂以上の献策をしようとも話半分にしか聞かぬ。そういうものだとしわがれた声で信繁に云っていたものだ。
「父上の仰ることは一理ある。第一、俺は戦を己で指揮したことがない。」
「旦那、」
「知っているか。共に四十数年生きてきて、奥州の独眼龍は数十度の戦をしてきた。大して俺は、父上と共にしか戦ったことが無い。後は机上でしか戦を知らぬ」
ですが、と佐助は言葉を紡ごうとして止めた。真田の眼が爛々と輝き恐ろしいくらいの光を放っている。
「機会があれば、独眼龍殿と戦ってみたいものよのぉ。」
主がその機会があれば、厄介と恐れられたその男すら喰らおうとしていることが窺い知れた。本当に嫉妬深いと溜息をつきながら佐助はニヤリと笑った。この男が負けるわけがないと直感で感じていた。
本当に恐ろしく厄介なのは、こういう男だ。
「楽しみですね。」
「ああ、」
「信繁様、準備の方が整いました。こちらへどうぞ」
「相分かった。さぁ、行くぞ。」
佐助も、真田を呼びに来た小者も言葉を口にはしなかったが、真っ直ぐと主を見て頷いた。二人を見て、真田もまた頷く。
踏み出した真田の後を数歩開けて、周りに気を使いながらついていく中で、佐助は笑いたいぐらい晴れやかで、泣いてしまいたぐらいしんみりとするのはどうしてだろうかと思った。
これからではないか。主は愚痴めいた軽口は叩くが、決して人前でへこんだところを見せはしなかった。その主の待ち望んだ舞台が待っているというのに。
(俺は馬鹿か。この九度山での生活を離れがたく思うなどと旦那に失礼だ)
「佐助」
「はい、」
「全てが終わったら、一度此処を訪ねてみるのも悪く無さそうだな」
真田は振り返らない。振り返るわけには行かない。彼は此処に戻ってくる気など毛頭ないのだ。
(なんでこうも察しがいいかな、それだから俺はこの方から離れたくなくなる)
「訪ねる暇があればの話ですがね。」
「そうだな。」
「では、先に見てまいります故。御免」
「あの阿呆め。」
真田は呆れた声を出しながら、慈しむような笑みを浮かべていた。そのことを佐助は知らない。
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