夜が逃げた / 佐助+伊達(さなだて表現有)
written by 吉沢
「夜が逃げた」
「うぉぉおおおぉお!」
「旦那、無理に突っ込むのは・・・っ」
戦場に鬼が現れた。
誰がそんなふうに表現したか、そんなことはどうだって良い。
勝ち戦、負け戦。いくつも経験してきたけど、この戦ほどの山場は無い。きっとこの戦は負ける。
相手が化け狸だろうと何だろうと、負ける気など一切しなかった前回の戦いが懐かしい。押されているこの感覚はじわじわと掌に滲む汗に似ていた。
俺は、光を見た。
太陽にも似た光。いや、あの人は太陽なのだろう。
敵をなぎ倒していくその背中を止める為ではなく、眺めたいが為に追ったのは初めてのことだった。なんて滑稽な部下だ。
冷静沈着に物事を済ませるのが売りのはずなのに。
雄叫びをあげながら敵に突っ込んでいく。元より赤い装束は更に赤く染まる。その人、旦那の鬼気迫る様子に力が拮抗していく。押されていた筈の戦場が、盛り返していく。
「・・・なんて野郎だ・・・っ!」
敵武将のそんな声が聞こえてきそうだ。
きっとこの人より強い人など探せば幾らでもいるだろう。いや探さずともすぐ近くに武田が。そして敵方の武将が一人、本多忠勝は戦場で誰よりも強い。
だが、この人の闘争心だとか集中力、追い詰められた瞬間に発揮する力に適う者が果たしているかどうか。
「佐助、そちらを頼む!」
「承知!」
分かるんだ、この人の血が滾るたびに俺の血も熱く燃え上がること。
普段はあれほど温厚で、お館様のこととなると周りのことが見えなくなる。そう、二人の関係だって止めるべきだったのだ。
お館様も旦那も苦しむこと、誰よりも俺は分かっていた筈なのに。
その時もその背中を追ってしまったんだ。
あの人は真っ直ぐな槍だ。折れることを知らない、いや知った上で尚も折れない、そんな人だ。
馬鹿みたいに熱いお館様と旦那と。幾らだって迷惑をかけられてきたけれど、嫌だなんて思ったことは無い。
「真田は死んだ、のか?」
たった一人でやってきた伊達はそう呟いて酷く苦しそうな表情を見せた。正規の武田軍と離れて、どうにか助けられやしないかと思案している俺たち忍にとってその来訪は邪魔以外の何者でもなかったが。
ただ、旦那が伊達と話すときは酷く酷く嬉しそうな顔をして。剣を交えるときには鬼のような表情になることを知っていたから。仲間から離れて、伊達との会話に応じた。
「そうだ。武田軍も大半は捕らえられて、大半は死んだ。」
眉を寄せた後、伊達は何を云えばいいのか分からないのかのように視線を彷徨わせた。
「・・・旦那は、あんたのこと愛してたよ」
「うるさい、」
「誰よりも。多分、お館様よりもずっとずっとあんたは」
「黙れ・・・っ」
「重い存在だったんだ。」
好きだからこそ、愛しているからこそ、その存在に捕らえられて身動きが出来なくなる。
まるで忍が忍でなくなるかのようだ。身軽で足元を掬われない存在。其れがそうでなくなるとき。旦那にも確かにそういう時があったんだ。
そして、俺自身も今。この世界を、この身体一本で飄々と生きていくつもりだった(あの人が死んでも、俺は新たな場所を探すつもりだった)のに。必死で武田軍の助かる道を探している。
一人でも多く。
「用がないなら戻る。真田忍隊の隊長がこんなところで油売ってるわけにはいかないんだ。」
「・・・どうして、」
「なに、」
「もういないんだろう、あいつは!なぜ、その名を名乗っていられる・・・っ」
「その言葉、片倉にも向けてみればいい。全力で殴られるよ。」
そうして、あんたはあんたを取り戻すと良い。
敵対する相手に何を、とも思ったが小さな声で続けた。余りある才をもって、奥州一帯を支配した男が崩れるのはこんなところではない。少なくとも、旦那はそれを望まない。
「・・・すまなかった、こんな時に。」
「そうだね。あんたは俺たちの敵だ、奥州の主だ。旦那を思う前にやるべきことが沢山ある。ただ、」
「・・・ただ?」
「全てが終わって、あんたが落ち着いた時に、旦那のところに訪れてやって欲しい。その時はきちんと案内するから。」
それまでは許さない。
「分かった。」
伊達はゆっくりと目を閉じた。その間に、その場を去った。
(あの人を失って辛いのはあんただけじゃない。武田の大将も兵士も)
旦那の笑った笑顔を思い出す。
「猿飛、聞いているのか」
「聞いている・・・作戦は明日決行だ。目的はただ一つ、見誤るな。」
了解、と云わんばかりに全員がその場を立ち去る。
明日見る空は、あんたが見る空と繋がっている。
いつか、遠い昔。
人はいつか死ぬ、俺も誰も例外は無い。
だから死ぬことを恐れる必要は無い。恐がることもない。この戦場ではそれが浮き彫りになっているだけだ。
だから、あんたがいなくなっても俺は生きるよ。違う場所で。
そんなことを云った自分が懐かしく、とても滑稽だ。
(戻る場所は此処だけだ――)
そうだね、旦那。
あんたがいなくなっても、俺は武田に腰を据えてるよ。
そうしてあんたの帰りでも待ってようか。
俺もあんたも戻る場所は、此処だけだ。