漆黒の影 / 真田(さなだて表現有)
written by 吉沢
「漆黒の影」
抱くたびに、政宗が無意識に腕を回してくるのはとても嬉しかった。
何かを許されるような、そんな感覚があったから。太陽だと、長曾我部は云った。お前は皆の太陽なんだな、と。
何の言葉も返せずにただ微笑うことしか出来なかった。
お館様がどこか憔悴していることに気づいたのはきっと己と佐助の二人だけだっただろう。
お館様の弟である信繁殿を亡くされてから、初めの内こそ苦しそうに眉を寄せる姿があったが、数ヶ月も経つと戦国最強の男として戦場に立っていた。それこそが、哀しみを湛えているということに目を逸らしながら。
憔悴し、少しお変わりになったのもその頃だ。
男色に興味のなかったお館様が男に手を出されるようになった。この時代、それは確かに不思議なことではない。他の武将も小姓を側に置いている。だが、其れが城内でまことしやかに伝わるようになるのに時間は然程いらなかった。そして、その行為はお館様の気がふれたのではないかといういらぬ部分まで纏っていた。
止めて下され、と懇願した。
そのようなことを為されてもお館様になんの利益も産み出さない、自分自身を傷つけるだけ。その弱みに付け込んでくる輩がいないとは断定できない。そして兵に動揺を与えてしまう。
「どうして死んでしまったのだ・・・っ」
押し出すように出てきた声は、信繁殿に向けられたもの。あれほど出来た人はいなかった。
例え、お館様は、お父上殿に信繁殿が原因で疎まれようとも信繁殿を嫌うことはなかった。信繁殿も同様で、二人は付かず離れずお互いを思いあった兄弟であった。
ただ、お二人が睦言を交わしたことはなかった。
そのような恋情をお互いに向けたこともないだろう。
自分自身は、激しい劣情を政宗にぶつける事しか出来ず、気持ちをうまく伝えられないものだからその関係をどこか羨ましく見ていた。
「信繁・・・っ」
「・・・おやか・・・っぅう、ン!」
後は、そう、流されるように、雪の上に身を任すように身体を委ねた。
このお方の激しい情が外部に流れて、それが利益を産み出さないのなら、己に流し込めばいい。
そう、思ったから。
奥州に片目の竜がいる、と耳にしたのは何時だったろう。
黒の装束に身を包み、異国語を操るその男を皆、伊達男と呼んだ。えてして噂というものは信じられぬものが多い。少なからず誇張されているのだろうと、見舞ったその相手は噂以上であった。
鋭い眼光は相手を捕まえ、派手な出で立ちに呆気にとられたほどだ。(相手からすれば、武田軍の赤の装束のほうがよっぽど派手だそうだが)
「ハッ!てめぇ、ただのバカじゃなかったんだな」
「お主こそただの伊達男ではないようだ!」
会えば刀を交え、その交錯する光に幾度も震えた。
震えるぐらい激しい輝きに、とうとう手を出してしまった。
「は・・・っ」
何をしている、という気持ちと、やっと手にしたという思い。頭の中で何度もその言葉が鳴り響く。政宗が苦しそうに息を吐く。白い頬が蒸気して赤く染まる。
無理だ。
手にしたんだ、この男を。
離す気など毛頭ない。
「旦那、大丈夫かい?」
「・・・佐助。」
この頃、頭痛が以前より多くなっている。何もそんなに色々なものを抱え込んでいるわけでもないのに。武田の天下統一も、親方様のお相手も、伊達とのことも。全て自分で決めたことだ。
「今日は、休めって。お館様から」
「・・・大丈夫だと伝えてくれ。今日の一戦は大事なものであろう?」
「そうだね。旦那がいないんじゃ勝てるもんも勝てないかもね。だけど、旦那が無理するところをお館様はどう思うかな。」
佐助、と空気が抜けるような声が出てくる。どうやら喉もやられているらしい。
息を静かに吐き出すと、佐助の手が伸びてきてゆっくりと身体を布団に押し戻される。
「今日は特別。」
「ん?」
「割増なしで、いつも以上に働いてあげるよ。」
「・・・かたじけない。」
「謝らなくていい」
佐助はそう云って、前髪にそっと触れてきた。
いつか佐助は云っていた。
燃えるような赤、触れたら焼け落ちてしまいそうで爛れ落ちそうで、それでいて優しい。あんたの持ち味ってそういうところだよ。旦那には分かんないだろうけど俺はそのままでいて欲しい。
あんたは光だ。
己の馬鹿な行動すらも乞えば許してしまう佐助を時折哀れに思う。天下をとる事も無く、表に名を知られることも無く。只管に影の立役者。
(だからだよ、)と佐助は云う。
(影が成り立つには光がいる。俺が影、旦那が光。これでちょうどいいだろう?)
佐助は知っている、お館様が男色に走ってしまったことも、今お館様が誰と房事をしているのか、そして伊達との事も。
光と影だ。
勝ったよ、と佐助は一言云った。云われなくとも既に屋敷の者から聞いていたし、皆の帰還した時の叫び声を聞けば分かる事ではあったが、やはり佐助の言葉を聞くと安心できた。
それはきっと一番信頼しているからなのだろう。
「旦那、」
「ん、」
「俺があんたを頼っているように、あんたも俺に頼ればいい。」
「佐助が某を頼りにしているとは思えぬ。」
「・・・珍しく聞くな、旦那が戦場以外で某なんて云うの。頼りにしてるよ、旦那が前を向いているからこの道は照らされているんだ。」
「それは良かった。」
とても誇らしいことだ、誰かを照らす道となれることは。
「だから、だからさ」
佐助の声は少し滲んでいた。
紙の上に水滴が小さな水溜りをつくるようなそんな微かな滲み。
「早く戻ってきてよ。」
俺は今、どこにいる。
佐助?
声にしたつもりなのに佐助は反応しなかった。
手を伸ばした筈なのに佐助はその手を握ってくれなかった。
「真田。おい、真田?」
「・・・あ、ああ悪い、話の途中だったな。」
四国に行くと云うと、佐助は初めて寂しそうな表情を一瞬だけ浮かべた。俺のせい、だろうか。
佐助には何時だってあの冷静な笑みを浮かべていて欲しいのに。
影にも影なりの苦しみがあること、十分承知している。だが、俺が佐助を頼るのはたった一つ、あの笑みを浮かべてくれていることだ。
それだけで俺は戦場を駆ける疾風になれる。
その表情だけで。
目の前の鬼を見つめながら、そう思った。
「疲れているのか。」
「そんなことはない。全てがこれからだというのに疲れてなどいられるものか」
鬼は眩しいものでも見つめるかのようにこちらを見つめる。
「このまま伊達と時々会うつもりか」
「時が許す限り。」
「伊達は、お前を好いていねえみてぇだが」
「身体を許す程度には好いてくれているのならば、後はこちらの気持ちだけで十分。政宗がそこにいるならそれで良い。」
鬼、長曾我部元親に迷惑をかけていることは重苦しく思う。
だからこそ長曾我部は今、辛辣な言葉を吐いているのだろう。彼が政宗の側にいてくれるならどんな言葉だって受け止めよう。政宗が房事後、苦々しい表情になるのも。
受け止められない心情があるなら、捌け口となろう。
それが光というもの。
「変な野郎だ」
「誉め言葉としてとっておくでござるよ」
だから、
だからどうか彼に手を伸ばしてやって欲しい。
己がこの世から消えたとき、彼の側にいてやれるのは貴方一人だろうから。