くれないの君 / 長曾我部+真田(さなだて表現有)
written by 吉沢
何度も、何度も願った。
「くれないの君」
そいつの眼が出口を求めてさ迷っているように見えたのはなぜだろう。
その男が、伊達が、例え苦しんでいてもその様を表にしないのは、知っていたというのに。
俺は、一度だけ伊達をこの手で抱いたことがある。
口付けはしなかった。そんなものは必要なかった。ただ、あいつが酷くされたがっていることだけは感じていたから、手酷く扱ってやった。
そう、それは懺悔と同じだ。
俺はお前の太陽にはなれない、なる気もない。信仰されるほど出来た人間ではない。
俺は神ではない。
鈍い俺でも、伊達がこの俺を崇拝するような視線で見ているのに気が付いていた。部下からも、一時そんな視線を向けられることがあった。
「あ、ぅく・・・っさな、だ、」
なあ、伊達。
お前も俺に似ているところがあるから、そういう視線を向けられることもあるんだろう?初めて他人にそんな視線を送ってみてどうだった。
・・・どこか、楽な気分を味わえたんじゃないのか?
誰かに縋ることは簡単だ。力に頼ることは容易いことだ。けれど、それは虚しいだろう。いつかきっと虚しさを覚えるだろう?
向けた何かにだって、いつかそうでなくなる時が来るのだから。俺は臆病だからそんな視線を向けられたくなくて、格好悪い姿をわざと部下の前で見せた。何度も何度も、刷りこむように。
その思惑は的中し、周りが俺を崇めるような姿勢は消えた。後ろについてくるのではなく、側に立つようになった。それで良かった、俺は何もかも包み込む海のような存在にはなれないから。一緒に戦い、笑ってくれるほうが何よりも嬉しさを感じる。
そんなことを考えながら二人の情事を聞いていた。聞くのはこれで、二度目だ。
「止めろって云ってんだろ。」
「なにを、」
「大体、甲斐と奥州なら、もっと近くて別の場所があるだろう」
「ねえよ。」
周りを海に囲まれたこの国に来るなど馬鹿げたことだ。なぜ、真田がそのことを疑問に思わないのか、俺のほうが疑問だ。
伊達が前回と同じように海を眺めているところに近寄ると、待っていたかのように振り向かれる。
「長曾我部、」
いい加減、止めてくれ。と思う。
どうしてそんな眼で見る。お前には恐いほど輝きを持つ真田がいるだろう。
それとも、お前は恐いのか。真田に飲み込まれることが恐いのか、だから俺を勝手に崇拝して何かに仕立て上げて、それで。
それで、心の安息を量っているのか。
独眼竜の名が泣くぞ、とどうでもいいことを思った。
「奥州はよっぽど平和なんだな。伊達政宗ともあろう男が、こんなところで睦言を交わす暇があるとは」
「優秀な部下が多いから余計な心配なんて要らないんだよ。」
「片倉も苦労する、」
ぐっと胸元を引っ張られて息が詰まる。
見上げてくる片目はどこか鬼気迫るものがあった。(それは俺の専売特許なんですけど)
この下には何が眠っている、と伊達は吐息混じりに唇を寄せて眼帯に触れてきた。れろ、と舌先で瞳を撫でられる感触。
眼球を目玉で転がしているようだ、まるで砂糖菓子のように。
伊達の腕が後ろに回り、俺の左眼は久しく光を浴びることとなった。
「透けるような、青だな」
「いつも海を眺めてたら、海の色が左眼に映っちまった。」
「右眼にも映れば良かったな。」
伊達はそう云いながら、己の右眼の眼帯をはずす。その眼帯の下に眠っていたのは忌み嫌われた酷い疱瘡の痕。右眼は開いているつもりなんだろうが、疱瘡の痕でいまいち分からなくさせている。
ゆっくりと伸ばした手を振り払うことなく。
触れると、他はおなごに負けぬほど滑らかな肌をしているというのに、其処だけ岩盤に触れているかのように思えた。
「真田に、見せていないんだろう。」
「見せるつもりはない。あの男は、びびって腰を抜かしそうだからな。」
一度だけ見た。と真田は穏やかな口調で云った。
政宗が眠りについている時に、勝手に見たのだと真田は云った。
「多分、政宗は知らない。」
「そうだろうな。俺に見せた時、あいつは真田に見せるつもりはないと云っていた。」
真田は一瞬目を細める。
眩しいほどまでに赤で彩られた装束は、俺とも伊達とも対照的だった。頭に巻いた鉢巻が真田が首を逸らすと同じく、ふわりと揺れた。
「・・・れているから。」
「ん?」
「あの男は貴方に憧れている。だから、貴方にとって迷惑だと分かっていても俺は四国に行くのを止めさせる事は出来ないのだ。」
「・・・あんたも、楽だろうな。」
「なに、」
「何時だって誰かに縋ってるじゃねえか。普段は武田の旦那に、戦いは猿飛に、伊達のお守りは俺に。そんな生き方は楽だろうな。」
真田は真っ直ぐに伸ばした背筋を微動だにしなかった。
輝く瞳は装束の色が燃え移ったかのように情熱的だ。
「縋ってなどいない。お館様も佐助もそして貴方も、皆が与えてくれるものと同じく、俺も何かを与えている。人との関係とはそう云うものでしょう。どちらかだけに比重を置けば、いずれ崩れる」
「俺が、あんたから何を与えてもらっている?」
「もう気づいておられるだろうに。」
「・・・・・・あいつに、」
「え?」
「無駄なことは止めておけ、と伝えといてくれ。俺が云っても聞きやしねえだろうからな。」
「貴方の云うことなら聞くだろう。少なくとも、俺が云うよりは」
「お前が云うからこそ、意味があるんだよ」
なあ、伊達。
俺はこれほどまでに落ち込むことを知らない男に初めて出会ったよ。
終わりだ、と悟っていてもきっと何処までも荒野を駆けて行くのだろう、それは誰かを照らす太陽であり、誰かを引っ張っていく風のようだ。
お互いに、何かから目を逸らしていらぬ時を過ごすのはもうやめにしなければ。
端正な顔立ちをした男は、憎まれ役になることすら苦には思っていないのだと、伝えたかった。お前の為に、泥にまみれてくれるのだという、この男のことを。
ただ、全てを明かすと俺がそのことを伊達に伝えることは生涯なかった、また真田自身もそれを望んではいなかったようだ。結局、思案している内に真田は戦死してしまった。
最後まで、真田は太陽であり続けた。
そうあることを他人に疑わせることもさせずに。
(なにを、思っていた?)
(そうあることの為に、何を犠牲にしてお前は生きていたんだ。それとも、元からそんな生き方だったのか)
真田、けれどお前は最後の最後でその事を放棄した。伊達の右眼を強引にでも本人の意識があるところで暴くべきだったのだ。
それこそが、伊達にとっての愛であり優しさなのだから。
(ここまで望むのは酷なことなのかもしれない・・・)
その考えを打ち消したのは、隠した眼帯の下からすっと水滴が落ちたのを見たからだ。
伊達がその瞳を汚らわしいものではない、と心の底から思える日は永遠になくなった。そして、そのことを気づかせてやれるのはたった一人しか居なかったのだと。
せめて、あのことだけでも云ってやればよかったのかもしれない。
真田が泥にまみれてやれるのは、たった一人なのだと。真田が生きている時でなくとも。
物語に出てくる竜は、いつも強さを誇っていて、いつもどこか寂しげだ。
その理由を伊達の背中を見ていて感じ取った。その強さを包み込む誰かも、弱さを見つけてくれる誰かも居ないからだ。
もしくは二人のように、竜の隣に誰かが居たとしても、生きている時には気づかぬままその誰かが生涯を終えてしまうからなのだろう。それでも人はその強さに慄き崇拝するのだ。
竜がとてもとても寂しい生き物であることに、気が付かぬまま。