ほすよしもなき 濡れ衣を / 毛利×元親
written by 織葉
※R15要素を含みます
枕元に髪を振り乱した女が座っていた。
暗くてその顔の造作もよく分からないというのに、女の恨みがましい目はいやにくっきりと見えた。
そこで気がついたが、元親は目を開けた覚えがなかった。
おそらくこれは夢なんだろう。
そう思いながらも目を覚ますことが出来ない。
ただ女の恐ろしい目を見つめ続けた。
顔を背けようにも体が動かない。
体が動かなければ女に問いただすことも出来ない。
元親は早く目が覚めるよう祈りながら、じっと体を強張らせていた。
目を覚まして、元親は気がついた。
枕元に人が座っていることに。
夢の続きかと思いはしたが、体は動く。
どこか強張った体を起こし、元親はほっとしたように言った。
「なんだ、元就か」
いつもながら青白い顔をした元就は元親を睨みつけて言った。
「我で不満か」
「はぁ?なんだよそりゃ」
変なこと言うなよと呆れる元親に元就は言った。
「昨夜晩く、どこへ行っていた」
「昨夜晩くって……」
元親は落ちつかなげに視線をさ迷わせる。
「答えられぬのか?」
「答えられないっつうか……言い難い?」
次の瞬間、元親は布団の上に押し倒されていた。
倒れた元親へ馬乗りになるような格好で元就が怒鳴る。
「この痕はなんだ!?」
そう元親の胸の赤い痕を示しながら。
元親は呆れたように、
「痕…って、そりゃあ…」
「誰につけられた!?」
「……っておい、まさかテメェ、俺がお前以外の奴とやったと思ってんのか!?」
顔を真っ赤にして元親が叫び、一息に起き上がった。
とっさに飛び退いた元就を睨み、元親は言った。
「出てく」
「何を…」
「出て行くって言ったんだ。俺のことを信じようともしない奴と一緒に暮らせるわけねぇだろ」
そう言ってどかどかと足音も荒く出て行った元親を元就は追おうともしなかった。
「それで、昼間っからこんなところで呑んだくれてんのか」
にやにや笑いながら政宗に言われ、元親は不快そうに顔を顰めた。
「うるせぇ。テメェこそ仕事しろ、仕事」
「あいにく、うちは優秀な家臣がそろってるもんでね。俺が少々サボってもno problemって訳だ」
「けっ、暴走族集団のくせに」
「Ha!あんたに言われたかねぇな。あんたのところだって似たようなもんだっただろ」
「……昔の話だな」
そう言って、元親は酒をぐいと飲み干した。
酌をしてやろうとする政宗の手を振り払い、手酌でさらに飲みながら、元親は独り言のように言う。
「昔は確かに周りにいくらでも俺を慕ってくれる連中がいた。俺もあいつらが大好きだったし、大事だった。けどな、あいつらの期待が、重くなかった訳じゃねぇんだ…。何もかもなくして、名前とこの体だけ残されて、……どうしようもない、ガキの頃の自分に戻っちまった。その俺に初めて声を掛けてくれて、俺のことを欲しいと言ってくれたのは……あいつの方だったのに…」
ほろっと元親の目から涙が零れた。
「どうして……俺が信じられないんだよ…」
政宗はよしよしと元親の頭を撫でてやりながら言った。
「毛利の野郎は昔っからそうなんだろ。人を疑って、騙して、裏切られて、裏切って、のし上がってきたんだ。人を信じるのが苦手になってるだろうな」
「っ…」
ぼろぼろと涙を涙をこぼす元親の耳元で政宗が囁いた。
「泣いてるお前もsexyだぜ…」
「……南蛮語は分かんねぇよ」
「嘘だろ」
「…」
「初めて俺と会った時、俺が言った言葉を分かってるみたいな反応してたじゃないか」
「っ…」
「その後は知らないふりしてたから確証はないんだがな。土佐は南蛮人との交流もあるって聞くから多少は分かるんじゃないかと思ってたんだよ。…分かってんだろ?」
「……」
「…強情だな」
そう笑って政宗は体を離した。
「……いつもならそろそろ毛利の野郎の出番だが……こねぇな」
「…あいつ、追いかけてもこねぇんだよ」
悔しげに、元親が言った。
「本気で……俺のこと疑ってやがんのかな…」
「だとしたらとんだ間抜けだな」
「……かもな」
元親は深くため息をついた。
「なんでぇ、開いてねぇのか」
もうすでにどこかで二、三杯引っ掛けてきたのだろう、赤ら顔の男がそう言って店の前を通り過ぎていくのを見ながら、元親は悔やむように呟いた。
「……客に罪はないのにな」
それにしても店の奥にある住居にさえ灯りが灯っていないのは妙だった。
「…まさか、あいつまで出て行ったんじゃあ…」
少なからず青褪めながら、元親は乱暴に店の戸を開け放った。
「元就ぃーっ、いねぇのかーっ!?」
その時パリンと硬質な音がした。
ぎょっとして元親はその音がした方へ目を向ける。
暗い中のことだ。
政宗に持たされていた提灯で照らしてやっと、人の姿が見えた。
「…もと…なり……?」
店の机に突っ伏すようにして眠っているのは紛れもなく元就だった。
「お、おい…?」
近づくまでもなく、ぷぅんと酒の香りがした。
「…お前、飲んでんのか…?」
「……若子…」
顔を上げた元就は焦点の定まらない目で元親を見つめた。
「…戻って…きてくれたの…か……?」
「お前っ、酒弱いくせにどれだけ空けたんだよ!!俺の秘蔵の酒が丸々一樽空じゃねぇか!!」
「若子っ…!」
元親の苦情も聞かず、元就は元親を抱きしめた。
元親は呆然と、間近にある元就の顔を見た。
「……えぇと、元就…、完全に…酔っ払ってる…だろ」
「若子……」
元とはいえ立派な武将に力強く抱きしめられ、元親はカエルの潰れたような音を漏らした。
「っ、あ、相変わらず力が意外に強……」
「若子まで…我を捨てるな…っ」
今にも泣き出しそうな声で言われては振りほどくことも出来ないと、元親は困り果てて元就を見た。
「元就…」
「我はっ…我は、お前なしでは生きて行けぬ…!お前まで、我を見捨てていなくなるな!!」
「…俺は、ここにいるだろ」
そう言って、元親は元就の肩に頭を載せた。
「若子…元親……」
「俺はお前の側にいる。お前がいろって言う限りはな。だからせめて……俺のことくらい、信じてくれ」
「…我……は…」
「お前が疑ったあの痕な…」
困ったような笑いを含んだ声で、元親は言った。
「お前がつけたんだぜ?」
「……我…が?」
「ああ。俺が酒を飲ませてやったのも覚えてないか?いい酒が入ったからお前と呑んで、珍しくお前がよく呑むからしばらく呑んでたんだ。そうしたらいきなりお前に押し倒されて…そのまま」
「……」
「お前がさっさと眠っちまったから、俺は一人で後始末して寝たってのに、夜中に水浴びて戻った俺を見たことだけしか覚えてねぇんだもんな。…はーぁ」
呆れたようにため息をつきながら、元親は笑った。
「困った奴だよ、本当に」
「……すまぬ」
小さく謝られて、元親は一瞬唖然として元就を見つめた。
元就が謝ることなど、これまでは一度もなかったのだ。
元就は悲しげな顔をしたまま言った。
「…許しては…もらえぬか……?」
「…っ、い、いや。許すに決まってんだろ。ただちょっと驚いただけだ」
「……そうか」
「ああ」
「…よかった……」
「………」
「…どうした?何を呆けた顔をしている」
「……素直なお前って気持ち悪いな」
「……減らず口を叩く奴には仕置きが必要だな」
「え」
途端に世界が回転し、元親は前夜とよく似た展開にため息をついた。
目を覚ました元就は自分が元親を組み伏したまま眠っていたことを知り、愕然とした。
苛つくままに酒を呑んだことはおぼえているのだが、その後の記憶は全くない。
どうしてこんなことになっているのか…と思っている間に、元親が目を覚ました。
元親とて体が辛くないわけでもないだろうに、元親はにっと笑って言った。
「おはよう」
「…おはよう……」
「目が覚めてんなら抜いてくれねぇか?流石に痛いんだけど」
「あ、ああ…」
まったく状況が分かっていない元就に、元親は肩を竦めて呟いた。
「…困った奴だな、本当に」
でもまあ、流石にこの状況なら浮気をしたと疑われることもないだろう、と元親は小さく笑ったのだった。