Lunatic / 明智×元親(元親×菜々(捏造)前提)
 
written by 織葉



※R-15
流血などのグロテスクな表現があります。








滑るような土の床に、乾いた笑い声が零れる。
酷く楽しそうなそれの主は紅く染まった唇を舐めた。
その胸の内には様々な思い。
行きたい、ここに残りたい。
人を傷つけたい、傷つけたくない。
傷つきたい、傷つけられたくない。
死にたい、生きていたい。
…そのどれもが同じ割合をなして存在し、混沌を成す。
思いの渦はどれも自分のものでありながら、他人のものに思われた。
明智 光秀――歴史に名を残した謀反人は死んだはずだった。
自らが倒した主よりもほんの数日生き延びただけで。
けれど彼は生きている。
血に飢えた獣のように、眠りから覚めたばかりの飢えた獣のように、のっそりとその土穴から彼は現れた。

目の前に立ちはだかるものも、行く手を塞ぐものも、どうでもよかった。
血を流し、倒れていくものなど、飢えをほんの少し癒すにすぎないのなら、なくても変わらない。
どうせなら、飢えを消してくれるものが欲しかった。
光秀は思う。
死んだ主のことを。
自分が殺した主のことを。
彼ほど美味しく、また飢えを消してくれるものはなかったと。

血に濡れた時代にしか生きられない生き物。
それが、この男だった。

光秀のかつて本拠とした地から、地図上では程近く、しかし実際に赴くとなれば遠い土地に、変わった男がいた。
光秀とは逆に、血に濡れた時代には生きられないような心を必死に押し隠す男だった。
その弱さも、優しさも、光秀とはあまりに違っていた。
光秀は、その甘さを味わいたいと思った。

かくして、四国の地は赤い血に塗れた。
倒れ、動かなくなる息子や弟、古くから仕えてくれた家臣を見ながら、この地の主――長曾我部 元親は天を睨んだ。
その目に滲むのは微かな涙と、狂ったような怒り。
光秀は楽しそうに笑った。
「貴方は面白い方ですねぇ…」
「くだらねぇこと言ってねェで、かかってこいよ」
獣のように唸る元親に光秀は嗤った。
「ああ怖い…。少しくらい話をしても何も変わらないでしょうに、ねぇ?」
「ケッ!テメェみてぇな奴と話すことなんざねぇよ」
そう言って槍とも言いがたい武器を振り上げる元親に、光秀は言う。
「貴方と私はまったく違う…。しかしそれ故に、同じであるところもあると思いませんか?」
「っ!?」
元親は驚いて言葉も出なかった。
確かに目の前にいたはずの光秀が自分の背後で悠然と床几に腰掛けていただのから。
光秀は、猫が獲物を手の中でいたぶるように言った。
「貴方が望むなら、貴方だけは逃がしてさしあげますよ。そうして、もっともっと美味しくなってください。腐りきる直前に、私が食べてあげましょう…」
「気色悪いことを抜かすなっ!!」
元親の蹴りをかわし、光秀は尚も言う。
「生き残りたいでしょう?」
「俺はっ、てめぇに情けを掛けられて生き残るくらいなら今ここで死んだ方がマシだ!!」
「嘘ばっかり」
「嘘なんかじゃねェ!」
「ならば何故、そうもむきになるのです?」
不意に間合いを詰めて、光秀は元親の首に手を掛けた。
ひゅぅと息を呑んだ元親は言うべき言葉を見失った。
「怖いのでしょう?臆病者と罵られ、冷たく白い目で見られ、石を投げられる、そのことが…」
かたかたと元親の体が震えた。
死ぬことは怖いがここまで恐ろしくはない。
生きることは辛いがここまでの苦しみを伴いはしない。
どんな者も見つめたくないような己の醜さ、汚さを見つめさせられ、生殺与奪の全てを狂った男に握られる恐怖。
その暗闇のような世界の中で、元親は思った。
死んだと言われたこの男が生きているのは地獄の閻魔でさえ怯えさせ、竦み上がらせたからに違いないと。
にぃと吊り上る真っ赤な唇。
その色は男の血の色を映しているのだろうか。
それとも死んでいった者たちの血に染まっているのだろうか。
だとしたらたった今死んだ者たちの血に違いない、と朦朧としてくる意識の中で元親は思った。
こんなにも綺麗な、鮮血の色をしているのだから、と。
光秀は残酷に言い放った。
「決めましたよ。貴方をどうするか。……私も気に入ったあの暗い穴の中で、美味しくなるまで寝かせてあげましょう」
気道を断たれ、元親は意識を失った。


暗い部屋の闇を深くするのは小さく弱弱しい蝋燭の火。
いっそあんな灯りなどなければいいのにと元親は思った。
その頬に、肩に、胸にと走るのは紅い傷。
かさぶたに血、そして肉がその色を作っていた。
土の中は一年、一日を通して気温の変わることがない。
暑いのか寒いのかも分からないが、しかし決して快適ではない温度の中、元親は宙を睨んでいた。
手を足を土壁に繋ぐ鎖は元親自身の持っていた鎖だ。
光秀はどこまでも皮肉な男だった。
けれどもう元親には、唇を噛んで悔しがる力も残っていなかった。
闇を深くする弱い光のように弱弱しく、苦痛のみをもたらす命しか持っていなかった。
かたりと音がした。
もう何度聞いたか分からない、木戸の開く音。
それはいつも不規則に思え、また実際不規則だったから、元親にはどれほどの時が過ぎたのか分からなかった。
分かるのは、また不快な、それでいてどこか愉快な、狂った時間がやってきたということだけだった。
「あぁ、やっぱり貴方には鎖がよく似合いますね」
光秀が初めてではない言葉を睦言のようにねっとりと呟いた。
もはや反応する気力もないのだろう元親は人形のようにだらりと四肢を投げ出したまま、顔を上げようともしなかった。
「今日は素敵な食器を用意して来ましたよ」
嬉々として、光秀は言う。
その手には金色に光る何かが見えた。
「信長公はただ愛でただけでしたが、私はそれではつまらないので、器として使ってみることにしたのですよ」
金色に光るその姿をはっきりと目にした時、元親はひっと声を上げた。
まぶしい金色の中にぽっかりと開いた虚ろな穴。
それは人の頭蓋骨に金箔を塗った物だった。
元親の悲鳴を歓声と受け取ったかのように光秀は笑んだ。
「見事でしょう?とくにこの形が美しいと思いませんか?」
これは、と光秀はわざわざ声を小さくし、秘密めかして言った。
「貴方の奥方のものですよ」
「なっ…!!?」
今度こそ、元親ははっきりと声を上げた。
元親の妻、菜々は光秀の家臣の中でも光秀に近しい、斎藤 利三の異父妹であり、光秀にとっても従妹にあたる女だ。
それさえも手にかけ、尚且つその骨を器として使おうとする光秀の言葉が信じられなかった。
いや、この男のすることで、元親が簡単に受け入れられるような常識的なことがあった試しなどない。
常に人の考え及ばぬような奇妙で残忍な振る舞いをするのだから。
光秀は撫で回していた円やかな骨の頂上部に指をかけ、かたりという音と共にそこを外した。
綺麗な円を描くそれは金色の杯とも皿とも思われた。
「菜々…」
元親の目から、ほろりと涙が零れた。
もし出来るのであればその骨を奪い返し、二度と辱めを受けることのないよう、自分の他は誰も知らぬ地に眠らせてやりたかった。
叶うならば、その側で自らも眠りたかった。
しかし、この小さな土穴から這い出す力も、今の元親にはない。
光秀はまるで玩具を見せびらかす子供のように目を輝かせ、従妹の骨杯を酒で満たし、それを元親の方へ恭しく差し出した。
「さあ、呑んでください」
「断る!」
「おや…まだ躾が足りませんでしたか?」
『躾』という言葉に元親の体がびくりと震えた。
恐怖。
ただそれのみがあった。
光秀は指で元親の口をこじ開けるとそこへ骨杯を押し付けた。
辛い酒を流し込まれ、元親が咽る。
咽たところへ更に酒が入り込み、元親を苦しめた。
光秀は至極満足そうに笑い、骨杯を置いてまた出ていった。
元親は手が届くぎりぎりのところに置かれたそれへ手を伸ばし、なんとかそれを取った。
元親はそれを抱きしめ、ひたすらに涙を零した。

次に光秀が下りてきた時、元親は既にもの言わぬものに変わっていた。
光秀は首を傾げ、
「そんなに長く放って置きましたかねェ……」
放っておいたのだ。
しかしそれは元親にとって苦しみをもたらす時間ではなかった。
妻に詫び、子に詫び、自分のために死んで行った全てのものに詫びながら、望んでいた死を迎えられる時間だったのだから。
詰まらなさそうに光秀は元親だったものを見た。
その胸に抱く骨杯にどこか嫉妬めいたものを感じながら光秀は呟く。
「私もまだ甘い…」
それでも何故か、飢えは感じなかった。