law of contradiction / 佐助と幸村
written by 雨梓
強くなれ、幸村より一回り大きい手の持ち主はそういって笑った。
あの人はむちゃをする、今更であるはずのことを佐助に再確認させたのは、鍛錬中に幸村が唐突に倒れたことだった。激しい動きに体の方が先に音を上げたのだろう。唐突な倒れ方だった。
屋根から飛び降りた佐助は慌てる兵士たちに苦笑をしてだいじょーぶだってと言って軽く手を振り、仰向けになって空を見上げる幸村の顔を覗き込んだ。
「気、すんだ?」
「………まだ、だ。」
幸村の答えに佐助は呆れて息を吐く。幸村の行動の原因には何となく見当が付いたが、佐助はとりあえず幸村に水の入った筒を手渡す。受け取った幸村は緩慢な動きで起き上がりそれを喉に流し込んだ。
「そんなに慌てて飲むと咽るよ。」
佐助の言葉通り幸村は数回咳き込んだ。
呆れた、と表情も隠さずに言う佐助を幸村が赤くなった顔で小さく見る。睨むというには柔らかく、見つめるというには強すぎる目だった。
「だんな?」
首を傾げた佐助に、幸村は無言で筒を佐助に押し付けた。佐助が手に持っていた手拭を奪うようにとって、乱暴に顔の汗を拭う。
「足りぬのだ。」
何も言わず、無言で続きを促す佐助に幸村は何も答えずただおのれの槍をじっと見つめる。
やがて佐助に視線を戻して、幸村はただ一言言った。
「鍛錬に戻る。」
「やめときなさいって。」
佐助の言葉に僅かに驚いたような顔をして、幸村は忍を見た。いつもと変わらない飄々とした顔があった。
「旦那があの人の言葉をどう受け取ったかは知らないけど、一日二日でどうにかなるってもんでもないだろ。」
佐助の言葉に、幸村は顔をうつむかせた。
口惜しそうな表情が容易に想像できて、佐助は仕方ないなと軽く笑う。
「なにがおかしいのだ。」
「さてねぇ。それより、そろそろ大将に呼ばれる時間なんじゃない?」
話題を逸らした佐助に不満そうな表情を浮かべた幸村は、けれど確かに約束の刻限であるとしぶしぶ頷く。
立ち上がって軽く泥や砂を払う。信玄に会うのは水浴びをした後になるだろう。急がねば、思考とは裏腹に幸村の体は鉛のように重い。
これでは佐助が止めるのも仕方ない、幸村は思った。のろのろと立ち上がって、投げ捨てられたように置かれている双槍を手に持つ。佐助に止められたとはいえ、幸村の胸に湧き上がる焦燥感は消えていない。幸村は僅かに眉を顰めた。
「だんなはさ、そんなに急がなくていいと思うよ。」
振り向いた幸村に、佐助は緩く微笑んで幸村が落とした手拭を拾い上げた。
「…そうであろうか。」
「焦ったところでどうにかなるもんじゃないでしょ。」
軽く言って肩をすくめた佐助は軽い足取りで歩く。立っている幸村の背中をその手で軽く押した。
「別に今すぐって言われたわけじゃないんだしさ、焦んなくて大丈夫だって。」
軽い調子の佐助の言葉に、そうであろうか、と幸村はもう一度呟く。そうだよ、すぐ後ろから即座に返事が返ってくる。
「だが妥協はできぬ。」
じりじりと胸を焦がすような焦燥感に幸村は言った。どこまで行けばこの焦りは消えるのか分からない。その不安に幸村は双槍を強く握る。後ろにいる佐助を振り返って見つめる幸村の目には、闘志のような赤いほのおが見えるようだった。これでこそ、真田幸村。
佐助はおのれの考えに幸村には気付かれないように笑った。
結局佐助は幸村の炎を消そうと思っているわけではなかったし、佐助がそうしたところで赤い炎に燃やされてしまうのが関の山だと試すまでもなく知っていた。証拠に佐助は幸村が倒れると分かっていてもそれを止めようと思うことすらなかったのだから。だから佐助は答える代わりにやれやれと笑って肩を竦めた。
オカンしてない佐助を書こうと思うことすら無謀だったようで。