いつも酷い目にあわされてるんだ。
たまにはわがまま言ったって、いいよな?


鰯とケーキと常識人


「鰯のケーキが食べたい」
俺がそう言ったのはある日の午後、ルーゲンタの来ている時のことだった。
見張りという謎の名目で俺の部屋に来ていた奏も思わず動きを止めた。
俺はにんまりと笑って繰り返した。
「鰯のケーキが食べたい」
「…孝太、頭、どうかした?」
奏が尋ねてきたが俺は笑って、
「頭なんかもうずっとおかしいだろ。こんな非常識な押入れのある部屋に住んで非常識な連中に囲まれてんだから」
「ルーゲンタ、この部屋、ガスでもたまったかな。……ルーゲンタ?」
ルーゲンタは返事もせず、考え込んでいたが、突然俺に言った。
「孝太、それってすごく不味いと思うんですけど」
「不味いのはヤダ。美味い鰯のケーキが食べたい」
「難しくありませんか?鰯のあの匂いとケーキの甘さは合わないと思いますよ?」
「そこを何とかするのがお前の仕事だろ?」
「……孝太、私を試してるんですか?」
「いーや」
俺は我ながら意地の悪い笑みを見せて言った。
「からかって遊んでんの」
「……鰯のケーキを作ればいいんですね」
「美味いのをな」
ルーゲンタは生意気にもはぁ…とため息をつき、
「分かりました」
と指を振ろうとした。
俺はそれを手で止め、
「お前が作るんだろ?魔法はナシ」
「えぇー…」
ルーゲンタの口がへの字型に曲がる。
半開きの、間抜けな形だ。
「まぁ、降参してもいいんだけどな」
鼻で笑うような勢いで俺が言うと、ルーゲンタは口を締め、眉を寄せて答えた。
「降参なんてしませんよ」
「じゃあせいぜい美味く作ってくれよ。言っとくけど、先に味見させるからな」
「…分かりました。台所、借りますね」
「奏、そいつが魔法を使わないよう見張ってやってくれ」
奏は戸惑うように俺とルーゲンタの間で視線を動かした後、頷いた。
「分かった。でも、孝太、少し寝た方がいいんじゃないか?眠くて苛立ってんだろ」
「あーそーかもな」
「…孝太、絶対寝てろよ!」
そう繰り返して、奏はルーゲンタを追って階下へ下りていった。
俺はベッドにごろんと横になり、布団を頭まで被った。
奏の言う通り、少しばかり寝不足だったんだろうか。
あっという間に俺は正体もなく眠り込んでしまった。

ホイップクリーム特有の甘くてどこか気だるい匂いに鼻をくすぐられ、俺は目を覚ました。
目を開けて、ベッドから下りようと身体を反転させるとそこに、ルーゲンタが座り込んでいた。
「…ッ、ルーゲンタ、なに、それ…っ…」
笑いのあまり声が震える。
ルーゲンタは頭っから粉やらクリームやらを被って真っ白になっていた。
「笑っていいですよ」
珍しく、拗ねたような調子でルーゲンタは言った。
「ケーキなんて焼くの初めてだったんです。調合やなんかは慣れているので大丈夫だと思ったんですが、やっぱり、だめでした」
「で、でも、クリーム泡立てるところまで行ったんだろ?」
「ええ、ケーキも焼けました。けど…」
「けど?」
「階段で、こけてしまって」
「ぶひゅ」
笑いが口から漏れ、変な音を立てた。
こうなるともう止まらない。
俺はたっぷり腹が引き攣るまで笑った後、ベッドの上にあぐらをかいて、ルーゲンタに聞いた。
「何で魔法で止めなかったんだ?」
「だって、使っちゃいけないんでしょう?」
「バーカ、作るのに使うなって言っただけだろが」
「あ…」
「んで、どんなの作ったんだよ」
「生地とクリームに少しだけ、カリカリにした鰯の骨を混ぜたんですよ。食感がよくなってカルシウムもとれるって感じにしたんですけど…多分、どちらにしろ失敗だったんですよ」
「そっかな…」
俺は手を伸ばしてルーゲンタの顔についたクリームをとった。
それをぺろりと嘗めると、甘いクリームの中で確かにざらつくものがあった。
「これだけじゃ分からないか。生地の方は?」
「…って、孝太…今、何を……」
かぁっと赤くなったルーゲンタを、俺は珍しいと思いながら見た。
「え?ケーキの味見だろ」
「じゃあ是非中身の方もッ!」
と言って飛びつこうとしたルーゲンタの顔面を、俺はめいっぱい蹴り上げた。
「いっぺん死んで来い!この腐れ馬鹿が!!全く、足の裏にクリームがついたじゃねえか」
「嘗めましょうか?」
「だから死ねつってんだろ。むしろ消えろ。消えてくれ」
床が汚れるのも構わず、俺はルーゲンタを部屋の外に蹴り出した。
「汚したところはちゃんと片付けろよ」
冷たくそう吐き捨てて、ピシャリと戸を閉めた。
「孝太〜〜〜…」
ルーゲンタの情けない声が聞こえていたがそれも構わず、俺は部屋に置いてあったタオルで足と床の掃除にとりかかったのだった。