いつものこと ―――――― 咲菜 |
「〜〜♪」 とある麗らかな昼下がり。厳粛な空気漂う血盟城の廊下を、眞魔国一の美貌をもつと謳われているフォンクライスト卿ギュンターが、今にもスキップしそうな軽やかな足取りで歩いていた。耳を澄ませると少し調子の外れた鼻歌まで聞こえてくる始末である。 そんな彼がこれ程までに上機嫌で向かう先は一つしかない。 バンッ 「へ〜い〜か〜v 楽しい楽しいお勉強のお時間ですよ〜v 今日は地理学を・・・おや?」 ノックもなく、勢いよく執務室の扉を開けたギュンターだったが、残念ながら彼の視界には目的の人物の姿は映らなかった。変わりに誰もいない室内にギュンターの大きな声が虚しく響き渡る。 「陛下?・・へいか!?・・・へ〜い〜かぁ〜〜、何処にいるのですかぁ〜〜。またかくれんぼでずがぁー」 辺りに汁を撒き散らし、鼻声になりながらギュンターは必死になってユーリを捜す。机の下、バルコニー、カーテンの影、クローゼットの中、抽斗の中・・・。その形相はとてもじゃないが、彼を慕う部下や女性に見せられたものではない。 偶然扉の前を通りかかった不幸なメイドや兵士は、部屋の中の惨状に恐怖し、“自分は何も見ていない”と自己暗示をかけながら足早に部屋から遠ざかって行った。 そんな外の様子などお構いなしでギュンターの暴走は段々激しさを増していく。 「べーーい゛ーーがぁーー!!」 「ええい!!騒々しいぞ、ギュンター!私の部屋までお前の奇声が聞こえてきた。貴様は一体何を・・っ!」 「グェンダル!丁度良いところに。陛下を、陛下を知りませんか!?貴方確か一緒に執務をしていたはずでしょう!!陛下は何処にー!」 そこへ騒音に耐え切れず、注意をする為グウェンダルがやって来た。だが言葉を最後まで言う前にいきなりギュンターに襟首を掴まれるという災難に見舞われた。そしてそのまま激しく前後に揺すられる。グウェンダルは突然の事に不意を付かれ、されるがままになるしかなかった。 しかし心の中では様子を見に来たことを激しく後悔した。こんな事なら耳栓でもして未完成のあみぐるみを仕上げればよかった。今回の子は我ながらよく出来ていると思っているのに・・。 しかし何時までも此の侭にする訳にはいかない。いい加減苦しくなってきた。 そこで仕方なくグウェンダルは、暴走するギュンターを落ち着かせるために口を開いた。 「取りあえず落ち着け、ギュンター!!そしていい加減この手を離せ!」 「はっ!!・・ず、ずみ゛ま゛ぜん゛ーー」 やっと離れていった手に一先ず安堵し、グウェンダルは乱れた襟を正した。隣ではギュンターが気を落ち着かせようと頻りに深呼吸を繰り返している。ある程度落ち着いた頃合を見計らって話しかけた。 「それで。貴様は何をそんなに騒いでいたんだ」 「じ、実は、陛下のお勉強の時間になったので執務室を訪ねたら、中には誰も居らず・・・」 「成る程、それで陛下を捜していてああなったと・・」 「その通りです」 ちょっと陛下の姿が見えないだけで大騒ぎする王佐。・・いつもの事ながらグウェンダルは急にドッと疲れた気分になった。思わず溜息まで出てしまう。 「ハァー・・ギュンター・・・」 「そういえば、貴方こそどうしたのです?今日は陛下と一緒に執務をしているはずでは?」 確かにここ最近は早急に決済が必要な書類が山ほどあり、昨日まではこの時間も執務室で書類整理に追われていた。しかしそれは飽くまで昨日までの話である。 「昨日までで急を要する書類は粗方片付いていた。今日はその残りを片しただけだ。よって昼前には終わった。こ・・陛下も今回は怠けず頑張っていたため、昼からは好きにしろと言っておいた。その後奴がどうしたかは私は知らん」 「そうですか。ああ、陛下は一体どこ・・「あ、兄上!」 突然ギュンターの台詞を誰かの声が遮った。2人が声の聞こえた方を振り向くと、わがままプーことヴォルフラムが部屋の入り口に立っていた。今日も柔らかな蜂蜜色の髪が光を受けてキラキラと輝いている。しかし黙っていれば天使のような相貌はどこか不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、目尻が吊り上り気味だ。あまりこういう状態のヴォルフラムには関り合いたくないものだ。グウェンダルは心の中で密かに思う。 そんなことは露知らず、ヴォルフラムは話を続ける。 「兄上、ついでにギュンターも。ユーリを見かけませんでしたか?」 「いや、午後以降は見ていないが」 隣でギュンターが「ついでとは何ですか!」と憤慨していたが、無視する。これ以上面倒事には巻き込まれたくない。出来れば今直ぐに自室へ帰りたかったが、ヴォルフラムが邪魔で出て行けない。更に悪いことにヴォルフラムはまだ話を続けた。 「そうですか。全く何処に行ったんだか、あの尻軽め!・・聞いて下さい、兄上。折角僕が最高級品のクマハチの絵の具でユーリの肖像画を描いてやろうと思ったのに。さっき部屋に行ったら居ないんですよ!昼食の時に絶対に居るように何度も念押ししたのに!」 それは逃げたくもなるかも知れない。グウェンダルはあの強烈な匂いを思い出し、少しだけ陛下に同情する。するといきなりギュンターが口を挟んできた。 「ちょおっとお待ちなさい!ヴォルフラム。今日は午後から私との勉強の約束があったのですよ。何を勝手に約束を取り付けているのです!そんなのは無効です!」 「ふん!ギュンターとの勉強なんてどうせ歴代魔王の賛辞や堅苦しい歴史の話ばかりだろう?前にユーリがボソッと零していたのを聞いたぞ。ギュンターの話は詰まらないって。そんな事に時間を使うより、僕のもでるになっていた方がよっぽど有意義じゃないか」 「キーーーっ!そんな事はありませんよ!そもそも貴方は・・・」 遂にギャイギャイと言い争いを始めてしまった2人に、グウェンダルは頭痛を覚えずにはいられなかった。熟々、あの時執務室へ足を向けてしまった事が悔やまれて仕方がない。 何故自分はあの時、腰を上げてしまったのか―― そんなグウェンダルを後目に目の前の2人の争いは、到頭お互いの罵り合いへと発展していた。いやこの場合は退化と表現したほうが良いのかもしれない。2人とも一応は高等貴族であるはずなのに、出てくる言葉は下町の酒場で使われるものと大して変わらないものばかりだ。 ・・段々虚しさを感じ始めてきた。いっその事誰か何とかしてくれないかと思っても、哀しいかな。騒ぎに巻き込まれたくないが為、誰一人としてこの部屋に近寄ってさえ来ない。 仕方がないのでグウェンダルは、2人は放って置いて奥の執務机に向かうことにした。明日の分の書類をする方が何十倍もマシである。 そう結論付けて、身を翻した。――しかし。 ガシッ! 「グ〜ウェ〜ン〜ダ〜ル〜」 「あ〜に〜う〜え〜」 目聡いギュンターとヴォルフラムに両肩を掴まれ、身動きが取れなくなった。 「ちゃんと聞いてください!ギュンターの奴が・・」 「いえ、いえ、ヴォルフラムが・・」 「〜〜〜っつ!! いい加減にしないか!!!!」 グウェンダルの怒りに満ちた怒声が血盟城中に轟き渡った・・・。 *・・*・・*・・*・・* 「ヴォルフラム。本当に陛下はコンラートの所にいるのですか?」 「そんな事僕が知るはずないだろう。ただ、執務室にも寝室にもいない。さらに厨房や厩、ついでにアニシナの研究室にもいない。眞王廟には行っていないらしい。そうすると後はコンラートの所しか無いじゃないか」 あれからグウェンダルの数分の説教の後、3人は練兵場へと向かっていた。因みにグウェンダルは本来なら謹んで辞退するところだが、成り行き上仕方なく、本当に仕方なく2人に付き添っている。 「そういえば今日はコンラートは何の用事で練兵場に行っているのですか?」 「・・確か・・」 「新兵の鍛錬の指南役だ」 グウェンダルの言葉に、ギュンターは昔を懐かしむような表情をした。おそらく鬼教官として名を馳せていた時代を思い出したのだろう。当時は今とはえらい違いだった。 練兵場に近付くにつれ、威勢の良い掛け声が何重にもなって聞こえてくる。その中でも比較的若く高い声が響いてくる方向に眼を向ける。案の定、まだ初々しさの残る兵達の中に混じって枯草色の軍服を纏った青年がいた。今は集団での鍛錬中らしく、コンラッドは少し離れた位置でその様子を眺めている。 近付くと向こうもこっちに気付いたらしく、他の教官に合図して遣って来た。 「珍しいな。3人揃ってこんな所まで来るなんて。っと言うか、ギュンター、貴方は今陛下との勉強の真っ最中じゃないのかい?」 「・・その様子では、ここには陛下は居ないようですね」 「とすると一体何処へ・・」 ギュンターとヴォルフラムはその言葉を聞くとコンラッドを無視して話し始めた。コンラッドは仕方が無いので、眉間の皺がいつもより一割増えているグウェンダルに尋ねた。 「陛下がどうかしたのか?」 「いや、午後から姿が見えないんだ。思い当たるところは一通り回ってみたのだが・・」 「“何処にも居なかった”と。なるほどね。それにしてもグウェンが陛下の心配をね・・」 「・・っ!わ、私は別に・・、ただ、放っておくと其処の2人が煩いから・・・」 「そういう事にしておくよ。それで、ユーリの居場所ねぇ・・」 コンラッドは暫く考え込んだ。いつの間にかギュンターとヴォルフラムも話し合いを止め、コンラッドに注目していた。グウェンダルは、考え込むほどユーリの行きそうな場所は沢山あるのかと、改めてユーリの行動範囲の広さにゲッソリする。少しは大人しくしていて欲しいものだ。まあ、その片棒は今目の前の人物が担いでいるわけだが・・。 「・・・多分、あそこかな?」 そう言うとコンラッドは、徐に何処かに向かって歩き始めた。3人もその後に続く。進行方向からいくと、如何やら城の裏の方へ向かっているようだ。それは中々の盲点だった。何故なら血盟城の背後には緑豊かな森が広がっているだけである。その為、用事で城の裏へ足を運ぶことはあまりない。万が一あったとしても、殆どがメイドや兵士といった位の低い者になるだろう。つまり滅多に人が来ず、来たとしても見付かっても問題の無い人たちばかりである此処はユーリにとってみれば格好のサボり場となるのだ。 何となく誰も話さず、コンラッドを先頭とした4人は森の入り口に当たる雑木林の中を進んでいく。辺りは木々の隙間から柔らかく零れ落ちる光に照らされて明るい。時折小鳥の鳴く声が微かに響いている。 眼前に少し開けた部分が見えたところで、コンラッドは足を止めた。そこは、不思議な場所だった。一本の木を中心に木々がその周りを丸く間隔を開けて立っている。それはまるで中心の木がスポットライトを浴びているかの様だった。 更に、中心の木は他の木よりも樹齢を経た立派な大木で、荘厳な雰囲気を見ているものに抱かせる。 「やっぱり、此処だったか」 その言葉に皆がコンラッドを見ると、コンラッドは指で木の根元を指した。釣られて指された方向を見ると、成る程、黒い服に包まれた足が見えていた。 なるべく足音を立てない様に木の方へ近付いていく。そうっと覗き込むと、案の定。 「寝てる・・」 「陛下ぁv」 木に凭れ掛かり、静かな寝息を立ててユーリが眠っていた。穏やかな木漏れ日に照らされたその寝顔は穏やかで、実に気持ち良さそうである。時折悪戯に吹く風にサラサラと黒髪を遊ばせされるが、そんな事はお構いなしでユーリは依然夢の中だ。無論コンラッド達が来た事にも気づかない。 「・・・全く。こんな所で、しかも護衛も付けずに寝るなど、万が一何かあったらどうするんだ」 その無防備さにグウェンダルは些か呆れる。しかしそう言いながらも、グウェンダルの眉間の皺が少ないことにコンラッドは気づいていた。それでも一応フォローはする。 「まあまあ、ユーリはこの所疲れが溜まっていたし、ちょっと息抜きにきてそのまま寝ちゃったんだよ。きっと。それにこの辺りは聖域だから迂闊に賊も入れない」 「そういう問題では!・・っ・・まあ・・よい。・・但し!今回だけだ。次からは護衛を必ず一人はつける様に、と起きたら小僧に言っておけ!いいな、コンラート」 そう言うとグウェンダルは踵を返し、元来た道を帰っていった。本当に兄は素直じゃない。コンラッドはやれやれと嘆息する。 暫くその後姿を眺めたあと、ふと周りが静かなことに気付き、ユーリの方を振り返った。 「おやおや、通りで」 見るとギュンターとヴォルフラムはユーリの隣でコックリコックリと舟を漕いでいた。しかもお互いに凭れ掛かって。 「ま、無理もないか。ここは昼寝をするには絶好のポイントだし」 コンラッド自身も空いている側のユーリの隣に腰を下ろす。 すると辺りは、木の葉がたてるサワサワとした葉擦れの音と、小鳥たちの控えめな歌声だけが響く。実に長閑だ。更に隣からはほんのり暖かな体温と、穏やかな寝息が。流石に睡魔に襲われたコンラッドはユーリに一声掛けると、自身も瞳を閉じた。 「おやすみ、ユーリ」 |