私の腕が泣いていた

紅い涙を流していた


泣けない私の代わりに、

この腕はいつだって。



ゆくえ



「また、痩せたんじゃない」

ミオは呟くように言って、夕日の浮かぶ空をガラス越しに見上げた。紅い光に照らされて、少しウエーブのかかった髪を指で溶かす姿が、とても美しいと思った。

「そうかな」
「そうよ」
「それでもまだ生きてるね」
「そうね」

息のような声で喋っても聴こえるほど、この教室は静かで、あたしたちの距離は近い。あたしたちは誰よりも近いのだ。他の誰かが割って入ることなどできない。

「カスミ」
「なあに」
「……やって」

そう言ったミオはセーターを捲り上げて、白い腕をあたしに差し出した。――慣れた手つきで。誰もいない、夕日の射す教室だった。ふたりきりの。あたしたちだけの。

「……いいの?」

訊くと、ミオはこくりと頷いた。表情はなかった。

あたしは厳かにスクールバッグの中から包みを取り出し、机の上に置く。布を広げていくと、その中でそれは鈍く光っていた。


ふたりだけの、儀式だった。


「いくよ?」

ミオの綺麗な瞳を見つめて言うと、もう一度ミオは頷く。あたしはそれをしっかりと持って、ミオの腕に這わせた。白い腕に沁みこませるように埋めてゆく。

「……っ」

ひんやりとした感触があったのか、ミオは息をついた。「大丈夫?」あたしが訊くと、ミオは「ええ」と答えた。


この行為を肯定する人なんか、いないだろう。だけどそれでもあたしたちは繰り返す。これがあたしたちの生命線であり、あたしたちはお互いの存在がすべてなのだ。あたしはミオで、ミオはあたし。いつかひとつになって、溶け出すくらいに溢れてみたい。きっとミオもそれを望んでいる。だってあたしはミオだから。周りの人がなんと言おうと、関係ない。あたしたちは繰り返す。辿り着くまで。どこに向かっているのかは、わからないけれど。


人差し指に力を込める。深く沈んでゆくそれは、紅い光に反射してキラキラと光る。白い腕をあたしに捧げているミオは、まるで傍観者のようにその様子を遠いまなざしで眺めていた。

「いたい?」
「ちょっと」

やがて夕日よりも紅い血が、滲んできた。それでもミオは傍観者のようだった。いつもそう。あたしの腕を切るときだって、ミオはまるで自分は当事者ではないような瞳でただ眺めている。あたしはどんな顔をしてるんだろう。

「もうちょっと?」
「ええ」

銀色の刃で浅く抉るようにミオの腕に沈める。やがて血はどんどん溢れて、ミオの腕の下に敷いていたタオルは、紅に染まった。

「抜くよ」
「…ええ」


ナイフを元の包みに戻すと、ミオは微笑った。夕日に紅く染まった頬を、穏やかに吊り上げて。その腕をいとおしそうに、撫ぜながら。だからあたしも、微笑った。

泣きはらした瞳のような無垢な紅を抱えたミオ。あたしはその存在だけで生きてゆける。あたしたちは泣けないけれど、生きてゆけるのだ。お互いさえ居てくれれば。そう、生きてゆける。たとえ、辿り着く場所などなくても。


生きてゆける。



end.



040525