「喰らう」devour 昨日のテレビのドラマやバラエティ番組やスポーツの結果やヒットチャートや 芸能スキャンダルや長者番付(笑)にはまっっっっったく興味がない。ので。 共通の話題があるとすれば喰い物の話しだ。いくら興味があってもいきなり 『ルパード・シェルドレイクの仮説』や『松岡正剛の仕事』について熱く(笑) 語ってもきっと「なにそれ?」に違いない。まぁ無難な話しが喰い物の話題に なるわけだ。無難と言ってもわしの日々の生活のなかではとても大きい比重を 占めているのだが。 別に喰い物に対しての固執・執着などないと思われるのだが。好き嫌いの嗜好 の差はあれど、美味い不味いを云々する表現力もないし、喰えりゃなんでも喰 らうし、栄養とかバランスとか健康とか「食」とかいう高尚なものにはかなり 無頓着なほうだ。コメにキムチのせてタラコふりかけとマヨネーズかけて喰ら うようなヤツだ。 それでも。かつて喰ったことのあるもの今後喰らってみたいものの話しは接点 となることがある。イレギュラーやイリーガルなものに飛び火したりもする。 喰い物の話しをしてるだけで時間が過ぎるのを忘れる。メシ前にはかなり盛り 上がったりする(笑)。贅沢な喰い物でも想像するのはタダだ。 質や量を落としてでも喰らわずには生きられないのが哀しくもあり楽しくもあ り。昨日の食費に一喜一憂。喰らうために生きてるのではなく生きるために喰 らってるだけだ。 それでも。ウマイ店にゆく。気に入って足繁く通うようになる。あまり当てに ならない味覚の持ち主であるからして味に惹かれてとは言い張れないが。どち らかというと“店”に喰われに行ってるのだ。安いか高いかはその場でどれだ け自分が解体されるかという基準に因っている。 日本語で言うところの「地図」という名の店があった(過去形)。そこにはリ ラックスと和みがある。が。わしはいつもドアを開ける瞬間まで緊張が高まる。 今夜はどこまでバラバラにされてしまうのか。しかし。ここでホンモノの“解 放・開放”感を知ってしまったわけだが。 ・・・と。こんなことまでは“話題”にはしないのだが。 [99.11.08mon]