■対馬市の民話・伝説


◆天道さま
対馬の南、豆酸の海岸に身分の高い女が流れ着き、そのまま村に住んでいたが、ある日お日様がお腹の中に飛び込んでくる夢を見た。その後一人の子供が生まれ、たいそう利口なその子は天道童子と人々から呼ばれた。九歳の時に京に勉強に上がり、帰ってからは山伏となって修行していた。宝亀二年、元正天皇が病になっていたとき、一人博士が占いで「対馬の天道という山伏を呼べ」と言う。天道を連れてきて祈らせると重い病気がたちどころに治った。天皇が天道に褒美は何がいいか聞くと、彼は対馬の年貢を止めて欲しいと言う。おかげで対馬の島民はずいぶんと楽になったそうだ。


◆夢見小僧(1)
昔、身寄りのない与兵衛という男がいた。与兵衛には財産もなく、その日暮らしをしていた。ある日与兵衛はいい夢を見た。それが村の偉い人の耳に入り、どんな夢か聞かれるが、与兵衛は「言わない方がいい」と言った。これが村中に広がりついには殿様まで届き、今度は殿様に夢の内容を問われた。与兵衛はそこでも言わなかったので鬼ヶ島へ島流しにされた。鬼ヶ島に着くと、赤鬼と青鬼が寄ってきて「何しに来た」と問う。「夢を見てきた」と答えると、鬼も夢の内容を聞いてくる。与兵衛が答えないでいると、鬼は夢が聞きたいあまり赤い玉と青い玉をやった。赤い玉を押さえると病気が治り、青い玉を押さえると健康な人も病気になるというものだった。それでも話さないので、今度は自分を扇ぐと好きなところに飛べるうちわをやった。与兵衛はこれをもらうと「話してやるが、おまえを見てると恐ろしくて話せない。砂を掘っておまえがそこに埋まれば、大きな声で話してやろう」と言った。鬼が言われたとおり砂に埋まるとその隙を見て 鬼からもらったうちわで鬼ヶ島を抜け出した。村に帰る途中人垣ができているので寄ってみると朝日長者の娘が病気になって、どんな医者にも治せないらしい。与兵衛が長者の家に行って赤い玉を使って娘の病気を治すと、村人はこんな人は村から出してはいけないと思って長者の娘と結婚させた。その晩、与兵衛は何故自分が見た夢を言わなかったか話した。だから、いい夢を見たら人には話さない、というそうだ。


◆夢見小僧(2)
昔、あるところに若い男がいた。年の初めにいい夢を見たので父に話すと、「その夢を話せ」と言われる。「いい夢を見たら一週間は話してはいけんと言うので」と言って若者は話さなかった。一週間たって父が夢の内容を催促したが、また一週間、一週間と言って全く話す様子がない。父は腹を立てて若者を家から追い出してしまった。仕方がないので若者は山奥へ向かって歩いていくと、大きな家が見えてきた。入ってみると、そこは盗賊の岩屋だった。 盗賊の大将は若者に「どうしてここに来たのか」と尋ねた。若者が事情を話すと、盗賊の大将も夢の内容を知りたがった。若者は今度は素直に内容を話すというので、大将は「親にも話さなかった話をしてくれるのだから、礼に岩屋の一番の宝物を授けよう」と言って一升枡を出してきた。大将が言うには枡の四隅のうち一隅を押しながら家倉建てと言って押せば家も倉も建つ。次の隅を押しながら金でも米でも酒でも出ろと言うと出てくる。次の隅を「ベヨーヘイヨー」と言って押せばいくら死にかけの病人でも治る。四番目の隅を千里飛べと言って押せば千里飛ぶのだそうだ。 若者は枡を手にとって四隅の説明を受けていたが、大将が油断している隙に「千里飛べ」と言って、夢の話をしないまま宝を奪って逃げてしまった。 千里飛んだ若者の着いた先は、立派な橋の上だった。通行人に話を聞くと、そこは京都の五条大橋だと言う。若者は宿をとって二三日京都に滞在していたが、ある日あたりが騒がしいので宿の亭主に話を聞いてみると、禁裡(天皇)のお姫様が病気で、どんな医者にも治せないで困っているらしいという話だった。若者は見舞いという名目でお姫様のところへ行くと、懐にあの枡を忍ばせ、「ベヨーヘイヨー」と唱えてお姫様の病気を治してしまった。 姫様の快復の祝いの席で、若者は禁裡様から娘を嫁にもらってほしいと言われ、娘の隣に座らされ禁裡様直々の杯を受けた。 さて、そもそもどんな夢を見たのだったかと若者が思い出すと、それは「朝日枕にお月を抱いて、今日(京)の杯を手に受けた」というものだった。その夢を親にも盗賊の大将にも話さずにいたのでこのような幸運に巡りあったという話し出そうだ。


◆親孝行むすこ
昔は六十歳になると、例え生きていても壺に入れ土の中に埋めていたという。とある孝行息子が「自分の親をそんな目に遭わせることはできない」と言って天井裏に隠していた。ところがそれが奉行の耳に入って奉行所に呼び出されることとなる。奉行に問いつめられても頑なに「親を埋めることはできない」という息子に奉行は「から灰(木灰)で縄を作ってきたら許してやる」と言った。家に帰って思案している息子に親が事情を聞くと、「それなら平石の上に縄を置き、縄の尻から火を付ければすぐにできる」と言う。言われた通りすると、立派な灰の縄ができあがった。早速奉行所に持っていくと「これは誰が考えたのか」と聞かれる。親が考えたと言うと「これは年寄りを生かさねばならない。やはり年取った人は知恵がある」と言って、それからは年寄りを大事にしたそうだ。


◆鳥女房(厳原町)
昔、ある山小屋に親子三人で猟師をしている者たちがいた。ある日一人のお婆さんがこの家を訪ねてきて、いい猟場を教えてくれると言う。話を聞くと、「富士の麓に大きな池がある。その池には五色の色をした鳥が二羽座っているので、一羽撃てば千両、二羽撃てば二千両になる」と言う。兄弟は朝早くそこに行くと、話のとおり五色の色をした二羽の鳥がいる。兄は右を、弟は左を撃とうとするとその鳥はこちらを向いてお辞儀をした。自分らにお辞儀をした鳥を撃つものではない、助けねばならないと二人は鳥を見逃して帰った。 ある日、山小屋に一人の若い女が来て嫁にもらってほしいと言ってきた。いくら断っても帰らないので嫁に迎えることにすると、結婚して一週間後、「私に一週間の暇をくれ。そして後は決してつけないでほしい」と言って嫁は家を出てしまった。
猟師は嫁にどうしても会いたくなり、約束を破って嫁を探しに山に登っていった。するとそこには大層な神様がお寄りになっていて、嫁はそこで機を織っていた。猟師は嫁に気づかれぬよう抜き足でこっそり帰った。
嫁は帰ってくると、「あなたは約束を破って後をつけてきたのでもう嫁ではいられない。ここへ反物を置いておくので、今月五月十五日になったら天下様のお通りがある。そのお通りの時に反物を持っていれば千両で買い取ってもらえるだろう」と教え去っていった。猟師はその通りにして千両儲けた。
しかしそれでも嫁に会いたくてたまらず、富士の池を訪ねてみた。するとそこには裸の鳥が二羽いた。自分の羽を織ってお礼にしたのだと知った猟師は、どうしたらこの鳥を元通りにできるだろうかと考えた挙句、持っていた握り飯を投げてやることにした。すると二羽とも喜んで食べるので、猟師はそれから毎日握り飯を持っていってやることにした。すると見る見る千両あった金が底をついてきたので、明日からどうやって握り飯を食わせてやろうと思案しながら家路についていると、道を踏み外して滑り落ちてしまった。その時に何かが見えた。それは白銀の入った九つの壺だった。九つ拾って長者になったので、それで鴻の池と言う。(つまり鳥は鴻の鳥だった)
長者になってから、ある時一人の男が訪ねてきた。宝を見せてほしいと頼むので見せてやると、男は壺に『…十二のうち…』という表記を見つけ、宝はまだ三つ残っていると知る。男はそれから宝を探しまわったが、ある空き家の話を耳に挟む。そこでは夜になると小坊主が出るので人が住めないという大きな空き家であるという。男がその家に行って泊まるとどこからか荒男が出てきて「たくさん人が来たがお前ほど度胸が据わったものはいない。お前に宝を授ける。この家の井戸は埋まっているが、宝はその中にあるので取れ」と言って消えてしまった。言われたとおり男が井戸を掘ると三つの宝が出てきた。それで長者になったので三井といったそうだ。


◆孝子泉(厳原町)
昔鴻の池の長者の元は野菜売りか何かだった(鳥女房では猟師だったのに?)。たいへん親孝行で野菜を売って稼いでは親に晩酌をさせていたが、ある日野菜がまったく売れなくなった。仕方がないので帰り道で池の水を汲んで親に差し出すと、親父は「こんなうまい酒はない」と言って喜んで飲んだ。不思議に思って息子が飲むと、確かにそれは酒だった。そこで、あの池の水は酒なのではと考えた息子は池の水を樽や瓶に汲んで売って大金持ちになったという。


◆熊蜂長者(厳原町)
昔、魚売りと野菜売りがいっしょに道中していた。暑かったので少し一服していると、魚売りは昼寝をしてしまった。寝ている魚売りのところに一匹の熊蜂がやってきて、ぶんぶん飛び回る。魚売りが寝ながら手で払うと岩鼻へ飛んでいき、また魚売りのところへ戻ってくる。そんなことが何回か続いた後、目を覚ました魚売りが「俺は今夢を見た。岩鼻から蜂がやって来てそこに金があるといったが、本当だろうか」と野菜売りに言った。野菜売りは「寝言は寝て言え」と冷やかし、結局岩鼻へ行かなかった。野菜売りは魚売りと別れると、急いで岩鼻に戻ってトンと打ってみた。すると出てきたのは金だった。しかも露頭(鉱脈)だったので、野菜売りは大金持ちになった。立派な家を建て、天井はガラス張りにし、そこに水を溜めて鯉や鮒を放していた。金を持つといい人付き合いがしたくなるもので、殿様と会うこととなった。「あの魚は何か」と殿様がお聞きになっても、手で示さず寝転んだまま足で鯉だ鮒だと教えたものだから、付き人が腹を立てて魚屋を殺してしまった。後に大層な金が残ったので、七従兄弟まで分けてやると触れを出した。すると、「私もサンヤ(魚売りの名)の四従兄弟じゃあります、私もサンヤの四従兄弟じゃあります」と続々とやってきたそうだ。それで今も「トコサンヤのよいとこじゃ」と言って仕事をするのだという。そのサンヤの家は豊後にあって、近頃まで金の火鉢が残っていて、それを売って花火をあげたということだ。


◆炭焼長者(厳原町)
昔、豊後の国に炭焼小五郎という汚いばかりの男がいた。ちょうどあるところに大きなお多福の娘ができた。これを縁付きにするには豊後の国の炭焼小五郎に行かねばならんと親が言う。醜い、嫁の貰い手のない娘なので小判を持たして行ったが、小五郎は「見ての通りだが、これでよければ」と娘を嫁にもらった。
米がないので小五郎を買いにやらせようとしたが、小五郎は銭を持たないと言う。仕方なく娘が小判を渡すと、小五郎は道中、川を泳ぐ鳥を見かけ、捕まえようと手にした小判を投げつけて無くしてしまった。
家に帰ってきて事の次第を伝えると娘は怒って「なんていうことを。あれが日本のお宝で小判というものだ」と言う。すると小五郎は「あれが小判じゃったか。あれが小判なら俺の炭焼くところに余るほどある」と言う。不思議に思って娘が炭焼き小屋に行くと、小五郎が炭をふるったカスに金が含まれていた。それで炭焼は大した長者になったという。
それで人々はお多福には金がある、嫌ってはならないと言ったそうだ。


◆鼠浄土(1)(厳原町)
昔、あるところの和尚が伊勢参りを企てた。着物を鞄の中へ詰めていると、そこへ一匹の鼠がぴょんと入りこんだ。和尚は気にせずそのまま鞄を閉め、伊勢へと旅立った。伊勢で着替えをしようと鞄を開けると、入りこんでいた鼠は飛び出し、どこかへ消えてしまった。 それから無事参宮を済ました和尚が道中着に着替えようと思って鞄を開けると、あの時の鼠がまた鞄の中へぴょんと入りこんだ。それを持って国に帰り、荷物整理をしようと鞄を開けると鼠は飛び出して去っていった。
それから何日か経ったある日のこと、どこかから「祝いをするので来てくれ」と使いが来た。和尚が行くと、大層なご馳走が出たという。それを食べながら辺りを見ていると、庭では唐臼を並べて大勢の米つきが威勢よく米をついている。「三十になっても猫の声ゃ聞かんざい」「四十になっても猫の声ゃ聞かんざい」と拍子をとっているのを聞いて、和尚は伊勢参りのときの鼠のことを思い出した。
「ここは本当に鼠の世界じゃないだろうか」と考えた和尚はそれなら猫の鳴き声を聞かせてやろうと悪い考えを持った。「にゃおん」と和尚が鳴くと、一斉に皆逃げ出し、和尚は気がつくと野原の小さい穴の中に入っていたという。


◆鼠浄土(2)(阿連)
爺さんと婆さんがいた。家から一坂越えたところに、娘を嫁にやっていた。ある日、娘に会いに行こうと言って婆さんが団子を作り、重箱に詰めて持たせて出した。途中で爺さんが山路で休んでいると、そこに穴がある。杖でその穴に石をはねこんだところ、「石コロコロ、スットントン」といって落ちた。何度やっても同じように言う。石がなくなったので団子を、団子が無くなったら重箱を、そして杖を入れ最後は自分も入っていってしまった。
そこは鼠の穴だった。鼠は「ここに入ったものはニャーと言ってくれるな」と言うと、爺さんにご馳走を振舞った。鼠は帰り際に金の詰まった袋をお土産として爺さんに持たせた。
爺さんが鼠に土産をもらった話を聞くと、隣の爺さんも真似をして団子を持って山に行った。同じようにして鼠の穴に入り、大層ご馳走になった。しかし悪い爺さんは悪戯心からニャーと言ってしまった。すると鼠は皆逃げてしまい、爺さんは穴に埋まって二度と帰ってこなかった。それで人真似はしてはいけない。

※穴に埋まって動けなくなる話の他、地面を潜って自分の家の囲炉裏の下まで来たところ、動いている囲炉裏の灰を見てびっくりした婆さんに火箸で突き殺される話もある。


◆宝物の鏡(厳原町)
昔、ある家に両親と三人の娘が住んでいた。ある時、親が田神様に願掛けして「娘を一人あげますのでどうか他人よりもいい米がとれるようにして下さい」と頼んだ。するとその年は他の田が全く不作なのに自分たちの家だけ伏田してできた(伏田の意味は不明。穂が伏せるほど豊作ということか?)。しかし願ほどきもせず、娘もあげなかった。
そして何代か後、またこの家に三人の娘が生まれた。ある年、他の家の田は伏田しているが、自分の家だけ不作だった。そこで亭主が易者に調べてもらうと、易者は「何代か前に願掛けをして、願ほどきをしていない。三人の娘のうち一人あげて願ほどきをしないと米はできない」と言う。亭主は家に帰ると長女から順に願ほどきにあがってほしいと頼むが、長女も次女も断った。三女は仕方なく承諾し、願ほどきにあがることにした。
船を一層作って帆をかけ、娘を乗せて田神様の方へ願ほどきに出した。親が何かほしいものはないかと言うと娘は小説本を一冊くれと言った。娘が小説本を読みながら流されていくと、田神様のところに一人の婆が立っていた。婆は娘を連れて、なんと盗賊の岩屋に連れ込んだ。婆は「私は麓の茶店の娘だったが十八の時に盗賊にさらわれて盗賊の女房にされてしまった。私が出た後の茶店で下女奉公がいるので、そこで下女をしてくれないか」と言う。娘が承諾すると、婆はお宝物の鏡を娘に渡し、「めったに見るな」と注意して麓へ送り出した。娘が茶店に行って奉公の願いをすると、婆の言ったとおり募集している最中だった。そうして娘はその茶店の下女になった。昼働いて、夜自分の部屋に入り、もらった鏡を見ながら風呂上りに髪を梳いていた。するとその姿は他人の目には白髪の婆に見えた。
ちょうどそこをその家の母親が通りかかって見かけたものだから、「あの娘は化け物じゃ」と思った。朝になって娘を呼び、「お前は当たり前の人間か」と問うた。娘はびっくりして、自分が願ほどきに流されたこと、婆から茶店の下女奉公を教えてもらったことを話した。 「この鏡がその証拠です」と言って亭主夫婦に見せると、そこに映っているのは自分たちの姿ではなく十七八の男女の姿だった。娘が覗くと年寄りの姿に映る。それで不思議の原因は鏡のせいだということに落ち着いた。それからも娘は奉公することになった。
ある時、その家の一人息子が大病を患った。色んな人が見舞いに来たが、何も食わず、水も飲まなかった。親が言っても飲まず食わずだったが、娘が看病する時だけ、水も食事も取った。もしやと思い亭主夫婦が組内の婆さんを使って話を聞くと、下女の娘を嫁にほしいと言う。そこで娘を嫁にすることになった。
その夫婦が非常に栄え、三人姉妹のうちでは一番栄えたという。だから、親の言うことはよく聞くことだ、と伝えている。


◆シング金八(厳原町)
昔あるところに、親一人子一人の二人で暮らしている家族がいた。その息子のほうをシング金八といった。ある日親子は六部になって全国を旅することとなった。金八は親孝行で、何でも親がすることは代わってしていた。親は感謝しながらもこのままでは息子は嫁ももらう暇がないと言って、死ぬことを決意した。岩鼻の上に立ち、金八に自分を突き落とすよう頼む。金八は拒むが、母の決意に泣く泣く突き落とした。
死骸を弔いに山を下った金八は一人の女性と出会った。その女は自分を妻にしてくれと言う。半ば無理やりに妻になったその女は金八の母を弔った後、金八が以前住んでいた家が廃屋同然になっているのを見て、国境に新しく家を建てた。そして二人で茶店を営み始めた。 茶屋は茶も餅も他の店より美味く、何より金八の妻が美しいので店は大繁盛した。その噂は殿様のも耳に入って、ついに殿様本人が茶屋に訪れることとなった。ところがなんと殿様が妻に惚れてしまう。殿様はなんとか金八の妻を御殿にあげたいと思い、家来を使って無理難題を吹っかけた。虱の塩辛三丁、「面白えバイ」「サエンバイ」「タマランバイ」といった様々な品物を献上させた。どれも難題だったが、妻の頓知ですべて切り抜けた。特に最後のタマランバイでは、重箱の中から出てきた鬼、蛇、ウワバミ、人食い馬、ヒトツグシ(人突牛)、人食犬などが出て殿様はじめ一家中を皆殺しにしてしまった。「人を殺しては俺も死なねばいかん」と思った金八が家に帰ると、妻は官服を着た神様になっていた。神になった妻は「私はここの氏神だった。親孝行のお前の恩に答えようと妻となりお前を殿様にしようと思っていたのだ。死なず殿様となって私に楽をさせてくれ」と言うと何処かへ消えてしまった。金八はその後殿様となった。 人は親孝行してると何処かで幸せになる。だから親孝行が第一だと伝えているとのことだ。


◆手無し娘(1)(厳原町)
昔、広島の国に万屋(よろず)という家があった。先妻がお杉という子を産んで亡くなったため、父親は後妻を取った。後妻の産んだ娘をお玉といった。広島の離れ島に上杉松右衛門という殿様がおり、その息子を松五郎といった。松五郎は戸長のような仕事をしており、万屋に来た時に器量がよく親孝行なお杉を見て心惹かれ、お杉は松五郎に嫁に貰われる事となった。後妻はお杉ではなく実子のお玉を嫁にやりたいと思い、ある日亭主にお杉を殺さなければ家を出ると迫る。亭主は仕方なくそれに承諾し、奥山にお杉を呼び出して鉄砲で撃ち殺した。息絶えたお杉の両腕を肩から切り落とし、棺の中には二本の腕だけ入れて、お杉の葬式を行った。
さて、殺されたはずのお杉はなんと生き返った。お杉はこの仕打ちはきっと継母の仕業に違いないと思い、もう家には帰れないと知った。しかし山に篭って何日経っても死ねない、両腕がないので飯も食えない。離れ島に渡って一目松五郎さんの姿を見たら成仏するだろうと考え、草きり舟に忍び込んで離れ島に渡った。それから松五郎の家の裏の山の中に隠れていたが、山の中に何かいると感じた里の者の山狩りで発見された。発見したのは山狩りの大将を務めていた松五郎だった。事情を聞いた松五郎は両親に相談して承諾を得ると、お杉を嫁に貰うことにした。
それからしばらく経って、お杉に子が宿った。松五郎は江戸に勤めに出て行かねばならないので、子が生まれたら杉松と名づけてくれとだけ告げて旅立った。程なくして子が産まれ、杉松と名づけ大事に育てた。その次第を手紙にして江戸に送った。
ところがお杉の事を風の噂で聞いていた継母は手紙を途中の戸長役所で盗み見して没収すると、返事がある頃を見計らって偽の返事を書いた。「妻のことを話したら天子からお叱りを受けた。片輪者を置いているなら、親子共々家から出さねば国払いにする」という内容だった。
松五郎の両親は泣くに泣いたが、お杉はそれでは家を出ようと、一升分の握り飯をぶら下げて山の中に篭っていった。さて、子に乳をあげようにも手がない。飯はあっても食べようがない。死ぬに死ねずにいると白髪の年寄りが来て、「ここで死んでは八万地獄に落ちる。紀伊の高野山に御来迎の御池というのがある。そこなら極楽浄土に行けるので行くといい」と言ってきた。お杉は言われた通り高野山の御来迎の御池に行くと、池の中に飛び込んだ。一週間が過ぎても、死ねなかった。それどころか、切れた腕が生えていた。さらに一週間潜ると手が生え、さらに一週間で指が、そしてもう一週間で完全に元通りになった。子供はその時すでに七つになっていた。 お杉は高野山にお礼をしようとお堂を建てそこに仕えた。
さて、松五郎は江戸から帰ってくると初めて事情を知った。妻子を捜し歩いたが見つからず、もはやこの世にはおらぬと決心し、終には出家することとなった。そして高野山に登り大供養をしてやろうとしたところ、高野山のお堂で二人は再会した。
親子三人は山を下り万屋で宿をとった。お杉の両親に会ったが二人がお杉と松五郎だとはわからなかった。正体を明かし、お玉はどうしているか尋ねると、継母の罰が下って体が腐る病気で床に臥せっているそうだ。二人は金を恵むと継母に御来迎のお池にお玉を担いで通うよう指示したという。だから悪いことはするものじゃないという。


◆手無し娘(2)(阿連)
昔継母がいた。継子のお富という娘を嫌って殺そうとした。病気をつくり医者に生き胆を食べないと治らないと言わせた。こうして亭主を責めて、お富の生き胆を取ることに決めた。山へ連れ出して殺すことになったが、お富はこれを聞いていた。山へ行く時晴れ着を着てついて行って、自ら「どうか私を殺してくれ」と言った。そのとき三羽烏がキイキイと鳴いて死んだ。父親はお富を殺すのを止め、その鳥の生き胆を取って、お富の両腕を切って証拠に持って帰った。
お富は手を切られた痛みで泣いていたが、そこへ白髪の老人が来て薬を塗ってくれた。傷口はすぐに治っていった。老人は煙のようにどこかへ消えていた。お富は山を越えて歩いて行った。ミカン畑があったので、口だけで器用にミカンを食べて飢えをしのいだ。
そのあたりに大家があった。そこの若親方が山へ行くと、ミカン畑が荒れていた。それで夜通し番をしているとお富が出てきたので捕まえた。いい女なので、家の者には内緒で妻にした。
三年経った。その間若親方は三度の食事を二人前食べるようになったが誰も不思議に思わなかった。そしてお富は身持ちになったが、折悪く若親方は都へ三年の勤めに行かなくてはならなくなった。それで親に打ち明けると、親も大層気に入って家の嫁になった。
若親方は産の済まないうちに都に上がった。お富はその後で立派な子を産んだ。お富は若親方へ手紙を出した。ところがその飛脚が継母に捕まり、「化け物の子を産んだ」と別の内容にすりかえられた。それでも若親方は「帰るまで大事にしていてくれ」と返事を出したが、これも継母に「親子共々追い出せ」とすりかえられた。
その返事に親族は二手に分かれて争ったが、とうとう追い出すことになった。一升分の飯を持たされて子を背負い家を出た。お富は仕方なく山に行くと柴屋があった。そこには老人夫婦がいてお富を快く迎えてくれた。家の高いところで何やら音がする。これは盗賊の家だったかとお富が泣いていると老夫婦は「私たちは地蔵夫婦です。お前の腕を継いでやるために六十ムコン(無間か)の神様を集めて相談をしているところだ。明日、すりばち川で腕を洗い、その水を三口飲め」と教えた後、老夫婦は消えて見えなくなった。
翌日、言われたとおりすりばち川で腕を洗い水を飲んだ。三口目の時に背中の子が落ちようとするので思わずおさえようとするとその拍子に腕が生えた。それからお富は里に出て、高機屋に行ってそこで一間借りて高機織りを始めた。やがて高機屋の主人がお富に惚れて自分の嫁にした。
若親方は三年の勤めから帰ってきて訳を知り、六部の姿になってお富母子を探しに行った。三年探しても見つからない。着ている着物も切れたのでいい着物を買おうと高機屋に入って着物を買うと、お富そっくりの娘がいた。しかし手が生えているので別人だろうとその時は店を後にしたが、どうも気になってまた店を訪ねた。すると今度は五六歳の子が出てきて「ととさまだ」と言ったので親子だと判った。若親方は、お富が機屋の嫁になっているのならば子供だけでもくれと頼むと、「親は子についたものだから」と言ってお富も一緒に三人で国に帰ることが出来た。国ではちょうど三年の年忌をしていたが、三人が帰ってので大喜びしたそうだ。


◆播磨の水屋のお糸(厳原町)
昔、女子が男に惚れていた。その女が茶碗に水を入れ、針に糸を通して、これを水の中に入れて思う男に渡した。男は何のことかわからない。そこで、こういうことは道楽者に聞くのがいいと思い、行って聞いてみると、道楽者は考えてやろうと言ってこう判じた。
「はりまの国の水やのお糸さん。そこを訪ねて行け」と教えたので、そこを訪ねて行って、娘を嫁にした。


◆庚申のいわれ(厳原町)
昔、豊後の殿様の御殿の裏の池に大きな蚊がわいた。これでは生活できないと、殿様の御意でその蚊を高崎山に追い上げた。高崎山では猿が子を育てていたが、殿様が追い上げた大きな蚊のせいで猿の子は噛み殺されてしまった。猿の親は怒って殿様のところへ怒鳴り込んできた。殿様は「お前はそう言って俺のせいにするが、暦を見てきたのか」と言って暦を見せた。するとカノエサルと書いてあった。それを猿はカノエデサルと見たんだそうな。「なるほど、コーシンコーシン(降参降参)」と言って猿は帰っていった。それからカノエサルを庚申と言うようになったのだそうな。


◆蛙の女房(厳原町)
昔あるところに貧乏な男がいた。そこへ立派な女子が嫁に貰ってほしいと言ってきた。そうして二人は夫婦になって暮らしていた。ところが、この女は夜な夜な家を出て、着物を濡らして帰ってくる。不思議に思った男がある夜跡をつけてみると、女は田んぼの所に行ってガシガシと鳴いた。するとたくさんのビキ(蛙)が同じようにガシガシ鳴いた。これは蛙が化けてきたものに違いないと思い、晩に風呂を暑く沸かしておいて女房に風呂に入れと言いつけた。湯はたぎっていたが猿も蛙も、風呂に入る時に手をまず入れるという習慣がないので、向こう見ずにその熱いお湯に入っていってしまった。そうして女房は茹で殺された。後で見ると、やはり人間じゃなくてビキだったという。


◆天狗の隠れ蓑(厳原町)
昔、いい爺さんが山に登って、メゴ(目笊)をかぶって「こんな東京の立派なことはどうか。大阪の立派なことはどうか」と言っていた。そこに天狗がやって来て、爺さんの様子を見て自分も東京や大阪の景色を見たくなった。そこで天狗の隠れ蓑と隠れ笠とメゴ交換することとなった。ところがメゴを覗いても何も見えない。騙されたと思って爺さんのほうを見たが、すでに隠れ蓑を着て見えなくなっていた。 里に帰ってきた爺さんは、毎日酒屋に行って酒を盗んで飲んだ。すると隣の悪い爺さんが不思議に思い、何故毎日酒が飲めるのか聞いてきた。爺さんは訳を話し、自分も借りたいと言う隣の爺さんに隠れ蓑と笠を貸してやった。
悪い爺さんは同じように酒屋に行ったが、着せ方が悪かったのか、見つかってひどく叩かれた。悪い爺は怒って蓑笠を焼いてしまった。いい爺はその話を聞くと悪い爺が蓑笠を焼いたところに行って、裸になって全身に灰をかぶった。それで姿を消して、また酒を飲んだ。悪い爺も真似して灰をかぶって行った。今度は酒を飲むことが出来たが、酔って酒樽の下で寝てしまう。それで寝小便をしたもんだから、睾丸のところだけ灰が落ちてしまった。それで酒屋にばれて、また叩かれた。
今度はいい爺は殿様のお通りだと聞いて、道に出て「枯れ木に花を咲かせましょう」といった。蓑笠の灰をまくと本当に花が咲いたので、褒美をもらい酒をたらふく飲んだ。隣の爺も真似してやったが、灰は殿様の目に入り、また叩かれる羽目になったという。


◆田螺の嫁取り(厳原町)
昔、子のいない爺と婆がいた。そこへ田螺がやって来て「俺を子にしてくれんか」と言う。「田螺の分際で子に出来るか」と言うと、田螺は自分の背中を割ってくれと言う。そこで斧で叩き割ると、中から立派な息子の子が出来た。何年も経って嫁のことを爺が悩んでいると、「自分で貰ってくるから心配せんでええ」と言って、飯を炊いてもらうとそれを持って出て行った。
あるところに娘が三人いる家があった。田螺は行って「嫁を貰いに来た」と言ってその家に泊まった。夜、一番美しい末娘の口に米粒を塗りつけた。そして翌朝「婆様に炊いてもらった握り飯を誰か盗んだ」と騒いだ。家の者が探していると、口に米粒つけた末娘が起きてきた。それで一番器量よしの末娘が田螺の嫁になったという。


◆狐の釣り(厳原町)
昔、ある時殿様がお通りをした。その道筋で犬を飼っている者は囲いをせよと触れが出た。寺の和尚がそれを聞いておかしいと気づき、言葉巧みに殿様を寺に案内した。寺の二階に殿様を行かせると、二階梯子を外し、犬を放った。殿様は狐に姿を戻すと、やっとのことで逃げ出した。
その火の夕方、和尚が本堂で回向をするとき、ふと見ると本尊が二体になっている。一体は偽者に違いないと回向をしながらよく見ていると、一方が眠りかかった。そこで和尚が捕まえようとすると、狐はまたすんでのところで逃げてしまった。和尚は「あの狐の尻尾を切って、裏の泉の鯉鮒を釣ってやろうと思ったのに、惜しいことをした」と言った。狐はそれを聞いて真似して泉に尻尾を入れていると、泉が凍って尻尾が張り付いた。和尚はそれを見計らって泉に行き、とうとう狐を捕まえた。狐は二度とこうしたことはしないと誓うことで、和尚から見逃してもらった。そのとき狐は尻尾の毛を三本抜いて渡した。それが払子になったという。


◆古屋の漏屋(厳原町)
昔、ある爺さんと婆さんが古屋住まいをしていた。雨が降ると雨漏りがする。それで「世の中で恐ろしいものは虎狼よりも古屋ん漏屋だ」と二人で話をしていた。それを外で馬を盗みに来ていた虎が聞いていて、「俺よか古屋ん漏屋が恐ろしいのか」と言って逃げていった。爺さん婆さんはそれを馬が逃げたと勘違いして追いかけていった。すると虎だったので、驚いて傍のお堂に隠れた。虎はお堂の外で見張っていた。それを狐が聞きつけて尻尾をお堂の中に差し込んだ。爺と婆は尻尾を切ってしまった。それで狐の尻尾は短くなったという。


◆とんび不孝(厳原町)
親不孝鳶はいつも親の言いつけに反対のことをしていた。親は死ぬ時、それを知っていて山に埋めてもらおうと思い、「川に投げ込んでくれ」と言った。鳶は親の死で初めて不孝に気がついて、遺言どおり川に投げ込んだ。
そうして雨が降ると「流りゃせんか流りゃせんか」と啼くという。


◆生まれ子の運(厳原町)
ある人が、女房が臨月の時に旅をしていた。日が暮れて家に帰れなくなり、大きな楠の木の根を宿代わりにして休んだ。
その晩、賽の神様という神様は誕生神であったが、「今度どこそこの嬶が子を産むが、見に行かないか」と楠の木に声をかけた。「今日は客がいるのでいけません」というと、賽の神は一人で出かけていった。帰って来た賽の神が言うには「立派な息子が生まれたが、十までは生きないだろう。煙草切り包丁が怪我の元じゃ」と答えた。「ひょっとしてそれは俺の息子じゃないか」と思った男は急いで家に帰ると、思ったとおりわが子が生まれていた。男は家内に息子の寿命のことは話さず、大切に育てた。
十歳の年になると、息子は包丁を持っているときに虻が飛んできて、それを追おうとする拍子に首を切って亡くなったという。

※或いは水で死ぬとの予言どおり、「水」と書いた暖簾で首を巻いて死んだとも伝えられている。


◆大工の災厄(厳原町)
昔一人の大工が道を歩いていると、ある人が「お前には悪兆の相が出ているので働きに出ずに家に居れ」と言った。それで家に篭ることにした。しかし何も起こらないので大工は家の外に出てしまった。すると虻がぶーんと飛んできて、大工の背中に止まった。手斧でその虻を打ったとき、意外な大怪我でその大工は死んでしまったという。


◆名古屋の城(厳原町)
昔、新四郎という男がいた。ある日鬼の岩屋に迷い込んだが、そこに人間の女が女房になっていた。ちょうど鬼が帰ってきたので新四郎は縁の下に隠れた。鬼は「人臭い」と言ったが、女房は腹に子がいるせいだと言って誤魔化した。鬼は喜び世継ぎの祝いとなった。女房は根きり酒をついで鬼を酔い潰すと、鬼はいびきをかいて寝てしまった。新四郎はそこに出てきて鬼を退治すると、鬼の貯めていた金を手に入れ岩屋を焼き捨てて帰った。
その金は山のようにあったので到底使いきれず、新四郎は城を建てることにした。それが今の尾張名古屋の城だそうだ。
「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋はしんしろで持つ」というのは新四郎のことを歌ったものだという。


◆庭掃き杢蔵の歌詠み(厳原町)
ある長者に咲く花という娘がいた。婿を選ぶこととなって、数多の番頭に句をかけた。 「天より高く咲く花を誰と添わせて八重の桜をながめんものを」とかけたが、誰も解き得なかった。すると庭掃き杢蔵という男が、「天より高く咲く花も散ればもくぞう(ゴミ)の下となる」と言った。そこで長者の婿となったそうだ。


◆山路の笛(厳原町)
ある長者に十二人の妾がいて、それぞれ腹に二人ずつの子を持った。十二人は手元で育て、十二人は他所に預けた。そしてその二十四人には遊芸を仕込んだ。ある正月の日にその長者の家では遊芸を見せる一方、満能長者の家では金見せ、衣装見せがあるということになった。何万の者が見に行ったが、皆遊芸ばかり見に行って、満能長者の家には誰も来なかった。満能長者は「うちには子がない。万の倉より子が宝と言う。神様に子を授けてもらわねば」と言って願掛けをした。すると「子は授けてやるが、長者は立たん」というお告げがあった。満能長者がそれでもよいと言うと、本当に子が一人宿った。名を三左とつけた。しかしお告げの通り長者は潰れ、満能長者も命に代えて祈ったので三左が生まれてすぐ死んでしまった。
三左は一人きりになったが萩の殿様に身を売り馬方になって歌って歩いた。すると代官の娘の玉世の姫が三左に恋をし、とうとう恋の病で亡くなってしまった。死に際の書置きには「せめて馬方の馬の蹴上げの泥水なりと祭ってくれ」とあった。三左はその話を聞くと玉世の姫の墓へ行き、墓を掘った。三左の涙が玉世の姫の口に入ると、それが気付けとなり生き返った。それで二人は夫婦になったという。

※話者は三左とは山崎三左ではないかという。また、死んで生き返った者は三年以上生きないとも語ったそうだ。


◆鼻の伸び縮む話(厳原町)
ある男がある所を通りかかると太鼓があった。これは何かと尋ねると、この太鼓は「鼻高うなれドンドン鼻高うなれドンドン」と叩くと鼻の伸びる太鼓だと言う。面白いので一つ買って帰った。
ある時男が芝居見物に来ているといい娘がいた。男は試しに太鼓を叩くと娘の鼻が伸びてしまった。翌日娘は鼻の養生と言って町を歩いていたので、男は「鼻低うなれドンドン」と叩き元に戻してやった。
今度はどこまで鼻が伸びるか試していると、鼻は天竺まで伸びた。ちょうど天竺では天の川原の川普請があった。杭が一つ足りないところへ下から一本出てきたので、ちょうどよいと打ち付けられてしまった。それで男はいくら太鼓を叩いても元に戻せず、今も天竺にぶら下がっているという。


◆鰯の頭も信心から(厳原町)
ある女中が人形を買ってきて毎朝拝んでいた。亭主がそれを知り、人形の代わりに鰯を入れて人形は捨ててしまった。 女中はそれを知らず必死で拝んだ。すると、その鰯から後光がさして観音様になったという。


◆山伏と屁ひり(厳原町)
ある時山伏と屁ひりが行き会った。山伏は貝をブーブー吹く。屁ひりは屁をふく。「何で吹く」と屁ひりが言うと、「俺は仔細あって吹く。屁ひり、お前は何で屁ばっかりひるか」と返した。すると屁ひりは「俺は臭いからひるこっちゃ」と言って、九さい(臭い)は四さい(仔細)より五段上で勝ったとさ。


◆親捨山(厳原町)
昔、六十を過ぎると親を薦に包んで山に捨てる慣わしがあった。ある男が六十をすぎた親を捨てに山に行った。すると一緒に行った子が薦をとって戻ってきた。何にするのかと聞くと「お前も六十過ぎればこれで巻いて捨てるのだ」と言った。それで親を捨てる風習は止んだという。


◆話一両(厳原町)
昔、彦八という落し話の上手な者がいた。そこへある男が昔話を聞きに来た。彦八は「俺の話は銭がいる」と言って一両所望した。一つ一両もする話だからきっといい話だろうと思って聞くと、「短気は損気」これだけだった。男はそれでもめげず何度も通い詰めたが「フーセー(雨風)には太い木よりは小さい木」「美味しいご馳走貰うて油断するな。女の猫なで声に肌ゆるすな」といったことしか聞けなかった。
男は家に帰って働いた。男は女房が寺の和尚とよい仲になっているのに気づいていたが、なかなか尻尾を掴むことができなかった。そこで男は城下に働きに行くといって家を出ればきっと和尚を呼ぶだろうと思い、女房にその旨伝えた。男が家を出ると案の定女房は和尚を家に招いた。男は怒り心頭だったが、彦八の「短気は損気」という言葉を思い出し、何かいい方法はないか冷静になって考えた。 そこで男は家の前で「今戻ってきたぞ」と声をかけた。女房は慌てて和尚を茶壺の中に隠れさせた。男はこれを見たので「今日城下に行ってきたら茶壺がいい値段で売れるので取りに戻ってきた」と言って、和尚が入っている茶壺を知らん振りしてからって行った。男はそのまま寺に行くと、小僧を呼び出して「茶壺を買わんか」と持ちかけた。小僧は買わんといったが、「買わんならこの壺、海に捨てるぞ」と男が言ったので、中の和尚は壺を買えと必死になって言った。男はなんと千両で壺を売ることができた。
また、ある時、男が多くの人と一緒に道中していると暴風雨になった。それで大きな木の下に皆行ったが、男は彦八の言葉通り小さな木の下に行った。すると大きな木には雷がドーンと落ちて、皆死んでしまったが男だけ助かった。
三度目は、道中していると大きな家があった。男は休ませてもらおうと頼むと、「よく来た」と女に歓迎され、ご馳走やらお酒を出された。その家の奥からある人間が現れ「ここは人間の油取り所だ。私たちは油をとられて逃げられなくなった」と教えてくれた。男は川の中に飛び込んで必死で逃げた。するとその家の亭主が出てきて「惜しい、取り逃がした」と悔やんだという。


◆三人片輪(厳原町)
片目と跛者(ちんば)と鼻欠けの三人が旅をしていた。関所にかかって、どうしたら通れるか相談した。跛者が「俺が糞踏んだ、糞踏んだとちんばを引いて通る。鼻欠けはオエ臭さオエ臭さと鼻を隠して通れ。片目は二目と見られんと目を隠して通れ」と言った。その通りにしたところ無事通れたという。


◆当たるも八卦(厳原町)
ある男が妻の物を隠しては、「今あったものがない」と言って、自分で占いをし、どこそこを探せと言って見つけさせるのを常としていた。何度もそれをやっているうち、妻が世間に言いふらしたので大評判になってしまった。
あるいいところの子供が病気になった。そして、あの男がよく当たるといって召された。しかし当然何もわかるわけがない。男は神様にどうか当てさせて下さいと必死に祈ったところ、何やらお告げがあった。その通り言うとぴたりと当たったので大層な褒美をもらったという。


◆観音由来(厳原町)
ある家の後妻に、おしお、お松という継子の姉妹がいた。継母は先妻の二人の姉妹を邪魔に思って、ある日「どこそこの山に行きゃお母さんが見えるばい」と騙して離れ小島に置き去りにした。父親が家に帰って子供たちは何処かと聞くと、継母は遊びに行ったと嘘をついた。しかし夜が更けても帰ってこないので継母を責めたてると、本当のことを白状した。
二人の姉妹は何処へ行っても海ばかりなので、姉が妹を抱き泣き死にした。
父が行った時には既に二人とも死んでいたが、後光が光り輝いて傍に寄りつけぬようになっていた。これが長谷の観音とあがめて、瀬にあげて祭ってあるということだ。
子を持たぬ人が参ると子が宿るという。


◆一目千両の女(厳原町)
あるところに大層いい女がいた。その女を一目見るには千両出さねば見られぬそうだ。二目見るなら二千両。それで二目と見るものはいない。ところがある男が二千両の金を出して二目見た。すると女は「今まで千両出した人はいたが二千両出してくれた人はお前が始めてだ。私が夫はあなたじゃ」と言ってすすんでその男の妻になったそうだ。


◆旅人の幸運(厳原町)
ある人が旅先で日が暮れたので神様のひきもん(台所の天井に組んだ梁の大丸太)の踏み合わせの上に上がって一夜を明かそうとした。すると雲助が大勢集まってきて下で丁じゃ半じゃと博打を打ち始めた。その人は上から見ていたが、そのうち俄かに大時化になって雷がひどく鳴り響いた。家鳴りがして旅人は上に上っていられなくなり雲助が博打をしていた真ん中にどうと落ちた。雲助たちはそら雷が落ちたと言って、そこに拡げてあった銭も何も置いたまま皆逃げてしまった。旅人はそのおかげで金持ちになったそうだ。


◆瘤取り爺(厳原町)
昔瘤のある爺がいた。山に行って日が暮れたので山の中に泊まっていると、天狗の集まりが始まった。歌酒盛りで天狗たちは踊り始めた。見ていても面白いので、自分も踊ってみようと爺さんは天狗の中に踊って出た。すると「名人だ」といって天狗に褒められ、酒や肴をご馳走になった。「またこの次も来てくれ。この爺は上手の代わりに何か預かり物をしないといかん。ちょうど頬に瘤があるから、これを預かろう」と言って、天狗が瘤を取ってくれた。
隣の瘤を持たない爺さんが聞いて、俺も行ってみようと真似していったが、この爺さんは踊りがとっても下手糞だった。これは偽者だと天狗は怒って、前にとっておいた瘤をその爺さんに引っ付けた。それでその爺さんは持たない瘤を持つようになったそうだ。


◆寝富貴どん(厳原町)
ある男が烏賊とりか何かの漁に出たが、烏賊もあまりつかず、船に寝ておった。すると船の底にこつこつと当たる物がある。驚いて「カワウソじゃあるまいか」と見ると、瓢箪であった。それを拾い上げてみるとその下に何か沈んでいる。引き上げてみると千両箱が出てきた。その千両箱の浮きが瓢箪だったのだ。
これでその男は大金持ちになって、寝富貴どんと名乗ったという。


◆三年寝太郎(厳原町)
昔あるところによく寝る人がいた。三年三日寝続けて、そうしてやっと目を覚ました。そして「お父さん、私は考えつきました。」と言う。「どうした考えをしたか」と聞くと、「これから私は千町が原を拓くことば考えつきましたから、必死になって拓きます」と言う。そして言ったとおりに成功した。伊達は寝ておらん。寝ても嫌ってはならぬというのはそのことだ。


◆ヤークラ又左衛(厳原町)
昔、鴻池の長者の家に顔が三尺もある息子が生まれた。いくら探しても誰もこの男の嫁になってくれない。祝言をすることになったが本物の息子を出しては愛想をつかされるので番頭のいい男を代わりに出した。寝床に寝るときになって三尺顔の息子が代わって寝た。ところが翌朝息子の顔を見て嫁は逃げていった。それから何度も嫁をもらったが二日といる嫁がいない。
「ここはひとつヤークラ又左衛に相談せにゃ駄目だ」と言って鴻池は相談した。又左衛は話を聞くと、「今度もらう嫁はお庚申、甲子(きのえね)、二十三夜(この晩に夫婦事をしてはいけない)のうちに婚礼をしなさい」と言った。
そして言われたとおりにその日に婚礼をし、床に寝せた。又左衛は梁天井に上っていって夫婦事が始まった時に天井をどろどろいわせた。 「貴様らは何だと思って夫婦事をするか。俺はこの家の屋ぬしであるぞ。今夜夫婦事をした罰に、顔を三尺ほど引き伸ばしてくれる」と言った。嫁は心配になって夜通し自分の顔をさすっていたが伸びる気配がない。翌朝夫の顔を見てみると三尺の長さになっている。「これは私が悪かった」と言ってようやく夫婦となった。それで人間は少しは謀りごとをしなくてはいけないという。


◆蛸壺八兵衛(厳原町)
昔、蛸壺八兵衛という男がいた。百の蛸壺を使って蛸獲りをしていた。ある日京都に行った際、染物屋(壺屋と呼ばれていた)があった。八兵衛が毎日遊びに来るのでその紺屋は不思議に思い「お前は何の商売だ」と聞いた。八兵衛は「壺屋だ」と答えた。同業者だと勘違いした紺屋は「お前は幾壺くらい持っているか」と聞いた。八兵衛が「一日に百壺くらい使う」と答えたものだから、紺屋は驚いた。自分は日本でも大きな染物屋だと思っていたが、九州に更に大きな染物屋があるのだと思った紺屋は「私の一人娘のおかねを嫁に貰ってくれ」と頼んだ。八兵衛は最初断ったが是非にと言われて承諾した。
しばらくして、船を何艘と従えて紺屋の娘が婚礼に来た。娘が箱崎蛸壺屋の家に来ても家もなく、話が違う。しかし今さら戻るわけにも行かないので、持ってきた紺屋の道具などを持ち込み、持ってきたお金で家を建てて紺屋を始めた。
今の筑前絞りを茜しぼりと言ったが、あれは元々嫁の名のおかね絞りだった。これから九州に紺屋が始まって、商売が増えたという。
ある日、おかねが「何月何日にはお父さんがお出でになる」と言う。今来られちゃ困るので、女が気を利かせて百件分の暖簾をこしらえた。それを頼み込んで町内にかけてもらった。父親が来てみると、百件のわが定紋の入った暖簾がかかっているので安心して帰ったという。 人間もどうした時に成功するかわからないものだ。


◆子育て幽霊(厳原町)
ある菓子屋に一人の女が一厘か二厘ずつ、同じだけ菓子を買いに来る。菓子屋が不思議に思ってついていくと、女は墓へ入っていった。それで掘り返してみると、女は死んでいたが子は生きていて菓子を吸っていたという。

※その女が夢に出てきて、金がもう尽きたといったので掘り返したとも伝えられている。


◆大歳の火(厳原町)
昔長者の家があった。毎晩火を絶やすなと言いつけていたが、下女が何か仕事をしているうちに火が消えてしまう。ある年の大晦日の晩に、今夜だけはどうしても消してくれるなと言われていたがまた消えてしまった。下女は世間に火種がないか門を出ると、遠くに明かりが見えた。あれを貰おうと思っていると、その火が近づいてくる。それは明かりを持った男だった。男は「今夜宿を貸さんか」と聞いてくる。「下女だから貸されぬ」と言うがしつこく頼むので、火を貰うかわりに家の隅に休ませた。
翌朝になっても男は起きてこなかった。オノーレ(雑煮を祝うこと。雑煮をオノーレモチと言う)が済んでも起きてこない。そこで主人に話をすると「正月だし、起こしてオノーレでもあげよ」と言う。そこで起こしてみるが起きない。よく見ると男ではなく金の塊だった。下女は「ここを見向いて来たのだからこの家の宝だ」と言った。主人は「お前が休ませたのでお前の宝だ」と言った。しかし下女が遠慮してもらわぬので、その金の中から下女が一生食うに困らないだけやったということだ。


◆鷲にさらわれた赤子(厳原町)
昔、ある女が赤子を連れて山に行った。赤子を下に寝せて自分は仕事をしていたが、そこへ鷲が舞い降りてきて赤子をさらっていってしまった。母親は心配してあちこちを探したけど見つからない。そのまま十二、三年経ってしまった。
ある朝、その女が舟渡りをした。舟子が渡りがてら、「どこそこの和尚さんは鷲が取って来た子だが、今は出世をしてその寺の跡取りになってしまったそうだ。誰が出世するか判らんものだ」と言った。女は早速その寺に行った。しかし和尚は留守だった。門番が言うには「参詣の帰りに何とかの松というのに必ずお寄りになる。和尚様に会いたければその松のところで拝んでいればよい」とのことだった。その松というのは鷲にさらわれてきた時に赤子が下ろされた松であった。女が拝んでいるとそこに和尚がやって来た。母親は昔のことを話した。守り本尊の一寸八分の観音様を金襴の布に包んで子供の首にかけておいたので、そのことを話すと親子とはっきり判った。守り本尊のおかげで赤子は鷲にもつつかれずに済んだとのことだ。


◆片足脚絆(厳原町)
あるところにタッコーという子があった。ある日、その子を苺盛りにやったが帰って来ない。母親はうろたえて、片足にだけはんでん(脚絆)を巻いて、タッコーを探しに山に行った。
「タッコータッコー」と呼んで歩いたが、見つけることも出来ず、とうとう気が狂って死んでしまった。後にタッコー鳥になって、苺の生る頃になるとタッコータッコーと鳴く。タッコー鳥は右の片足だけ黒く、片足は白い。


◆鶏の目釘(阿連)
昔、城下の侍が夜、山へ鹿を狩りに行っていた。毎日一匹ずつとって、三日目三匹目のときに、三匹の鹿に会った。一番目の鹿には御幣をたて、二番目は背に何かからっていた。それで三番目のを撃った。すると急に大きな男が現れて「明日来る時は飯を五升持って来い」と言った。そこで次の日には飯を持っていき、出てきた鹿を撃ち殺した。するとまた六尺(約1,8メートル)もある男が出てきて「飯を持っているか」というので持ってきた飯を差し出すと五升もの飯をぺろりと食べてしまった。「もう何もないか」というので「鹿がある。それでも喰え」と言うと、その鹿を頭からガリガリと食ってしまった。侍は(鹿でも噛んで、嫌なことだ)と心の中で思っているとその怪物はこっちの心の中を読んで「鹿でも噛んで、嫌なことだ」と口に出して言った。そして、鹿を食べ終わると今度は侍の鉄砲も食ってしまった。(鉄砲も噛んで、嫌なことだ)と思うと、怪物もまた同じように言った。「まだ喰うものはないか」と言って、次は侍の短刀も食ってしまった。ところがその刀の目釘が侍の家に代々伝わる宝物で、鶏の魂が入った目釘だったから、その鶏が歌いだした。そうして夜が明けてきた。怪物は「こいつぁ運の強い奴なぁ」と言って侍を取って食うのを止めて逃げてしまった。侍はようやく助かって家に帰ったが、帰るとばったり倒れてしまったという。


◆葛の葉(阿連)
昔、富士の巻狩りの時、一匹の狐が逃げ場を失った。その時の一番の大将安倍保名は網をといて狐を逃がしてやった。保名には葛の葉という許婚の妻がいたが、葛の葉に横恋慕している悪右衛門がこれを見ていて訴え出た。保名は狐を逃がした罪で国払いになった。助けられた狐は葛の葉に化けて会いに行ったそうして女房となっているうち、清明という男の子が出来た。ある日、機織りをしている時に桜に見とれてつい尻尾を出してしまった。それを遊びから帰ってきた清明に見られたので、「もうここにはおれぬ」と言って「恋しがる時ゃ尋ねてござれ、わたし信田の森にすむ」と歌って出て行った。あとで保名は子供が泣いて困るので連れて尋ねて行った。すると狐の姿で出てきて息をはーっと吹きかけた。それから清明は泣かない子になったという。

※また、清明は虫でも蛇でも平気で殺して喰う子供だったので、鬼の生まれ変わりだろうとして保名に殺されかけたが、女房に止められた。その後、本当の葛の葉が尋ねてきたので出て行ったとも伝えられる。


◆味噌豆三太(阿連)
あるところにおつると三太の姉弟がいた。母親は後妻で継母だった。亭主と後妻の寝床話で「あの子を殺さなにゃ私は戻る」と後妻が言うので、亭主は要求を呑んで「俺が奥山の茶畑に行っておるから、弁当を持って来させい」と言った。
姉のおつるはもう十にもなるので、話を聞いていて自分のことだと知っていた。弁当運びを言いつけられたが、行けば殺されるので山寺にいる伯父を訪ねた。話を聞くと伯父は「弟の三太はどうやって殺すと言っていた」と聞いた。「茹で殺すと言っていた」とおつるが答えると、伯父は急いで家のほうに行った。家では釜がぐらぐらたぎっているので「かかあ、それは何か」と尋ねると、「味噌豆炊きでござります」と答える。「味噌豆なら食おう」と伯父が蓋を開けようとするが、後妻は止めようとする。それでも蓋を開けると、中では三太が茹で殺されていた。そこへ父親が帰ってきた。夫婦二人で伯父に取り掛かったが、悪人夫婦は二人とも退治されてしまったという。


◆継子の笛(阿連)
昔三人の継子があった。父親は神主であった。ある日、父親が神様より(カミオロシ?)に行った留守に継母は継子を殺してしまおうとした。中の一人は逃げていて助かったが、残り二人は捕まって煮え湯の中に入れられ煮殺されてしまった。継母はその死骸を地面に埋めたが、埋めた場所に男竹と女竹が生えた。それで笛を作って吹くと、女竹は「手毬も羽根もいらぬが、ととさ来い、逢いたい」と鳴った。男竹のほうは「弓も駒もいらぬが、ととさまに逢いたいもーのだ」となった。その笛の音が遠くの父に聞こえた。父親が急いで家に帰ると裏に見慣れぬ二本の竹が生っている。それで笛を作ったら、また同じように鳴ったそうだ。


◆大歳の客(阿連)
昔、ある長者の家にミイという下女があった。忠義な下女で、毎日主人の食べ残した魚の骨を煮出して残飯で雑炊などこしらえて食べていた。一度は番頭に見咎められたが、主人はそんなミイを大変気に入って長く世帯を任せていた。
するとある年の二十九日の晩(晦日の誤りか)に、明日は元日なのでご馳走の準備をしていると六尺もある大男が来て「宿をくれ」と頼む。「私は下女だけぇ、ご飯も食わせん夜具も貸せん」と言って断ったが、「それでもいい、お前の夜具の傍に寝せてくれ」と言う。それで仕方なく泊めたが、気になって眠れない。ようやく明け方近くになって眠ったが、そのせいで寝過ごしてしまった。番頭が怒って起きてこないミイのもとに行くと、なんとミイの部屋は白金でいっぱいだった。びっくりして主人に話すと、主人も驚いて「こんな金をどっから担いできたか」とミイに問う。ミイが事情を話すと、「これはおまえの福だ」と主人は言ったが、ミイは受け取ろうとしなかった。そこでその金で寺を建ててやったのが三井寺といって、今もあるそうだ。


◆取っ付く引っ付く(1)(阿連)
ある日、子供が寺子屋の帰りに小阪を通ると、山の頂上から「引っ付こう引っ付こう」と大きな叫び声がする。子供たちは家に帰ってその話をし、爺さんが様子を見ることになった。
爺さんが山に出かけるとやはり「引っ付こう引っ付こう」と叫び声がする。それで爺さんが「引っ付くなれば、引っ付いてみい」と叫んだ。すると大きな音がして何かが引っ付いた。それは大判小判であった。家に戻って婆さんに事情を話し、大層喜んだ。それを聞いた隣の欲深爺さんが、同じように行ってみた。するとまた「引っ付こう引っ付こう」と声がする。「引っ付くのと引っ付いてみい」と叫んだところ、何かが体に引っ付いた。それは松脂であった。それで手も足も目も口も松脂で動けなくなった。だから人真似をしてはいけないと語り継いでいる。


◆取っ付く引っ付く(2)
昔よい爺さんと悪い爺さんがいた。よい爺さんが山で木を切っていると「ウオーイ、吸い付こう吸い付こう」と何かが叫んだ。爺さんは「吸い付くなら吸い付け」と叫び返すとお金や宝物が体中に吸い付いた。お爺さんは喜んで家に帰った。
その話を聞いた悪い爺さんはまたその山に行って木を切った。そうしたらまた何かが叫んだ。爺さんは「吸い付け吸い付け」と言った。すると赤い鬼や青い鬼が引っ付いた。爺さんは体中血だらけになった。
婆さんが家で待っていると「婆さん婆さん」と外から爺さんが叫ぶのが聞こえた。婆さんは爺さんを見て「爺さん赤ころも来て帰ってきた」と喜んだ。傍に行くと血まみれだったそうだ。


◆かちかち山(1)(阿連)
ある日爺さんが畑を耕していると猿が出てきて「爺さんが畑鋤きゃあっちべったりこっちべったり」と囃した。怒って追いかけるも追いつかない。それで家に帰りトリモチを作って、猿の座ったところに塗った。するとまた猿が来て囃したてる。今度は猿が動けないので爺さんに捕まった。家に連れて帰って婆が唐臼を踏むところへ繋ぎ、「この猿を逃がすな」と言ってまた山に行った。
猿は婆さんに「唐臼手伝うけから、縄を解け縄を解け」と言った。婆さんは縄を解いてから臼を手伝わせた。すると「婆さんもっと先を混ぜい、もっと先を混ぜい」と言った。婆さんが頭を臼の中にさしだしたので、猿は婆さんを搗き殺してしまった。猿は婆さんに化け、婆さんの肉を料理してご馳走を作った。骨は瓶の中に入れておいた。
そこへ爺さんが帰ってきた。猿は爺さんにご馳走を食わせると家の外に飛び出して、「爺が婆食って、瓶ん先の骨を見ろ」と言って逃げていったと言う。

※対馬のかちかち山はこのシーンで終わるのが普通だという。しかし山で火打石を用いて背を焼くシーンが無いのに「かちかち山」と名づけるだろうか。一般的なかちかち山の話が伝わる前はおそらく別の名がつけられていたはずである。


◆かちかち山(2)
昔あるところに爺さんと婆さんがいた。婆さんは大変欲張りな婆さんだった。ある日爺さんが山で畑を耕していると、近くで狐が「爺ん尻ゃつんぐりつんぐり」と言うので爺さんはやかましく思って狐を追いかけた。逃げられて捕まらないので、川岸に生えていたトリモチの木の皮をはぎ、狐が腰掛ける岩の上に塗っておいた。間もなくしてまた狐がやって来た。同じように爺さんを囃したがその時にはトリモチで動けなくなっていた。爺さんは畑仕事がすむとその狐を叩き殺した。そして皮を剥いで町に売りに行ったら二千円で売れた。
その金を持って婆さんのところに帰ると、婆さんは欲張りなので「それなら俺も行ってみよう」と山に出かけた。婆さんが畑仕事をしていると間もなく畑の陰から大声で怒鳴りつける者がいた。婆さんは肝をつぶして逃げ帰った。
そうして爺さんと婆さんは爺さんの儲けた金で大金持ちになって一生涯暮らし続けたそうだ。


◆河童と猿(阿連)
昔あるときにガーッパ(河童)と猿が喧嘩をした。そしてガーッパが負けた。ガーッパはどうかして仇討ちをしてくれようと思っていた。 ある日、ガーッパは猿をご馳走に呼んで、おいしい魚を食べさせた。猿は感心して、どうやってこの魚を獲ったのか聞いた。ガーッパは、この魚を釣るには寒い晩に水の中に尻尾を入れておくと魚がかかるのだと教えた。
猿が教わったとおりにやると、氷が張って尻尾が取れなくなってしまった。猿は無理矢理引っ張ったので、尻尾は根元から切れてしまった。そしてそのはずみで近くにあった木に顔をぶつけてしまったので、それから猿の顔は赤くなって尻尾は短くなったという。


◆蛇婿入(阿連)
あるところに若い娘がいた。そこへ毎晩若者が通ってきた。娘の親が素性を聞くと「奥山で炭焼き商売しよる」と答え、身元もわかったので娘と懇意になった。
その男が娘のところへ入っていく時には障子の開く音がするのに、出る時は音がしない。どうもおかしいと思っているうちに娘は懐妊した。まだ腹帯をしない頃、親たちはどこへ男が帰っていくのか知りたかったので娘に針と糸を持たせ、帰り際に男の着物にその針を縫いこんだ。
翌朝娘が男の出先を調べてみると糸は障子の腰板の節穴から通っていた。そこでびっくりして親たちに打ち明けた。親類を集め皆で糸の先を追って行くと、奥山の滝壺の上の洞窟につながっていた。皆でそっと近寄っていくと、中で男の声がする。
「もう駄目だ、苦しい」そういう男に母親らしき声が「俺がいくら言っても思いとどまらんからそんな毒を刺されたのだ」と言った。男は「しかしあの女子の腹の中に千匹の子が宿っている。とても産めるものではない」と言う。しかし母親は「そりゃお前の間違いだ。人間ほど偉いものは無い。三月の桃酒、五月御霊の菖蒲酒、九月の菊酒を一杯ずつ飲めば、どんな悪血があっても流れて廃るようにしてある品や」と言った。それを聞いて娘は三いろの酒をさっそく飲むようにした。すると腹の子は下りたという。人間は知らずに化け物の知恵を借りて今もやっているものだ。


◆日を招く話(阿連)
大きな長者がいた。その辺りの土地は全部長者が買い込んでいた。それで田植えをするにも一人や二人じゃ出来るものではないので、村中の加勢をうけて田植えをするのが決めであった。百姓は日を合わせてある日皆で加勢して田植えにかかった。
広い田なので何百人という人でかかってもその日のうちには済むまいということになった。あと二時間あれば植え終わるのに、日はもう沈みかかっている。そこで長者は日を招き返した。すると夕日が二間ばかり立ち返った。それでその日のうちに田植えは成就した。その晩長者は村人に盛大なご馳走を振舞った。
翌朝、長者が昨日植えた田を見に行くと、日を招き上げた罪で稲がすっかり浮いてしまい、一晩のうちに田がすっかり荒浜になっていた。長者の家はそのために没落していった。また後、こうしたことをするなという戒めである。

※また、こんな話もある。あるところの貧乏な爺婆が田植えをしていた。明日食う品も無い。どうしても今日植えておかねばならんといって、松と杉の切り株の上に立って「もう一時の間、お日様待ってくれませんか、植えてしまいます」と言うとお日様が一刻立ち止まった。しかしその罪で松と杉から芽が出なくなったという。


◆蛇の報恩(阿連)
昔あるところによい爺と婆が住んでいた。夫婦には子がいなかったので、子供を一人ほしいと思いながら働くのを楽しみにしていた。
ある日畑に行くと小さい可愛らしい蛇が出てきた。可愛いので夫婦は桶に入れて大事に育てた。するとだんだん大きくなって、ついにはコガ(大桶)に入れても入らないほどになってしまった。夫婦はもう家に置けなくなったので、山の上の田原の堤に蛇を住まわせた。
その蛇が田原に住んでから、人を食うようになった。それで、この蛇を殺したものには田原をやるという触れが出た。爺と婆は責任を感じて池の傍まで行った。すると蛇が出てきたので「私たちに助けられた恩がわかったいたら、お前を殺すが、いいか。」蛇も恩を知って承知した。「明日の何時に村の人を連れてくるから口を開け。そうすれば鉄砲を撃つから」と約束をした。
翌日、爺は村人と一緒に池に行き蛇に声をかけた。蛇は池から顔を出し口を広げた。そこを鉄砲で撃つと一度で死んだ。爺はその土地をもらって幸せに暮らした。
一寸の虫にも五分の魂があるから、生物を殺してはならないものだ。


◆虻の寿命(阿連)
昔、唐の煙草屋の、煙草屋十兵衛という人がいた。年取ってから子供が一人生まれた。その息子が生まれるとき、ちょうど十兵衛は商いに出ていて、途中で日が暮れてしまった。観音堂があったのでそこに宿を借りていると、「観音、観音」と誘いに来るものがいた。それは地蔵だった。「今晩は、煙草屋十兵衛の子が生まれるから行かにゃならんが、都合はどうか」と言う。観音は「お前は行って来い。私はお客があって行かれんから」と答えた。それで地蔵だけが出かけていった。帰ってきた地蔵はまた観音に声をかけ、「煙草屋十兵衛のところでは男の子ができた」と言う。「寿命は」観音が聞くと「寿命は十七までだ。虻の寿命じゃ」と答えた。
十兵衛が帰ってみると男の子が生まれていた。その子が十七の秋のこと。煙草ができたのでそれを刻む包丁を持った手でやってきた虻を追い払っていると、その刃物が眉間に当たって、その息子は死んでしまった。


◆蛇女房(阿連)
ある男が山を通ると蛇が殺されそうになっていたので助けてやった。後で、その蛇がよい女房になって来て、その男と夫婦になった。そして子が出来て、その子の年が三つになった。
ある日男が外から帰ってくると、その女房は蛇の正体を出して八畳間いっぱいになって寝ていた。寝ていても見られたことは判ったようで、女房は正体を見られてはもうここにはいられぬと暇乞いをして帰っていった。
「私はいつかあなたに助けられた蛇だ。あなたに恩ほどきに来たが、もう帰らねばならぬ。私はこの山奥の岩穴にいる。この青い竹をやるから、子供が泣く時はそれを持たせてくれ」と言い置いて去っていった。男は子供が泣く時はその竹を持たせるとすぐに泣き止んだ。大きくなってその子は後に出世し、安倍清明という人になった。

※だから女一人は八畳間に寝るものではないという。また、清明は三十二本歯が生えたという。もし三十三本生えたら化けるから殺してくれと蛇の母親が言い残して行ったが、三十二本しか生えなかったので出世した、と語られている。


◆四十雀の屁(阿連)
昔、あるところによい爺がいた。毎日山で働いていた。ある寒い日、火を焚いているとそこへ四十雀が飛んできて火の中に落ち込んだ。何か訳があるかもしれぬと思って、その四十雀に味噌をつけて食べてみた。すると屁が続けて出た。帰って婆さんに話すと、一つ聞かせてみろと言う。試しにふってみると「四十雀ホッコツンツン、ゲラコ、コママノピーポロ、ピーポロ」と鳴いた。これはいい屁だと婆が言うので、屁を売りに出かけた。「屁はいりませんかー屁はいりませんかー」と言う爺に物珍しさにたくさんの客が集まった。そこで爺は美しい調べの屁をふったのでたくさんの褒美を貰った。
それを聞いた隣の悪い爺と婆がうらやんで、真似して爺を屁売りに行かせた。ところがいくら気張っても屁は出ず、汚いものが出た。それで皆から袋叩きにあった。
悪い婆さんは家で爺さんの帰りを待っていたが、そこへ真っ赤な着物を着た爺さんが帰ってきた。婆さんは喜んだが、なんとそれは血だらけになった爺さんだった。それで人真似はするものでない。


◆舌切り雀(阿連)
爺さんが山に行って雀を取って来た。可愛がって育てていると、ある日婆さんの炊いていた糊をなめてしまった。婆さんは怒って雀の舌を切って逃がしてしまった。爺さんが帰ってきて雀がいないのに気付き、婆さんから事情を聞いた。爺さんがかわいそうに思って「舌切り雀、お宿はどこか、ツッツッツ」と言いながら探していると、「お宿はここじゃ、お爺さんおいで」と言って招かれ、大層なご馳走を頂いた。帰るときには「また来てくれ」と言って大きい箱と小さい箱とを土産に出してくれた。爺さんは小さい箱だけもらって帰った。
婆さんは隣の悪い婆さんにその話をした。隣の爺さんも真似して行ってみた。そうして大きい箱を担いできた。あんまり重いので箱を開いてみると中から虫や蜂や獣が出てきて爺さんに食いついた。
悪い婆さんは便所の屋根の上に立って爺さんの帰りを待っていたが、血だらけになって帰ってきた爺さんを見てびっくりして屋根から落ちてしまったという。


◆和尚と猫
田舎に寺があった。和尚は猫ばかり可愛がり、檀家が来ても猫を抱いてばかりでお経を上げてくれなかった。この猫は昔この寺にいた古鼠を退治して和尚を助けた手柄の猫であった。それで和尚は大事にしていたのだが、あまり度が過ぎるというので和尚は寺から追い出されてしまった。
猫を可愛がる和尚がいなくなってから、村の庄屋の娘が亡くなった。その葬式を送り出すという日になったところが大雨が降り、雷も鳴って棺を家から出すことが出来ない。何人和尚を雇って替えてみても、誰も死骸を墓所まで送ることができなかった。
困っていると、そこへ乞食坊主(追い出された和尚)がやって来た。仕方がないのでこの和尚に頼むと、和尚はまず死骸に回向を入れ、棺箱に数珠を投げつけた。すると天気は晴れたが、投げつけた数珠はどこかへ消えてしまった。皆不思議に思ったが、それで死骸を墓所にもって行き、無事弔うことが出来た。
実はこれらの原因は和尚のいいつけで猫が邪魔をしたからで、皆が寺に行って位牌をあげようとすると猫の首になくなった数珠がかかっていたという。和尚はそのことがあってからまた寺に住むようになった。

※この地域でも、猫は火車になると伝えられている。


◆猫化け
ある村のよい家の主人が狩り好きで、毎晩山に行っていた。主人は玉という猫を飼っていたが、この猫は主人が弾丸の用意をすると傍に来て、主人が鉄砲を扱うのを見ていた。いつも鉄砲を扱う際には近寄ってくるので主人も変に思い、十二入る弾入れにそっと十三発入れておいた。
ある晩、主人が裏山に行くと、下から「親方、親方」と呼ぶ声がする。誰かと聞くと「私は女中のおたまだが、奥さんが病気で使いに来ました」と言う。亭主はこれは女中のおたまではない、猫の玉に違いないと思い、「お前が前を歩け」と言った。おたまは前を歩くのを嫌がったが、無理矢理前を歩かせて後ろからついていった。木の葉を折り、後ろからそっとおたまの耳の辺りを触るとピクリと耳を動かした。さてこそと思い、鉄砲を撃ち込んだ。十二発目までは死ななかったが、十三発目でついに倒れた。見るとやはり猫の玉であった。それから主人は夜の狩りを止めたという。

※猫が魂をたくさん持っている(だから死者を跨ぐと生き返る)とは聞いたことがあるが、十二というのは何か由来があるのだろうか。ご存知の方はお知らせください。


◆五月五郎の由来
ある家に三人の男の兄弟がいた。その長男は毎晩どこかへ出かけていっては、夜中過ぎに冷たい体で寝床へ戻ってくる。皆はそれを変に思っていた。
あるとき二人の弟は家を出ることになり、長男が親たちと家で暮らすことになったが、その頃には兄は毎晩家を出ては村の人を食い殺すようになっていた。両親も病気で死んだか、食われたのかわからない。ある者は逃げ、ある者は食い殺され、村には人がいなくなってしまった。
そこへ次男が久しぶりに家に帰ったが、どうも村に人気が無い。家に帰ると兄しか居らず、「親はどうした」と聞くと「死んでしまった」と答えた。線香でもあげようと思うと、兄が「太鼓を叩きながら拝め」と言う。言われたとおり叩きながら拝んでいると、大きな鼠が二匹現れて「お前は逃げろ」と言った。太鼓の音にまぎれて、裏では兄が刃を研いでいたのだ。二匹の鼠は死んだ両親が鼠に化けたものだった。「私たちが尻尾で叩いているから、その間に逃げろ」と言うので、弟は一生懸命逃げた。
太鼓の音が違うのに気付いた兄は太鼓を叩く鼠を見ると事情を察し、たちまち蛇に身を変えて後から追いかけた。弟は今にも捕まろうとしたがそこに蓬と萱の生えたところがあったからその中に隠れた。兄は追いかけてきて、その繁みのまわりを回っていた。そこへ大きな鷹がやって来てその蛇を蹴り殺したそうだ。
それが五月四日のことだった。それでこの日には今も蓬と萱を束ねて屋根に上げ節句を祝い、五月ごろうと呼ぶのだそうだ。

※五月御霊か。


◆狐の仇討ち
あるところに狐の出る峠があった。狐は腰の曲がった婆さんに化けて出た。村人は誰もその峠に行ったきり帰って来る者はいなかった。それが村で噂になるとある利口な若者が「俺が獲って来よう」と言って鞍をつけた馬を従えて峠へ向かった。
峠で男は坂で休んでいる婆さんを見つける。「婆さん、その歳では大変だろう」と言って馬に乗せ、「坂がきついしこの馬は荒れ馬だから」と言ってさしのう(棕櫚縄)でしっかりしばると、道々話をしながら進んだ。「婆さん、お前は何が一番恐ろしいか」「おれは犬が恐い。あなたは」「おれは金が恐ろしい」それから村に着くと、犬が婆さんに吠えかかった。婆さんに化けていた狐は恐がってだんだん小さくなり草履に化けた。男は自分の家に着くと袋を持ってこさせ、その草履を袋の中に入れると囲炉裏の自在鍵に吊るして火をうんと焚いた。狐は苦しがって、助けてくれと言う。「お前は人を存分苦しい目にあわせた。その罰だ。これから了見変えて言うことを聞くか」と聞くと、何でも聞くと答えた。「それでは金の火鉢になれ」と言うと金の火鉢に化けた。男はその火鉢を庄屋に千両で売りつけて金持ちになった。
それを買った庄屋の家は、ちょうど客が来たので金の火鉢を出すことになり番頭に言いつけて拭かせた。すると「そこは目じゃ」「そこは鼻じゃ」とものを言う。番頭が不思議がって庄屋に言うと、「千両もした火鉢だからものも言おう」と言うので、気にせず火を入れた。狐は熱くてたまらぬので灰を座敷いっぱい撒き散らして逃げてしまった。
男が金を儲けて帰っていると、狐が仕返しをしに来た。狐は天窓から家の中に金を撒いた。男はわざと「恐ろしい、恐ろしい」と言っていた。狐はこれでもか、と山のように金を撒いて帰ったという。


◆ほととぎすの兄弟
昔二人の兄弟がいた。兄のほうは盲目であった。弟が毎日苦心して山芋を掘っては兄に食わせていた。兄はひがんで、「俺には山芋のゲークビ(ゴチゴチした部分)ばかり食わせて、自分ばかり美味いところを食べている」と悪態をついた。弟は残念に思い、自殺をして腹を割り「これを見てくれ」と言った。そのとき兄の目が開いて見えるようになった。見れば、弟は皮や筋ばかり食べていて、いいところを兄に食べさせていたのだ。兄は後悔した。そしてホトトギスになった。
それでホトトギスは「弟来たか、ほんぞんかけたか」と毎日毎日鳴かないと寝ないのだという。


◆瓜姫
爺と婆がいた。婆が洗濯をしていると瓜が流れてきた。拾って割ってみると、瓜の中からお姫様が出てきた。これを育てていると、ある日爺と婆の留守にアマグシャマ(天邪鬼)瓜姫様を柱に縛りつけ、アマグシャマがお姫様に化けた。
爺と婆が帰ってきて苺を食べさせたところが、姫は大口を開けて食べた。それは額に生殖器がついているのであった。それで本当の瓜姫様ではなく化け物とわかって、瓜姫様は助け出された。


◆鶏頭の枝折り
昔ある男が「ご飯を食べない女房をください」と神様に願掛けしたところ、どこそこへ行ってみよ、と枕神に立った。そこで探しに行って、その女房を妻にした。確かに飯は食べなかった。
しかし亭主が留守になると大口を開けてたくさんの飯を食べるのであった。隣人からそれを聞いた亭主は嫁を追い出した。すると女房は「もう子供もいるので、いつでも会いに行けるよう鶏頭の種を蒔いていく。その花が咲いたら子供を連れて会いに来てくれ」と言い残して去っていった。
その年の秋、女房の行ったとおり鶏頭の花が咲いた。男は子供を連れて道々鶏頭の花を頼りに訪ねていくと、大きな川に行き着いた。そこを覗いてみると、川の中に大口を開けた大きな鬼がいた。男は「あれがお前の母さんだから、これからは必ず会いに行こうと言うのではない」と子供に言い聞かせたそうだ。


◆食わず女房
昔あるところに一人の大工がいた。大工は嫁が欲しくなったので神様に「飯を食べないお嫁さんをください」と願掛けをした。するとお告げでどこそこに行けと言われた。いわれた場所にいた女を嫁にすると、確かに飯は食べない。しかし、それは欲深な大工に神様が与えた化け物の嫁だったのだ。
ある日大工は嫁を疑って、山に行くと嘘を言って家の裏から嫁さんの様子を伺っていた。すると嫁は大きな釜に飯を炊き、握り飯にして肩の辺りの大きな口の中に投げ込んで食べていた。大工はそれを見て家に戻り、嫁を離縁にした。
嫁は「今度は自分も働かなければならないから醤油桶を作ってください」と頼んだ。出来上がると大工に向かって「漏らないかどうか調べてくれ」と言った。大工が桶に入って調べていると嫁は上から蓋をして、それを背負って天に行った。
大工は持っていた金槌で桶を壊して外に出ると、蓬や萱の生えたところに落ちた。すると天から「人間臭い人間臭い」という声が聞こえたが、蓬や萱のおかげで命が助かり、家に帰ったという話である。


◆鷲の卵
昔あるところに母子二人暮らしの男がいた。ある日、男が道を歩いていると蛇(長虫)が鼠を呑もうとしているのを見て、助けてやった。 それから後、男は嫁をもらった。当分の間、格好良く暮らしていたが、あるとき男は病気にかかって、いくら治療しても治る兆しが見えなかった。
ある日、家の前を豆腐屋が通りかかった。男は豆腐売りの呼び声を聞いて家の者に豆腐を買いにやらせた。すると豆腐屋が言うには「お家の旦那は病気だってな。それなら、鷲の卵を食べるがいい。その鷲の卵は向こうの山の松の木の下にある」と教えた。それを聞くと嫁さんが何が何でも私が卵を採りに行くと言って、皆が止めるのも聞かず飛び出した。そして松の木の下まで行くと急に蛇の姿になってするすると木を上っていった。それから木の上の巣では大騒ぎが起こって、とうとう蛇は鷲に食べられてしまった。それで男の病気は治ったという。豆腐屋は本当は鼠だったそうだ。


◆蜂の報恩
昔ある家で娘に婿をとらせることになった。「婿になりたい者は誰でも来い」という札を見て、ある男が自分も言ってみようと思った。道中、子供が蜂の巣をとっていじめていたので、代わりに物をやって蜂を助けてやった。
それから長者の家に行くと、座敷に通された。そこには顔かたちの似た同じ年頃の娘が十人いた。「これから杯をするが、この中に一人だけ本物の娘が混じっているから間違えずにその娘に杯を差し当てろ」と長者は言う。さてどの娘かと迷っていると、蜂が耳元に飛んできて「酌取りさせさせ、ブンブルブンブル」と言った。そこで男は自分に酌をしている娘に杯を差し出したらそれがうまく当たって見事婿になることが出来た。


◆炭焼五郎
ある長者に娘がいた。何度嫁に行っても不縁になって帰ってくる。それで神様に良縁を祈ったところ、炭焼五郎という者を訪ねて行けとお告げがあった。そこで炭焼五郎を訪ね山に行き、押しかけ女房となった。
五郎は貧乏ですぐ食い物が無くなった。そこで嫁は親からもらってきた小判を差し出して「これをやれば何でも買えるという話だから買ってみい」と言って亭主に渡した。それで買い物に行くとたくさん買えてお釣りもきた。こんな物がそれほどありがたかったかと二人は初めて知った。そして嫁は同じ物をまだいくらでも持ってきているといって差し出した。夫婦はそれで長者になったそうだ。


◆木樵の法螺話
一人の木樵が山で大蛇に会い呑まれてしまった。木樵は大蛇の腹の中で暴れに暴れたので大蛇は苦しがって木樵を吐き出してしまった。 木樵は気絶していたが、あまりの寒さに目を覚ました。辺りを見回すと、そこは凍った川だった。鴨がたくさんいたが、よく見ると足が凍って飛べないでいた。木樵はこれ幸いと辺りの鴨を全部捕まえて腰の間に挟んでおいた。
その間に朝日が差してきた。すると鴨の氷が溶けて、鴨は揃って飛び立った。そうして木樵は空に舞い上がってしまった。
木樵が下を見ると小山が見える。それで鴨を一羽ずつ放して少しずつ下り、小山の上に降り立った。ところがそこは小山ではなく奈良の大仏の頭の上だった。人々は木樵を見てどうやったら無事に降ろせるか話し合った。布団を敷いて飛び降りさせるにはあまりにも高すぎる。 結局、パンヤ(綿という話もある)を積んでその上に飛び降りるようにした。木樵は飛び降りたが、目から火が出て困ったことにその火がパンヤに移った。そうして大火事になり木樵は焼け死んでしまったとさ。


◆夢をもらう話(上県町)
昔、豊臣秀吉と石川五右衛門がいた。二人はどうきゅう(同級か)だった。そして二人は乞食だった。ある年の正月、二人は富士山の下で寝た。石川五右衛門が富士山の転げかかった夢を見た。五右衛門が秀吉にその話をすると、秀吉は「その夢をくれ」といった。その夢を言わなかったら五右衛門の天下になったのだが、言ったので秀吉のてんかになったという。


◆爺さんと亀
昔、爺さんと婆さんがいた。正月が来ても貧乏で年をとることが出来ないので、橋の上に行って「何で年をとろか」とつぶやいた。すると橋の下から「お米でサイサイ」と声がする。覗いてみると、それは一匹の大きな亀だった。
そこで爺さんはその亀をつないで家々を歩き回り、「俺んとこの亀はものを言う」と言ってまわった。亀は爺さんが「何で年をとろか」というと「お米でサイサイ」と答えた。そんなもんだから爺さんは大層金をもらって、年をとることができたという。


◆狸の茶釜
昔、ある村に三吉という男がいた。三吉は奥山にいる三匹の子を持つ狸と親しかった。ある日三吉が「金儲けをするので金の茶釜に化けてくれんか」と言った。狸は金の茶釜に化けたので、三吉はそれを売って大儲けした。買った人がその茶釜で湯を沸かそうとして火を焚いたら茶釜はどこかへ行ってしまったという。
三吉は次の日、天麩羅をたくさん作って狸の子供に持って行ってやり、「今度は馬に化けてくれ」と言った。今度も狸が化けた馬を売って大金を得た。馬を買った人は大喜びだったが、馬は夜明け方に逃げてしまった。
狸は三吉がいつまでたっても茶釜の時みたいにお礼(天麩羅)を持ってこないので、腹を立てて三吉の畑に石をいっぱい放り込んだ。三吉は狸のところに行って「私の田畑に石を入れてくれたのはあなたですか。石肥え三年と言って、三年は肥やしを入れなくてもいいのであります。これが馬肥えだったら困っていました」と言った。狸はその晩のうちに石を拾い除けて、そのあとに馬肥えをいっぱい入れた。それで三吉は大金持ちになった。


◆貧乏のぼうの字
昔あるところに三人の兄弟がいた。正月に一箇所に集まって、酒でも飲みながら話をしていた。貧乏の「ぼう」の字はどこから出てくるのだろうと言って喧嘩になりかけた。長男は「五百羅漢から出るのだ」次男は「二百羅漢から出るのだ」と言った。すると神棚の扉がギイと開いて「こら兄弟三人とも静まれ。貧乏の『ぼう』の字は働かないから出るのだ」と言った。それから三人はよく働いた。


◆宝化け物
昔あるところに親孝行な男がいて、親の言うことは何でも聞いていた。ある日、父がお寺参りがしたいというので帯で背中にくくりつけて背負って行った。ところが途中で帯が切れて父は落ちてしまった。打ち所が悪かったのか、父は死んでしまった。息子は大層嘆き悲しんだが、家に連れて帰るにも道が遠く、どうしようか困っていたところに一人の爺さんが現れた。爺さんは男を慰めると二人で薪を拾って火葬をした。いつの間にか爺さんはいなくなっていた。
息子が骨を拾って帰ろうとしていると綺麗な女が現れて「私を嫁にしてください」と言った。男は父が死んだばかりで、しかも貧乏だったので申し出を断った。それでも女はついてきた。
息子は家に帰ると兄に事の顛末を話した。兄は弟に非が無いことを伝え、嫁のことも許した。それで二人は夫婦になった。
夫婦になったはいいが住む家が無い。すると女は山中の一軒家を求めた。そこは毎夜化け物が出る家だった。男は嫁の体にかじりついて寝たが、翌朝には嫁の姿は何処にもなく、代わりに家中に金が山のように落ちていた。親孝行したおかげで安気に暮らしたということだ。


◆節分の豆
昔あるところに一人の爺さんと二人の娘がいた。爺さんが田に水を入れようと考えていると一人の侍が現れて「私が一晩のうちに入れてあげよう」と言った。爺さんはお礼に二人の娘をやることにした。娘は豆を炒ってくれと言って、それを一升持ち、「この大豆を道に蒔いておくから、花が咲く頃になったら会いに来てほしい」と言い残して出て行った。
それから半年経ち花が咲いたので、お爺さんは娘に会いに行った。途中岩の中を通ったので、爺さんは娘を鬼の嫁をやるんじゃなかったと言いながら奥に行くと娘がいた。「今鬼が山に行っているから、一緒に逃げましょう」と言っていると、そこに鬼が帰ってきた。船に乗って逃げようとすると鬼が迫ってきて、今にも捕まりそうであった。その時、娘が豆を蒔くと鬼はそれを一粒ずつ食べた。その間に船を出して逃げることが出来た。
それだから節分の時には「鬼は外、福は内」と言って年取りがあるのだそうだ。


◆兄弟話
昔あるところに兄弟がいた。兄が金持ちで弟は貧乏だった。ある日弟は兄を騙して金儲けをしようと思って、山から枝ぶりのいい木を一本取ってきて、餅を搗いてその枝に引っ付けておいた。そこへ兄が来たので弟はその木を見せ、「この餅をとって食えば、また後から餅がなる不思議な木だ」と言った。兄は喜んで大金をはたいて買い、家に帰って木になっている餅を皆とって食ってしまった。ところがさっぱりならないので兄は腹を立てて弟の家に行き、嘘をついたなと詰め寄った。弟が「お前はどこから取って食ったか」と聞くと「一番大きいのから取って食った」と答えた。弟は「それだから後がならんのだ。その一番大きいのが子を産むのだった」と言ったそうだ。


◆一口食えば三日月
昔あるところに三人の座頭がいた。三人揃って旅に出て、一見の店屋に入った。店に饅頭が一つあったので、一番後ろの座頭が金を出して買った。そうすると店の人は一番前の座頭に渡してしまった。すると受け取った座頭は「一口食えば三日月」と言って一口食べた。二人目の座頭は「月は山べに隠るるなり」と歌って全部食べた。三番目の座頭は銭は出したが饅頭は食いそびれてしまった。


◆吉右衛門の話
昔、吉右衛門という男がいた。厳原便がある度にハナグリ(牛の鼻輪)を買ってきてくれと言った。しかし注文してもハナグリは無かった。それから自分がハナグリを売り歩いて大儲けした。そうしたら商売人がハナグリを大層買いこんで戻った。しかしいつまで経ってもハナグリに買い手はつかず、大損してしまったということだ。 ※大分県のキッチョム話であろう。


◆炭と藁と豆
川を渡る時、麦藁が橋になって、炭と豆がその上を渡ったところ、炭のせいで藁橋が焼けて落ちてしまった。頭に怪我を負った豆は医者に行ったが、あいにく白糸が無かったので黒糸で縫い合わせることになった。それから豆の頭は黒くなったという。


◆たましい
二人の若い男がステッキをついて夜の暗い道を行くと、向こうに二つの光が飛んでいる。あれは何だろうと思いながら行くと、足元までやってきた。その光が足元にまとわりついて歩けないので、左側の男は足で蹴り飛ばした。右の男はステッキで叩いた。すると二つの光は飛んで行ってしまった。二人が追いかけると、その光はある家に来てガラス窓から中に入っていった。二人が中を覗いてみると爺さんと婆さんがいて、婆さんは「俺は木で叩かれた」と言った。爺さんは「俺はそれどころか足で蹴られた」と言ったそうだ。


◆継子話(1)
昔、あるところに新吉とユクエという夫婦がいて、ある年の五月二十八日にきれいな男の子が生まれた。名を五郎とつけた。五郎が五歳になるとユクエは死んでしまい、しばらくして菊という名の後妻ができた。後妻はやがて女の子を産み、名前はお花丸と名づけられた。
お花丸が六つになった年。菊はわが子が可愛く、五郎が憎くてならなかった。新吉が旅に出た時を見計らって、菊は五郎を殺そうとたくらんだ。町に行って毒饅頭を買い、五郎にお使いを頼んでそのご褒美に毒饅頭をやった。五郎は一口食べてお腹が痛くなったのでもう食べないと言うと、菊は怒って五郎を蹴りだした。五郎の悲鳴を聞いてお花丸が飛んできて、母の乱暴を止めた。そうしているうちに新吉が帰ってきた。
五郎からその日の出来事を聞くと、新吉は菊を追い出した。そして新吉は五郎と二人で都に行ったので、残された菊とお花丸は生活に困ってしまい、菊はわが子を殺す破目になったという。

※五郎は五月御霊と関係があるらしいが、五月二十八日には何の意味があるのだろう。


◆継子話(2)
昔、あるところに夫婦とお花という娘が住んでいた。母親は継母だったので、お花はいつも無理なことを言いつけられては泣いていた。 ある日、継母はお花を外に連れて行き、橋の上まで来ると急に川の中に突き落としてしまった。お花は泳げないのでそのまま川の底に沈んでしまった。何とかして陸に上がろうと川底を歩いていると、何か大きなものに突き当たった。見上げるとそれは仏様だった。そしてあっと言う間もなくお花は仏様の口に呑まれてしまった。
継母は何食わぬ顔で家に戻ると夕飯の支度をしていた。そこへ父親が大きな魚を持って帰ってきた。「これをもらったから料理してくれ」と言って継母に渡し、「お花はどうしたのか」と聞いた。「豆腐を買いに行ったからもうすぐしたら帰って来るでしょ」と言いながら、魚の腹を真っ直ぐに切った。ところが中からお花が飛び出してきた。お花が仏様だと思ったのはこの魚だったのだ。お花は一部始終を父親に打ち明けたので、父親は腹を立てて継母を追い出した。それからは父娘で幸せに暮らしたそうだ。


◆花摘み
昔、女の子と男の子が花摘みに出かけた。たくさん咲いているので一生懸命とっていると何処からかお爺さんが出てきたと思うと、女の子の目に硝子が入った。二人は一生懸命逃げたが、女の子は目が見えないので海のほうに行ってしまった。そこにはお婆さんがいて、女の子に「私の子供にしてやるから来い」と言った。女の子は言うことを聞かないで一生懸命走って逃げたという。 ※何かの話の破片であろう。


◆山姥の乳房
昔、佐須村の椎根に“むしろうち”という所があった。そこへ姉妹がむしろ打ちに行っていると山姥がやって来て「ああ寒い寒い」と言って大きな乳を焚き火で暖め始めた。そして乳を大きく膨らますと姉をその広がった乳の中に絡めとって、山のほうへ取って行ってしまった。
数日後、妹は姉の仇討ちにでかけた。その時に浜ぐろう石を持っていった。以前姉が連れ去られたのと同じ場所で焚き火をし、その石を火の中に入れて焼いているとまた山姥が現れた。そして前と同じように山姥が乳を暖めはじめた。妹は山姥の乳房が広がった瞬間に焼き石を投げ込むと、山姥はその石を絡めとってしまい「おいたよおいたよ」と言いながら山のほうに行ってしまった。今の大板という地名はその場所のことで、それから山姥は士富というところで“しとめ”られ、経塚のところに塚を決め、今の若田で別れたから、そこを若田というのだそうだ。


◆鳥呑み爺
昔爺さんと婆さんがいた。爺さんが畑を鋤いていると、そこへ四十雀がやって来て「爺の畑鋤きゃ、腰ゃへんなりへんなり」と悪口を言った。爺さんは怒って四十雀を捕まえ、炊いて食べてしまった。すると「ぴんすぴんす」と屁が出た。爺さんはその屁を売りに廻って、終いには殿様のところに行って、新しい夜具の上で屁をふったら、大層な金をいただいたそうだ。


◆狸と爺
昔、ある村に爺さんと婆さんがいた。ある日、爺さんが山へ芋掘りに行った。木の枝に弁当をかけて一生懸命に山芋を掘っていると、すぐにお腹が減った。弁当にしようと思って木の枝にかけておいた弁当を見ると、無い。仕方が無いので爺さんはその場で眠ってしまった。そこへ狸が出てきて、ここに人間が死んでいると思って爺さんを箱の中に入れ、その箱を川端に運んでいって、箱の前にたくさん色々な菓子や果物を据えておいて山に帰っていった。
爺さんは目を覚ましてみると、色んなものが供えてあるので喜んで食べた。そして家に帰る途中さっきの狸に出会ってしまった。狸は爺さんが生きているのを見ると怒って、爺さんを川に投げ込んだ。とうとう爺さんは死んでしまった。
婆さんはずっと爺さんの帰りを待っていたがいつまでたっても帰って来ない。そのまま長い月日が過ぎたということだ。

※猿地蔵型の珍しい形。話者は「ゆだんのもとに生命をなくしたおじいさん」という題で呼んでいた。


◆団子浄土
昔、あるところによい爺さんと悪い爺さんがいた。よい爺さんがある日、山に木を伐りに行った。昼になって、弁当の蓋を開けると中から飯がころころ転がっていった。爺さんはそれを追いかけるうち、飯は鬼の屋根の瓦にガチャンと当たって、鬼の庭の中へ転げ込んだ。鬼はびっくりして飛び出してきて、こらっと叱ったので爺さんは「弁当の飯をやるから許してくれ」と頼んだ。鬼は承知して、爺さんに鬼たちの飯炊きになれと言った。爺さんは鬼の飯炊きをしているうち、鬼の宝物を盗って大急ぎで家に帰った。隣の悪い爺さんがその話を聞いて、同じように真似をしたが、宝を盗むところを鬼たちに見つけられて、鬼たちに食われてしまったそうだ。


◆何故粟の根は赤い
昔、あるところに猿と山羊がいた。二匹はどちらが先に天に登れるか競争しようと言った。山羊は木に登ったが、猿は天から鎖を降ろしてきて登っていった。
すると大雨が降ってきて、猿の登っていた鎖は途中から切れてしまった。猿は下に落ちて、石に当たって血が流れた。ちょうどそこに粟が生えていたので、その血で根元が染まったため、粟の根は赤いのだという。


◆姫百合
昔、父と姫百合という名の娘が二人で暮らしていた。 ある日、姫百合が病気にかかったので父親は一生懸命看病したが、その甲斐なく姫百合は死んでしまった。父親は大層嘆いた末、二三日後に墓まで連れて行ったが諦めきれず、「姫百合、おまえはお父さんを残して死んでしまったか」と言って涙を流した。するとその涙が姫百合の顔にかかった途端、死んでいた姫百合が生き返ったそうである。だから、人が死んだ時には涙などをその顔に落とすものではないということだ。


◆人魚と蝋燭
昔、爺と婆が蝋燭屋を営んでいた。子供がいないので、毎日子供が出来るように神様に願掛けしていた。ある日、お婆さんがお宮に参った帰り道に赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。声をするほうを探してみると一人の可愛い赤ん坊がいたので拾って帰って大事に育てた。そうして立派な娘に成長したが、その娘は上半身が人間で下半身が魚であった。娘は絵を描くのが大層上手であったからそれが評判になって遠いところまで名が知れ渡った。
娘は体がそんななので外に出ることも出来ず、窓から外を覗くばかりだった。それを見かけた人が噂して、評判は更に高くなった。ある男が遠いところから、「この娘を嫁にください。お金はいくらでもあげるから」と頼みに来た。夫婦は相談の末、その男に娘をやることにした。男は一ヶ月したらもらいに来ると言って金だけ置いて帰っていった。
娘が嫁に行くという話が広まると、それを聞いて人魚の本当のお母さんが、夜遅く蝋燭を買いに訪ねてきた。お婆さんがこんな夜遅く誰だろうと思って蝋燭を売り、明るいところでお金を見ると貝殻だった。慌てて追いかけても誰もいなかった。
そして一月経つと、男が駕籠をもって迎えに来た。人魚はいやいやながら連れて行かれた。そして船に乗って内地(九州本土)に行く途中、暴風雨が起こった。船はひっくり返って人間は皆死んでしまったが、人魚だけは海の中でお母さんと一緒に暮らすようになった。そして人魚を育てたお爺さんとお婆さんの家は、また貧乏に戻ってしまったそうだ。

※埼玉県にも同様の話が伝わっていると聞く。何かの読み物から得た話か。


◆難題話(1)
百姓と殿様がいた。ある日、百姓が畑を耕していると殿様が通りかかり、「おい百姓、俺が遠目まで行ってくる間にお前の鍬は何回掘れるか」と聞いた。百姓は「お殿様の馬の足は何足で行ってこられますか」とやり返したので殿様が負けた。帰りがけに饅頭を下さると百姓は二つに割ってあっちを食ったりこっちを食ったりした。殿様が「どっちが美味いか」と聞くと、百姓は饅頭を石の上においてポンポンと二つ手を叩いて「どっちの手が鳴りましたか」と言いこめた。
殿様はどうにかして負かしてやりたいと思い、その百姓の父親を城に呼んで、「牡牛の腹うんだ(孕んだ奴)を持って来い」と言った。父親は困って、家に帰ると寝込んでしまった。
息子が帰ってきて訳を聞くとすぐお城に行った。「お前の父親に頼んだものはどうなっただろうか」と殿様が聞くので「今父は産気づいて寝込んでおります」と答えた。「馬鹿、男が産気づくものか」と言われると、「それでは牡牛の腹うんだもありません」と答えたので、さすがの殿様も感心してしまったという。


◆難題話(2)
昔、三吉という子がいた。大変四の字を言うのが嫌いな子で、主人は何とかして四の字を言わせてやろうと思い、あるとき三吉を呼んで座らせ、膝に大きな石を載せ、痺れがきれた頃に「三吉早よ来い」と呼んだ。三吉は「今三ぴり三ぴりの一ぴり一ぴりがきれて立てません」と言った。
そこで今度は「杉の木を四千四百四十四本頼んで来い」と言いつけた。すると三吉は店に行って「三千本千本三百本百本三十本十本三本一本ください」と言った。店屋ではそろばんをおいて見て、四千四百四十四本になるので「宜しゅうございます」と引き受けた。とうとう主人も負けを認めてしまった。


◆泡ぶくの仇討ち
ある家に犬が飼ってあった。その家のお母さんは娘が小さい時、便所掃除をするのが嫌で「この娘が大きくなったらお前の嫁にやるから、お前なめてくれ」と犬に言い、犬は言われたとおりなめていた。そのうち娘は大きくなって、余所にお嫁にもらわれるようになったが犬が袂を咥えて離さない。お母さんはその理由に思い当たり、仕方が無いので娘を犬の嫁にやった。犬は大喜びで毎日よく働いて、獲物をとってきては嫁さんにやっていた。
ところがある男が嫁の器量のよさに惚れこんで自分の嫁にしたいと思い、犬が山で猟をしている時に鉄砲で撃ち殺した。嫁さんが夫の帰りが遅いのを心配していると、例の男がやって来て犬は死んでしまったことを話し、これから自分の家内になってくれと頼むので、二人は夫婦になって暮らしていた。
そして三年目の雨の降る日のこと。嫁さんは夫の髭を剃っていたが、雨だれの音が「仇討て、仇討て」と聞こえてきた。その時夫が「あの犬を殺したのは俺だ。お前があんまり綺麗だったから嫁さんにもらおうと思って殺したのだ」と言った。いくら畜生でも一度嫁いだ身であるから、夫の仇だと言って手にした剃刀で男を殺して仇をとったとのことだ。


◆歌詠み話(1)
あるところの奥さんが正月に鏡餅をお母さんのところに持って行くよう女中に言いつけた。女中は持っていく途中、その餅が欲しくなったので半分自分の懐に隠して半分だけ先方に届けた。すると、奥さんのお母さんは次のような歌を詠んだ。「十五夜に 片割れ月が あるものか」すると女中は「雲に隠れて ここにこそあり」と言って懐から半分出したのでもとの丸い餅になったという。


◆歌詠み話(2)
ある寺の小僧が、枇杷を食べたくても和尚さんがいて食べることが出来ない。ある日、和尚が留守になったので木の上に上って食べていると、そこへ和尚が帰ってきて大層叱られて枇杷の木に縛り付けられてしまった。そこで小僧は次のような歌を詠んだ。「ことかとて弾いてみたればびわの音のしのをの切れてばちの速さや」この歌には和尚も感心して、許してやったとの話だ。


◆歌詠み話(3)
昔は学校が無くて、お寺で勉強を教えていた。ある日、和尚さんは机の上に花瓶を置いて、それに松をさし、白い布巾を置いて生徒の一人にこれを歌に詠みなさいと言いつけた。すると「ばんさらやさらちょ山に雪降りて、雪を根として育つ松かな」と詠んだそうだ。


◆猿婿入
爺さんと婆さんと娘が住んでいた。爺さんが田を見回ると、田の水がすっかり涸れていたので、一生懸命水を入れて帰ってきた。翌朝行くとまた水が無いので、これは誰かの悪戯だろうと思い、罠をしかけておいた。するとそれにかかったのは一匹の猿であった。何でこんな悪さをするのか聞くと、お爺さんの家の女の子が欲しいと言う。それならやるからと言って、家に帰った。
娘はその話を聞くと、嫁に行くことを承知して、大きな水がめをもらって、それを猿に背負わせて一緒に山に連れられて行った。
すると途中に堤があった。娘は水の中に小石を投げて、簪が落ちたから取って欲しいと猿に頼んだ。猿は水に潜ったが、背中に水がめを背負っているので浮き上がれず、ぶくぶくして死んでしまったという。


◆天道様金の鎖
昔、父と母と子供二人の四人家族がいた。家が貧しかったので、父と母は毎晩夜なべに行っていたそうだ。子供二人で寝ていたが、ある日山奥から山姥が降りてきて「お母さんが帰ってきたから、戸を開けんか」と言った。兄は「お母さん、手を見せてみい」と言った。山姥が戸口から手だけ出すと、兄はその手をさすってみた。毛むくじゃらの山姥の手だったから「これはお母さんの手じゃない」と言った。しかし山姥が「お母さんじゃけど、働いてきたから手が汚れとるんじゃ」と言ったので、信用して家の中に入れてしまった。そして山姥は兄に気付かれないよう弟をバリバリ食べた。兄は寝床で弟のほうに手をやると弟がいない。兄は恐ろしくなって家を出た。そして裏の柿の木に登っていた。後から山姥がやって来て「どうやって登ったか」と聞く。「足に油をつけて登った」と言ったら、山姥は言われたとおり油をつけて登り始めた。当然登れない。しかしすぐに騙されたと気付いて足の油を拭って木に登りかけた。兄はたまらんと思い、「天竺に神が仏があるならば、この者一人お助けください」とお願いした。すると天竺から金の鎖がじゃらりと降ってきた。それで天まで逃げた。山姥も「天竺に神が仏があるならば、この婆一人お助けください」と言った。するとまた金の鎖が降ってきた。山姥はそれに掴まって半分ほど登ったところ、鎖が切れて山姥は花盛りの蕎麦畑に落ちてしまった。その時の血で、今でも蕎麦の根は赤いのだという。


◆地蔵浄土
次郎という男の子が、お爺さんと一緒に住んでいた。ある日次郎が山で働いているとお昼になったので握り飯を食べていた。するとその握り飯が一つ下の溝のほうに転がっていった。次郎は追いかけたが、途中で見失ってしまった。さらに下るとお地蔵様がいたので「この辺に握り飯が転げてきませんでしたか」と聞くと、地蔵様は「それは私が食べてしまったから、そのお礼に金をあげよう」と言ってたくさんお金をくれた。次郎はそのお金を持って帰って、お爺さんと大喜びで暮らした。
この話を隣の欲深爺が聞いて、早速真似をした。わざと握り飯を転がして、地蔵様の口の中に無理矢理握り飯を入れこんだので、お金をもらうどころか酷い目にあわされたそうだ。


◆山伏と狐
話者のお祖父さんの若い時の話。お祖父さんは昔、津の町外れで作男に指図しながら働いていたそうだ。そのとき、一人の山伏が橋の上でお辞儀をしたり立ったり座ったりしていた。そのうち川の中へどぶんと落ち込んでしまったので、「おーい山伏、何をしているのかー」と皆が叫んだ。山伏ははっと気がつき、悔しそうな顔をして「昼間だったのか」と言って急いで岸に上がった。どうしたのか訪ねると、「急に日が暮れて、何処が道だかわからない。そのうちとある家に辿り着き、一夜の宿を頼んだ。その家にはお婆さんがいて宿を許してくれ、ちょうどよい時に来たと喜んだ。なんでもお爺さんが死んだので隣まで知らせに行こうと思うが、ここらには悪い狐がいるので死人一人置いていかれないそうだ。それで番を頼むと言って出ていった。正直死人の番など気味悪かったが宿を借りる手前これくらい我慢せねばならん。そうして番をしておったが、婆さんは待てど暮らせど帰って来ない。その時、急に死んだ爺さんの入っている棺の蓋がすっと開いて、中から手がぬっと出た。びっくりしてのけぞった。そしたらこの始末だ」と話した。
その朝、この山伏が隣村まで行こうと思って山路を歩いていたら狐の穴があった。悪戯っ気を出して、その穴にむかって法螺貝をブゥーと吹いたので、狐がその仕返しをしたのだろう、という話である。