■諌早市の民話・伝説


◆亀の城(北高来)
南高来、西郷村に西郷石見守尚善という豪傑がいた。彼はあるとき味方の軍勢とともに諌早を攻め、城を築いた。後日、家来が二尺もありそうな大亀を二匹捕らえてきたので、「長生きして城を守ってくれ」という願をかけ、父の戒名を背に彫りつけて半造川に流した。数年後、佐賀藩から城が落とされようとしたとき、大亀が背に城をかついで矢が届かない高さまで持ち上げ城を救った。後に尚善の孫の純堯(すみたか)が剛胆な性格故に、狩りの時に二匹の亀のうち一匹を射殺してしまう。残りの一匹は涙を浮かべ、川へと帰っていった。純堯は後に秀吉の軍に攻められるが、亀の助けはなく大敗したという。


◆稲妻大蔵
諌早の小栗村に住んでいた百姓の夫婦が天狗の住むという八天岳に向かい子孫が授かれるよう毎日拝んでいた。ある日天狗が懐に入る夢を見た後、百姓の妻は産気づき、一人の男の子を産んだ。名を大蔵と付けた。大蔵はすぐに大きくなって八天岳に草刈りに行くようになったが、そこで天狗から相撲を教わり、天狗から授かった力で力持ちになる。村相撲では負け無しで、稲妻というしこ名をつけられた彼はついに江戸に行き、当時日本一の相撲取りだった鬼ヶ岳を倒す。江戸でも負け無しの彼だが、再戦を申し込んできた鬼ヶ岳に情けで一度負けてやった途端、天狗の力が逃げていって、それ以来どんな弱い相手にも勝てなくなった。そうして彼は諌早へと帰っていった。


◆赤うで
昔、多良の峠には「赤うで」のお化けが出るというので、誰も夜は通らなかった。あるとき肝が太いことが自慢の七五郎という男が夜ここを通ると、一人の尼に出くわす。その尼はじっと七五郎を見ると、赤い腕で襲いかかってきた。なんとかこれを命からがら撃退すると、しばらくして人の良さそうな六十くらいの年寄りに会う。さっきの出来事を話すと、急に目を光らせて、「その腕はこれよりも太かったか」と言い、血のように赤い大きな腕でひっつかもうとしてくる。七五郎はあまりの怖さに気を失い、翌日、通りかかった村人に発見されたという。


◆水晶観音(森山町)
豪族の娘であった虎御前が、ある夏の日照りのとき自らが大事にしていた楠で船を造り、唐比の池へ進んでいった。すると突然大雨が降り出し、船もろとも虎御前は池の中へ沈んでいってしまった。五百年後、西日本一帯で長い日照りが続いた時、後柏原天皇が唐比の池へ祈願するよう観音菩薩に夢で告げられる。直ちに祈願すると大雨が降り、雨が止んだ後の池には楠のくり舟と水晶の観音が浮かんできたという。 水晶観音は今でも補陀林寺に奉られてある。


◆横手五郎
これは昔熊本城の横手堀を一人で掘ったという横手(よこてん)五郎の話。横手五郎は諌早の長田村の横手に生まれたため、その名が付いた。父を早く亡くし、貧乏なため子守もおけなかったため母が仕事をするときは石臼に繋がれていたという。しかし乳飲み子の頃から石臼を引きずって動いていたほどの力持ちだったそうだ。成長すると多良岳から焚き物を獲って諌早で売って生活していたが、ある日五郎が束ねた枯れ枝を母親が誤ってほどいてしまう。五郎の怪力で押しつけられた枯れ枝は凄まじい勢いで飛び出し、母親をはね飛ばして命を奪った。五郎は嘆き悲しんで毎日墓参りをしては墓を離れなかった。その頃熊本で加藤清正公が熊本城を建て始めていたので、悲しみを紛らすために人夫になることにした。怪力で、しかも一生懸命働くため工事はかなりはかどった。しかし、あまりにも五郎に秘密の箇所までやらせたため、口封じとして五郎に深い穴井戸を掘らせ、一生懸命仕事をしている隙に上から大岩を落として殺そうとした。それでも五郎は大岩を受け止め、跳ね返してしまう。だが流石に井戸の外には出れないと悟った五郎は城の柱石になろうと覚悟を決め、上の者に井戸に砂を入れるように命じた。上の者達はそれに従ったため、五郎は生き埋めになってしまったという。


◆泣く浜(小長井町)
昔、多良岳に一匹の悪い鬼が住んでいた。神様のいいつけも聞かないで里に下りて来ては家畜を盗んだり畑を荒らしたりするので里の人たちは困っていた。里の人たちが長老の家に集まり対策を練ったところ、多良岳の神様である権現さんにお願いするしかないという結論に達した。
翌朝里の人たちは多良岳を登り権現さんに涙を流しながら頼み込むと、何も知らなかった権現さんはひどく驚き、すぐに鬼を呼びつけた。鬼の今までの所業をひどく叱り山から追い出そうとすると、「堪忍して下さい。この山を追い出されたら行くところがありません」と泣きながら頭を下げた。権現さんは心が優しいので、「今晩中にこの神社に石門を作れ。明朝一番鶏が鳴くまでに作れたら許してやるたい」と言った。石門を作るには大きな石を抱えて三里の坂道を往復しなくてはならず、とうてい一晩では無理な仕事だったが、山から追い出されたくない一心で鬼はものすごい速さで石を運んでいった。
あと石一つで完成となったとき、隠れて様子を見ていた権現さんはとても焦った。「鬼がこの山に居座るようになってはきっとまた里に悪さをするに違いない。里の平和の為には追い出してやらんば…。」そう思った権現さんは陣八笠を両手に持ち、それでパタパタと羽ばたきながら「コケコッコゥ」と鳥の鳴き真似をした。それに辺りの鳥がだまされて次から次へと鳴きだした。
この鳴き声を聞いた鬼は間に合わなかったと思い、とぼとぼと井崎の里の浜辺に下りていき、「オーイ、オーイ」と泣きながら消えていったという。
夏の夕べ、井崎の浜に行って耳をすますと、今も「オーイ、オーイ」と泣く鬼の声が聞こえるんだそうな。里の人たちはこれ以来、この海岸を「泣く浜」と呼ぶようになったという。