■平戸市の民話・伝説


◆子泣き相撲
四百年前、平戸の鎮信公という熱心な真言宗の殿様が、禅寺の勝音院の龍呑和尚に、改宗して寺を真言宗のものにしようという話を持ちかけた。龍呑がこれを拒否したので、鎮信公は寺に火を放った。龍呑は焼け死に、寺は真言宗の最教寺へと変わった。しかし夜な夜な龍呑の亡霊が出て、鎮信公を悩ませていた。ある時、鎮信公は赤子の泣く声がする時は亡霊が出ないことに気がついた。それ以来、年に一度節分の日に子泣き相撲を行うことにしたという。


◆蟹が淵(平戸 薄香)
大田の平の百姓三吉の子供が行方不明になるが、後日近くの淵から着物が浮いていた。三吉 はこの淵の河童の仕業だと嘆き悲しんでいると、これを聞きつけた松浦の殿様は鎧掛松(よ ろいかけまつ)に鎧を掛け、一人で水底に潜り怪物を探した。一度目は何も見つけられなか ったが、二度目は怪物を見つけ、見事これを退治した。部下の侍達が怪物の亡骸を引き上げて みると、三畳余りの甲羅を持った大蟹だったという。


◆狐の復讐
昔、幸勝院という修験者が最教寺に正月詣でに出かけた。権現山にさしかかったところで、昼寝をしている狐を見つける。これを見て悪戯心が湧いた幸勝院が狐の耳元で法螺貝を大声に吹き鳴らしたため、狐は驚いて森の中へ逃げていってしまった。
しばらくして、最教寺では縁側で一匹の狐が目撃される。狐は頭に木の葉を載せると幸勝院に化け、そそくさと森の中に隠れてしまった。しばらくして本物の幸勝院が最教寺に着くと、寺の和尚や小坊主は狐と勘違いし、化けの面をはがして尻尾を出させてやろうと縄で縛って棒で延々殴り続けた。当然本物なので尻尾が出るはずもなく、和尚達が気付く頃にはしこたま殴られていた。皆、実に意地の悪い狐の復讐に呆れたと言うことだ。