第3回 民間説話の伝承

民間説話の形態、そして民間説話の歴史を経ての第三回。今回は、民間説話にとって最も根幹を成す部分について触れていきたいと思います。伝承の形態についてです。
民間説話、すなわち口承文芸は人から人への口伝で伝わってきたものです。ではその口伝において、話し手と聞き手がどのような関係であったのか。また彼らの間で多く語られる話はどのようなものだったのか。そして場所は、時間は、状況はどんなものだったのか。それらについて考えていきましょう。



1.家系伝承
民間説話の伝承と聞いてまず真っ先に浮かぶのが、囲炉裏端での祖父母からの昔語りや、寝物語に父母が聞かせてくれた物語ではないでしょうか。親から子へ、そしてその子へ…という家系伝承は、民間伝承の中心的な役割を演じてきました。岩手県の遠野に代表される東北地方に民話が多く残されているのも、雪深いために囲炉裏端が生活の中心となり昔語りの場が多くつくられたことが理由の一つとして考えられています。昔語りは仕事の疲れを癒し、眠気を覚まさせ、仕事の手を早めるために役立ちました。また、暇を持て余してともすれば仕事の邪魔をしかねない子供を留めておく目的もあったようです。 いわゆる昔話の「語り手」と呼ばれる人はそのような環境で多くの昔話を覚えていきました。水沢健一は「炉端の伝承者は昔話が好きで特別な興味と関心を持っており、いずれも身内にすばらしい昔話伝承者がいて、その感化なり遺伝を持っている」と語っています。(『民間説話 日本の伝承世界』1989)
語り手たちは、炉端を通して代々受け継がれていったのです。



2.村落伝承
家系伝承の中で昔話を聞きながら育った子供たちは、やがて話を外の世界に求めるようになります。それは友達同士での昔話の語りっこであったり、村の語り爺、語り婆と呼ばれる語り手たちから多くの話を聞きに行ったりしました。
どの地域にも、有名な語り手がいたものです。長崎では対馬の「くったんじい」こと栗田仙吉氏が有名です。正月にはいつも子供たちが話を聞きに集まってくるとのことで、「餅を持ってこないと話は聞かせん。持ってこない子は追い出す」と言って憚らなかったのだそうです。
こうして子供たちは家に伝わる話だけではなく、他の家に伝わる話もを取り込んでいくのです。



3.来訪者による伝承
こうした伝承はその共同体内で完結するものではありませんでした。伝承の世界を豊かにしていったのは、世間師と呼ばれる来訪者の存在です。
それは大工や研ぎ師のような職人、椀売りや薬売りなどの商人、六部や雲水などの宗教者や芝居役者、座頭といった芸能者であったりしました。
各地を歩き回る物知りな彼らは、共同体の住人にとって新しい情報の提供者でした。家系伝承で語られるのが本格昔話中心であるのに対し、彼らの得意とする話は主に笑い話や世間話の類でありました。
こうした世間師たちは各地で色んな話を仕入れ、別の地で語り、そして年老いると家に戻って家系伝承の一端を担うことことになります。


このように、家系伝承・村落伝承・来訪者による伝承は決して別のものとして分断されるものではありませんでした。むしろそれぞれが錯綜し、互いに密接に交じり合って伝承の形態を創りあげていったのです。




最後に、私が実際に聞き取り調査に行ったときに語られた、伝承の様子について少しだけ述べたいと思います。場所は長崎市出津町。かつて外海町とよばれた隠れキリシタンの町です。
語ってくれたのは80歳を越したシスターのお婆さんだったのですが、やはり昔話を聞いたのは囲炉裏端だと語っていました。畑に出れない雨の日なんかに、内職の草鞋を作っている母が語ってくれていたそうです。
興味深かったのが、クリスマス、つまり12月25日の午前0時からミサをするらしく、イブの夜6時くらいから子供たちは公民館に集まって、時間になったら行列を作って教会まで行くのだそうです。夜遅いので子供たちが寝ないようにと大人が一人語り部となって色んな話をしてあげるようです。そこで多くの昔話が語られたとのことでした。キリシタンの町ならではの伝承の形態だと言えるでしょう。


囲炉裏が消え、娯楽が増えた現代ではこういった伝承の系譜は途絶えようとしています。柳田國男が民話の衰退を述べていた頃からすでに70年近く経った今、民話も語りの世界から文字の世界へと姿を変えてきているのが現状です。年配の方に聞き取りを行うと、「郷土史に載ってるよ」だとか、「民話の本があるからそれを見たらどうか」と言われることがほとんどです。
最近ではインターネットを通しての都市伝説、いわゆる「ネットロア」が広がりつつあり、衰退の一途を遂げると思われていた民間伝承の世界は変化の道を歩みつつあるのかも知れません。