第2回 民間説話の歴史

前回は民間説話の種類と分類について簡単に説明しました。今回は民間説話の源流について話してみたいと思います。民間説話は時代的にいつ頃から始まったのか?言わずもがな民間説話は口承ですので、文字化した他の資料とは違い、はっきりといつから始まった、と言いきることはできません。しかし民間説話の痕跡を私達に伝えてくれる資料は残されています。今回は縄文土器を元にする仮説と、弥生時代に見られた鳥船信仰の遺跡を元にする仮説を紹介します。






1.縄文土器をめぐる民間説話
前回民間説話は民間神話、伝説、昔話、語り物、世間話に分類されるという話をしましたが、この中で最も古いとされているのが宇宙や国土の起源、人間や農耕の起源を語る民間神話です。今回はこの民間神話、特に農耕起源神話から歴史を探ってみましょう。



記紀における農作物の起源と関わる神といえばイザナミオオゲツヒメです。
イザナミは多くの神々を産みますが、火の神カグツチを産んだ際に女性器を焼いて死んでしまいます。イザナミが瀕死の床で漏らした嘔吐や大小便から金属・水・土・穀物が生まれたとされています。
オオゲツヒメはスサノオに食物を与えますが、その食物を鼻・口・尻から取り出したため汚らわしいとしてスサノオに殺されてしまいます。

二つの話のどちらも食物の誕生と人物(女性)の死が結びついているのがわかりますよね。この手の話ではインドネシアに伝わる「ハイヌヴェレ神話」が有名で、ハイヌヴェレは村人によって惨殺されてしまいますが最後にはその体からタロイモなど様々な作物がなり、農作物の起源となっています。



さて、縄文時代中期以降に見られる土偶には妊婦だったり赤子を抱き負ぶっていたりするものがあり、これらは「地母神像」だと考えられています。

注目すべきはこれらには丹念に作られた後、破壊された痕跡があると言うことです。身体の破壊と農作物の豊穣…オオゲツヒメやハイヌヴェレなどの、死ぬことで農作物をもたらした女神たちと繋がってきます。
また、関東地方中部〜西部では、土器の中で火を燃やした痕跡のある女体の釣手土器が発見されています。 体内で燃える火…イザナミから生まれたカグツチを連想しますね。


つまり、これらのことから胎内から火や食物を生み出す女神の信仰が縄文時代にはあったのではないか、それがイザナミのカグツチ出産やオオゲツヒメ神話の原型となったのではないか、と考えられます。これが、縄文時代起源説です。



2.弥生時代・鳥船遺跡から見る民間説話


また日本神話からですが、天照大神が建御雷神とともに葦原中国に遣わした天鳥船神という神がいます。天鳥船神は南洋の鳥船神話が流入してきたものであるという指摘がなされてきました。

鳥船神話とは、死後霊魂が鳥と化して彼岸に行くという観念や、霊魂は船に乗って彼岸へ運ばれるという観念が結びついて出来ている神話です。

民間説話において鳥と死が結びつくものは多数あり、有名なところではヤマトタケルが死後白鳥と化したという伝説や、天邪鬼に殺された後小鳥に姿を変える瓜子姫などがあります。長崎の民話では五島の「カッポー」「トシ来いヨシ来い」などがあります。これらの背景には前述した死後霊魂は鳥によって運ばれるという信仰があったと考えられています。


そのような信仰が弥生時代にもあったのではないかと思わせる遺跡が、日本の各地で見つかりました。
例えば福岡県浮羽郡福富村では軸に一羽の鳥が止まった舟の壁画が見つかっています。熊本県弁慶ヶ穴古墳でも同様に舟と鳥の壁画が、そして山口県豊浦郡豊北町では両手で鳥を抱きしめている弥生時代の老女の埋葬屍体が見つかりました。
民間説話に見られる鳥と死の関連性がこれらの遺跡・遺物から見受けられます。葬送が絡んできますので、これらの信仰は巫女の儀礼とともに受け継がれていき、儀礼や信仰の正当化を求める伝説がそこから生まれてきたと考えるのはごく自然な流れでしょう。




今回民間説話の源流がどこまで辿れるか探ってみました。縄文起源説、弥生起源説どちらも非常に興味深い推論ですが、日本語の成立を弥生時代だとする日本語学の通説に従えば、縄文時代説よりも弥生時代説のほうがやや有力といったところでしょうか。

あくまで民話の元となるモチーフの話で、ここから神話や神話に近い伝説が生まれ、私たちにとって身近な昔話や世間話の形成されるのはこれからだいぶ時間を経た後となります。(各民間説話の時代に関しては第1回を参照)



次回は民間説話の媒体である伝承者と、伝承の形態について触れていくつもりです。