追 儺 祭




※桔梗&彼の話の本文サンプルとなります。



「こんにちは、淀」
「……桔梗」
「わざわざ来てくれて有難う」
 女はふわりと笑って、指定した時刻ぴったりにダースがススキの海へ現れたことに感謝を述べた。美しい顔を美しい夜空へと映えさせる女と対照的に、呼び出されたダースはその相手にゆるく顔を顰め、懐かしい再会に……、小さく息をつく。
「一体如何謂う了見だ。御前があたしを呼び立てるたァ」
「あら、理由が無いと貴方を呼んではいけないの?」
「……そう謂う訳じゃ無いが。気味は悪ィな」
「良いじゃない。貴方は私の恩人なのよ」
 ね?
 どこか含む調子で、ダースの訝しむような視線を軽くかわし、女は手にしていた髑髏に甘い頬ずりをする。乳白色の頭蓋骨は、女が持つ持ち物にしては大分奇抜だ。奇抜すぎて、怪異を通り越し、滑稽とも言える。
「……」
 美しい女が、憚りもなく不気味な髑髏を愛で、慈しんでいる様子は中々奇怪で、小気味良く……、そして愉しい。故にダースはその様をそこそこに好み、だからこそ、女から呼び立たされてもこうしてのこのこと来てしまうし、こうして、会話にも応じてしまうのだ、と思った。
 頭蓋骨の、目玉のないふたつの穴に浮かぶ空虚の闇に視線を合わせれば、女はやわらかく唇を引き上げる。
「今日はね、本当は、私が貴方を呼んだのではないのよ」
「……如何謂う事だ?」
「このひとよ。私ではなく、このひと。今日は新月、私の力が最も増す日」
 女はどこか挑発的な目で、頭蓋骨の視線をダースに合わせ、その髑髏に寄り添うように首を傾げる。
 今日は、確かに新月だった。
「……そうだったか?」
「知っている癖に、意地悪ね。今日貴方を呼んだのは、貴方を求めているのがこのひとだから。私はこのひとに付いて来ただけなの」
「……なら、早く呼んだら如何だ。夜は短けェ、直ぐに情人なんぞ消えちまうぞ」
「ええ、分かっているわ。……少し、離れていて」
「嗚呼」
 女の呼び掛けに、ダースは殊勝な仕草で数歩を下がった。女はそれを確認してから、手にしていた頭蓋骨をススキの海、その足元へと置いた。そして自らもその場所から離れると、目を瞑って小さく何かを呟き始める。
「……」
 すると暗闇の乳白色として佇んでいた頭蓋骨がおもむろに光を帯び、球の形になって溢れ返る。
 そして次の一瞬には光も髑髏も消え、その場所にはひとりの男が佇んでいた。
「ああ」
 その姿を捉え、感極まったように女は呟くと、男の元へと駆け寄り、ダースの存在にも構わずにその胸の中に身を寄せる。
「桔梗」
「会いたかったわ、私の、愛しいひと」
「彼を呼んでくれたんだね。有難う」
「……いいのよ。貴方のためなら、私は、どんなことだってするもの」
「……オイ」
 呼びつけられた当人を無視して繰り広げられる情事に、ダースが黙っていられるはずもない。そっと文句をつくように低い声を出せば、両者は揃って振り返った。
「……ダース。こんな所までわざわざ、すまないな」
 男が笑う。
「ごめんなさい。月に一度の再会なのよ」
 女も笑う。
「……ハァ」
 そしてダースはひとり、大仰に溜息をついた。

「……で。呼んだのは御前、と聞いたが」
「ああ、そうだ」
 久しい再会にひとしきりお互いを確かめ合った男と女は、落ち着いた様子でダースへと対峙する。ダースの言葉に、男は静かに頷いた。
「桔梗にお願いをしてね。どうしても君に会いたくて、彼女に無茶なことを頼んでしまったんだ」
「又、如何してだよ。御前があたしに望む事なんざ、もう何も無ェだろう?」
「そうでもないさ。君には感謝してもし足りないほどのことをして貰ったからね。今日はその一環、と言ったところかもしれないな」
「……?」
 ゆるくダースが首を傾げると、男は女に視線をやり、目配せをする。女はそっと男へ歩み寄り、音も立てずに男へなにかを手渡した。
「ダース。これを」
「……何だ?」
 それをそのまま、男はダースへと差し出す。紫色の布に包まれたそれは両手が余るほどの大きさしかなく、細長く、そしてとても軽かった。
 ダースはゆっくりと布に手を掛け、それを開く。
「……」
 そこには、一枚の扇子があった。無言のまま、ダースはそれを撫で、パチン、と音を立てて開く。薄紫の桔梗の花が毛筆で強く描かれた表面は、紙ではなく布が張られている。骨組みは乳白色をしており、木材が基になっているわけではないことがすぐに分かった。
「……どうだい? 中々良い代物だろう?」
 顔を上げれば男は得意げに微笑んでいる。
「如何したんだ、此れは」
「君の役に立つかと思ってね。方々に頼んで作って貰った」
「方々?」
「ああ。布は千鶴に」
「千鶴? よくあの女に頼めたな」
「最初は紙梳きのものでも良かったかと思ったんだが、彼女の織る布はそれこそ命が篭っているからね。君の力の助けになるかと考えたんだ」
「……情念の固まりみたいな奴に、大層な願い事をしたもんだ」 
「だがそれ故に愛にはとても真摯な人だろう? ふたつ返事で了承してくれたよ。火にも燃えず水にも強く、それこそ彼女のように大抵のことでは傷つくことがないと思う」
「……」
 月が死んでしまった夜空ではその布の強さ美しさは透けず、また、伝わらない。だが、ダースもこれを織った女のことはよく存じていた。愛に己のすべてを擲ち、愛に己のすべてを賭ける覚悟のある女。自身を犠牲にして織る布は、確かに男の言う通り、女の魂そのものだ。
 命の具現体。それ自体の質量。ダースはうすく、その表面を撫でた。
「その絵は有名な流れの書道家に。絵は苦手と言っていたが、中々美しいだろう」
「……六か? あんな放浪癖にどうやって」
「勿論桔梗さ。彼女の力があれば、大抵の人間の居場所は感知出来る。ただでさえ彼はヒトだからね。容易なことだよ」
「成程。あいつ、絵なんて描くんだな」
「彼も滅多にない依頼だと渋ったけどね。千鶴のことを知っていたみたいで、それを教えたら態度がころりと変わったよ。あの宴も、本当に馬鹿には出来ないな」
「……まあな。色も六が?」
「いいや? 色は桔梗が付けてくれたよ」
「御前が?」
 少し驚いたように、ダースがそっと男に寄り添う姿を見やれば、優雅な仕草で女は微笑む。
「ええ。このひとが私の名の花を刻むことを決めて、私も何か自分の手でそれに手を加えたいと思ったの。だから、私からお願いをしたのよ」
「ヘェ……」 淡く、どこか涙を落とすようにぽつぽつと滲んでいる紫と藍の混じった色は、儚く、静謐で、憐憫の感情とよく似ていた。だが、とても美しかった。この女が描くに、あまりに似合う色だと思った。
「そして扇子の骨組みは、そのまま僕の骨を使っている」
「……は?」