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暗幕会議


彼女は男が神に対して異常な忠誠と尊敬を抱いているのを知っていたし、
神がまったくもってそれを快く思っていないことも知っていた。
だから、男はきっと神のことばかりを一番に考えているだろうと考えていたし、
神に対して賞賛はしても、彼女に対しては高慢を主張するだけの男に対して、
半ば安心すらしていた彼女は、何時ぞやに発せられたそんな言葉に大層、驚いたのだ。
「娘。・・・貴様は教祖様に懸想しているのか」
ほとんど彼女は神と接触をしていなかったし(そもそも、神がこちらに来るしか出会う方法がない)、
神を父のように思ってはいたが、男のような言葉を用いる感情は持ち合わせていなかったので、
彼女は思わず、男の前で眼を思いきり見開いて感情を顕わにした。
男の前で彼女が嫌悪を示すことはあっても、驚きなどを示すことは今まであることではなかったので、
少しばかり男も瞳孔を開かせて、それを奇妙がっているようにも見えた。
「ナニを、云っているの」
彼女は、唇のない口で言葉を発する。男と交わす真正面の会話は、ずいぶんと久しいことだ。
「驚愕か。おこがましいな。貴様があのお方に見合うと思うか?」
両手を背で組み、ただ男は強制的に開かれたような目玉を揺らせて笑っている。
いつものような自信だけの声色は高く唸って、彼女の凍り続ける空間をぶれさせる。
「アナタは、何を見ているの。アナタは狂ってる」
彼女はわずかに、しかし男と対峙するとき常に感じている苛立ちを、怒りを、憤りをその身体に募らせた。
いつでも、彼女という存在をまるで尊重せずに物を言う男の姿は奇怪な言動の上でも変わらない。
嘲笑に似た息づかいに、彼女は声を低く荒げる。
胸に落ちる男への嫌悪を抱きとめ、男を蔑み、睨み付ける格好は、それでもかすかに動揺へ揺らいでいる。
「狂っているのは貴様だ、猫。何を求む。何を願う。貴様は只の雪だ。簡単に融かされ、
 簡単に穢れる只の愚かで浅ましい冬だ。教祖様の美しい光と並ぶなど、許される筈も無い」
それを見て尚、男は捲し立てる。べらべらと、滞りのない冷たさが流れてゆく。
若干、内で高揚しているようにも見えるその凝った光。
神を己で綴る時、男はこんな風に周囲を垣間見なくなる。目の前の彼女すら、忘れたようになる。
「・・・黙って。アナタの炎などわたしは怖くない。アナタの言葉も、アナタの姿も、わたしは大嫌い。
 神をそこまで敬うのなら、今すぐにでも神の元へゆけばいい。わたしの感情など、」
「黙れ。貴様があのお方を語るな。貴様は誰とて願わないのだろう。誰とて、求めないのだろう!」
「・・・?」
叫ぶような男の姿勢に、彼女はほんの少しだけ、あくまで素直な不信を見せた。
上目に覗き込むようにして、最も嫌う男の表情を眺める。
男は未だに強く高揚していたが、ただ高揚しているだけでなく、不思議と焦燥しているようにも感じられた。
「・・・・・・・」
彼女は、男の中に存在しているものは神に対する崇拝ばかりだと信じていた。
こちらに届く視線の不快さは何処までも自然であり、それは完全に濾過された興味だけだと信じていた。
だが、しかし、どうだろうか。
今、男はあまりに不自然な様相に包まれたまま、彼女と見つめ合っている。ただただ、頑なに。
「・・・・アナタ、」
不意に、彼女の頭に、ひとつの考えが巡った。男をこんな状況に貶めている理由。
それを一瞬に彼女は口で開きかけるが、その考えの非情なまでの愚かさに自ら惑い、隠した。
まるで唐突に刻まれた言葉。男の態度。彼女の存在。
彼女の考えに全てを導く、純情と名付けられる想いには、互いに望みも感情も欠落しすぎていた。
「・・・アナタ、やっぱり狂ってる」
だからこそ、彼女はそれを「狂い」という感覚で済ませた。
信じることなど、出来なかったのだ。目の前で、紅い唇を引き上げながら今にも口を開きかける、
男の奥底の感情も、言葉の意図も、彼女を見つめている視線のさきの、真実も。

極卒くん×おんなのこ


















期末試験


「お、せんせぇ丸つけすかぁ!えらいなーっ」
「・・・・お前に言われたくねぇなぁ」
「べつに、学生気分てわけでもねーすよ。おれだって、仕事は仕事でわりきっております!」
どさ、とおれはそんな会話のなかでおれの机におれの作ったテストをおいた。
先生はとなりで、ざかざか乱暴にテストの丸つけをしていた。
なんかまともに仕事してる。めずらしー。
夏休みが間近で、学校はいそがしいから先生もまあ、仕事に精をだしてるのだろ、
と、おれははじっこからはじっこまでふーんって感じで思う。
先生はおれのことばにこっち向いて、毒くらったような顔した。いっしょにつけた丸がゆがむ。
「お前なあ。ひでえぞ、その物言い」
「なっ!なにがっすか!ただのジョーダンっすよ!」
「冗談なー・・・お前がいうと本気に聞こえんな」
ぐるんと赤サインペンを器用に指でまわして、はずしたヘッドホンさわって、ため息。
けっこうバカにされてる言い方はカチンとくる。
けど、おれもすでに大人なわけで、きわめてつとめてマジメな顔をしてみる。
「えらいことをえらいっていうのは悪いことじゃないっす!以上!」
「なんだよ、以上って」
がたがた、やらかい椅子にすわって、先生のほうを見ないでいうせりふはなかなかカッコよかったけど、
先生はハア?って温度でおれにつっこみを入れる。と同時に70点、とテストに書きこむ。
テストはざらざらした先生の手でどんどん赤い色がはいっていく。
先生は本気になれば仕事ははやい。
そういうところがおれは好きで、あこがれってものだ。
でもそういうことを先生にいうといろいろ面倒なのでいわない。まー先生はぜったい気付いてるだろうけど。
「以上は以上っす!あー。・・・メロンパン食いたい。先生、」
「おごらねえ。俺はおごらねえぞ他を当たれ」
「だーっ!なっんでそう先回りすんすか!おれが金ないの知ってるでしょ先生!」
「バカヤロー、せめてそのテストどうにかしてから言えや」
じゅる、とよだれを出したおれのこびる目を嫌そうにみて、先生はおれを足蹴にする。
ち、とおれはすこしだけ舌打ちして、先生がやる気なさげに指さしてきたテストをみ。巨大。ぶあつい。襲ってきそう。
でもこれをどーにかすりゃ、たぶん先生はメロンパンをおごってくれる。かもしんない。いつもそうだし。
おれは机においた両手をまるめて、どん!とたたいた。
「よっしゃあ!メロンパン!!」
「うるせえよ、ハジメ」
「うるせーのがおれのポリシーです!!!」
「・・・あーあ、お前の生徒は大変だなー」
あたまの中はメロンパンでほぼ埋めつくされて、のこりを目の前のテストが埋める。
おれはばかみたいにつみ重なったテストをいきおい良く引っつかんだ。
おれだってもうフリョーな学生なんかじゃなくて、りっぱりっぱな学校の先生だ。
やるときゃやる、ってことを先生にも証明しなくちゃはじまらない。
「おっしゃー!テスト!おまえなんかに負けねーぞ!」
「何の勝負だよ」
おれは本気に絶叫した。先生はさいしょっからさいごまで、どーしようもなく、あきれるような顔をしていた。

DTOとハジメ


















万緑氷華


ダースは乱暴に資料を草むらの上に放った。
雑な赤い線が丸を描き、囲まれた文字に混ざる不可解さが気味悪さをかき立てる紙の束。
それはダースが心半分と己で言いながら、確かな感情で追っている鬼の資料だった。
「成程ねェ」
ヒトの世界にその鬼は表れ、ヒトは鬼を追うようになった。
だがヒトはヒトでない者を扱うことに全くと言っていいほど慣れがなく、
見事な建築で彩られたこの研究所で日夜行われている素晴らしい研究や実験は、
大凡鬼に対して把握の付いているダースから見れば、ままごとのような遊戯にしか写らなかった。
「・・・鴨川か」
ただ、しかし彼は、ここを管理する責任者のひとりにだけ、わずかに興味を抱いた。
鬼に喰われたという最高責任者の代行を勤める、痩せこけた男は鴨川という名前だった。
支部長室に在籍している彼は朝から晩まで研究所に張りつき、研究員を叱咤し、紙に向かって文字を連ね、
自室と化したその場所で、ひとりきりのまま泥のように眠って、日々を過ごしている。
他の視界から姿を隠し、ヒトが扱う鬼の資料とは如何なるものかという興味から研究所へ訪れたダースは、
一端では簡単な絶望を味わうことになったが、鴨川の研究室では時折、ゆっくりと目を細めていた。
「公式」として出されている鴨川の研究資料にはなんの味気も面白みも無いくせ、
研究室に散乱している走り書きのメモや、感情任せでつづったと思われるノートの内容は、
狂気と情念に脅かされた切実さに溢れており、その想いと公式資料の整然さとの落差は、
余りあるヒトの愚かさと拙さと不完全さを視続けてきたダースの興味を、段違いに誘っていた。
気の触れたような文章の、憶測の中に飛び出す真実はときに、冷め切ったダースの心を躍らせもした。
稀に気に入ったメモなどを研究所から拝借して、それが無いと慌てふためく鴨川の行動も実に愉快だった。
とどのつまり、彼は、鴨川の鬼に対する妙な執着が可笑しかったのだ。
まるでわざわざ此処に訪れる迄必死な己のようではないか、と思いながらその考えを嗤う顔は、
どこまでも穏やかな頑なさと、誰をも突き放す嘲りとが同居している。
ふわりと幽霊のように浮かびながら、郊外に立てられた研究所の中庭でダースは一人陽気じみている。
鴨川は今日も紙に占領された広い研究室に篭りきりで、一秒も顔も上げずに机へ向かっていた。
鬼に対する執着の理由などは確実に違っているだろうに、共に似た方向に進んでいるような、
奇妙に寄り添いつつも距離を保つ、二人としての一方的な関係を欠片も知らずに。

淀×鴨川


















ユーガット・メール


「ゆうびんっ、ゆうびーん!」
それは、私が田園地帯をのんびりと歩いている最中の出来事だった。
青い空が尊いまでに広がっている爽やかな朝の光にとても良く似合う清々しい声は、
あまりに呆気なく、私のふり向きを誘って私の目を丸くさせる。
「エマさーん!エマさんでしょーッ!ゆうびんっ、ゆうびーーん!!」
ざらざらした地面にぽつんと立ち止まれば、後ろではスケートボードに乗った女の子が大きく手を振っている。
私の名前を呼んで、ハンドルの前につけた袋に入っている翼のついた手紙たちを手で押さえながら、
器用に足で土を蹴って、猛スピードで私に迫ってくる。
ネズミの形をした淡い色の帽子と鮮やかなオレンジの髪の毛が、よく目立っていた。
「お手紙でーーす!止まって!止まってー!そのままっ、動かないでねー!」
既に私は止まっていたけど、彼女はそんなのをまったく気にしていないようだ。
一通の手紙を袋からとり上げ、それを高く振り上げると、天に向かってヒュッ、と投げる。
翼のついた手紙は自分の羽根の力でふわふわと頼りなく浮き上がって、弱々しく私の元に飛んできた。
けれど、雲が流れるのと同じくらいに見えるほど、そのスピードはものすごく遅い。
「うわッ、ウソ!もー!信っじらんない!サイテー!」
上目で手紙を見つめる彼女は心底不味そうな顔をする。
スケボーは止まらずに手紙を軽々と追いこして、私の目の前まで来たと思ったら、急ブレーキをかける。
砂埃がすこし舞って、短い彼女の咳を誘った。
「大丈夫?あれ、私宛の手紙?」
どうしようもなく遅い手紙を眺めてかなしい顔をしている彼女に、ようやく私は声をかけた。
まだ手紙は私の5メートル前ぐらいに居る。まったくどうにも。遅い。
「・・・アッ!あ、ご、ごめんなさい!ホントはあれ、もっと、ピューって飛んでくんですよ!
 ホント、ビューって・・・、あれ!あの手紙が、悪いんじゃないですから!」
「いや、それは、いいんだけど。あなた、郵便屋さん?」
「あっ、はい、そうです!メルです!えっと、新米です!」
新米、という単語に思わず笑う。饒舌な子だなあ、と私は思った。
あたふた慌てた様子で、彼女・・・、いや、メルは手紙と私とを見比べてばちばちと瞬きをする。
「えっと、あの、エマさんですよね?間違ってませんよね?」
「うん、間違ってないわよ。珍しいなあ、手紙なんて。誰から?」
パタパタとのどかに飛んでいる手紙と、小さくて幼くて元気な彼女はなかなか愛らしかった。
私の質問にメルは腰のポケットからメモ帳を取り出して、急いたようにめくる。
「あ・・・っと、あ、ブ・・・ブロ・・・ブロンソンさんからです!」
「へぇっ」
ずいぶん懐かしい名前が出た。
もう2ヶ月近く会ってない悪友。いい方を変えるならば、うーん・・・・恋人、だ。
彼が手紙を書くなんて珍しすぎて、きっと向こうは嵐だろうな、なんて思いながら、私は微笑む。
メルはもどかしげに手紙を見つめては、時折ジャンプしたりする。
「いいんだよ、慌てなくって。時間に縛られてちゃなにも出来ないしさ」
手紙は一度配達人の手を離れたら、受取人に届くまでもう自分でも取り返すことが出来ないんだろうか。
私はすこし遠い目をして、軽い気持ちのままで、落ち着きのないメルをたしなめた。
一瞬、メルは私を見て何故かもどかしそうにしていたけれど、
息を吸い込んで芯の強そうな顔にぎゅ、と力を入れると、私に向かって大きく口をひらいた。
「・・・それじゃ、ダメです!郵便屋は、手紙じゃなくて、言葉じゃなくて、気持ちを届けるんです!
 手紙を書いた人は気持ちを書いてて、それを早く伝えたくって、だから・・・、
 だから、あたし達はそれを早く届けなきゃダメなんです!あ、あたしはまだ、新米だけど・・・」
メルの高い声で捲くし立てられる想いに驚く私の手に、ぼす、と唐突に手紙が置かれた。
私は思わず彼女を顔を見る。
彼女はばっ、と弾けるように上空を仰いで、その後で私の手を見つめる。頬がすこし紅潮している。
「・・・届いた。よかった・・・どっか違うとこまで行っちゃったら、どうしようかと思った」
「・・・・・・・ありがとう。なんだか・・・、ごめんね」
ため息をつくように、メルは少しだけ泣きそうな顔をする。
不用意なことを言っちゃったな、と私は伺うようにメルの言葉を反芻した。
「いえ!あの!いいんです!むしろあたしがゴメンなさい!変なことずらずら喋って!」
「ううん、大丈夫。気にしないで、全然」
彼女は、要するに、この仕事に素晴らしい誇りを持っているのだ。
私の前で両手を胸の前でふっているメルは火照った頬をそのままに頭を下げた。
それはきっと、私が今思っているより何倍も、素敵なことだ。
「あ、じゃあ、あの、あたし。まだ、あんなに手紙が残ってるんで、失礼します!」
私に手紙が届いたことで安心したためだろうか。
彼女はやっと私にとびきりの笑顔を見せて、足をスケボーにかけた。
メルのいう通り、朗らかに赤い袋には手紙がまだ、やまほど詰まっている。
「うん、ありがとう。気をつけてね。お仕事、頑張って!」
「はい!ありがとございます!さよならー!!」
ショートブーツが地を蹴ると、スケボーは田園地帯を飛ぶように走って、すぐに見えなくなった。
私はずっと手を振っていた。彼女もずっと手を振っていた。
「ふう。たまにはブロンソンも、面白いもの、つれてくるね」
手にした手紙をひっくり返すと、見慣れた汚い文字。翼はいつの間にか消えている。
すこし全体を眺め回してから、封を開けた。2枚の白いびんせんと写真。あーあ、前より太ってる。
「なになに・・・・」
お決まりの文句、近況報告、バイクの調子と続いて、私のことをちょっと気にかけた文が混じる。くすぐったい。
彼が書くにしてはずいぶん長い文章で、最後にはこんな言葉で締めくくられている。
『そろそろ淋しくなってきた。会いに行こうと思う。じゃあ、また。』
「・・・え?」
会いに行く?会いに・・・来る?私のところに?彼が?今?
私は旅の行き先なんか告げていない。そもそも、この旅自体が目的もない、当てのないものだ。
首をひねって、手紙を丁寧にポケットにしまって、私は思わず辺りをきょろきょろと見回した。
けれどそこには広大な畑があるだけで、他には人の影も動物の影もない。
私は下手な冗談だと思って、メルから届けられた彼の気持ちだけを受け取って、また歩きだした。
天気はほがらかで、崩れる様子はなくて、とても気持ちのいい快晴だった。
・・・まさかその1時間後に、さっき見た写真のまんまの太ったクマが現れるなんて、
まったくこれっぽちも考えられるわけがない、それはさわやかな快晴だった。

ブロエマ&メル


















表裏


それはただ、講談師が異能に関する情報を教えないだけの話であった。
私は多少苛立っていたが、それは既に「いつもの出来事」と喩えられてしまうような、
無様で間抜けで浅はかな遊戯と同等の意味合いと化していたので、
騒ぐこともせず、厄介な来訪者を絡まった糸を遠く眺めるように放置していた。
言葉を交わせばお互いが不快な想いになるということも判っていたし、
常に気まぐれで掴みどころのない講談師の感情には甚だ以って着いてゆけないことも判っていた。
頭の隅では虫が耳元で騒ぐような、針の傷みに似た鬱陶しさが存在してたが、私は見ない振りをする。
異形の格好をした紅い炎が瞬き、埃臭い部屋の影たちをほんの少しだけ彩らせ、
講談師は低く甘く、それでいて妙に軽さのある空々しい声を独り言のように揺らせた。
私の志している諦念雑じりの沈黙を充分、理解している仕草で。
「奴は其の内、アンタを御賢察なさるんでしょうなァ」
賭け事で投げられた賽が木製の器の中でからからと乾いた音をうるさく鳴らすように、
講談師の言葉はやけに緊迫した空気をその舌に蔓延らせていた。
本に滞留する文字に走らせる視線を止めることなく、私はそれを頭の中で反復する。
『奴』。
この男が間接的ながらも、あの忌々しい悪魔のことを正面から口に出すのは珍しい、と思う。
近頃は随分まともな協力体制を敷いている所為か、今の私達はかなり事件へ踏み込んだ位置にいる。
悪魔はこの三次元世界にも、講談師が住まう異界さえも精通しているのだから、
きっと事件に深く拘る私達を敵と認知し、この存在を消そうとする・・・とでも言いたいのだろう。
そんな判りきった事を、まるで煮え切らないように濁す講談師の話し方も些か珍しいことだ。
尊大かつ自己主義的な言動で常に現実をせせら笑う男が、憐憫じみた眼に揺れる。
それは何だか不可思議を通り越して気味の悪いことでもあり、私は文字から目を離して口を開いた。
「だからどうした。お前は私を置いて消えるだろう」
声にした後で、それが随分と自嘲を含んだ音をしていることに気付き、
私は自分自身の感情の不確かさを改めてその身で実感することになったが、気にしなかった。
もうこの異形からは逃げることなど出来ない、という理解。
それを私は悪魔と対峙する状況に来てようやく実感し始めたが、講談師は今でも錘のない自由の身だ。
だからこそ、「私」を口に出す、講談師の妙な態度が気味悪く感じたのだ。
心底ぐら付いた感情のまま、私は真面目な顔をする。
いつも意地の悪い表情をしている講談師はその顔を全く変えることなく、疎かに私を見た。
沈黙をわずかに切り裂いた会話は、傷跡のような染みを残している。
「アンタは如何にも・・・莫迦正直なヒトですねェ」
そしてその傷跡は、私に向かって薄い膜を張るように嗤う、講談師の包帯によって隠される。
鮮やかに覆われた白さの先で、不安定な温度がどこまでも不穏に渦巻いていく錯覚を少々覚えた。
講談師はゆっくりと私から視線を外して、何も起こらなかったとでも言いたげな横顔を放つ。
途切れた会話には別段挟む他意もないように感じるが、それでも痞えるような違和感が心に残った。
が、その違和感の正体は掴むことも触れることも出来ない幻のようで、
一方的に始まった繋がりの曖昧さに気を取られたまま、私は無意識に指先で本の紙をなぞった。
講談師の眼は相変わらず憂いのような、不思議な感情が混じった微妙な色をしていた。
今日も異能の情報は煙に巻かれてしまうのだろうか、などと漠然に思いながら、
融けかかった黒曜石のようなその眼から視線を離せずにいる私はどうにも、愚かだった。

淀×鴨川



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