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春眠盛夏


「告白するの?」
「エッ」
「しないの?」
思わずおれは動揺してボールをこの手から落として、彼女は刺すような目をおれに向けた。
それは部活が始まるだいぶ前の時間で、彼女は部活とはまったく無関係の人間だった。
「えっ。いやっ。き、キミには関係ないでしょ」
静かでだだっぴろい体育館に響くボールの音はあまりに大きくて、
おれは少しだけビックリしたけど、顔には出さなかった。けどたぶん、ばれてた。
「いつも見てるじゃない。彼女の事」
そんなおれの格好をクールに流して、彼女は視線でボールを追う。
全体的に色素が薄めな彼女はかわいくて、きれいで、まるでヒトじゃないみたいだ。
まあ、うちの制服を着てるから、ヒトじゃないってことはないんだろうけど・・・。
「見て・・・・す、好きなのと、告白すんのは、違うでしょ!?」
おれはすっかり子供っぽいカッコで、壁にぶつかって跳ねるボールを拾いにいって、
冷たい目をこっちに向けてくる彼女の視線をどうにかよけようとしながら、大声で言った。
彼女のいう「彼女」はおれが好きな人で、部活のマネージャーだ。
でも、おれと彼女は実のところたった今知り合ったわけで、
そんでもっていきなりこんな話をされたわけで、要するにおれはアタマが混乱してるのだ。
「・・・違わないわ。言わなければ後悔するもの」
でも彼女はおれのことなんかなんにも気にしてないみたいな、ずっと真面目な目で、
おれの行動を追いながら、氷のような・・・妙にさみしい口調で喋る。
「い、言って、それで、ふられて・・・傷ついた方が、おれは後悔すると思うけどっ」
なんで、今知り合ったような関係のおれたちがこんな話してるのかなあとか思いながら、
ふと壁の大時計を見ればほとんど時間は経ってないように見える。
手にしたボールはひやりと冷たくて、それは彼女のヒトっぽくない髪の毛とよく似ている。
「・・・それは違う。自分の感情を殺すことは、つらいことよ。傷つくことより、つらいこと」
彼女はずっとそこに立っていて、おれを見つめていた。
開け放した扉からは外でほかの生徒がうるさく騒ぐ声が聞こえてきていたけど、
彼女が口をひらいた途端に周りの全部の音が消えていくみたいに、彼女の声がおれに届く。
風が吹いた。
春のはじめの少し寒い風はおれの肌も彼女の髪も同時になでて、彼女の髪を舞いあがらせる。
「傷つくことより、つらいことなんか・・・・」
おれはそれに少し見とれた。綿菓子みたいな色だなあと思った。
彼女のすべてはなんだか今にも壊れそうな感じで、胸がざわざわ鳴った。
散った桜が体育館まで入り込んできて、変な映画のようだった。
「いつか分かるわ。貴方にも、きっと」
そして彼女は、なにもかも知ってるような顔をして、ほんのわずかにほほ笑んだ。
それは出会ってからまだ全然時間の経ってない彼女の見せるはじめての笑顔だ、とおれは気付いて、
ぼうっとしたまま、そうやってヒトみたいに笑う彼女を見ていた・・・んだと思う。多分。
なぜかそっから、おれの意識はあいまいで、おれがはっとすると、彼女はもういなかったのだ。
気付けばおれは体育館でひとりぼっちで、ボールを抱えて突っ立っていた。
時計を見るともう1時間半経っていて、おれは首をかしげて、きょろきょろと彼女の残像を探していた。
外はうるさくて、あちこちでもうすぐ部活がはじまりそうで、彼女はもう、どこにもいなかった。

翔&硝子


















エラー


「アナタ、ヲ。コロシニ・・・キマ、シタ」
それは途方もない誰かの、とても安易な差し金だったのだろうか、
と今になってはなにも分からなくなってしまった疑問を、アンテナ屋は抱いていた。
遠い異国の地で旧世代戦争の主力兵器となっていた「女」の残骸をアンテナ屋は知っていたが、
それとは全く異なる容姿はどことなく、こちらの世界の形と結合しているような身姿をしている。
新緑のようなからだの色が、虚ろにかたどられた深い色の水晶の目玉と重なって、
今、季節として仰ぎ見ることの出来る春を、憂いでいるようにも見える。
『お人形遊びに夢中だなんて、可笑しな人なのね。』
懇意にしている取り引き先の、アンテナ屋を贔屓している娘はそんな事を言っていた。
幼い嫉妬だと誰かは笑っていたものだ。
アンテナ屋は腿に包帯を巻きながら、目の前で濁るように座っている「それ」を眺めている。
「貴方は誰なのだろう」
つぶやく言葉は何度目かの再生音にも似ている響きだった。
乾いた温度が疑問を冷やし、違和感だけを連れてくる。
ツインテールを結んだ鋼鉄の少女の形をしたそれは、巨大で不恰好なモーニングスターを連れて、
アンテナ屋の前になんの前触れもなく訪れ、手にしたその巨大なものを彼の正面で振った。
可憐で機械的な、猟奇と愛の混じるその台詞を吐きながら。
「・・・ア、・・・・ピ・・・ピピ・・・」
しかし、既にその新緑の身体は自己からの破壊というものに蝕まれ、意識はない。
今はどこかの倉庫にアンテナ屋が引っ張り込んだ事で、辛うじて現在の境界に揺らいでいる。
アンテナ屋はモーニングスターの力で1ヶ月は悲しい状態になっていたが(そのとき娘は狂乱した)、
回復するがいなや、「それ」が何なのかを確かめるために全ての気力を注ぐ生活を続けている。
今でも時折おそろしい狂気は姿を表し、アンテナ屋に危害を加えようとする。
だが、それでも、と文献を漁り、アンテナ屋はその少女に似た塊を、何者なのか、と特定しようとしている。
その想いは何だろう。執着だろうか。混乱だろうか。願いだろうか。
祈るような感情の底で導かれる、真実だろうか。
薄暗く灯りもない倉庫の中で、アンテナ屋は今日も「彼女」と対峙している。
死の匂いを散らかして、鉄の内臓をその腹からむき出しにする、
純情な娘に似た「彼女」のひとみの奥に視える本心を掬い出そうと、低い温度で動いている。

アンテナ屋とニコラシカ


















八方げんか


「・・・・・」
「・・・・・」
大体にして長い時間、二人は向き合って飽きもせず固まっていた。
時々訪れるちいさな問答以外の掛け合いは存在することを拒否していて、
そこには、ただ閑散とした、しかもきわめて下らない諍いがあるだけだった。
外はこの地域特有の季節風が吹き荒れていて、窓から見える木々は大きくしなって揺れている。
すべての問題はきっとこの強風から生まれてしまったのだろうが、
当人である風自身は、まるで気にする様子なく乱暴に木の葉を舞わせていた。
「いい加減折れたらどうだ」
そしてまた一言、ちいさな問答の発端になる言葉が呟かれる。
言われた方はいつものような仕草でねじれたままの表情を崩さず、売られた喧嘩を丁寧に買う。
「何度も謂わせて頂いて居りますが?判らないヒトですなァ」
まったく憮然といえる顔つきは、納得していない証拠ってものだろう。多分。
様々な実験器具その他がひしめく長い机に立ってゆるく背を預け、
先に言葉を発した方・・・とどのつまり学者は、組んだ腕の人差し指を苛立たしげにとんとんと動かす。
「お前が言い出したくせに、お前が、勝手に止めると言ったんだぞ。どう考えても、お前が悪い」
あらかじめ決まっていた約束をすっぽかされたような物言いは、
そのままのストレートすぎる互いの問題を嫌になるぐらい如実に表していて、
喧嘩を売られた方・・・ようするに講談師はその提起に対し、
おおよそ十割ぐらいは自分自身に非が有るだろうことだというのに、
そのどうにも厄介でひねくれた性格のせいなのか否か、
まったく以って自分は関係ありません、という態度で先程からこの状況に挑んでいる。
「だから再三主張して居るんですがねェ。外郭の世界を御覧なさい。ありゃア無理です」
ちょうど学者を見下げる格好になっている講談師は自分の位置の真っ正面、風吹きすさぶ窓を見る。
その風と講談師の容姿を重ね合わせてみれば大体のご察しはつくだろうが、
それは彼らの年齢としてあまりにもバカバカしい理由なので、その辺は省かせて頂きたいと願う。
とにかく学者は講談師の悪びれない態度にますます業を煮やしたか、声を荒げて反論する。
「何だ大口を叩いている異形のくせにあれしきの風でへこたれるのか。
 そんなものでは淀川の思う壺だぞ、お前こそ分かっていない!」
反論ついでに腕が出た。腕が出て、指が出た。
学者は勢いあまって講談師に人差し指をズバリと突きつける格好となって、
なんだかそれは妙に偉そうで、身なりそのままの学者という職業にぴたりと当てはまったポーズだった。
「全く、如何してこの状況であの阿呆な輩が出てくるんですかなァ。
 アンタこそあの風にでも当たって、その沸いた頭を冷やしてくりゃ好いんじゃないでしょうかねェ」
しかしたかがヒトの暴言にも動じないのが、闇の独立者たる講談師の所以だ。
何もかもを受け流すように学者の声と指をはね付けて、さらりと窓の外を指差してみる。
格子のガラスがやけにうるさくガタガタ言って、とっととそれを終わらせろと叫んでいるようでもあって、
少し頭に血の昇った学者は突き刺したままの指をタクトのように上下に振ってやや大声になる。
「なんだと!貴様はいつもそうやって、私を焚き付けるような事ばかり言って!
 今回の事だってそうだ!気に喰わん!気に喰わんぞッ!!」
大口を開けて次から次へと際限なく出てくる言葉に、さすがにうるさい、と講談師は思った。
学者は喉から声をふり絞って一気にまくし立てたせいか、その息を荒げている。
伸ばした腕がだらしなく力を失って落ちて、小さな眼鏡があっけなくずれる。
「学者様、御疲れじゃございませんか」
その学者の格好はなにかと滑稽だったし、このあんまりに意味のない罵倒ごっこも滑稽だったので、
ぜえぜえ喘いでいる学者の姿を見て、講談師は飄々と笑った。
外はいつまでも飽きることなく強風が吹いていて大変だ。
こんな風さえ吹いていなければ、厄介な同行行脚もずいぶんスムーズに進んでいたことだろう。
それでも今日は大風で、その講談師の言葉にまたもやカチンと来た学者は声を張り上げて、
講談師の身体はいつものとおり枷だらけの異形のまま、そのうえ何回目かの小さな問答はまだ続きそうで、
そろそろ窓枠は呆れと諦めのなかに身をゆだねて、風に当てられた音を高く震わせることに集中しはじめていた。

淀×鴨川


















油脂の海


「教祖様。もう一度仰って下さい」
やたらめたらに冷え切った空間が、そこにはあった。
一人は軽く己の頬を叩いて微笑んでいて、一人は気味の悪い破顔をしていた。
同じ笑いであるというのに、その温度はひどい剥離をしたまま、そこに滞在している。
「ああ、そうだな。変化してるって言ったかな」
頬を叩く人物はまるで闇のように暗く、人の形を成しながらもどこか絵のように輪郭をまとっていた。
「ご存知でしょう教祖様。憂いの雅は何に劣ることもない存在ですよ」
にやにやと笑いつける男は白墨をぶちまけたような肌の色をして、紅く彩られたその笑みを絶やさずにいる。
「でも、お前の想いは勝手に動くよ。多分、かなり早く」
闇は長く垂れたマフラーを一度手に持って、なんともなく離す。
影のような色合いが、醒めた空気の中でふわりと風を誘う。
白墨は笑いを張り付け、しかし闇の言葉に凝固するように止まり、視線だけで闇を見上げた。
畏敬と悪夢の入り混じるその目線は黒さの中に閉じ込められたまま、氷のように凝っている。
「自由は餌食です。教祖様はそれをご理解せず冒されているだけです」
ポケットの中に手を突っ込んで、闇はその呟きへ問うように首を傾げ、肩をすくめた。
白墨の発する言葉はいつでもこの感情を毛羽立たせるようで慣れないと、無表情に感じながら。
「悪い事じゃねぇよ。少なくとも、こっちにとってはな。紛れもない善で、紛れもない愛だろう。それは」
チリチリと、あざやかな輪郭はぶれて、星が弾けた眩しい光を残す。
墨に汚されたようなスニーカーで、地面のない地面を擦り合わせながら闇は唇を開く。
愛と善。
棒立ちになり、言葉の度に白墨は瞳孔を開かせていたが、その単語の直後、大きく闇の声を裂いた。
「滑脱の理は蠅の腸にしかならない。教祖様は狂いに身を投じているのです。不遜に溺れています」
「・・・俺は善だ。だから、抱えなきゃいけねえ。お前のそれも、あるいは、あいつのそれも」
早口で紡がれ、叫ぶように消費されていく声を闇は睨んだ。
否定にある種の真実が絡みつき、歩くような速度で乖離に似た核心が揺れる。
刺すような眼に変わる白墨の身体は、あからさまに熱を帯びていた。
見開かれた瞳の中でまぼろしのように繰り返される、ただひとつの姿。
それは、白墨がもっとも蔑んでいる感情の底でひとり、いびつに呼吸している。
そう、闇という目の前の存在が、その身体で一心に受け止めている慈しみや、愛や、善、そのものとして。
「何故あの愚劣な娘の事を口に出すのですか教祖様」
心底憎しみを帯びた言葉で、白墨は笑みを少しだけ崩していく。
鉄壁なまでに造られた檻の決壊は、世界の歪みを助長させる。
ずぶり、と闇の片足がタールのような地面に沈んだ。
気付いたように、闇は己の足元を見る。
少しだけ顔を歪ませ、しかし、すぐ白墨に視線を合わせると、わずかに口を緩ませる。
「・・・やっぱりな。俺は、揺れてきたんだろう」
今一度、仮面のような笑みの中で感情を隠し、ある場所では神と呼ばれる闇の笑いを、白墨は見た。
何も変わる筈は無いという頑なな思いがこの場所で具現化しているように、
闇の片足はまるで簡単に沈んでいく。何者かが下から縋りついている懇願にも思える。
「教祖様、貴方が揺れる時など永劫に訪れる事はありません」
それは、白墨の容易いそれと似ているのだろうか。
他人事のようにその光景を眺め、ぼつりと白墨は口にして闇に向かい一礼した。
既にもう片足を含め、地面はほとんど闇の身体を蝕んでいる。
それでも闇は確信を獲たように、微笑んだままだった。
「いずれ、分かるぜ。お前の真実は」
そして、闇はそのまま、地面という陽炎の中に飲み込まれ、消える。
静寂と混ざった濃い蛍光の光が、未だに空間を支配している。
一呼吸を置き、白墨は黒ずんだ指先を握って、そのまま、踵を返した。
溶けるような暗幕に、その身を隠して。

極卒くん&MZD


















稲妻のたわむれ


「そう謂えば、学者様は一人身でしたかなァ」
「・・・なんだ、急に。気味が悪い」
鴨川が一生懸命に万年筆で文字を掻きつけている最中に、その質問は産声を上げた。
ダースは何本もの試験管につまった赤茶の液体をじつに興味深く眺めていて、
時折それを横側からガラス越しにこんこんと叩いて、その都度鴨川に叱られていた。
「あ、いえねェ。気になったモンで」
重さのない、いつもの怒りをまったく気に留めない様子で、ダースは空々しく実のない返事をする。
特になんの意図も無いというような平坦さはつまらない感情ばかりを助長させて、
鴨川は癖のある文字を誰にも知られることのない場所で少しだけ歪ませた。
「一人身だ。悪いか」
「へェ。一人身ですか」
自尊心の高い鴨川の事だから、きっと理論ぶった妙な台詞でそれをかわすだろうと考えていたダースは、
やけにわざとらしく、自嘲的に吐かれた鴨川の言葉に思わず振り返る。
「なんだ。お前が聞いたんだろう」
そうすれば、屈むぐらいに紙へ視界を近づけていた格好をいつの間にやら頬杖にし、
ゆったりとした表情でダースの視線を受けとめる鴨川と真っ直ぐに眼が合う。
瞬間的な沈黙と、瞬間的な感情の交錯がお互いの会話をすり抜ける。
万年筆のインクが一箇所に留まって、真珠の粒のような黒点を残している。
「・・・まァ、そうですな。一人身ねェ。また淋しい事で」
その鴨川の表情は珍しいもので、ここに存在している不可思議な空気も含めて、
なにやら妙な事だ、とダースは思いながら顎へと手をやってみる。
別に答えを聞くこと自体が目的では無かったような気もする、という平坦な温度は、
これ又、馴れっこのからかいに似た突拍子のないふざけ合いを望んでいたのかもしれない。
「淋しい、か」
だが鴨川はすこし重みのある万年筆を弱く弄び、温く紙に這わせたまま、
ダースの眼から視線を離さず、呟くように言葉をつなぐ。
「お前も、たまには、似合わない言葉を使うんだな」
やけに賺した瞳とぬるく柔らかな口調は、実際、確かに珍しい。
頬杖の気だるさに身を任せ、器用に指先を撓らせる鴨川の姿は饒舌だ。
奇怪な質問に彼が正直に答えたのは、それもまた、ひとつの偶然なのだろう。
首を傾げるように冗談めかして見せれば、ダースは何の事やらと疑りの眼を向けてくる。
淋しい、と心の中で呟いてみれば目の前のでっぷりとした姿とその感情はまるで剥離していて、
そんな事を考える自分は、淋しいという所からは随分遠く離れた場所に来てしまったみたいだ、と鴨川は思う。
そう思えば、じんわりと可笑しみが胸の中に広がってやんわりと溶けていき、
鴨川は無意識に、低く笑った。唐突に浮かび上がった笑い声に、ダースが訝しげに眉を曲げる。
「何が、可笑しいんで」
「いや、なんでもない、」
咳をするように肩を揺らせ、いきなり笑いだした鴨川を訳の分からないという様子で見つめ、
ダースは途切れた会話を放り出して、目の前の疑問に渋く顔を歪める。
彼が吐いた言葉はいつの間にか掛け違えたボタンと同じような揺らぎを見せて、
豊かな顔で笑い声を上げる鴨川の、柔らかな表情を生んだ。
不満そうな眼をそのままに、ダースは腕を組む。
なにが珍しいものか、と半ば自棄になったように、鴨川の言葉をなぞりながら。

淀×鴨川












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