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美しい光


雨が降っている、と旗手は思った。
鉛を溶かした厚い雲の中から、頼りのない霧のような雨が旗手の持つ青い旗を濃紺に変え、
ベンチに座っている旗手の身体を重い水袋にするべく奮起している中、
空を見上げたままの格好で雨を受け続ける旗手は声も上げず、その場所でじっと固まっていた。
「・・・・」
両手に握る、赤い心臓を付けた旗は重みで頼りなく揺れ、旗手の覚束ない腕に諦念を抱いている。
広場に人はなく、ぼやけた街灯がうつろいの光を哀しげに灯すだけだ。
どこか異国を思わせるあでやかな建築物は空の灰色に支配されて、彩を失っていた。
旗手はまったく動かず、雨の抱擁を一心に受けて唇を噛みながら時折瞬きをする。
まるで、世界からひとり孤立してしまったように。
「・・・・。」
ぱしゃり、ぱしゃりと、水たまりを踏む音がする。
傘を差す太ったライオンが、動きにくい身体を器用に扱いながら歩いていた。
世界に遺るただ一人と化した旗手の元に、迷うことなくまっすぐ進んでいく影が、薄い水面に写る。
止まった時間に乗り込む肉食の侵入者は堂々とした風格を見せて、
ベンチの正面に立つがいなや、鮮やかな色の傘をずいと旗手の眼上に差し出す。
「風邪ひく」
「!」
唐突に灰の景色から眩むような原色に変化を遂げた景色に旗手は混乱し、跳ねるように身体を起こす。
そうすれば口を曲げながら皮肉っぽく笑って腕を伸ばすライオンと眼が合って、
その衝撃に旗はバランスを無くし、簡単に腕からこぼれて地面へと落下した。
「旗、まだダメなん」
激しい音を立てて地面に投げやられた旗をちらりと見やり、ライオンはぼやくように喋る。
まだ眼を見開いてぽかりとしていた旗手は、その言葉に漸く我に返ったように憂いげな顔に戻った。
「・・・・」
「ダメなんね」
返す言葉が消えているのは、安い結果を導き出すのに丁度良かった。
小さな傘からこぼれた体を半分づつ濡らしながら、ライオンは旗手を見つめ、旗手は傘の骨を見つめている。
休日のテーマパークは閑散としていて、やはり人の気配はない。
暖かく厚い生地に染みていく冷たい雨水を足元に感じながら、
雨が降っている、とライオンは思った。

エレクトリカルパレードミミニャミ


















ディレッタンティズム


「おまえさー。いつ、弾くの?」
べしゃ、とたわんだ身体をタローは机にだらしなく預け、
乱暴かつ怠惰に窓を閉めているナカジに向かって、屈託なく聞いた。
その言葉に少しナカジは時の流れをストップウォッチで止めたように動かなくなって、
けれど、そんな夢みたいなことは有り得ないと言わんばかりに再び動きだす。
秋空のかげる雲は教室の風景画から逃れたいようにやけに高速で流れていって、忙しない。
バタンバタン、と合図もなく一枚ずつ呼吸の弁を閉じられていく風たちは冷たさを濁らせる。
器用に片手で鍵をしめるナカジの左指には包帯がひとつ、ふたつと乱雑に絡みついていて、
それはもう、誰もが随分前から見ていたような無垢な白さをしていた。
「・・・無理」
ナカジは湿った声で、一拍遅くタローの疑問を一蹴する。
軽い物言いの上ずりはいつものように低くくぐもっただけの色彩だったが、
大体にして底の見えない浅黒い暗さも帯びていて、あまりに簡単な絶望を表してもいる。
「無理かなー。無理なんかなぁ」
覆いかぶさるようにして、タローは自分の体を机ごと抱え込んでがたがたと大きな音を鳴らす。
意識はしているものの、心からどうにかしようと考えている形ではないように見える。
だからタローの声はいつでもふらふらと頼りげのないシャボン玉みたいで、
けれど一番大事でところで割れてしまうからべらぼうに強い、と別にタローを見ずにナカジは思う。
夕焼け空はガラガラと切なげな色だけを残して、もう教室にはこのふたりしかいない。
「無理だろ。どう考えても」
全ての窓を閉め終わって、ナカジはようやくぐるりとタローの方を向いた。
タローはナカジをずっと見ていたので、そこでふたりの視線はようやく合うことになる。
ガタ、とタローは身体を起こした。どちらともない真面目な視界が、変に流れる。
「それ、おまえが諦めてるからでしょー」
手持無沙汰なその指を見れば、前と違うぎこちない動きをする。無垢な白さが笑っている。
タローは真面目な空気に乗った。わざと棘をまとった言葉をはいて、嫌な顔をした。
無理、とあっけなく這いずってきたその悲しみの厚さには太刀打ちが出来ないようで、
ナカジを微妙に罵って、微妙に殴りたい気持ちが沸いたが、すぐに掻き消えた。
「諦めさせろよ馬鹿」
そのタローのしかめ面に、ナカジは同調するようにわざとらしく嫌悪を示す。
鬱陶しいすべてに、なにもかも邪魔な世界に、何百回唾をはいてもきっと消えない思いを抱いた。
お前になにが分かる、という敵意をむき出しにもした。
乱暴に言い放って塗りこめる毒。
起こしたタローの目と顔は、ナカジの言葉に支配されたようにこわばる。
吐いた言葉を拾いもせずにナカジは苦しみに近づいたままタローを睨んでいた。
いつでも即効性だけで終わるその毒は、きっとナカジ自身にも作用してしまっている。
「・・・おまえ。サイテーね」
けれどいつでも、大体先にタローの方が引き千切られた赤い糸になっておびただしい色を遺す。
それはいつでもどこかにある淋しさと似通っているのかもしれない。
手を差し伸べているわけでもないのは、そこが自分の踏みこむ領域でないということを知っているからだ。
その毒が、どんなに空しいことかを知っているからだ。
茜の射す大地によごれた染みを残すように、タローは下らないことばを呟く。
そして、机を手のひらで叩いて、鞄をガシャリと取って、ぐるりと振り返って、教室を出ていく。
ばたばた、ばたばた、満足に履けていない上履きが廊下と雑にキスをする。
がらがらの学校という場所に、ひとりきりのタローの足跡だけがぼうぼうと広がっていく。
世界ぜんぶが敵に見えて仕方ないようにタローは感じた。
ナカジはそれをぼうっと視線で追って、そのあとでにわかに自分の左手を見つめた。
見慣れた包帯。無垢な白さ。どこまでもぎこちない音階。
自由に動かない手は、自由に自分を魅せることを阻害していって、
それはなんだか余りにも不自由なことだったのだなあ、とナカジは改めて気付いたように、
タローの座っていた優しい机を見て、無性に悔しげな顔をした。

タロー&ナカジ


















唐変木抄


ダースは今日も、うらぶれた遠い街の薄暗い一室へ来ていた。
あまり日の入らない四角い部屋の中でずる、と長い着物が地を這って、
それはまるで擦れた床にこびりついた血痕のように、暗赤色を影と共に残している。
出会う筈の人物はそこに居らず、研究室は行き場のない空気に汚染されていた。
もう何度も訪れているこの小さな箱は彼にとってすっかり見知った風景となり、
何処とない枷のような重さが、どの存在にも捕らわれることのないダースの意識を、少しだけ揺すった。
暫くすれば待つ人物も、あの猫柳のような不安定な視線をして現れることだろう。
断りもなしに人の研究室に勝手に上がりこんで、と毎度のことのように怒鳴り、
痩せた細い身体で紙切れたちをダースに渡すのだ。きわめて、乱暴に。
そんな容易く想像できる姿を泡の様に思い浮かべ、ダースは一人、起毛のように笑う。
鬼という生き物、異能という力をこの地に見出した時から、随分と状況は様変わってしまった。
彼自身を取り巻く環境も、感情も、行動も、心理も。
徐に机を撫でればやけにざらりとした砂上のような感触が赤い光と摩擦を起こし、
同時に、横目の奥でノブを回し、扉を開ける音が聞こえた。
「・・・お前、か」
ゆっくりとそちらへ視線をやれば、大量の紙束を片手に抱えた男が、
ドアを開けたままの格好でダースを心底忌々しげに、敵意に満ちた眼で見ている。
出会う筈だった人物の、軽々しいご到着だった。
「今日は、学者様」
羽根を撫でるように机から手を離し、ゆるりと腕を組んでダースはその男・・・、鴨川を呼ぶ。
短い間、鴨川は睨みに任せて突っ立っていたが、諦めるように眉を顰めるとドアを片手で閉め、
不恰好に歩きながら部屋へと入り込んでくる。
見慣れている部屋の見慣れている姿。それは、彼の瞳の中であまりに無防備に写る。
「昼間から何の用だ、異形」
ダースからなるべく距離を置くようにして、鴨川は抱えていた紙束を机の上に放り投げる。
薄く段に広がる紙は雪崩を起こし、そこから覗いた文字からは異能という単語が霞んだ。
「・・・ええ。其方を戴きに」
すぐさま返事を返したダースは、今し方鴨川の投げた紙束を指差した。
曲がった顔をする鴨川の表情を見たい気持ちもあったが、異能に関する資料を獲ない訳にはいかない。
椅子に座りかけていた鴨川はその言葉を聞き、軽く押さえるようにして紙束に手の平を乗せる。
「・・・完成していない物を差し出す趣味はない」
曖昧なルールで決められた取り引きの公約を破る事は一方では容易かったが、
今までこの男から毟り取れるだけの物を奪い、与えられる物を殆ど差し出してこなかったダースは、
痩せた指先ひとつひとつが乱暴に紙を犯している妙に猥雑な姿をなぞり、それを承諾する気分になった。
「随分とまァ、御丁寧な事で。勝手に御苦労為されるのなら、御好きにどうぞ」
見知った風景は、お互いの弛んだ視界を満たすことはない。
しかし鴨川を視るダースの視線は暗がりの中に居付いたまま、確実に深く、満ちている。
「私が、・・・貴様に、従っているばかりだと思うな」
疑心の内をあからさまに軽く明かし、鴨川は資料から手を離さずに椅子へと腰掛けた。
吐き捨てるような物言いは、一片で藁に縋ることを拒むような抗いとわずかな脆さを秘めていたが、
それでも、まるで気丈な格好をして、融けかかった鋼の様相を見せている。
「へェ。貴方も中々愉快な事を仰る」
それを見て、化けるのが下手なものだと、心内にダースは思った。
だが、何かから隠れるように、何かが暴かれるのを恐れるように、
巧く化けようとここで道化師のように立ち振る舞っている自身の方が余程滑稽だと、
こちらを眼差し無作為な怒りを中てている鴨川を眺め、穏やかに自嘲した。

淀×鴨川


















転調打木


黒いドレスが鴉の羽のように揺れているのを、俺は見ていた。
俺は動けるような成りをしていなかったし、そのドレスも微動だにしていなかった。
「俺に会いに来たの?」
俺は聞く。ドレスに声をかける。
不自由に広がる視界からは白い足と白い花が見える。
「貴方に・・・・?」
随分透明な声だね、と俺は思う。
ゆがみのない良く通る声は、俺じゃないような奴によく合うんだろう。
そう、例えば、あのしわがれた黒い悪魔のような奴に。
「違うの?俺はずーっとここに居るけどさ、別に面白いもん、ないよ」
埃にまみれてると思われる俺の姿はきっと不恰好だろう。
ドレスの顔は整ってて綺麗だ。
でもその眉はすぐ、不可思議そうにへの字に曲がる。
「・・・頼まれた、の。神様。ご存知でしょう?」
まるでオブラートみたいな声は、俺に届いて美しく溶けた。
ドレスはゆっくりとした仕草で手紙を差し出し、
はなから手足の失せている俺の目の前へと手紙を開いてくれる。
俺はそいつを覗き込んで、暗い光から文字をかすめとった。
 『お前の所に黒い奴(目の前に居る彼女じゃねえぞ)が向かってる。注意しとけ』
「・・・・」
手紙には、それきりの一文が書いてあるだけだ。
俺は手紙を差し出してくれているドレスの目を見て、どうなの?という視線をふった。
神、つまりMZDのことは充分知ってるが、黒い奴と言われて思い出すのは、
しわがれジジイと目の前にいるドレス、ぐらいだ。
こんなへんぴな場所のつぶれたジャズバーに来るやつなんて、一人も居ない。
「・・・あんたは、知ってるの?この、黒い奴」
俺が尋ねると、ドレスは首を横に振った。
「知らない・・・わ。わたしは兄さんに頼まれて、神の願いを、聞いたから」
両手をへその辺りで組んで、憂いげに喋るドレス。
あいつが手紙を書くぐらいなんだから、このことはきっと重要なことだ。
俺はどたんと太鼓の音を鳴らして、ドレスの注意を引いた。
「おい、あんた、早くこっから離れた方がいいんじゃないの。あいつ、注意しろってよ」
「・・・大丈夫だと、兄さんは言っていた。わたしの歌があれば、と」
途切れ途切れに喋っていたドレスは、俺の言葉に急にはっきりと物を言う。
どこか霧に阻まれてたような目も醒めて、こっちをじっと見つめてくる。
「へえ。・・・うた、歌えんだ?あんた」
強気な口調に少し興味を持った。
どこか唄うたいのような成りをしてる感はあったが、
ドレス自身の口からそんな言葉が出てくると思ってなかったから、聞いた。
歌なんてしばらく聴いていない。
俺の存在してないような耳を支配してたのは、自然が奏でてる音だけだ。
「・・・唄えるわ。私が唯一、誇れるもの、だもの」
強く唇をむすんで、ドレスは言った。
俺に誇れるものなんてあるんでしょうか、と考えたけれど、
ぶっ壊れかけた身体に貼りついてくる尊厳なんか、まるでないことは分かっていた。
俺は青ざめた顔を出来るだけわかりやすくへこませる。
「・・・じゃさ。聞かせてよ、歌。あんたが大丈夫っていうなら、ここに居んだろうから、ついでに」
多少のこびへつらいは似合わない。
けど、俺はドレスにむかって融解してみた。
今の俺に必要なものは、こういう透明さをもった声だ。
あぶない黒い奴を歌だけでどうにかできるって意味も知りたくて、俺が表情微妙に笑うと、
ドレスはすこしだけ驚いたように俺をまじまじ穴があきそうに見た。
「・・・うたって、良いなら」
呆然の直前の瞳を見せたあと、ドレスはこくん、と頷いて喉にふれた。
白い花がまるで情景深く、ふわりとゆれる。
どこまでも白い肌はやっぱり美しいね、と俺は思った。
ドレスが口を開きかけたときにシンバルを鳴らす。
あまりに使われていない金属の音が鳴ったが、妙に丁寧に空間へ響いた。

ドゥーム&かごめ


















心意剥離


「別に、学者様と共闘するつもりは御座いませんでのねェ」
目の前の異形は、私に向かってにやにやと言い放った。
そのあまりに人間とかけ離れた姿が、視界を無遠慮に遮っている。
机に散らばる私の無数の資料は奴の手で汚され、しかし奴の出方ひとつで輝くのだ。
事実は奴と同じ、嘲るような笑い方をしている。
「それは、・・・・私とて、同じだ!」
それが私は気に入らなかった。吐き気がするほど気に入らなかった。
濁る言葉が空間を舞う。私のすべてに嫌悪がこびり付いていく。
暗い部屋にうっとうしい明かりを灯す奴の身体の炎が、ぐらりともたついて揺れている。
「嗚呼、其れは何よりですなァ。以前の強情な学者様とは大違いだ」
異能の糸口を掴み、奴が私の前に現れた時からこの下らない逢引は続いている。
私の資料が奪われるたびに私の中では知識が広がり、奴が現れるたびに私は奴に冒されていく。
どこまでも無防備な悪循環が、容易く私を苛めていくのは当然だった。
奴の顔を睨みながら、私は追いつめられ逃げ場を無くした獲物のように吠える。
「煩い・・・!もう、私に介するな!失せろ!」
ひゅう、と風のない部屋で炎の先が蛇のように動く。
奴は薄くいやらしい笑いをもっと深くして、ゆっくりと私へ近づいて来る。
初めて奴と出会い、言葉を交わしたその瞬間から、私は気付いていた。
淀川ジョルカエフという存在は人の力だけではどうにもならないと言う事を。
異能という力が、人間の範疇を超えたものであると言う事を。
しかし、私は私自身の力であの化物を捕らえる事が出来ないという事実を、認めたくなかった。
「随分粘りますなァ。貴方は愚かな程賢い。凡て、知っておられるだろうに」
寸前まで迫った異形の姿が大きく、私を捉える。
何もかもを知る眼。何をかもを絶つ眼。
背にしたぬるい空間を放棄したまま、荒い心音が速度を上げる。
乾いた口腔が湿り気を求めた。抗いと同じ温度の蔑みが私と奴を支配する。
・・・そうだ。私は、知っているのだ。
この異形が居なければ、私という存在さえ今すぐ無に帰すだろう言う事も、
既に、この異形の力に私が愚かなまでに魅了されつつあると言う、事も。

淀×鴨川


















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