水を獲る


見下ろした視線の先。暗がりの光。跳ねる声と、ひくつく身体。
痙攣した空気が肌の周りで寒さを産み出して、吐いた息を白く彩っていく。荒く広がる。
ギシギシと音が鳴り、満たそうと願う心が粗ぶった力を持て余していく。
「・・・、・・・」
呼吸だけが重なる。目の前にあるものだけを、数センチの距離で弄っていくのは、思いの他、快感だ。
雪を擬人化させたような白い肌が一々反って、一々鼻に掛かった声がついてくる。
そこに一々赤い模様をつければ、それはまるで下らない軌跡になっていく。
こめかみ。頬。耳。首。鎖骨。胸。肋骨の上。へその横。腿。
とりわけ顎の下に多く落とされている赤い色を抱えたまま、瞳のない視線だけが見上げてくる。
喉が震える。胸が上下する。
剥き出しになった肌は、暴力的に卑猥だった。
俺は群がる。ひとりの正しい獣のように、獣のシルエットをした身体を蔽う。
最高に手触りの悪い、水分の抜けたぱさぱさの金髪。
だぶついた服を脱いだ骨と皮ばかりの身体。
少し割れた爪。獣が混じった鼻。
いつも寒さばかりに支配されていたそれらは、今、俺の視線の下で確かな熱を持っている。
「・・・っ、あ、・・・」
不意に、高く声が上がる。
思わず顔を見た。醒めきった肌の色が、今だけサクラを模している。
こっちを見て、頑なに見て。何度か乱暴に繋げた唇は俺を捉えて、そこで少し切なそうに歪んだ。
「・・・、」
そして、その口はゆっくりと開く。
瞬間の沈黙。
「っ」
吐息と一緒に囁かれたそれを聴いて、俺は一瞬でどうしようもない気分になった。
この、真下の、バカな鹿が呟いたのは。
その掠れた、湿った唇が形作ったのは、紛れもなく、俺の名前、・・・だったからだ。
「・・・お前、この野郎」
いつも届いている筈の名前が、こんな時にばかり色がつく。力を見せる。
俺は苛立ちを織り交ぜてその手首を押さえた。熱い。抵抗がないのに余計苛立つ。
それでもその顔は真剣に、こっちを見ていた。
息を整えて、片手を肩に置く。
沈むマットレスに挟まれた身体へ思いきり体重を押しつける。
そうすれば、熱い身体はもうすっかり俺の肌に張りついて、濡れたような心地になっていた。


スモーク×エッダ















彩受せよ


わたしは目を覚ました。闇のなかだった。
起きあがり、周囲を見わたす。だれも、いない。とおくまで見ても、だれも。
「・・・」
よく目が覚めるように頭をふった。
ゆっくりと。でも確かに、わたしの思考ははっきりとした輪郭を描いていく。
そうだ。わたしは、神さまにここへ連れてこられた。
『ここは、お前たちの場所だ。』
そんなことをいって、わたしを、他の3人といっしょにここへ閉じこめた。
「・・・神さま。たしかにここは、わたしたちの場所」
ひとり、つぶやく。
ここへ連れてこられたのは、わたしと、ツルの千鶴、カメのミドリ、そして、オウムのパロット。
静かに立ち上がって、わたしはひとつの場所を目指す。
ここからすこし行くと、そこにはおおきな鳥籠がある。はず。
そこにはパロットが閉じこめられている。
いいえ。・・・正確には、パロットが自ら入った、オリ。
自分を、必死で守るための、オリ。
それはわたしにもある、かけがえのない自分の居場所。
だからそこにパロットが入ったのは、偶然に、すぎない。
あの場所に、わたしが入ったとしてもそれはなにも、ふしぎじゃなかった。
パロットとわたしは同じいきものだ。それを、わたしはパロットと会ってすぐに理解した。
素足に、闇の冷えた空気がはりついている。寒い。鳥肌がたつ。わたしは両手で二の腕をかかえた。
「・・・パロット」
ため息をつくように、わたしは、言う。
わたしと同じものを持つ、わたしと同じ存在は、当然のように、わたしを拒否する。
そうすることしか、出来ない。
わたし達はなにより、自分自身そのものを拒否しているから。
息をしても白い空気は舞いあがらない。寒くても、ここは、無とおなじ。
無。
わたしと、パロットの、無。
ゆっくりと、闇のなかにまっしろな鳥籠が見えてきた。
中には、紅い姿のパロットが昨日と同じように(ここに時間はないのだけれど)、そこにいる。
パロットはせまい空間でじっと立っていた。鍵のないオリのなか。
「・・・パロット」
「・・・、・・・カゴメか」
なにも考えず、声をかける。気づいた様子で、からだを強ばらせて、パロットはわたしを見る。
じっと、わたしを睨む。
そう。パロットがパロット自身を睨むように、あくまで、自然に。
「・・・おはよう」
「・・・」
応えない。そう、応えない。
わたしはほほ笑むことをしないまま、一歩をすすむ。
おはよう。朝のあいさつ。こんにちは。昼のあいさつ。こんばんは。夜のあいさつ。
どれもが欠落した空間で、わたしはそれを言った。なぜだろう。
なぜだろう。
それを知るために、わたしは、パロットは、ここにいるのだろうか。
「・・・・」
パロットはまだ、わたしを睨んでいる。わたしも、パロットを見つめていた。
燃えるような紅い羽根が、この闇のすべてを色づける。
パロットの赤だけが。この赤だけが。わたしの今を、つなぎとめている。


かごめ&パロット















尸の渇望


「(僕はこの男に殺されたいのかも知れない。)」
僕は思った。
限りなく膨らんでいく欲望の中で、それはただひとつ完全なつくりをした「ねがい」だった。
棒立ちのまま瞳だけを鮮明にし、僕は男を見つめている。
ある一定の狂気に侵され、これ以上顕すことのできない暴虐をつくした景色を眺めている。
男は肩で息をしていた。
身体中に赤いものがこびりついている。
眼は見開かれ、興奮と嫌悪とが綯い交ぜになっている。
「ハァ、ハァ・・・、ハァ、」
荒い呼吸は、それでもすべての塊が数分前に吐いていたそれらを満たす量には届かない。
僕はむせ返る匂いに確かな吐き気を憶えながら、しかし、目の前の精悍とした化物から逃れることはできなかった。
限りなく穢れた、限りなく美しいけもの。
全ての生き物を肉塊としか見なさない、尊ぶべき異端の異形。
「(・・・僕が望んでいたものはこの死だ。この破滅だ。この殺戮だ。)」
高揚する。断続する吐き気と、言い知れない恍惚とが、ゆっくりと攪拌されていく。
無様にころがる肌たちが、蒸された温度で声も出さずに腐っていく。
広がった口が、見開いた眼が、脂と肉と骨のあざやかな断面をのぞかせる首が、もげた腕と足が、 剥き出しになって潰れた臓器が、すべて血液に染まって僕に素晴らしい力を見せつけている。
『わたし達は、彼に殺される栄誉を受けたのだ。』
皆がそう叫んでいる。真っ赤になった男を数え切れない称賛が埋め尽くしている。吐きそうだ。
僕は震えた。止め処ない呼吸を続ける男の元へ、覚束ない足取りで歩み寄った。
ばしゃりばしゃりと音がする。べたりべたりと足に張りつく。
僕の身体は一歩進む毎に彼らを纏っていく。
ありとあらゆる形に壊された、その肉片を抱えた供物になっていく。
「(早く、早く。僕を、見てくれ。)」
悪夢の中心で、男はゆっくりと顔を上げた。
自らの素晴らしい力が為した光景を今一度その瞳に焼き付けるように。
男の身体は地面に張りつく四肢よりも余程、紅い。
それは彼らの累々たる生を際限なく喰らいつくした証のように、美しい色をしている。
僕に宿った、生まれながらの絶望の赤をこの男は真下の肉塊と同じく狩り取ってくれるだろうか。
この赤さを奪い、斬り捨て、その残骸を愛しんでくれるだろうか。
「・・・ッ!」
爛れた足元の皮膚で、僕は足を滑らせた。転ぶ直前で、男が手を差し伸べた。
僕の羽根を、男は掴む。数え切れない程の肉片となった生き物を粗暴なやり方で絶った、その腕で。
「・・・、・・・」
見開く眼。強張った表情。狂気と、嫌悪と、恍惚。
「・・・素晴らシいよ、イナリ」
無意識の中で、僕は言った。ただ微笑み、ただ男を称えた。僕の余りある思いを体現する者。
掴んだ指を、僕は握り返した。
僕の身体と同じように震えていた。
ああ、ああ、素晴らしい。
何度でも蘇り、何度でも永久の苦しみを味わうことが出来る不死者のように、僕は感じた。
何度でも、何度でもこの男に殺されたいと、鮮明に、思った。


パロット&イナリ















てっぺん


「・・・・・」
「何ですか」
「・・・・前から疑問だった。炎の癖に、感触がある」
鴨川はごく自然に言った。ダースもごく自然に応えた。鴨川の骨ばったやけに細い指先は、ダースの頭に乗っていた。
「そうですかァ、又、詰まらん事を御考えに為さる」
「そもそも表情がある、というのも解せない」
ソファーに大人しく座っているダースの頭を、目の前にいる鴨川は軽い力で撫でた。
一々の手触りを確かめるような仕草は、ただ単純に「いい子いい子」と子どもを褒める仕草とよく似ていた。
ダースは視線を持ち上げて、じい、とその額を思案するように睨みつける鴨川の表情を眺めた。
『奇妙な事を思い付く物だ』。
目を細めれば、そんな素直な感情も這い出てくる。
斜め上に存在する藍色は珍しい。いつも見下ろしていた姿が一変している。
「・・・鬱陶しいんですがねェ」
「いいだろう、少しぐらい。私はお前共異形の生態に全く以て知識がないんだ。・・・お前が情報もひとつも流さないせいで、な」
「そうでしたかねェ、はて」
「だから黙れ、そして動くな」
事実、ダースはそのべったりと頭に乗った手の平の感覚が鬱陶しかったが、 珍しく鴨川が至極真面目、かつ好奇心を秘めた顔でこちらを見ているのを盗み見て何となくこの状況を許す気持ちになった。
その気持ちを察したのか察さないのか、ダースの返事も待たず、5分余り、鴨川はその頭を申し分なく触った。
軽く叩いては撫でさすり、頷いたかと思えば思いもよらないところで驚く。
その間、ダースは文句ひとつ言わず、決してダース自身を見ない鴨川の視線を追っていた。
「・・・成程なぁ、私が想像していた造りと随分違う」
幾分経ち、ようやく鴨川はダースを離す。
息をつき、確かめるように、片手でその感触を記憶に留める。
「へェ、アンタがあたしの事を想像してるたァねェ」
「お前のような者を前にして、何も考えない輩がいたら私はそちらを疑うぞ」
「あたしはアンタの方が余程不可解ですがねェ。一寸座って御覧なさい」
「・・・なんだ、唐突に」
その一挙一動を見た後、ダースは左手でソファーの空いた隙間を叩き、右手で手招きをした。
鴨川はあからさまに疑って掛かるものの、立っているのにも疲れたのか素直にそれに従う。
「で、何――、」
隣同士の形で鴨川は座り、ダースへ声を掛けようとした。
しかし、それを言い切る一歩手前で言葉が途切れる。
ダースが鴨川の頭へ、さきほど彼がそうしたように手を置いたからだ。
「ヒトってモンは妙に柔らかいのがねェ。アンタでさえそうなんだ、あたしには解せませんよ」
「・・・再三、私を枯れ木だの骨だの痩せぎすだのと罵って来たのは、誰だ」
「だから、そんなアンタでもヒトらしい肉の感触が有る、ってのが可笑しいんですよ。 其れに手入れ何ぞ碌にして居ない癖に、妙に髪が上等だ」
言いながら、ダースは緩やかな手つきで鴨川の頭の形を確かめ、髪を梳いた。
自らがそうしていた仕草とそう出来なかった仕草とが入り混じり、少しだけ鴨川は目をくすぐったそうに細めた。
「・・・お前もこんな気持ちだったのか?」
「触られて、ですかァ?」
「そうだ。・・・どうも、落ち着かん」
視線をあちこちに揺らす鴨川はそわそわとしている様子だ。
ダースはそれを見て可笑しげに笑う。
「別にあたしは動じて居ませんでしたけどねェ、・・・まァ、アンタが動じる理由は簡単ですよ」
「・・・何だ。判りきったような事を・・・、」
「あたしに触られて居るからですよ。解り切った事です」
「・・・・」
朗らかで明快な声色。
酷く愉しげなダースの言葉を存外きちんと受け止めてしまい、どういう意味だ、という科白を喉の奥に鴨川は置き忘れてしまった。
自信に満ちたその姿は稀に見るものにも思えたが、呆気に取られた鴨川はただ、ぽかん、と口を開けた。
あたしに触られているから。
その言葉の意味を探ることは無粋だ。ここまで単純な単語に答えは要らない。
かすかに、だか確かに浮つく頬を見せ始めた鴨川をダースは満足げに眺め、返答する代わりにその頭をぽんぽん、と二回、叩いた。


淀×鴨川















六弦陽光


「ウーワー。久しぶりだねェ!」
「・・・スマイルか。相変わらず、馬鹿でかい声だな」
たまたま城に戻ってきたスマイルは、赤い羽根が風を立てているのを見て少し小走りになった。
近づいてみればそれは紛うことなき城主の姿で、その顔は倦怠に満ちていながらも、今目覚めたようには見えなかった。
「ユリちゃんいっつもウトウトしてるからねェ。仕方ないんじゃないのォ〜」
「・・・そして煩い。どうした?アッシュも出払っている。城には何も無いぞ」
「ギター取りに来ただけダヨ〜。ホラ、残ってるの一本あったでショ〜?」
「ギター、・・・って。お前が今背負っているものは、何だ」
スマイルはにこにことして自室と化している離れた塔を広いテラスから指さした。
しかし、その背には城主の言ったように古めかしいアコースティックギターが掛けられている。
これ以上ギターを持ち出してどうすると言うのか。城主の顔は呆れていた。
「違うヨ〜、ったくホント、ユリちゃんてフシアナだよねェ。あの部屋に置いてあるのはトオル様がくれたヤツなのヨッ」
「トオル様・・・、・・・ああ、ギャンブラーZか」
「ソ。サイバーに自慢しなくっちゃいけないからねェ」
腕を組んで幾分考えた後、城主はスマイルがこの世で最も愛すものを思い出した。
そういえば無理矢理アニメも見せられたような気がする、と記憶を辿れば、 それに気付く様子もなくスマイルは心底可笑しそうにケタケタと笑う。
同時についてくる名前は、パーティーで知り合った同じ趣味を持つ男の名だ。
すぐに意気投合し、今でも親しくしていると、城主はいつか話を聞いたことがある。
「・・・まだあの若者と接触しているのか」
「ナーニよ、イイじゃん。あそこまでギャンブラー愛してるヤツ他に居ない、っつーのヨッ」
「お前の方が余程知っていると思うが。彼は人間だぞ」
「・・・・」
城主は咎めるように眉を上げ、ぶう、と頬を膨らませるスマイルを睨んだ。
彼らはその容姿に倣うように人間ではない。妖怪、と例えられる人種の生きものだ。
故に、人間とは全く違う時を刻むことになる。寿命が、人間の比ではないのだ。
スマイルは俄かに城主の真面目な空気を悟ったようで、少しだけ顔を固くする。
「・・・ソリャ、サイバーはヒトだけど。だからナンだ、つのヨ。楽しいんだよねェ、僕は、今がさ」
「・・・お前は自分の存在を理解していると思っていたが。どうも今回は違うようだな」
「じゃあユリちゃんはソレを全部理解してるワケ?あんなバンドやっててさ、ヒトと関わるのはキンキですー、なんてフザケたコト言うのォ?」
「・・・お前はあの若者と拘わり過ぎているよ」
「『拘わり過ぎてる』?何ソレ、誰の基準?そんなの、僕が決めるコトだけど」
「執心、しているな」
ため息をつくように城主は言った。極めて不機嫌な態度で、いつの間にかスマイルは笑顔を消していた。
遠くで鐘の音が聞こえる。
スマイルは城主より永く生きている。
こういった事柄に関しては、彼の方が余程心得ている筈だった。
しかしスマイルは不機嫌な顔をそのままに、城主の前へ来た。紅い瞳は燃えている。
「僕はユーリとは違うからねェ」
その様子は見慣れたものとも、見慣れていないものとも言えた。
目の前の、青い肌をした透明人間の異形を、城主はまるで人のようだ、と思った。
はっきりとした口調は皮肉を通り越し、揺らがないもののようにも思えた。人と同様の輝き、と、言えるもの。
「・・・どうも、その様だな」
それを眩しくも、忌まわしくも城主は思う。不変に変化はそぐわない。
スマイルはじっと城主を見つめ、顔を崩さず頷いた。
もう一度、高らかに鐘が鳴る。
あまりに巨きなその音は、まるで世界が彼らを包容しているかのようだった。


ユーリ&スマイル


















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