心を盗る


「よォ、暇そうだねェ、おっさん」
「・・・あ?」
退屈なパトロールがてら、珍しく外をほっつき歩いていたスーツは、
横から掛けられた声にまったく不機嫌のまま顔を向けた。
すると、そこには見慣れすぎて追いすぎて、既に生活の一部になってしまったような男がひとり、居る。
「や、今日もまたお疲れの様で」
「! モリー!」
よっ、とカフェの隙間から手を上げて、それは至って普通のアイサツだった。
煙草をふかしながら、赤いジャケットに片手を突っ込んだまま、ニヤリとモリーは笑っていた。
驚いたのはスーツの方で、こんな真昼間に堂々と街のカフェにいる大泥棒の姿に思わず大声を上げてしまう。
その様子をもケタケタと笑って、モリーは怯えもせずに天敵の刑事をカフェのテラスに招く仕草をした。
「どうせ暇なんだろ、おっさん。話でもしようぜ、楽し〜い話、なんかをさ」
「・・・随分と余裕だな。いつもは俺の姿を見たらすぐに逃げる」
「それは俺がちょいとヤバいことをした後だからな。でも今は普通に、ここで茶、してるだけ。
 ・・・なぁ、俺、実際、あんたのこと嫌いじゃないんだぜ。一回ぐらい、ちゃんと話してみたかったんだよ」
「喰えない事を言うな。手錠でも掛けられたいか、お前」
「別に?でも、何も盗ってない俺はただの一般人にしかならねェぜ、刑事さん」
「・・・・・・」
軽く羽化する刑事と盗人の関係を、昼間という日常はゆっくりと覆いつくしていく。
妙に饒舌にモリーは楽しげな声を出して、改まったように再び手を招いて目の前の席を指差した。
スーツにとってモリーは積年の想いで追っている相手であったが、
こうして当然のように目の前にすると彼の刑事としてのプライドであるのか、
いつものように躍起になってまでこの盗賊に手錠をかける気にはならなかった。
幾度となく辛酸を舐めさせられている相手であるというのに、
モリーの態度があくまで自然なそれだったことも影響しているのだろうか。
温和な態度をことごとく無視したまま、
しかし、スーツはゆっくりとテラスへの階段を昇ってモリーの前の席へ腰をおろした。
「・・・よォ、どうも。まさかあんたとこうやって向かい合えるとはなァ。巡り合わせ、って奴かね?」
「どうかね。俺は、暇だっただけだ」
「確かにあんたは敏腕の癖に暇人だよなァ」
その行動にさぞ満足するようにモリーは尚も笑い、汗のにじんだグラスのアイスレモンティーをごくごく飲んだ。
何度か重ね合わせる視線には、嬉々とした感情の一粒が垣間見える。
「何が言いたい」
「あんたは、俺にご執心なんだろ?聞いたよ、他の事件ぜんぶ突っぱねて、俺を追ってるって」
「・・・俺がお前を、か」
「そう。それ聞いて、俺、妙に嬉しくなっちまってね。あんたみたいな有能な奴に追われるのは盗人冥利に尽きる、って」
「成程、・・・面白ぇことをいうな、お前」
「面白くなんかないさ、俺は本気だ。俺、あんたが気に入ってるんだよ、・・・心底」
「・・・俺は盗賊に好かれる趣味はないんだがな」
「でも、俺には刑事を好く趣味があるのさ。あんただって、実際、俺を好いてくれると思うんだがね?」
「お前を?・・・俺が。」
「そう。その刺すような目、ぞくぞくするよ。俺ばっかりを、見てる目だ」
会話のたびに膨れ上がっていく互いの視線に我慢しきれなくなったように、モリーは身を乗り出す。
スーツのサングラス越しの目は、確かに、モリーへと向かっていた。
この上なく鋭く、この上なく真っ直ぐに、彼の顔も瞳も感情をも、突いていた。
覗き込むように上目に笑えば、前髪に隠れたモリーの目がスーツに映る。
光る色は、彼を捉える。
「・・・己惚れてやがるな、モリー。俺がお前ばっかりを見ていると思うのは、全くの見当違いだ」
「じゃあどこに焦がれてるってんだ?あんたは俺を捕えたくて、仕方ない筈だ」
「そうだな。だが、それと、お前に向ける視線とは違う意味を持つ、って話だよ」
「・・・ヘェ。あんたも、中々、言うね」
それを視線の奥に閉じ込めながら、スーツもゆっくり煙草を咥えた。
幾分その仕草に魅せられながら、モリーは、
この男は自分が尤も欲しがる物を手に入れさせまいとしているのだろうと、上目を保った。
カラン、と氷がグラスの中で形を崩して音を立てる。
清涼なその音を挟み、二人は尚も互いの顔を見つめ、追い追われる関係の是非を語ろうとしていた。


スーツ←モリー















スエゼン


「・・・ミシェルさん?」
「あ、エッジ君。丁度良かった、助けて下さい」
・・・図書館の一角、禁書ブースの近く。
そこで、ミシェルさんはおかしなカッコで倒れていた。仰向け。ずぶ濡れ。
意味が分からなくて、俺の声はヘンだった。
「何、・・・どしたの」
「少々油断しましてね。本の呪術に掛けられてしまいました」
一向に動く気配なく、ミシェルさんは頭だけを動かして、いつものように喋る。
いつもと変わらないぶん、今の状況とかけ離れていて、余計、ヘンだ。
本の呪術にかけられた。
司書がそんなことでいいのだろーか。
ミシェルさんはまったく悪ぶれることなく、ニコニコとしている。
「で、ずぶ濡れのうえ倒れてんの?」
「ええ。身体の力が抜けてしまって」
俺はどうしたらいいか分からなくて、ズボンのポッケに手を入れたまま、
ミシェルさんをジロジロ見下ろしている状態だ。
「吸い取られた、とか?」
「そんなものですね。申し訳ないのですが起こして下さいませんか?」
「あ、うん・・・それにしても濡れてんね。ビショビショじゃん」
「水に関した呪術ですから。あとで乾かせばいい話です」
「はぁ・・・。ええと?起こすの?」
「はい。何分、力が入らないもので。出来れば早くして頂きたいのですが」
「うん・・・ああ、はい」
掴みどころのない会話は、全然頭に入ってこない。
とりあえず、この人を起こせばなんとかなると、本人がそう言っている・・・、
ので、俺はようやくズボンのポッケから手を開放して、かがんで、
自分から持ち上げようともしないミシェルさんの手を掴んだ。
ゆっくり、引っ張ってみる。
・・・。
なんだか力がはいっていないのか、妙に、重く感じる。
腕だけでこんな重いとなると、俺ひとりじゃこれは持ち上げられない。ムリだ。
「ん・・・、んっ。エッジ君、・・・大丈夫、ですか?」
「なんか。起こせないんだけど」
心配そうに、ミシェルさんは眉を寄せた。
俺は繋いだ手をしずかに降ろして、こりゃーダメです、と肩をすくめる。
「呪術の影響、でしょうかね?僕もなんだか上手く起きられません」
「え。じゃあ、どうすんの?」
「どうしましょうか」
少しだけ考えるような顔をしたミシェルさんは、答えを見せずにニコリとした。
呪術の影響。
・・・。
「(それにしてもエロいカッコしてんな、この人)」
考えるのがメンドウになった俺の思考は、なんだか、おかしい方向に飛ぶ。
俺は目線だけで、ジロジロ、ミシェルさんを眺める。
仰向けで、投げだされた手足で。
まったくもってずぶ濡れで、全体が黒ずんだ赤いシャツとほどけたエプロン。
髪の毛もペタンコで、顔に絡みついている。
そんでもって、見上げた視線だ。
どうなんだコレは・・・。 性格がサイアクでも、顔自体はキレーなので、大分、ヘンな感じだ。
エロいっつうか・・・いやダメだ、これは、エロいだろ・・・、
「・・・エッジ君?」
「あ。・・・え?何?何すか」
ハッ、と、かかった声に、意識を戻す。
ミシェルさんが、アヤシゲに、こっちを見ている。 笑っては、いない。
今思っていたことが顔に出ないように、アイマイに、笑う。
「少し近づいてくれませんか?お願いしたいことがあるのです、早く」
「あ、うん・・・」
すると、ミシェルさんはアヤシゲな顔のまま、そう言った。
近づけ。 って・・・アンタ・・・。
妄想の続きのようなセリフに半ばガクゼンとして、俺は思わず、ゆるゆると頷く。
「(アタマ、読まれてないよね・・・、俺・・・)」
おかしなことを考えた呪いだろうか。
ひくついた笑顔で、これからどうしたいいのか本気で判らなくなったまま、
俺は濡れた身体にふらふらと、手を伸ばした。


エッジ×ミシェル















黒髪柘榴


「んー?」
ベッドに寝転がっているシンゴが、高く声を上げた。
「ん?」
雑誌を読んでいたジュンは、それに反応してベッドに凭れていた格好から振り返った。
どうともない疑問符。
どこにでもありそうな、会話のひとつ。
「髪」
「髪?」
軽く、ごく軽く触れるようにして、シンゴはジュンの黒髪に人差し指をやった。
髪。
ジュンは、少しだけ伸びた前髪を自分でつまんで、
どこか変なところでもあったのだろうか、とどうでもよさそうに、思う。
「うん、伸びた」
「・・・そう?」
シンゴはにこにこと笑ったまま、髪を梳くようにする。
ずっと切っていないジュンの髪の毛は、彼が今思ったように、確かに伸びている。
ベッドからは丁度、ジュンの頭だけが飛び出している形になるから、
それがよりよく、シンゴには分かったのだろう。
ジュンは居心地の悪そうに、シンゴを見つめている。
「んー、まえは、アレだ。首っ。ちゃんと見えてた」
「うわっ、く、くすぐって、」
梳く仕草を首元まで持って来て、シンゴはイタズラをするように、うなじをくすぐった。
夏ごろに見たジュンのうなじは全てがしっかり見えていたのに、
今では背骨に届くまでに伸びている。
ジュンは予期していなかった感触に、身体をぶるりと震わせて高い声を出した。
「アハハ、面白れぇ声。今度唄うとき、それにしてよ」
「何言ってんだ、おまえ」
それはシンゴにとって、愉しい声であるようだった。
跳ねた声色で、シンゴは甘えるような視線をする。
呆れた顔でジュンは首元を押さえて、いぶかしい視線をする。
とりとめも、脈絡もないシンゴの気分はジュンにとっては慣れっこだけれど、
やはり、唐突な発言には感情がついていかないのだ。
「えー、だって俺、そっちのが好きだ」
「・・・好き、ねぇ」
そして、素直で感情を隠さない発言も、そうだ。
あどけなくしどけなく、時にはわざとそうしているかのように、饒舌に、シンゴはジュンを褒める。
それがその時一瞬のものであるのをジュンは知っているので、
呆れた顔つきを崩さずに、ため息をついた。
うなじを触られたときに思わず出た鳥肌は、まだその腕に残っていた。
「そう、その髪。明日は帽子、かぶんなよ」
「なんで」
「だって俺、そっちのがいいもん。そっちのジュンが、好き」
「・・・あ、そう」
変わらずに、シンゴはジュンの髪を撫でる。
あくまで楽しげに、嬉しさを帯びた目つきや言葉で。
ジュンはされるがままの身体を持て余したまま、厄介な相棒の行動を他人事のように眺めていた。
「うん、いいなぁ。あー、ジュン」
「何」
「はずかしい?」
「は?なんで」
指先が止まり、シンゴはぐるり、とジュンを覗きこむ。
いきなり飛びこんできた相棒の顔に、一瞬、ジュンは驚いたが、それはシンゴには伝わらなかったようで、
首をかしげるような、訪ねる仕草をしている。
恥ずかしい、と聞かれ、ジュンは首を横に振った。
「ちょっと恥ずかしがってよー。なんかつまんねェ〜。このっ」
すると、シンゴは口を尖らせて、フッ、とジュンの耳元に息を吹きかける。
「うあっ!」
「ジューン」
「・・・、・・・シンゴ。おまえって、ホンット、ムカつくな」
今度は耳元を押さえて、恨めしそうに、ジュンはシンゴを見た。
天性のいたずら好きに勝てるわけがないと分かっていても、
やっぱりどうもナットク出来ない、と、ジュンは頭をわさわさとまさぐるシンゴに、
特別不機嫌な顔を見せてやった。


純真















菩提樹


「・・・あら、お独り?珍しいのね」
カラン、と鐘が鳴って、開いたドアから現れたお客にダイアナは顔を綻ばせた。
客は申し訳なさそうに一礼して、丁寧にドアを閉める。
元々低い身長なので、礼はそれほど綺麗な形にならなかった。
ひとではない低い身長に、彼女の目線もゆっくり下がる。
「ロキ様が、薬草をご所望になられましたので・・・、儀式が近い事もあり、私が参りました」
「そうだったの。ロキも貴方も一人で歩かせることに慣れてきたのね、過保護が直ったのかしら?」
ひょっこりと姿勢を改め、客である蜘蛛は来訪の理由を告げる。
ダイアナは誘拐事件が済んでからのロキの変化に微笑みを返すが、蜘蛛は滅相もないと両足をふる。
「とんでもございません!ロキ様が私などの為にその様な心労を起こす筈など・・・」
「どうかしらね?・・・ええと、薬草、よね。いつもの分でいいのかしら」
「はい。白露、青霞、蛇苺と斑靄、それと蜜百合です」
「裏から摘んでくるわ。お茶でも飲んで、少し待っていて?」
慌てふためく蜘蛛の姿は容姿のわりに可愛らしかった。
肩をすくめ、ダイアナは提示された薬草の種類を記憶し、それと同時にハーブティーを淹れる芸当を見せつける。
すっかり鮮やかな色のお茶が淹れあがったタイミングで蜘蛛をカウンターへ招き、
それを置いたダイアナは裏庭への戸へ手をかけた。
「・・・お心遣い、感謝致します。お手を煩わせて申し訳ございません」
「いいのよ。こんな珍しいこと、滅多にないものね」
ぴょん、と小器用に蜘蛛が椅子に登ると、含み笑いをしてダイアナは裏庭へと去っていった。
ひとときの静寂。
しばらく蜘蛛はぼうっとしていたが、目の前で立ちのぼる芳香の誘惑に負け、静かにティーカップに手をつける。
これまた器用にスプーンを使いお茶をかき混ぜ、ゆっくりと飲む。
あまり熱くなかった。
猫舌、といえる彼の舌に合わせ、調節してくれていたのだろう。
赤い色をしたハーブティーは、春の果物の香りがした。
「・・・美味しい」
独り言のように、蜘蛛は呟く。
部屋中が植物に支配された空間は、彼にとってひどく心地の好いものだった。
辺りを見回し、もう一度お茶を飲む。やはり美味しい。
独りの時間は彼にとっては馴染みの浅いものだったが、充分な安らぎを彼にもたらした。
もっとも、主人であるロキの元に居る時が、彼にとって最上に幸福な時間であることは否めないのだが。
「・・・ロキ様に、飲ませて差し上げたいなぁ」
同じく独り言のように言葉を紡ぎ、彼は主人の横顔を想った。
一口茶を飲んで鮮やかに蘇るその姿は、彼女が最も美しく着飾った音の宴での姿だ。
ため息をつくような時間に浸る蜘蛛の言葉を、裏庭から戻ろうとしていたダイアナは丁度扉越しに聴いていた。
思いもよらない、しかしなんとも彼らしい言葉にダイアナはにこやかな笑顔を更に深くし、ノブに手をかけた。


蜘蛛&ダイアナ















絶望と誘


例えば、自分を鏡に写したら、きっとなんの躊躇いもない空虚が広がっているだけなのだろうと、少女は感じた。
体育座りの視線を上げて、見えるその先にあるのは何も変わらない筈の闇と、
何も代わらない筈の己の姿だった。
「・・・・」
先日、又、男は少女の元へやって来た。
高慢な笑いを張りつけて、それもいつもと変わらない不快な出会いの筈だった。
しかし、珍しく思案するように眼を細めると、徐に男は云ったのだ。
声を抑えた、極めて冷静な態度で。
『猫。僕の元へ来い。』
高く放り投げた記憶を掬い上げ、少女はその時の自分の驚きをどうやったら表現できるのだろうかと思う。
あの男の元へ行く。
考えたこともない話だった。
わたし達は嫌悪の中にいるのにと、少女は顔を歪めて、何度も何度もその言葉を内で繰り返していた。
「・・・・」
男の言葉を聴いた時、少女は謀ることなく、動揺した。
余りにも互いの関係性と離れた問いを、受け止めきれなかったためだ。
常に頑なだった神経はもろく溶け出し、少女の感情という感情はその場で顕わになった。
パペット人形を取り落とし、眼の奥はチリチリ云った。
炎を前に止みきった雪が不穏な心の動きを感じ取り、狐の嫁入りのようにでたらめに降り始めたりもした。
『・・・何故、アナタは、』
己の胸を押さえ、どうにか言葉をつなげる少女に、
男は満足げな表情を見せることなく踵を返し、速く返事を寄越せとだけ呟いて去っていった。
少女が見る事のなかった、少女にも、自己にも興味を抱かない男の姿。
背の姿。去る姿。
何故男はあんなことを云ったのだろうか。見当はつかなかった。
ただ、少女の胸にいびつな想いだけを遺した。
気まぐれ。戯れ。冗談。幽かな期待。
憎しみだけを連ねてきた男に、何を求めることがある。
少女は途方なく眼前に広がる冷たい闇を見据え、此処こそが己の居場所なのだと何度も思った。
こここそが、無という己に唯一の存在を与えてくれる場所なのだと。檻、なのだと。
力なく首を振り、少女は自らの身体を抱いた。
或いは、あの愚かな誘いに光を見出そうともがく自分を、必死で戒めるように。


おんなのこ


















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