隔絶技官


「別にそれっていいことでしょ。わけわかんないな、あたし」
さもつまらねェ噺だ、とでも批評するように、詩織は苛立った顔を顕わにした。
帳の欠けた研究室、どこから始まったのかもう思い出せない話題。
手にしていた本を叩き付ける仕草で床に落として下らない加虐癖を主張すれば、桃の髪が空気を孕む。
また異能が暴発してでも居るんだろうか、
帳が居れば奇声を発して大喜びするのかも知れない。
「・・・黙れ。テメェの焚付如き、俺もアイツも乗らねェよ。所詮は餓鬼の問答だ」
そんな自分の考えは忌々しかった。
今、問答している話題と同じ程度の濃度で、それは単位で表すなら兆を超えて軽く京へ飛ぶ程度だ。
俺も鬱陶しく顔を曲げて、声を狭める。
焚き付け。問答。餓鬼の話。
詩織が間抜けな風体で続けている、ひとつの厄介事に今日も俺は巻き込まれている。
「ヘェ?じゃあつまんないことばっかして、つまんないことばっか言って、それが大人なのかな。ちょっとイミフメイだよ」
「アイツは俺の心地が淀川に似てるだのと思ってるだけだろ。こっちの眼何ぞ視ねェさ」
いや。
或いは、余りに暇で、俺は自分から望んでこの現状に巻き込まれて居るんだろうか。
珍しく弱気な科白を吐くのはその証拠か?
浮ついた真似事で、俺は肩を竦めて見せる。お前の観点は全く見当違いだ、と謂うように。
「・・・あたしが帳くんなら、代わりだからってそういうことしないけど」
「オイオイ、前にアイツが俺を練習台にしてるだとかほざいた奴は御前だろ?蓮っ葉な話で誤魔化すな、詩織」
わざとらしい苛立ちの声を俺も出した。
詰まらない事、の内約は触れたり舐めたり突っ込んだりする行為で、心地、の内約もそれに準じている。
練習台、も同じ意味合いで、つまり話題の内約自体がそういう事だ。
「あれはそうだったらいいなって願望。事実じゃない」
「有れは御前の仮定を前提にした話だろ。事実かどうかは問題じゃねェよ」
そういう事を、俺と帳は四六時中行っていた。
それを詩織は知っている。
知っているからこそ、俺達を焚き付け、俺達をまとめて恋愛という枠に嵌め込もうとしていたのだ。
「・・・」
だが、詩織は唐突に、俺達が無感情に「そうしている」事が許せないと謂った。
そして、俺が凡てに甘んじている事が許せないと謂った。
いつも見せる、可愛げのある色恋沙汰に寄せる眼でないことは確かで、それは詩織の言動である程度実感することが出来る。
『そう想うなら、そうすればいいのに』
確かに詩織の謂う通り俺は揺れていたのだ。
こんな小娘のやり口に従う様な真似は心底嫌だと感じていたので、
決して口には出さなかったが、詩織の望んでいる未来は、限りなく現状に沿った形をしている。
だからこそ、わざわざ身勝手な感情を持ち込もうとする詩織の方が意味不明だと俺は思った。
詩織は恐ろしい事に、帳や俺の事を本気で考えてでもいるんだろうか。
「漸くんは帳くんが好きなんでしょ」
「だから如何した」
「意味分かんない。ほんとに意味分かんない。好きなのにどうしてそう出来んの」
「・・・やっぱり餓鬼の問答じゃねェか」
独り言に近い罵声は静穏だ。燃えた瞳だけが牙を向いている。
詩織は怒りの感情を表現するのが巧い。静と動の怒りを、綺麗に使い分ける事が出来るのだ。
俺は胸の内だけで感心しながら、それでも結局「好意」に行き着く女の思考を褪めた眼で眺める。
あくまで大人しく、詩織は視線を上げる。俺の言葉を視線で掴む。
その表情で今更、漸くんと呼ばれた事に気付いたが、もう凡ては遅かった。
「ガキでもいいよ。じゃあ帳くんは?帳くんはどうなの」
「・・・何がだよ」
「気持ち」
「気持だァ?そんなの御前が一番知ってるだろ、淀川に決まってる」
「・・・漸くんは、絶対そう言うよね」
「謂うだろ。事実だからな」
不服だ、と全身で告げる詩織を俺は容易くシカトする。
帳と俺はお互い、相手を自分の所有物だと考えているのだ。恐らくそこに感情は無い。
残念ながら俺にはあるのかもしれないが、帳には無いだろう。
だからこそ、俺は帳を確実に自分の所有物だと認識する為に帳に暴力的な衝動をぶつけ、
帳はそれに応えながら自分の自尊心の貴さを主張して俺を痛い目に遭わせる。
それでいいじゃないか。何が不満だ。
「事実じゃないから、こんなにムカつくんでしょ」
「へェ」
「あたしは、最終的にジョル様が帳くんを選んでも仕方ないって思ってんの。知らないでしょ」
「御前がァ?」
「そう。あたしが。でも今の帳くんはどうなの?バカでしょ?」
「莫迦なのか」
「バカだよ。詩織僕は自分が判らないよって真顔で言うの。ただのバカ」
そうすれば、桃に濡れた眼は余計な決意ばかりを溢れさせてこっちへ鋭く向かってくる。
軽く頷くようにして、俺は莫迦を連呼する詩織を見つめた。
詩織、僕は自分が判らないよ。
頭の中で復唱すれば、それは極自然に帳の声になり、科白として再生される。
確かにそんな事を謂う帳は莫迦だろう。詩織は正しい。
淀川に心酔して居る癖に、無駄な決心までしているのだ。
冷え切った感情の底で、俺は少しだけ詩織に憐れみと称賛を贈った。
「・・・そりゃア、ブン殴りたい莫迦さだな」
「ホントに殴っていいよ。帳くんはあたしの気持ちをバカにしてんだもん。
 もしジョル様が帳くんを選んで、その時に帳くんがあのままだったら、あたし帳くんを異能で殺すかもしんない」
「へェ。好い物騒さだなァ」
「そう。そんだけね、あたしあんた達にイライラしてんの」
「・・・俺も含めてか」
「そう。漸くんは何も謂わないから。オトナ、だからね」
同調すれば皮肉。異能の匂いに微笑めば、殺戮したがる子どものように詩織も笑った。
詩織は自分の想いとやらが、帳の曖昧な態度で殺される事を恐れているし、憎んでいる。
そしてその曖昧な態度の原因が俺にあると考え、同時に俺を憎んでいる。
俺達の性ばかりの繋がりを嗤い、饐えた慎みをこの上なく正当に、嘲るのだ。
帳は莫迦だ。俺も莫迦だろう。
常に他からの攻撃で、暴力の衝動に襲われる俺は、何故か、詩織を殴りたい気持ちにはならなかった。
飽くまで鮮やかな桃は鬱陶しく、尚且つ美しかったからだろうか。
全く大人で無い俺は、詩織の謂う通り何も謂わない。
餓鬼の話、下らない問答。
その侭の形で、俺達は幾許の間微笑み合って、詩織は口を開いた。
「ねえ漸くん」
「あ?」
「このままさぁ、漸くんって呼んでいい?」
「駄目に決まってんだろ」
「だよねー」


2P淀と詩織















深夜往行


「・・・・」
夜半、部屋の床をありったけの紙とインクで浸して、俺はずるずると部屋を出た。
眠る気にはなれず、思考ばかりがむかむかと唸った。
テーブルの上に飲みかけのブランデーがあったので、ついでに呷った。
寝た後の胃が最悪の状態になるのは目に見えていたが、今は何も気に留める気になれなかった。
「・・・・・・」
煙草は切れていて、俺が荒立っている原因のひとつはそれだ。
ニコチン切れ、無様な話。
代わりにコーヒーでも飲もうと思ったが、淹れてくれる奴などいないので自分で淹れるしかない。
這うようにのろのろ歩いていると、ソファで目が止まった。
夜に浮かぶ角のシルエット。
かさかさと一枚の葉がその枝の中で揺れている。
寝息をすり抜けてゆっくりと覗き込むと、ソファに倒れるようにしてエッダが寝り込んでいた。
俺が転がり込ませた奇妙な男。無口の偏食。
相変わらず、瞳は伸ばしすぎた前髪に隠れて見えない。
身体はまっさらの状態で、毛布のひとつも掛けていなかった。
周りを見渡しても丁度いい布はなく、
俺はどこぞでよく見る「風邪を引かないようになにかを掛けてやる優しい行為」を容易く諦めた。
今、他人のために動けるほど俺の心は開けていない。むしろ、誰をも拒みたい気分なのだ。
それでも視線を離さず、俺はエッダを見つめ続ける。
胸だけが静かに上下していた。
寝ている・・・のだろう。確認する間でもなく。辺りは本やら何やらが雑然と散らばっていて、無秩序だ。
こいつが日常の中で何をしているのか、俺は殆ど把握していない。
奇妙な共同生活をしている癖に、俺たちはほぼ交わらない生活をしている。
それ自体が不思議なのだろうが、何も言わないところを見ると不満はないのだろう。
「・・・・、」
そんなことを考えながら視線を動かすと、ふと、エッダの手の辺りで目が止まった。
エッダの指先から零れ落ちた紙切れ。皺のついた紙切れ。
こっちは覗き込むまでもなく、それが何かを理解できる。
・・・俺の書いた、楽譜だ。
どこから持ち出したのだろう。その辺に落ちている奴を拾ったのか。
思いがけず、苦い気分になる。
楽譜は今と同じような気分で書いた、とりとめも主張も愛もない投げやりなものだった。
その証に、俺は自分で産み出したものをこうして無価値にして捨てたのだ。
自分自身で投げ打った、自分自身のぶざまな感情。
今エッダの真下にあるそれも、皺を作って様々な影を落としている。
わざわざ自分で拾い、開き、どうにか見ようとしたのか。
どうして、お前が?
答えの無い疑問は無駄でしかなかったが、
音を持たないエッダが何故楽譜を拾ったのかという疑問が俺の胸の中にひとつの小さな染みを残した。
現実に対してあまりに無機質に、無関心に生きている筈の、こいつ。
しばらくその場に立ち尽くし、楽譜とエッダを見比べていた。
・・・が、コーヒーが飲みたかったことを思い出し、首を振ってぬるくキッチンへ向かう。
二人分に増えた食器が放り込まれたキッチンは傍から見ればひどい有様だ。
一度はため息をついたが、この惨状に寄せる感情はない。
俺には汚さを計るバロメーターが生れた時から欠損しているのだ。
だからどんなに汚い状態を見ても片付ける気は起こらないし、むしろそれがある種のオブジェのように見え、
壊すのを躊躇うような気分になることもある。ネジの外れた、狂人。
苦しまず、実際にそこへ辿り着けるなら、どんなに幸福なことだろうか。
口の端だけを持ち上げて笑い、コーヒーメーカーに残ったコーヒーをカップに注いで飲む。
舌につけた瞬間に強い酸味が口に広がった。
顔をしかめ、カップを見つめ、それでも俺は二口目を飲む。
ゆっくりと歩き、再びエッダのもとへ行く。微動だにしない。深く寝ているのだろう。
角が立派に生えた姿は、トナカイの獣人をよく表している。
一度、何かの時にそう言ったら、曖昧に微笑まれた。
その時の表情を、何故か俺は今でもよく覚えていた。それを見た一瞬に、焼きついたといった方が正しいだろうか。
忘れてはいけないものだと脳が認識したように、エッダが見せたどの感情にも属さない笑顔は俺の中に未だ、はり付いている。
なんとなく、俺は眠りこけているエッダの頬を撫でた。
雪で漂白された頬はさらさらと滑らかな砂浜のような感触で、僅かに心地好いと思った。
「ん・・・・」
顔への違和感からか、エッダは身じろいで声を上げる。
起きて何かを聞かれるのも面倒なので、その場を離れてコーヒーに口をつけた。
もぞもぞと動く音が聞こえたが、幾分かするとまた静寂が戻る。
俺は心の端に引っかかった楽譜とあの笑顔を重ね合わせながら奴の視ているだろうものを考え、
ついでに、もう一度ばかりエッダの頬を撫でておけばよかったなどと思い、
広がったコーヒーの酸味と自分の馬鹿げた考えに、頭を掻いた。


スモーク&エッダ















悦楽融化


「お前は死んでるのか、怪盗」
「・・・可笑しな事を言う探偵さんだ。どうしたのですか?」
半分ほど熱に浮かされた顔で、僕は肌をさらけ出している怪盗を見上げた。
みつ編みのほどけた栗色の髪がゆるいウェーブを保って、背に絡みついている。
そこに隠れた横顔だけが、艶やかな湿度を保っている。
微笑んでいるようにも見える口元、吐息交じりの声。僕は倦怠に満ちた身体を捩って、彼の手首を掴む。
「お前の身体は、・・・冷たい」
「それを死と?」
「・・・いや。お前はいつも、遠くを見ている」
掴んだ手首は、氷水に突っ込んでいるような心地がした。
僕の火照った温度に呼応するように彼は振り向いて、掴まれた手を寄せ、僕の頬をゆっくりと撫でる。
やはり、その表情は笑んだままだ。
手を離し、僕は左頬をすべる指先を捕らえて口に含む。氷菓のように、それは甘い。
「ん・・・私、が?」
「そうだ。いつも、お前が見ているのは・・・ここじゃない、ずっと、遠くだ」
「・・・其処が死、という訳ですね」
「死んでいる、という言葉は適切じゃなかった。死に焦がれているのだろうと、僕は」
彼の抵抗はない。甘い香りに、僕の舌は無遠慮になる。
幽かに見上げれば、その瞳の色は穏やかな炎に満ちている。 香気の立ち上る身体。
それを凌ぐのは至難の技で、僕は彼の腕をやわらかに引き寄せた。
「・・・貴方の身体は、何時でも熱い」
「そうかな」
「ええ。心地良すぎて、時を、忘れる」
応えるように雪崩込んでくる身体は、白く湿っていた。肩に手をかけると汗で手の平が吸い付いた。
瞬間、目の前5センチに近づく顔は溶ける寸前の表情をしていて、我慢が出来ずに、僕は彼にキスをする。
唾液に雑じって、ねとり、と絡みついてくる彼の味。 弄ぶように軽く舌を啄ばむと、僅かにひくついた声が漏れ出た。
唇を離して、その音を耳の奥に閉じ込める。
僕の翡翠と君の翡翠の光が混じり、僕はそれを軽薄にも、美しいと思う。
「・・・僕は、お前を知りたい」
「この悦びを、より、良い物に・・・したいからですか?」
「・・・違う。こんな事は永く続く筈が無い」
「それならば・・・、私を、遂に捕える為ですね」
「・・・そうじゃない。違うんだ」
「・・・? では、何故」
微笑みを崩し、快楽におぼれる寸前の呼吸で、彼は問う。
彼の息が僕にかかり、僕は刹那に顔を歪めた。自分自身の感情を正確に言葉にするのは困難だった。
まだ掴んだままの手首が、酷く冷たいと感じた。
ねじれた行為。ねじれた熱。
揺らいだ視線が僕と繋がる。今だけの繋がり。決して届かない、幻の、繋がり。
「お前は、何かに囚われているだろう?」
「・・・何故?そう思うのです」
「答えられない。そう思うから、思うんだ」
「整合性がまるで無い。愚かですね」
「ああそうだ。僕は、お前を好くぐらいに、愚かなんだ」
二度目の問い。がむしゃらな切なさで、僕は自嘲と共に笑む。
憶測だけを並べて、感情だけを吐いても何も変わらないと知っているのに。
彼は目を細めて言葉を沈黙で受け取った。
そして、沈黙の代わりに、唇だけを重ねてきた。甘んじて受け入れれば、舌が絡んで、音が立った。
「・・・・・・」
答えなどない。問いもない。
それは互いに明確さをまるで持ち合わせない、逃げるような誤魔化し方に近かった。
それでも、僕にはそれが最も彼らしい答えのように思えたのだ。
衝動を諌めるように唇を引き、彼は眼を閉じる。
「貴方は本当に熱い」
「・・・ああ。生きてるから」
僕は眼を閉じず、彼の顔を見ていた。伸びる首筋に歯を立てようかと思ったが、止めた。
その代わりに彼の胸元に舌を這わせると、彼の身体はびくりと震えた。


コナン×奇妙















うみ日和


「んー」
海に来た。
ガラガラの日差しが肌に突き刺さって眩しさに視界がぐにゃぐにゃになる。
潮風が鼻をついて、ああ海に来たんだ、と思う。
プールは好きだけど、やっぱりこの空気には敵わねーな、と海に来ると実感する。
砂浜を歩くと見慣れたスイカの姿がある。海の常連。抜群にうたが上手いのに無駄にナンパが好きな兄弟。
ふたりとはココで知り合って、神のフェスで完全に意気投合して、今ではすっかり仲良くなった。
ひとりはサーフィンしてて、ひとりは浜辺でダラダラ寝そべってる。
こっそり近づいて、上から覗いた。動かない。
手を上げて、こんちは、ってアイサツ。
「よーっすー、久しぶりっす」
「・・・うおっ、びっくりした!」
「うははっ、寝てたんすか」
声をかけると、サングラス越しでもビックリしたって分かる顔がガバっと起き上がって、すぐに俺の方を向く。
大げさに俺は笑って、腹を抱える。
「寝てたよ!泳人、お前居るなら居るって言えよ!」
「なんすか、俺今来たんですよ、ムリですムリー。今日はなんすか、またサーフィンすか?」
「まーな。でもまァ、ブラブラって処だ」
「へー。いつも通り?」
「そ、いつも通り。あ、そーだ、お前今日夜飲むか?南十字星行くんだけど」
「うおっ、オゴリですか!?」
「・・・あー、分かった、おごってやるよ」
「っしゃ!行く行く、行きます!」
ふたりはサーフィンも相当に上手い。
つっても俺は泳ぐの専門だからよくわかんないんだけど、
どんな波でもぐいぐい乗ってくってのは相当なテクニックがいるんだと思うわけで、
やっぱこのふたりはスゴイと俺は感じるのだ。現に今もでかい波を捕まえてすべってるし。
俺は手を叩いて喜んで、夜飲むビールを思い浮かべる。
こっちのメシはめちゃくちゃ美味い。しかもオゴリ。サイコーだ。
「で?お前は?泳ぎ?」
「あ、そうっす!遠泳!バイト休みとれたんで、バイクで走ってきましたっ」
「へー。プール続けてんだ」
「もちろんっすよ。夏は外、冬は中!掛け持ちっすから」
「スゲー執念だな、オイ。なんだ、お前はサーフィンとか興味ねーの?」
「あー、ソレっすかー。や、俺は泳ぎに命かけてるんで!」
既にぐうぐうと腹を鳴らせていると、いつものようにちょっと誘われる。
俺はオープンウォータースイミング約してOWSっつう、遠泳の競技版みたいなヤツをやっている。
とにかく泳ぐのが好きで、少しでも長く泳いでたいってやってたらこうなった。
サーフィンは見てる方が好きだ。見てる方が気持ちいい。
そういう風にガッツポーズで笑顔を返すと、そうだよなーという顔をされる。
「そっかー、お前スジ良さそーだから惜しいんだけどなァ。いや、最近新しいサーファー来てよ、うめーんだ、これが」
「へー。この辺ってそもそもあんま人来ねーのに珍しっすね」
「フラッと来たんだよ。ありゃセンスってやつかな、スイスイ波使うんだ。高校生だぜ、そいつ。やんなるやんなる」
「若ェー!やー、才能だなー、ソレ」
高校生!俺より6は歳下だ。俺も才能がほしい。
このひとたちに上手いとか言わせるんだから、腕前はソートーのモンだろう。
「ホントになー。たまに教えてるけどそのうち抜かれるな、アレ。そっちはどーだ。大会出てんだろ」
「出てますけどねー。中々ねー・・・。つかそれより聞いてくださいよ!」
「あ?」
大会は年1ってのもあるし、OWS自体ドマイナーなのもあってなかなか状況は芳しくない。
でも今はそれよりバイト先のことの方が問題であってだね・・・
「あのっすね、最近バイト先にオンナノコが来んすけど、なんかもー、大変なんすよー!!」
「女の子?なんだよお前、願ったり叶ったりじゃん」
「やー、もー、まじで困ってんすよ!ポジティブすぎる、っつのも考え物って感じで!大体・・・」
そう、今更だけど、俺は、実のところ困っているのだ。
バイト先に毎週来るその「オンナノコ」は、最近野外プールにやってきた子で、獣人だ。
ポジティブじゃ抑えきれない性格アレコレで、なぜか俺は彼女に気に入られてしまったのだ。
海に来たのもそのゴチャゴチャから逃れるため、ってのもある。
毎日、応えられないラブリービームな熱視線を送られるのは考えてたよりかなりの重労働だ。
疲れるというか、やつれる?
その気持ちをどーにか分かってほしくて、肩を落としてそれを説明しようとする。
「エイトくぅーん!」
「そうそうこうやっていっつも付きまとわれてですね・・・」
「ん?」
「エイトくーん、マチルダを置いてくなんてヒドぉい!スッゴイ走っちゃったんだからぁ!」
「・・・・え」
「・・・あれか?噂のオンナノコってのは」
・・・すると、聞きなれた声がうしろから飛んできた。
やばそうな雰囲気にふり返ると、例のオンナノコがそこにいた。・・・悪夢だろーか?ついてきたの?
本能的に立ち上がって、身体が逃げるカッコをとる。
「エイトくんっ!こんなプライベート・ビーチがあるなんてマチルダ感激っ!
 ココでわたし達の愛を育むのね・・・キャッ、照れちゃうぅ〜!」
「・・・中々スゲーな。うん、確かに、大変そうだ」
「とっとととと、とりあえず俺、逃げます!あの!南十字星はぜったい行くんで!!」
「おー、7時ごろ来てくれ〜」
「あいっ!」
「ウフフ・・・ハッ!あっ、エイトくん!?待って待ってどこ行くのぉ〜!」
ビーサンのまま駆け出すと砂が舞い上がる。
とりあえず、バイクで撒く!
ポケットに突っ込んだキーを取り出して、握りしめる。
どすどすと追っかけてくる音が聞こえる。
ああもう!
パーになりかけた遠泳練習の予定を宙ぶらりんにしたまま、俺は全速力でスピードを上げた。


エイト&スイカブラザーズ、マチルダ















瓦解幽光


「光。欲しいのは、ソレだけ」
猫は温度も色もない笑みをにやりと浮かべて、少々だぼついた袖の中の腕をふらふらと振った。
馬頭の姿を湛えた石像は、あまり満足に動かない身体を俄かに揺らし、鋭く猫を見据えた。
「・・・故に主を求むるのか。貴様は何だ?」
まるで刃物のような視線を奇異な瞳で避け、猫はゆらゆら揺れた。一緒にお下げが揺れた。
完成当初は素晴らしい姿だったであろう朽ちた神殿の中で、和装の猫の姿はあまりに似つかわない。
白い石ばかりが崩れる景色に、猫だけが黒点のようにひとつぶの染みを残している。
「闇。かな。よく判んないな、アイマイだな」
「闇が、何故光を欲する。その交わりが産み出すのは消失のみだ」
猫は惰性に満ちた返答をし、それに反応した石像は手にしていた稲妻の形の短い杖を突きつける。
石像の言う通り、そして世界の摂理通り、光と闇は相容れない存在だ。
何故、と問う石像の声色には、お前は消失を望むのかという色が混ざっていた。
にっこりと猫は微笑み、その強健な質問を受け取る。
この世界で再三繰り返された、永劫のような摂理。
不可視なるその中間地点に堕ちた者の行方など誰も知らない。だからこそ、と、思っているのか。
「光、奇麗じゃない。あんなステキなモノに、触りたくないヒトなんていないでしょ」
「・・・美しさが、貴様を動かす理由か?」
稲妻の切っ先を眼前に携えたまま、石像は尚も問う。「何故」、と。
猫の見せるニコニコとした表情は先ほどから寸分も違っていない。
豊かな黒衣が死を纏わりつかせる。
微笑んでいるからこそ、その先の感情は透けない。生と死の狭間。光と闇の狭間。
「ソウ、だよ。ねェ、そろそろ会わせてくれない?その主サマにさ」
「・・・黙れ。貴様は黒き臭いを発す。主を、如何するつもりだ」
「どうする?会いたいだけ、ベツに他にリユウはないよ。何べんも言ってるでしょ、欲しいのは光」
黒き匂い、と喩えられたことで、初めて猫は一滴とて感情の存在していなかった翡翠の瞳を細めた。
ばさりと袖を振って両手を出し、徐に一歩を進む。
そこには何故邪魔をするのかと言いたげな、敵意のようなものも感じ取れた。
距離を縮めたことで石像の持つ稲妻と猫の鼻先とはもう数センチの余幅しか残っていない。
しかし、猫が捉えているのはどこまでも広い空虚でしかない。
まるで猫自身の意識がこの現世から外れてしまったように、その瞳に宿るものは何もない。
鋼のような視線を放ち、石像は圧倒されることなく猫を見つめる。
真っ直ぐに伸びた腕の先に存在する猫を、酷く不可解に感じながら。
「・・・貴様は、誰だ」
「ダレだと思う?」
「戯けるな。貴様は、誰だ」
「ソレ答えれば、主サマに会えるかな?アハハ」
脅えることなく、再び猫は問いに対して笑みを浮かべた。
自らをたばかる仕草は幾分の年月を経て得たものかは分からなかった。
今度は石像が目を細め、猫の発する無について思案を巡らせる。
あの光を視た猫が、感じるもの。
ケラケラと屈託なく笑い続ける猫に、石像は背後の神殿にいるであろう、主へと意識を送った。
あまりに不可思議な分子が、貴方に近づいている、と。


リソス&説ニャミ


















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