一方通行



見失った、と言うべきじゃないのは確かだ。
なにしろ俺があいつを見逃すことなんか無いわけだからな。
目の前の男は今しがた会って、今しがたエマに会ったと言ってきた輩だ。
俺はエマを追って、車道をバイクで南下していたところだった。
昨日モーテルで聞いた話では、こっちに向かっているのは絶対に、間違いない。
「んにゃ。もっと違うところだなぁ、ずっと北だった」
「マジかよ。北なら今通ってきたところだぜ」
でも、エマに会ったというコイツは、俺が昨日通った場所であいつを見たと言う。
さっきから、こんな問答ばっかりだ。
黒々と焼けた長身は、瞳が帽子で隠されて見えない分、男前に見える。
まあ、俺に比べたらまだまだ、ってところだが。
「エマ、だっけ?会ってるのにゃ間違いないと思うんだがねー。んー」
「誰かと間違えてんじゃねェのか?」
「間違うかー?だって写真見てんだぜー、今。間違わないさ、あそこ女少ないし」
エマの写真をふらふら振っている男は、何度も写真を見つめながら、
やっぱこの人だよ間違うはずないじゃん、と独り言を呟いている。
確かにあの辺には女のバックパッカーは少ない。
あいつが居たら目立つし、間違うはずはないと俺も思う。
「じゃあ・・・なんだ。オマエ嘘ついてるとかか」
「なんでさー、オレがあんたに嘘つく理由ないだろ〜」
「だってよォ、確かに俺、そこ通ってきたんだぜ。あいつを俺が見逃すか?見逃さねェだろ!」
「そんなん知らんよ。バイクだからじゃないのかね〜?」
それなら、この男が何やらヤマシイことがあって偽の情報を流している、と言ったところか。
俺がエマを見失うはずも、見逃すはずもない。
あいつに関しちゃ、俺は100%の自信を持って対峙できるのだ。
そう考えて大声を張れば、さらりとした仕草で男はそれをかわす。
・・・こいつを疑うにしても、こんな風に楽天的で何も考えてない態度をされれば、
疑う気も無くなる、ってモンだ。足をぶらぶらさせて、男は遠くを見る。
正直に認めよう。
エマの足取りの手がかりは昨日のモーテルの情報でしっかり尽きて、
その他には今、目の前で飄々としている男しか居ないのだ。
俺はエマに会う。
それは、俺が玄関を一歩出た時から変わらない決定事項だ。
その為にはこいつの存在が欠かせない。
鼻息を荒くして、俺は座席の下から予備のヘルメットを取り出して男へ差し出す。
「・・・。よっしゃ、オマエ、後ろ乗れ」
「はぁ?おっちゃん、何言ってんの。オレ先急いでんだけどなぁ」
「俺はおっさんじゃねェまだ20代だ!オマエがエマ見たところまで連れてきゃ一発だろーが」
勢いでヘルメットを受け取った男は、意味不明っつう顔をして首を傾げる。
残念だったな、俺はどう言おうとお前を連れていくと決めたんだ。
後部座席をバンバンと叩けば、お決まりのセリフが飛んできて俺は思わず声を荒げた。
何がオッサンだこの野郎。
「え、あんたまだ20代なの・・・」
「重要なのはそこじゃねェ!いいから乗れよ、あー、オマエ、名前は?」
「んー、ブラウン」
「俺はブロンソンだ、ほら、早く乗れ」
「早く済ませろなぁ。オレ、南行きたいんだからさー」
「南?」
「うん、南極」
「ハァ?」
南極?振り返れば、男はニコニコしている。
とりあえずエンジンをふかして、バイクで飛び出した。
エマ、今すぐ行くから待ってろ。イケメン連れてるからって、こっちに惚れんなよ!


ブロンソン&ブラウン















血の信約


「騎士様」
ルシフェルは呟き、失せた竪琴の質感を何度目かに思い出し、顔を上げた。
目の前では甲冑に身を包んだナイトがルシフェルを見下ろし、
圧倒的な悪の音を感じたまま、その仕草を静かな温度で見つめていた。
反響しない地で、氷に似た冷たさが沈んだ。
「・・・未だ、存在して居るのか」
「ええ。彼はこの地こそを欲し、私を貶める為に・・・あの場所に、居るのです」
ナイトの視線をすべてその身体に受け止めながら、ルシフェルは逃げることを恐れるように唇を開く。
絶えた地。失せた繋がり。
それでも、まだ完全な闇がそこに居ることをナイトは知る。
そして誠なる本質を理解し、彼の凝りが溶けていないことも、知る。
血色の存亡を見つめようと尚、互いを繋ぐ鎖は留まったままなのだ、と。
「其れは、貴様を、殺す為か」
「違います。私を生かしたまま、私を死に追い遣りたいのです」
「如何云う意味だ」
「・・・彼の持つ死を、私こそが享受すべきだと」
「・・・貴様が?」
「ええ」
赤き色は永遠に存続する訳ではない、とルシフェルは続ける。
彼が、ルシフェルを監視する媒体としていた竪琴が失われ、彼の力が弱まっただけなのだと云う。
彼。
ナイトは、ルシフェルから反響される影で彼の姿を知った。
ルシファー。堕天使と名付けられた者。
その冷たい瞳を、彼は一度として忘れたことはなかった。
今、目の前に身を置いているその澄明な瞳の色とは正反対の、暗い色。
重い槍を杖のように地に刺し、ナイトはひとつ、息をつく。
「・・・我は、其れを望まぬ」
「・・・私は。或いは・・・そうなるべきでは無いのか、と」
「何故だ」
そして、ナイトは自身の真実を躊躇いなく差し出した。
僅かに驚くようにしながら、しかしルシフェルは完全な美しさで形成された微笑みをナイトへ返す。
緩やかな悲壮感が照り、辺りを覆う。
「・・・唯、そう生まれてしまっただけで、凡てを背負うのは間違って居ると感じるのです、・・・私は」
「有れを、貴様は憐れむのか」
「私の半身です。私は彼無くして私では有り得ないのです、騎士様」
力強くもか細くもない、真実だけを告げる音色。 『互い無くして』という言葉を、ナイトは重く胸へ落とす。
共存なくして、彼らの関係性は成立しない、ということだろう。
ルシフェルは差し出しているのだ。ナイトの望みの完遂は、半ば自らと共にあるのだと。
ルシファーを絶つことは、自らの消失こそを意味するのだと。
2、3度首を振り、ナイトは槍を抜き、腰元へと納める。
「為らばこそ、貴様は、・・・真に我が命と同等なのだ」
「・・・騎士様?」
その重さは、ナイトにとってこの上なく大切な信念を汚すものだとルシフェルは感じていた。
悪を滅す正義の上に、騎士は自らの存在を許している。
ならば悪を共に抱こうとするルシフェルの生を認める筈がない、と。
しかし、ナイトは不可思議な動きをとり、抑揚なく呟く。
まるで己に云い訊かせるように。
「・・・貴様があの闇を貴ぶと同様だ。我も貴様と同等に、貴様を敬う」
「・・・ご冗談、でしょう?何を仰るのです、貴方様が何より重んじているのは貴方様の正義・・・」
「そうだ。我が信ずるは、我の正義だ。そして、貴様は、我が正義に値する存在だ」
流れる言葉を訊いたルシフェルは、信じられない、と、息を呑んだ。
ルシフェルがルシファーを存在の内の心に感じているように、
ナイトも、ルシフェルをそう感じている、という吐露。
目を見開けば、甲冑の奥に隠された芯たる瞳と、視線が透けるような気がした。
動じず、ナイトはルシフェルの驚きをその身に受け止め、徐にルシフェルへと跪く。
「な・・・」
「我は我の正義の元、貴様を守る盾と成り、悪を知る為に剣を振ろう。ルシフェル、・・・左手を」
ルシフェルの瞳が、2倍ほど開いたように感じられた。
ナイトは忠誠を誓うような格好でルシフェルと対峙し、その片腕を求めた。
名を呼ばれ、拒む意識の浮かぶ前に、ルシフェルは腕を差し出す。
ゆっくりと、畏れを含んだ仕草でナイトはその腕をとる。
そして、甲冑をわずかに押し上げると、丁寧な仕草で白い甲へ口付けした。
思いもよらぬ行動に、ルシフェルの身体はびくりと震え、その瞳孔は大きくなったまま縮むことを忘れた。
「誓いだ。我は、貴様の騎士と成ろう」
「・・・・・」
それは紛れもなく、ナイトがルシファーを肯定するルシフェルを肯定した上で、己の正義を貫こうとする証であった。
ルシフェルは冷たい金属の感触と暖かい唇の感触を抱えたまま、未だに信じられない顔つきをしていた。
赤い血は、まだその身に流れている。
生は生にしか成りえないという、真実を遺して。


ナイト×ルシフェル















ダークシード@influence


「めりー」
「・・・ロザリー。なにしにきたのよ」
ひとりきりでメリーは草むらに座わり、空を見上げていた。青い空だった。
愛するものがいる森が大変なことになり、気軽に森に入ることができない今、メリーの心は不安でいっぱいだった。
そこに声をかけたのは、ロザリーだった。
しかめ面で、メリーは振り返る。
ロザリーは誰かを石にしないようにうすいサングラスをかけていた。手にした籠には花がつまっている。
「・・・もり、しんぱい?」
「あんたもなの?」
「うん」
しかめ面のままメリーが問い返すと、ロザリーはコクリと頷いてメリーの隣に座り込んだ。
彼女も森にかかわるひとりである。
籠いっぱいにつまった花が、それぞれ強い香りを発していた。
ここは平穏すぎて、森の危険を感じることができない。
ゆっくりと、メリーはしかめ面をといて体育座りにした姿勢のひざに顔をおしつける。
そして、掠れるように呟いた。あまりに元気のない声だった。
「・・・パパが大変なコトになっちゃったらどうしよう」
ロザリーはわずかに自分の両手を組み、メリーと逆に空を見上げた。
まっさらな瞳で見つめる空はサングラスの色彩に邪魔されて、あまりきれいに写らない。
「おじいちゃまは、だいじょうぶだよ、めりー」
「分かんないじゃん。すっごいアブナイやつがいるって聞いたもん」
「でも、おじいちゃまはつよいよ、めりー」
「知ってる。・・・だから、こわいんだよ、ロザリー」
メリーは顔をあげ、ロザリーを見た。
それに気づいて、ロザリーもメリーを見た。
まるで美しい風景のなかで、ふたりの思いは青く塗られていく。
風が吹く。草が揺れる。
自然のすべてが詰め込まれた世界で、とても残酷なことが、とても身近な場所で起きている。
かなしい、とメリーは思った。
ちょっと涙がこぼれそうで、それでもメリーはロザリーを見ていた。
「めりー、だいじょうぶ、だいじょうぶ」
その目はあまりにも真剣で透き通っていたので、ロザリーはメリーのピンクの髪の毛を撫でてみた。
手のひらをめいっぱいに広げて、左右に腕を動かして、撫でてみた。
「・・・パパ、大丈夫だよね」
「うん。おじいちゃまは、だいじょうぶだよ」
珍しく、ロザリーの行動に怒らずに、メリーはその行為を受け止めて言った。
ロザリーの声は抑揚がなかったが、表情はやさしく笑っていた。
ここからは見えない森の中。
ふたりは、森の主の無事を祈った。大切な、自分たちの愛するひとの無事を、心から。


ロザリー&ホワイトメリー















すずの音


「レオくん!」
「ん?何、リエちゃん」
ベルさんとリゼットの知り合いのお店で僕らはささやかな飲み会をしていたわけで、
夜も半ばを過ぎたそんなパーティーがもうすぐ終わりに近づいてきたところで、事件は起こったわけだ。
「さなえちゃんが大変なの!」
ぐいぐいと僕の服を引っ張ったリエちゃんは、慌てた様子で向こうを指差した。
もう少しでお開き、となる直前で、彼女が慌てふためくのはちょっとヘンだ。
僕はリエちゃんが指したを方を見る。
すると、赤い顔をしたさなえちゃんが、ぐったりと白い椅子にもたれ掛っているのが見えた。
「・・・あれ?どしたの?え?」
「イズミさんが間違えてオレンジジュースをファジーネーブルにしちゃったのーっ!」
「ええ〜?」
リエちゃんは叫び声をあげて、この世の終わりみたいに言った。
遠くではスギがそのイズミさんに水をねだっている。
さなえちゃんは実にわかりやすく、フラフラしてした。顔を真っ赤にして俯いている。
彼女はめっぽうお酒に弱い。甘くて弱いカクテル半分でこんなになるぐらいに、だ。
イズミさんは申し訳なさそうに何度も頭を下げて、スギに水を渡している。
「さなえちゃんもうダウンだよ、レオくん送ってあげてよーっ」
「僕が?」
「そう!スギくん明日早くからお仕事あるんでしょ?レオくんは午後からだって言ってたから」
「まぁ、それはそうだけど」
「だからお願い!リエも明日までに出す洋服作らなきゃいけなくて・・・
 さなえちゃん、あれじゃひとりで帰れないから、お願い!」
「ん〜・・・」
その様を見ていると、ぐい、ともう一度服を引っ張られてリエちゃんは頼んできた。
今スギが介抱してるんだしあいつに任せれば、と言いかければ明日の仕事を持ち出されて、
そんなら君が送ろうよ家そんな遠くないんでしょ、と言いかければ学校の課題を持ち出される。
なんだか全部先回りされてるみたいな周到さだ。
でもイズミさんが飲み物を間違えたのは偶然だし、僕もスギもあのふたりもそれぞれの予定を今日知った。
だからこれは、別に計画でもなんでもないわけだ。
さなえちゃんはスギが持ってきた水をどうにかこくこくと飲んで、意識を取り戻したようだった。
「レーオくん!」
「・・・判った、送るよ、送る」
「ホント!?スギくん、レオくん送ってくれるって!よかった!」
「あー、レオ、助かる。さなえちゃんべろんべろんだからちゃんと送ってあげてくれー」
「はいはい。じゃ、何?今日はお開き?」
「うん、そうだね。もう、夜も遅いし」
「僕明日7時起きだ、あー、ムリ」
「んー、・・・うーん・・・・」
「さなえちゃん、大丈夫?立てる?」
「ん、うん・・・だい、じょうぶ・・・・」
「水飲む?無理しないで」
「ううん・・・・」
僕がしぶしぶ彼女を送ることを承諾すると、スギがホッとするような底のあるような顔をして、
リエちゃんはぼうっとしているさなえちゃんへ駆け寄ってスギと入れ替わりに彼女を介抱する。
僕はその光景を眺めて、なんとなく、小さく、ため息をついた。
そのあと少ししてから、僕らは4人揃ってお店を出た。
イズミさんは飲み物を間違えたときから最後までずっと謝ってくれて、逆に僕らが申し訳なくなるほどだった。
お店を出て少し歩いて、暗くなった景色で、僕らが帰路につく路線は見事にばらばらで、そこで僕らは顔を見合わせる。
「レオくん、ちゃんと、送ってあげてね」
「頼むよ、レオー。ちゃんと送ってけよ、ほんと」
「判ってるってば。女の子放って僕が帰るわけないだろ」
「ん、レオくん、ごめんね・・・・」
「いや、いいよ。さなえちゃんは気にしないで」
「いやいや。お前が言うな、スギ」
「今日はちゃんと休んでね?たぶん、お酒はすぐ抜けると思うけど・・・」
「ありがと・・・・」
「じゃ、レオ。頼んだぞー」
「お願いね、レオくん!」
「はいはい、了解了解。じゃあねー、みんなー」
手を振って、僕らは四方の道を四方に分かれていく。
地下鉄。バス。電車。それぞれの乗り物で僕らは帰る。
心配そうにさなえちゃんを見るふたりを先に家路へ向かわせて、そこで僕はようやくさなえちゃんをしっかりと見た。
「・・・じゃあ、行こうか?歩ける?」
「・・・うん。大丈夫」
頷いて、僕は彼女の隣に立った。
風が吹いて、彼女の黒い髪が黒い夜になびいて溶けた。
願っていなかった、ふたりきりの情景は彼女のシャンプーの香りがした。
ゆっくりと僕らは歩き出す。お互いの曖昧さを自覚したまま、あくまで、無言に。


スギレオリエさな















ごめんね


ああもう、なにもかもがむなしくて、かなしくて、ばかみたいだ。
ぜんぶわかってるのがすごく嫌で、なにもかもが嫌で、この景色も、あたしの顔も、目の前も、なにもかも。
それでもあたしは、あたしの本当を受け入れてしまって、どうやっても、涙を止めることはできなかった。
そう、目の前で、どうしようもないぐらいに伸ばされた手があっても。
・・・あたしは、それを拒む声すら、出なかった。
「・・・・おい」
声が聞こえる。
なにもかもを閉ざしてきた中で、この手ばっかりがあたしの中でムカつく力を沸かせていた。
さむくて、あつくて、すずしくて、心地よくて。どこでもない季節の中は何もかもが結局本当で。
あたしは本当にばかで、だけど先生だってきっとばかで、だけど、もう、どうしようもない。
どうしようもないんだ。
「笑ってよ」
「あ?」
鼻声でぐずぐずになった声であたしは言う。
ムカついて、いらだって。
かなしさだけがあたしの中を支配していても、こいつの前ではそんなことさえ忘れさせる。
いつかの賭け。
なにもかも忘れても、ぜんぶ思い出させてやるって、あたしはぼろぼろ涙を流したまま睨みつける。
「笑ってよ。おかしいでしょ、結局こうやって終わってさ。あたしがバカだったの、笑えば!?」
ああ、くやしい。
そうなったことも、こうなったことも、目の前の姿も。
しゃくりあげる寸前の叫び声。相手は呆然としてて、だけどひらいた目は妙に冷静だ。
「笑うかよ」
ポケットに手をつっこんで、どこでもない季節の中でこいつは言う。
がむしゃらなあたしの思いをはき捨てるような、温度のない声。
いちばん大切な時に、いちばん大切なことをしてくれない姿。
・・・だから、あたしは。こいつが、嫌いだ。
「・・・笑え!笑え!あんたが笑わなきゃ、あたしの、気持ちは・・・!」
嫌いだ。嫌いだ。大嫌いだ。
首を乱暴にふって、あたしはその顔を睨む。
さいしょから、さいごまで。そうやって、あたしを苛立たせて、ヘラヘラ笑って。
なら、今も笑えばいいじゃない。ばかみたいに下らなくあたしを笑って、指を指せばいいじゃない。
なんで。なんでよ。あたしの培ったものを、どうして、どうして。
くやしい。くるしい。むなしい。つらい。あたしは喚く。
「・・・笑わねェよ」
喚けば、言葉にならない言葉があたしの喉を流れ出ていく。
睨みつけた顔が余計真剣になって、それで、低い、声が出た。目の前。
いつだって、ふざけていただけの顔が崩れる。声がつまる。
「・・・なによ、笑えば、い、っ!」
驚いて、だけど、口は辛うじて動いた。
目だけがひらいて、あたしの視線は目の前の表情に打ちつけられる。
見つめたままあたしは怒鳴った。
でも、それを言いきる前に、その身体は動いて、あたしの言葉をせきとめた。
乱暴な歩き方は当たり前のようで、意味がわからなかった。
それはごく自然なような行為で、でも、たしかに。あたしの身体は目の前の両腕で、丸ごと、包まれていた。
「笑うかよ。お前があの人を好きだったことを、笑えるかよ!」
それは言葉で表すなら、抱きしめるっていう、行為だった。
耳元で言葉がひびく。あたしの耳に流し込まれる。
くやしい。くるしい。むなしい。つらい。そんなあたしを、ぜんぶ肯定するような、ぬくもり。
「・・・・やめてよ!ぜんぶ、無駄だったの!知ってるの!離してよ!」
暴れて、それでも、あたしは信じないと言った。
この全部が信用できない嘘なら、まぼろしなら、すべてをうやむやに出来る。
あたしの気持ちも、あたしの想いも、なんとなく、てきとうに、捨てていける。
なのに。なんで。どうして、と思う。
いつもみたいに下らないことを言って、笑ってくれればいい。
それでいいのに。
どうして、そんな風に、受け止めようとするのよ。
「お前はあの人を大切に思っただろ、それで自分でそれに気付いただろ、
 だから、そうしたんだろ!それは無駄なんかじゃない!」
「違う!あたしはばかで、先生のことなんか考えてなくて、先生の気持ちも知ってた、だから・・・!」
「でも、今日、ケリをつけた!」
「だから!あたしを、笑えばいい!みじめで、ばかで、下らないあたしを、笑えばいいじゃない!」
「笑わねェ!」
「どうして!」
「お前が、あの人のために、必死で出した答えだろ!?」
「!」
抱き合ったまま、あたしたちは、大声を出す。
出して、出して、息が切れる直前で、そう、言われる。枯れかけた喉がふるえる。
それは否定も肯定でもなくて、まるでそれは、あたし自身を差し出されてるみたいだった。
先生のために、答えを出したあたし自身を、抱きとめろって言われてるみたいだった。
あたし。・・・あたし、の、答え。
「だから、俺は。お前がどう言おうとお前を笑わねェし、責めねェよ」
「・・・・・・」
今更、包まれてる力が強い、とあたしは思った。バカ力で、痛いと思った。
それでもあたしは言葉をなくして、近くで聴こえるその声だけを追っている。目があつくて、鼻が痛い。
突っ立ったままで、あたしは、一度だけ鼻をすすった。
まぬけで、バカで、どうしようもない。
「・・・お前さ、偉いよ。だから泣くな」
それで、たぶん、こいつも、バカで、まぬけで、どうしようもなかった。
やさしい声。ゆるやかな声。
強い力が片手だけゆっくりほどかれて、あたしの頭のうしろに置かれた。
偉いことをした子を褒めるように、それは、やさしい仕草だった。
「・・・・・・う、」
泣くな、と言われて泣くのを止められるほど、あたしはいいやつじゃない。
だから、あたしはまっすぐになっていた首を前に倒して、その肩に顔を押しつけて、声をあげた。
声をあげて、どうしようもないぐらいに、つらかった、くるしかった、かなしかった、と、泣いた。


ロミ夫&ミサキ


















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