匂す指先


「・・・何を見てる」
「いやァ、奇異なモンだと思いましてなァ」
私の視線に講談師はにやにやと笑ったまま、こちらを向いた。
頬杖をついた格好は妙に近い。
熱くはないが、鬱陶しい。
見られる、ということにはこれまで慣れていなかった。
四六時中目の前の馬鹿に余計な視線を送られているため、少しは慣れたのだろうと思っていたが、
実際のところ、現在もまったく慣れていないことに気付いた。
指先を見つめられては顔を見られる往復にいい加減辟易した私は顔を上げる。
「・・・集中できん。何処かへ行け」
「アンタの不器用さは天才的ですな。何十分掛かってるんです」
かちゃかちゃとした金属音に講談師の声が重なった。
私は先程から、目の前の知恵の輪と格闘している。
その行動の一々に講談師は無駄な茶々を入れて、私の様を楽しんでいると言うわけだ。
あと一歩を保ったまま、金属のふたつの輪は離れることを拒んでいる。
両手の格闘と共に講談師を睨みつければ、意地の悪い顔つきだ。
「馬鹿を言うな。まだ30分しか掛かっていない」
「あたしなら三分で解けますけどねェ。あー、違う違う、何で其処で角度を変えるんです」
「はぁ?ここに通さないでどこに通すんだ、馬鹿か」
「アンタ、其処にもう十回は通そうとしてましたよ、其処じゃア無いでしょう」
「・・・・・・」
隙間と隙間を重ねれば高く声を上げられる。
ここ以外にふたつの輪を離せるような場所はない。
・・・確かにそれを再三試していてそこが離れる場所ではないのだろうか、
という疑問を薄々感じないでもないが、今はここ以外に考えられない。
指を止めて講談師を見れば、心底呆れた顔をされた。
「・・・じゃあここだろう、通りそうじゃないか」
「其処は違いますよ」
「いやこの大きさなら十分・・・あ」
「ほら」
「じゃあこっちだ、ここなら、」
「其処はさっき通した」
「通してないだろ、覚えがない、えー・・・、あー・・・あー」
「だから謂ってるだろうが」
「それならここだここ」
「違う」
「そんなことない!ここだ!」
「・・・」
「・・・・あー」
「・・・ったく!アンタの不器用さには本気で呆れる!」
「っ、うわっ!」
あっちだ、こっちだ、と私は最善の策を提示するが、逐一講談師はそれを一蹴する。
そんな問答は10分ばかり続けられたが、
結局一番最初の(後から思えば、の話だが)隙間に輪の片方を私が突っ込もうとすると、
苛立ちを隠しもせずに声を上げて、講談師は私の両手を引っ掴んできた。
「斯うだ斯う、何で未だ此処で間違えられるんだ莫迦かアンタは、
 此の隙間は陥穽なんだ、此処!解るか鴨川、良く視ろ!」
「なっ・・・、ちょ、名前、え、い、痛い」
突発的な大声、及び早口についていけず、私は目を丸くする。
声を荒げた講談師が珍しかったのもあるし、・・・気のせいだろうか、名前を呼ばれた気もする。
真正面に居た講談師は、そんな私に目もくれず、
掴んだ私の指をゆっくりと操るようにして知恵の輪を動かしていく。
今まで疎かな動きをしていた金属の輪は、講談師の白い指先によって生命を得たような動きをした。
「好い加減アンタの手先には辟易した!此処だよ、此処!」
「おいダース・・・、だから痛い・・・・・・あ、」
指先を弄り、私の手越しに講談師は言葉と正反対に滑らかに90度、輪を回した。
すると、あれほど強固に繋がっていた輪の片方が、大きな音を立てて机へ転がる。
私の手には、もうひとつの輪が残っている。
・・・外れた。
「ほらァ、外れた!」
「あ、ああ・・・外れた、な・・・」
「だから謂ったでしょう、学者様ァ!あたしの勝ちですね」
「・・・おい待て、いつから勝負になった」
その音で正気を取り戻したのか、子どものように声を跳ねつかせて、
講談師は勝ち誇ったような顔をする。
一瞬呆然として、私は講談師が元に戻ったことを安堵する自分に気付いた。それもどうだ。
それに今の発言にも全く納得できない。
まず黙れ、あと5分あったら自力で外していた。
「知りませんよォ。・・・ま、アンタにゃ柔軟性ってモンが足りないんですから?
 もっと理詰めの玩具で大人しく遊べば如何です」
「・・・うるさい」
もともとこれは研究員のひとりの趣味のもので、余ったから分けて貰った。
本当は、ただそれだけの話だった。
それを講談師に今更どうこう言われる筋合いはないわけで。
得意げに笑う姿に納得できるはずはないどころか、怒鳴られることにも納得できるはずはなく、
増してや名前を・・・呼ばれたのか?いや呼ばれたことにしておいて、
そうやって無遠慮に名前を呼ばれたことも納得などできないのだ。
私は憮然とした心持ちでいい加減捕らえられた手をどうにかしようと手を動かす。
・・・が、中々解けない。
「然し・・・」
「・・・?」
そうして引っ張ったり押したりしていると、まじまじとその様を見て講談師は呟いた。
もうすっかり普通に戻った目と視線は、完全に私の手に向かっている。
首を傾げて覗き込むように講談師を見れば、ゆっくりと視線を合わされた。
「アンタ、全く手弱女紛いに指が細いなァ」
「・・・指?だから、どうした」
指が細いからといって何をそんなにしみじみとする必要がある。とりあえずこの手を離したらどうだ。
意味なく手が触れ合っている現状に、お前は何の疑問も抱かんのか。
そう言おうと口を開きかければ、講談師はすぐに続ける。
「あたし好みの細さって事ですよォ、学者様」
「・・・・・は?」
にやりとして、至極満足そうに講談師は私の指に自分のそれを絡めた。
・・・・頭が今度こそ白くなり、私は自分が間抜けな顔をしていることをなんとなく理解する。
あたし、好みの、細さ。
・・・好み?
名前を呼ばれたことより余程大きな衝撃が、鈍器で殴られたように襲ってきた。
両手には熱に満たない温度の中、金属のつめたさが一滴存在していて、
それを感じ取った私は、これが夢でないことを改めて知る。
そしてそこでようやく目の前の馬鹿がとんでもないことを言っているのだと気付き、
ついでにそんな男から逃げようとも考えない自分の壊れかけた思考に冷や汗をかいた。


淀&鴨川















諦念と嘲笑


「・・・・ミドリ。あの子は?」
「出ないの一点張りですよ、変わりはないです」
真っ黒い油を垂れ流した地面にかごめは真っ黒いまま座り込んで、眼だけをミドリへ浮かせて聞いた。
どこにも属さない地の音色は漠然とした粒子の色をしている。
今しがた鳥のもとから帰ってきたミドリは、無表情をくずさず首を横に振った。
「あの子は、自分を差し出しているの。ここと同じ、なにもない、自分自身を見ているの」
「神がそう創ったのでしょう?」
「・・・そう。私と、あの子のこころ。あの子、酷いことをしている。だから、あの人はそうしたの」
あの人とは神のことだろうか、とかごめの遠い眼をミドリは追った。
かごめの胸に咲いた美しい百合だけが白さを主張している。
何もない自分自身という心。彼という心。
ふれるものすべてが、鳥と彼女とで埋め尽くされた黒さなのか。
粘ついた憎悪。掬い取れない哀しみ。
かごめを見れば、この場所と彼女の格好はまるで同じ物質で作られているかのように酷似している。
ミドリはかごめの言う「酷いこと」が気になった。
赤い鳥の行うこと。酷いこと。
鳥かごに閉じ込められた鳥。黒い少女。黄色の亀。羽の抜け落ちた鶴。
時の止まった闇の空間に神の手で放り込まれた4人は、
享受と阻害をくりかえしながら、互いを見つめ、知っている。
「・・・酷いこととは、なんですか?」
「自分を器にして、自分を傷つけたひとたちを危めようとしている」
「危める?」
「そう。自分を傷つけたすべてがなくなれば、すべてが終わると思っているの」
「・・・復讐、ですか?」
「あの子は、憎しみで、生きてきたから」
かすかなミドリの問いにかごめは答えなかった。
ただ白い手を虚空に伸ばして、彼を色づいた獣だといった。
餓えて餓えて餓えて、ついには空腹であることすら忘れてしまったのだといった。
あるいは自分こそが欲すことも忘れてしまった獣だと、ミドリに向かって差し出していた。
人からも離れてしまった自分たちを無感情に示している。
『あわれだろう』、と。
「貴方は、もう、その憎しみも悲しさも知っているでしょう?」
「知っていても、この腕は私を引きあげることができない。あの子は私。知っているだけでは、何も、できない」
哀れである、という緩慢な毒。
相手へそれを差し出しながら、その盃を飲み干しているのは彼ら自身だ。
復讐。憎しみ。抱えることの残忍さ。被虐。加害。哀しみ。擲ち続けることの残忍さ。
それは空くまでも演じるような、自らの誇示でもある。
騙らないまま、かごめは素足を撫でた。
「ミドリ。私は、あの子を助けたいと思えない」
感情を捨てさる、その直前の表情。そして、かごめは続ける。
同一を語り、それを認める意味の先にあるもの。
それは、限りなく真実に近い音色をして、ミドリのもとへ届いた。
「かごめさん」
「・・・私も、憎しみで、生きている。だから、私も、ここから出られない。あの子と私は、同じ生きものだから。」


かごめ&ミドリ















交織時好


「アンタも物好き、だねェ」
「・・・何故、でしょうか?」
訊いた女に、椿は笑った。
戯れに塗った唇の赤が乱れ咲いて、それは妖艶に色づいていた。
「アタシの傍に居るからさ」
「・・・私が、血塗れになるのがお好きだと仰っていました」
かしずく格好で女は椿を見上げ、無表情に唱えてみせる。
それでも椿の赤を美しいと吐息を重ね、かすめた視線で闇を追う。
「そうさね。アンタが死に物狂いで餌を捕って来た時の姿がアタシは好きさ」
「餌は、良く血を吹きます」
「この世のモノじゃア無いからね。アタシ好みの、アタシだけの餌だ」
「・・・そのお命を此方へ留める?」
「そうだよ。アンタは賢いねェ、憎らしい娘だよ」
椿は笑う。
油を使用した行灯がまだ明るい部屋の中を妙に暗く照らしている。色めかせている。
女は椿の言葉を微笑みで受け止め、着物の手入れを続ける。
戯れにも満たない会話。
互いに積み重なる、日々の底で繰り返される、呼吸にも似た必然の行為。
枯れた尊厳。失せた約束。心にしがみ付く鉤。
「・・・私は、ただの咎人です」
「嘗ては麗しい天の精霊だ。地の身体は自分で誂えたって訊いたけどね」
「荒い術です。精神の身体では毒が充分に廻らないと思い、造りました」
「・・・おやおや、未だ死にたがっている」
「それが私の罰ですわ、椿様」
女の二の腕にかけられた桃色に透ける羽衣は、すでにだらしなく垂れ下がり力を失っている。
それをチラリと眺め、椿は傍にあった紅を乱暴に親指で取ると、女の唇に塗りつけた。
わずかに女の瞳がうごき、視線が椿へと持ち上がる。
「・・・好い色だ。良く似合ってる」
「ご冗談はお止し下さい」
「逃げれば良いのさ、下らない罰からなんて」
「・・・逃げられませんわ。椿様が、ご自身の呪いを受け止めておられるように」
「は・・・、全く。本当に生意気な女だね」
赤い唇。離れた色。開く眼と眼。
女の唇が柔らかいと椿は思った。遠い約束。失せた約束。離れた岸辺に立つ姿。
重ね合わせるように、椿は親指を自分の唇に塗りつけた。
赤い血の色。熱情の色。真実の色。


椿&桃香















航空写真


「せんせー」
「・・・ハジメか」
おれは職員室に残った香水の香りを吸って、おれの好みじゃないなあと思った。
何度も嗅いだことのある匂いは、もう回数がおおすぎて誰がつけているものだか覚えてしまった。
先生しかいない教室。そこへ帰ってきたおれ。
校庭から入れる扉の前で先生は背を向けていたけど、気にせずに声をかけた。
何度目かの失敗。何度目かの成功。
来たひとと、追い返したひと。
「ミサキさんすか。懲りないヒトっすねぇ」
「・・・食うか、お手製クッキー」
「いりません。おれが食っても、意味ねえっすから」
給料日あとだから、おれはこんなカッコいいセリフを吐ける。
その他の状況の時のセリフは、おれの大切なプライドのために言えない。
先生は呆れるようなおどけるような顔をして、きれいにラッピングされたクッキーをひらひらをふった。
ミサキさん。
先生じゃなくて、おれからこのひとの名前が出るのはヘンだと思う。
おれとミサキさんは赤の他人で、先生って存在がなくなったらまったく関係がなくなるからだ。
自分の机に、ノートを放る。
「で、俺が食えってか。これ食っても、俺はあいつを好きにならねぇよ」
「好きになるならないじゃなくてー。ミサキさん、一途ですよねー。ゾッコンじゃねぇすか」
それはうまく机に乗っかって、思ったより大きい音をたてる。
そこに反応して口笛をふけば、それも大きい音がする。
ミサキさんってひとは先生を好きなひとで、3日に1回はここにくる女のひとだ。
モデルをしてる女子大生。
おれが見るかぎりではものすごい美人。
先生とは10ぐらい年が離れてる。
来るたびになにかしらのプレゼントを持ってきて、いつも熱烈アピールをしては先生にはねのけられてる、ひとだ。
「あいつは勘違いしてんだよ。おれを好きなのを恋愛感情だと思ってる」
「・・・はぁ? なんすか、ソレ。もてる男の嫌味っすか。それともおれに対するあてつけっすか」
「どっちでもねーし事実だよ。あいつは遠い親戚で教え子で、とりあえず一言じゃ説明できねぇ面倒な関係なんだ」
「ヘェ、教え子だったんすか。おれと一緒って初耳です。っつか教えてくださいよぉ、そこは」
「なんでだよ」
何度か会話をしたことがあって、その時からミサキさんはおれを徹底的に嫌っている。
・・・べつにおれはミサキさんのこと嫌いじゃないのに、ひどいと思う。
それを聴いた先生は「女のカンてすげぇな」なんてことを言っていた。
な、なんの話だろうか、あはは。
先生こそちょっとカンがすげんじゃねぇすか、とおれがその時おおいに冷や汗をかいてたのはバレてないことを祈る。
呆れた顔で先生はおれにため息をついた。
「・・・だって。ミサキさんおれには態度わるいけど先生には優しいすよ。料理うまいし。その上かわいーじゃねっすか」
「だから。あいつが俺を好きなのは錯覚なんだよ、しかもそれ本人、気付いてるしな」
「・・・さっぱり意味わかりません。コクられ過ぎて曲解してんじゃねっすか、せんせー」
いろいろ並べ立てても先生は動じないどころか、ミサキさんの気持ちをどうこういってきた。
確かにミサキさんは見てるだけでもなかなかしつこい女のひとだ。
でも、恋じゃないアレソレで女のひとが告白するだろうか。
たかだかのサッカクってやつで、あんなふうに行動できるだろうか。
ねえ、先生。
「曲解じゃねぇよ。まだ21だぜ、子供なの。その点がお前と一緒」
「なんっすか、それ!?21とかぜんっぜん大人っすよ!か、身体とか!そもそもおれは子供じゃねえす!」
「どういう話だよ。身体と頭は関係ないし、お前は子供なんだよ。そもそも、俺があいつを好きじゃねぇんだ。
 好かれてもないやつと付き合って何が楽しいんだよ。俺は嫌だね、あいつにも悪いしな」
はねたセリフの応酬で、はなしは舞う。
おれが子供で、ミサキさんは21で。先生はやれやれ、と言いたげな顔で。
身体いろいろはたしかに関係ない。いや、問題は、そこじゃない。
先生がミサキさんを好きじゃないとか、悪いとか、そういうとこでもない。
「・・・おれは、好きなひとが付き合ってくれたらそれだけで嬉しいっすけどね!」
そう、ここだ。
いくらひどくっても、おれがミサキさんを嫌いになれないのは、きっと底んところが似てるからだ。
たとえばそれが嘘だとしても、今のおれはたぶん、ミサキさんと同じようなところに居る。
『あきらめられない』。
出したおれの声は大きかった。それはおれの気持ちが本心だったからからだ。
「・・・・・だから子供だ、っつってんだよ、お前」
それを全部見こしたような顔で、先生はおれに言う。真面目な声。いやな声。
先生は知ってるのかもしれない。
だから態度で示すのだ、今はどんなやつの想いも受け入れない、って。
おれはミサキさんと、涙が出るどん底まで話をしたい気持ちになった。なんとなく。
別に好きじゃない香水の匂いはまだ職員室にちらばっていて、
7月になったっていうのに、ここのカレンダーはまだ6月のままの季節が貼りついていて、
それは今のおれの気持ちとおんなじようにじめじめしていて、ああ、なにもかもが似てる、と思った。
あつい夏が、もうはじまる。
おれや誰かの心に雨がふったまんまで、さわやかな夏は、もう、はじまってしまう。


DTO←ハジメ















再三の枷


「・・・漸くん。何をしてる」
「眠ィから寝る」
「どこでだ。ここでか」
「あー。眠ィ。アー、此処で寝る」
そもそもこの人種は眠くなるのだろうかと鴨川は思った。
それは鴨川がうだうだと寝ていたソファーにダースが目をこすりながら乗っかってきた最中で、
熱い身体が狭いソファーに覆いかぶさってきたのを大層鴨川は不満げに感じ、
半ば襲い掛かったような風体のダースを手だけできつく押し返す。
蛍光炎の顔つきが、その力でぐにゃりと曲がった。
「邪魔だ。僕だって眠い」
「俺も眠い。寝床が此処しか無ェんだよ」
「床で寝たまえ」
「なーぐーるーぞォー。テメェが地べたで寝ろ」
「殴ってみろ、君の異能を冒す」
「ヤってみろォ、顔タコ殴りにした後失神する迄犯す」
片手でダースを押しのけたまま鴨川が汚れた床を指差せば、曲がった顔のままダースも床を指し返す。
殴るだの異能だのという会話は互いに不満足な表情を呼び、より諍いの呼び水となる。
異能は特定の周波数に反応し、保持者の痛覚に直接訴える特性を持っている。
この痛みは激痛だ。
ダースでも詩織でも実験してその痛みが尋常でないことを鴨川は確認している。
見上げてくるそんな脅しにニヤリと笑って、ダースは紙のように軽い力の抵抗を取り払った。
凶暴なまでの力をダースは好いている。
そしてそれは特に、鴨川に対して使用することで濃度を増す、好意だ。
「止めろ!今は面倒だっ、僕は寝たい!」
「俺だって眠ィんだよ!腰掛け貸せェー、鴨ォ!」
それでも同様に、鴨川が動じずに暴れれば直前の考えはどこへやら、ダースもつられて声を荒げる。
結局、互いには今現在の眠気に勝てるほどのその他欲望はないらしい。
くすんだタオルケットを防具に自分の縄張りを保守しようと鴨川がばさばさやると、
負けじとダースも鴨川の髪の毛を掴かもうと襲い掛かり、ソファーの錆びたスプリングがぎしぎし言った。
「嫌だ!このっ、漸くんっ、ジョルカエフ殿の紳士な行いを見習いたまえっ!」
「アァ!?あんな洋装の莫迦知るか、何が紳士だ言葉遣いだけだろォが!」
「君よりはよほどマシだ、あの鉤爪で浚われたいと君は思わないのか!」
「思うのはテメェと阿呆な桃だけで充分だ!寝かせろ!俺が態々テメーの隣で好いって謂って遣ってんだよ!」
「君は熱くて重いっ!今は夏だ!冬に来い!」
「黙れ!俺は寝る、冬にしたきゃア冷風でも焚け!」
「・・・、・・・・・成程」
「あ?」
「・・・僕としたことが。成程、冷風か」
怒声に告ぐ怒声はなぜか淀川ジョルカエフの話題を誘い、そして颯爽と去っていく。
鴨川の体力がそろそろ限界を迎え、ダースが今にも鴨川愛用のタオルケットを破ろうとしたとき、
ぴたりと抵抗を止めて鴨川はハタと気付いたようにダースを見上げた。
彼が言った言葉に、珍しく・・・納得、したためだろうか。
唐突に動かなくなった鴨川を訝しそうに、ダースは顔を近づけて首を曲げた。
「鴨ォ?」
「漸くん。君も時々役に立つんだな」
「・・・テメェ喧嘩売ってんのか?」
「何を言ってる、褒めてるんだ」
さらりと言うと、鴨川は近くの床に捨てられていた白いリモコンを取り、赤いボタンを押した。
すぐに上のほうにあった機械がういんと動き、暫くしてダースが言った通りの冷風が部屋に流れ込んでくる。
「・・・お」
「さぁこれで涼しくなる。漸くん、お望みどおり寝たまえ。特等席だ」
「・・・誘ってんのかァ、御前」
「僕は眠いんだよ。ここが冬なら、君の熱さはさながら電気毛布と言ったところだ、快適な眠りを誘発してくれる」
「・・・・俺も眠い。テメーの細さは枕に丁度好いんだ」
それを確認すると、鴨川はソファーの奥に詰め、ゆるく指の第二関節で空いた隙間を叩いた。
冷風の設定は常に15度になっている。 確かに、冬の単語に間違いのない室内温度になるだろう。
ダースは眠気で細く締まった目を鴨川に向けると、その余った隙間に潜りこんであくびをする。
「・・・漸くん」
「何だァー」
「顔が近い」
「眠いんだよ」
「そうか。僕も眠い」
タオルケットを共有した互いの姿は珍しいを通り越し、若干滑稽なありさまだ。
ソファーも狭いので身体も顔も随分密着している。
徐々に冷えてくる室内に、鴨川は引っ付くようにダースへ寄った。
もう互いの眠気は限界のようで、いつものような言い合いもすぐに途切れる。
そしてやがて聞こえてきた寝息およびその体勢と、その部屋の異常な寒さに詩織が絶叫を上げるのは数時間後の話だ。


2P淀鴨


















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