A-Market > text-T
















牢と口腔


其れは実に頑なで、嫌悪に満ちた視線だった。
抑え付けた感情を隠し切れない愚かな態度、とも謂えた。
真っ直ぐに其れを受け止めれば、俄かに脅えた様な反応が混じり、実に、愉しかった。
「・・・止めろ。離せ。力に訴えた所で・・・・」
「従わない、と?」
「そうだ! ・・・、っ、」
掠れた割りに強い口調だ、と、感じる。
目を細めて掴んだ右腕を捻り上げれば、直ぐに苦しみが顕わになる。
其の儘力を込めて、痛めつける温度を見せ付けた。従うと謂ったのは、其の口だろう、と。
「ヘェ。アンタも中々、強情な方だ」
「や、めろ・・・」
尤も強い欲を抱いた侭の、背け方。
此の身体では無く、あの鬼でも無く、目の前の男が秘めている物。
全て見透かされて居ると謂うのに、未だ、慢心の中で己を騙し続けている、浅はかさ。
「アンタは御自分の心を知って居るでしょう」
「何・・・!?」
此の男は、莫迦では無い。そう、莫迦で無いからこそ、愚かなのだ。
机に背を向けた格好を押し付け、逃げ場を無くす。痩せた肉の感触が響いた。心地好い。
「・・・ええ、御自分の薄汚い欲望を、すっかり知って居られる」
「なん、だと・・・・・・」
利用する、と謂う事。
異能の娘。鬼の情報。等価では無い取引。或いは、此の男自身の、貪婪さ。
目を見開き、逃げる様に声は萎んだ。枯れた瞳の奥が惑いを捉え、息がひくつく。
・・・嗚呼、そうやって、もっと醜く圧されればいい。
此の喉から吐かれる何もかもに汚され、沈め。
「・・・学者様。其の口で仰れば如何です、『私が求めている物は・・・、』」
「・・・止めろ!黙れ!何も言うな!!」
力を強める。けたたましい声は、金切るに近い音をする。顔を近づけ嗤えば、目を逸らされる。
「既にあの鬼、では無く・・・」
「言うな!止めろ・・・!」
饒舌な口は意識無く動いている。此の声も僅かに掠れていた。気持ちが昂ぶる。
「此の闇に、惹かれて居る・・・」
「止めろ、嫌だ・・・!」
首を振って、逃げようとする身体を抑えれば、堪らなく細い骨の形が食い込んで来た。
溺れろ。堕ちろ。唯、不様な享楽と失意の形を、見せろ。
「・・・此の闇、ですよ」
「頼む・・・・・止めてくれ・・・」
目の前の姿を理解させるようにすれば、不意に閉じる目に混じり、まるで懇願する声色が付いてくる。
か細く綴られる其れは酷く好い湿り気を帯びて、此の耳へ届く。
舌が其処へ、乱暴に居場所を求める。
ゆっくりと耳へ口を寄せ、この上無く甘く、囁いた。
「学者様。・・・貴方はあたしが欲しいんでしょう?」
机に押し付けられ、斜めになった身体が、其の科白と共に強張る。其れが伝わる。
気付き、視線を緩やかに放れば、細く撓んだ目が存在した。
崩れ落ちる、正に一歩前の、温度。
「だめ、だ・・・・・」
・・・唯、其の何もかもを呑み込みたいと想う。
崩れ、溶けて、流れ出る此の一瞬を我武者羅に、其の身体へ注ぎ入れたいと、想う。
磨れた呼吸から紡がれた声は、もうどんな力も持たない。静かに唾液を飲んだ。
暴かれた心を喰らい尽くす準備は、疾うに出来ている。

淀×鴨川















ナカノ鳥


「失せロ」
「・・・貴方は、何故それ程、拒むのですか?」
「僕は、ヒト如きに、指図されル覚えハ無いンだ」
鳥は抑揚なく言った。
吐き捨てるように、それは乱雑で温度のない声だった。
ミドリは小さく唇をかみ締め、鳥の目を見る。
ふたつのまぶたに挟まれた、小さな光は敵意に満ちている。
このくらい空間で、なにもかもの感情を闇へと変えていくような、それはひどくさもしい瞳だった。
「彼女も、貴方を出す気はないと言っていますね」
「あレは異質ナ女だ。愚カで浅ハかで、醜イ女だ」
「彼女は己が何者なのかを知っているだけでは、ないのですか?」
「・・・・貴様モ、いけ好かナい女だな」
巨きな鳥篭はその用途にたがわず、鳥を篭の中に閉じ込めている。
動かない時を守り続けるこの暗がりは永劫に続くのだろうか、ミドリは幽かに空を見やる。
突然ここへ連れてこられたとはいえ、ミドリに不条理な想いは存在していなかった。
『ここは時の挟間、エアポケットさ。お前たちには丁度いいだろ』
神の言葉を信じるならば、外界と隔たれているであろうこの場所に、時間の流れは存在しない。
ならば留まるべきだろうとミドリは思った。
黒き彼女の姿は爛れた己をまるで理解している目だったし、
鶴の女は抑揚のない静けさのまま、自身の想いを頑なに守ろうとしていた。
そして、目の前の鳥だ。
この鳥が抱えているものは、恐らくミドリでは到底抱えきれない。
幾らその心の豊穣さがあれど、一介のバスガイドとしてのミドリが全てを受け入れるのは無理な話だった。
そう、この鳥を擁くことが出来る者はきっと、あの黒い濡れ羽色をした彼女に他ならない。
あの心とあの存在は、稀有に産まれたものだ。
この鳥もそれを理解している。
そう、この鳥も、ある種稀有な存在として、ここにいるのだ。
「構いません。貴方は尊大で傲慢ですが、賢い方でしょう。この檻は貴方がた自身だと知っている」
「・・・減らズ口だナ、ミドリ。僕は此処から出ル気など、毛頭無い」
「それでも。貴方は己という檻から出るべきです」
鳥が己を知るのと同じように、稀有な彼らを、ミドリは知っている。
そして、彼らが通うときに初めて、この鳥篭が意味を持つのだと。
自分と、鶴の女、千鶴は彼らに足りない何かを補助するべく集められたのだと、おぼろげにミドリは思った。
赤い鳥の羽根が床に舞っていた。自傷のような舞い方だった。
鳥が望むもの。彼女が望むもの。千鶴が望むもの。そして、ミドリが望むもの。
まだ四者の想いは完全に交叉することなく、この闇の中のわらべ歌を廻っている。
染みるような赤の極彩色。
目を細め、ミドリは余りに鮮やかな鳥の色をまるで希望のように捉え、刺す視線を受けた。

パロットとミドリ















獣と化物


『おれはバケモノですよ。ひとでも、けものでもないから』
そうおれは書いて、バケモノと、自分をそう喩えたおれ自身を、笑った。
暫くそのメモを見つめたあと、あなたは驚いたように目を円くして、片手で口を覆った。
サングラスのない顔つきが新しくて、しっかりと目の形が判って、
あなたの瞳が濃紺をしていることが今さら、おれに響く。
「・・・獣人なのは、俺もだ。今時、俺みたいな奴は珍しくもない」
それは思っていたより余程優しい瞳だった。
唸って、あなたはおれを諭すように云ってくる。大人の口調。何もかもを甘くする、大人の魔法。
たしかに獣人っていうのは、珍しい人種じゃない。
おれを見た人だって、はじめはどこにでも居るトナカイのハーフだと思うだろう。
でも、1ヶ月ぐらいおれと一緒に過ごせば、わかってしまう。
おれがどんなに醜いいきもので、おれがどんなに呪われたバケモノか。
『おれはジュウジンじゃないです。おれのツノは生きてるから』
今、おれの角には包帯が巻かれている。
あなたが巻いてくれたものだ。
今日はあなたのところにおれが転がり込んで、1ヶ月と少したったころだった。
おれがバケモノだと暴かれる絶好の機会で、
その通り、おれは自分の角を切り刻んで、血まみれになって、気絶した。
そして今あなたに介抱されて、目を覚まして、わけを問われて、ここにいる。
「・・・悪い、意味が分からない。俺はてっきり、お前が・・・自殺でも、したのかと・・・」
ジサツ。たしかにそっちにも馴染みはあった。
けれど今回のものは、それとは違った。
むしろ、ここに居たいからやった、といった方が正しいのかもしれない。
望んではいけないことをおれは望んだ。わかってる。
少し考えて、メモにペンを走らせた。頭がにぶく、ずきずきと痛んだ。
『おれのツノは、木です。おれのいきる力をつかって、のびます。
 そのままにしてると、木に、おれは、くわれます。
 だから、切ります。切るといたいし、血もでます。
 でもそうしないと、おれは木に体をとられて、おれがなくなります。
 おれがしゃべれないのは、たぶん、アタマのずっとおくにもツノの木がいるせいなんだと思います。
 きょう、そうしたのは、ジサツじゃなくて、おれが生きたいので、しました。すいません』
メモがおれの文字でいっぱいになった。ゆっくりと、あなたに見せる。
細かい文字にあなたは眉間をよせて、目玉を左右に動かしていく。
長い時間がすぎていく。
おれっていうおれを、誰かに話したのはほんとうに久々だった。
喉がかわく。居心地がわるい。頭がいたい。
ハサミで角を切った感覚が戻ってきて、鳥肌と冷や汗が出る。
「本当の、話か」
視界がいつの間にかかすんでいる。けど、あなたがこっちを見て問いを投げかけたので、頷いた。
考えるような視線。真面目な顔。澄んだ目。
この話を本当だと扱ってもらうのも、たしかに無理な話だと思った。
ずいぶん、人にこの話をしていなかったので、そんな当たり前のことも忘れていた。
あんなことをした時点で、おれはたぶんここには居られなくなる。
知っている。
おれはそうやって、すべてから逃げるように、ひとりで呼吸してきたんだ。
「・・・ずっと、あんなこと、してたのか」
もう一度、頷く。
大概はそれのせいで、おれは一人になっていた。
一度、木に意識を食われて動物を無差別に喰らったこともあった。
雪の中に、きれいな鮮血が舞っていた。
おれの口は真っ赤だった。木はおおきく生い茂っていた。
おれは狐を生きたまま食べたらしくて、右手には内臓を散らかした肉塊が白目を剥いていた。
それを見た人の叫び声で、おれはかろうじて自我を取り戻したんだ。
「バケモノ」、という、その言葉で。
『なにからなにまですみません』
それまで、おれは確かに普通の人と違う、へんな生き物だと感じていたけれど、
その時から、おれははっきりと自分がバケモノであることを認識した。
云えることは見つからなくて、おれは謝った。申し訳なかった。
見つからないようにやったつもりだったのに、結局、暴かれてしまった。
「・・・なんで、謝る。それはお前のせいじゃ無いだろう」
口を濁して、あなたは云った。
そういえば、あなたの家の前で倒れていた時も、おれは角を切って激痛に意識をなくしていた時だった。
あのときは幸運だった。
血もなかった。切った角もなかった。あなたは優しかった。家へ呼んでくれた。
『めいわくですから』
いまも、優しい。優しすぎるぐらいだ。
だからあなたは、もしかしたらおれを暗い思いで見ているのかもしれない。
けれど、おれにはその利用するような温度が心地よかった。
それでも傍に置いてくれる優しさが、あなたにはあった。
「迷惑じゃ、無ェよ。・・・まだ居ろ。行く場所は、ないんだろう」
・・・・・・ほら、こんなにも、やさしいじゃないか。
おれはメモをめくって文字を書こうとしたけれど、だめだった。
指先がふるえて、息がつまった。
誰かの前で泣くことも久しぶりすぎて、おれは、あまりに下手なやり方で、メモのうえに涙を落とした。

スモークとエッダ















おはよう


「つまんないですね、雨」
カジカは窓にへばりついて、そう呟いた。
上目に向かっている視線は窓の外の空に集中している。
外は雨で、いつも砂埃を巻き上げる風も湿り気に覆われていた。
ここいらは、この時期になると雨ばかりだ。外に出る気もないのか、ため息が聞こえる。
「・・・雨の音しか無いってのも、良いけど」
こつん、と冷えた硝子に頬と額を擦りつけて、俺へと視線を向けてくる。
笑ってるような、笑ってないような。
そんな曖昧な表情がちくちくと刺さってくるのは、あまり良い気分じゃない。
俺は銀細工を磨きながら、甘い目をするカジカを一瞥した。
「雨って、ソの音なんですよ。あの歌と始まりと同じ」
幽かに目が合えば、薄い唇でカジカは喋った。あくまでひそやかに。
あの歌。
掘り返されたくない領域を、この男は時々、まるで安易に踏み荒らしてくる。
それは、カジカに根づいた純粋で凶暴な想いの所為なのだろうか。
俺が背け続けている感情の、無垢さ。
「・・・おれを、貴方に出会わせてくれた曲です」
こっちを見つめたまま、淡く微笑んでいる顔は妙に神秘的な温度を、している。
なんとなく俺は手を止めてぬるくまばたきをしながら、
金色の髪と、サンバイザーのないさっぱりした頭と、小奇麗なルックスを見比べて、
改めてこの姿が俺の領域に存在していることを不思議に思う。
「お前の求めてる俺は、今の俺じゃないだろう」
この時間の中、初めて、俺は言葉を発した。低く湿った声が部屋へ響く。
少しだけ目を反応させて、カジカは永い間硝子に付けていた皮膚を離し、身体を起こした。
ゆっくりとした動作。雨の音が、わずかに耳に入ってきた。
俺は、カジカのような音感を持っていない。
この雨の音がソの音階だと、俺は認識できない。
「・・・貴方ですよ。貴方だから、おれはここに居るんです」
それが悲しいことだと俺は感じなかった。
カジカは身体を真正面に俺へ向けて、目を細めた。
細い身体は、1ヶ月前に表れたときと何も変わっていない薄さで、変わったのはその服装ぐらいだった。
まるでふやかしたような肌の色。
素面でも言えない科白を呟いて、カジカは片膝を抱えてほんとですよ、と付け加える。
止まない雨が鳴り続いている。片手に持った銀細工を俺は眺め回した。
手製の髑髏は歪な形をして、俺を見ている。ソの音か。
試しに、細く出してみた。
決して俺の中に戻ってこないもの。「過去」、そのもの。
「・・・、え、」
驚いたようにカジカが立ち上がる。椅子が揺れて床とぶつかり、大きな音がした。
喉が嫌悪感を示す。声が震える。無理だと悟り、すぐに音を閉じた。
「・・・い、まの、音」
近寄って、問うような声色のカジカはいつの間にか、目の前にいた。
俺には、もうこれを完全に紡ぐことができないと判っている。だからこそ、震えていたのだ。
だからこそ、俺はこんな姿になった。そう、願った。
自嘲するように笑って、首を振る。わずかに潤んだ目が見えた。女々しい奴。
そう思って磨き粉を髑髏に付けると、深呼吸をして、カジカは言った。
「・・・やっぱり、おれ、貴方が好きです、ファットボーイさん」

ファットボーイ×カジカ















呼吸困難


悲しくなって空を見上げたその先にある黒い影は確かに見知った彼女のもので、
ツララは歪みきった顔をなんとか彼女へ向け、声をあげた。
すぐに微笑みは返ってきて、盗人の顔をした彼女はツララの前へ舞い降りた。
今日は土曜日だった。
「レイヴ。・・・どうしよう、あたし」
「随分な格好ね」
彼はいつか悲しいけもののようになってしまって、ツララはいつかわんわん泣いた。
孤独を埋めるものなど存在しないのだ、という理解なんていらなくて、
その事実を塞ぐために、ツララはその時なんでもした。
白と赤の幸福を捨てる直前までいったし、髪を切ろうと思った。
そして彼のように壊れてしまおうとも思ったのだ。
「・・・デイヴ、とは違う、トナカイに会ったの。冷たくて、独りっきりだった。角が、伸びてて・・・。
 あたし、そのカッコ見て、その人も、ウサおくんとおんなじぐらい、遠くて。
 もう、ウサおくんが、届かないところに、行っちゃったみたいで・・・、ダメ、泣きそう」
「エッダに会ったのか。確かに、彼とあの兎は似ているね」
「知ってるの。その人のこと?似てるってどういう意味?」
「知っているのは、マリィの中の神だ。言っているよ、二人とも「破滅的な天才」だって」
「・・・・」
救いたいと思ったことなど一度もない、彼女は共に居たいと願っているだけだ。
なにをも超越した存在だと、宇宙が、神が彼をそう取り決めたのならば、
どうして自分もそこへ引きあげてはくれないのかとツララは思う。
破滅的に生きることは生をなげうつことなのか、すがるように彼女へ目をやる。
ツララが見たトナカイ、エッダという男は、
言葉を発することもなく彼女の前に表れ、そして去った。
孤高の生き方をうまれた時から選んだような背中。
それはこの世のすべてが絶望に映っていたツララの視界にはあまりに残酷な温度をしていたのだ、
その表情のないこころの先に、誰も寄り添わない冷たさがあったのだ。
「ウサおくん、笑ってくれるの。無理してる。いつでも、苦しそうな顔で、あたしの前では笑ってくれるの」
「兎はもう戻ってこれない。君を大切にしているからこそ彼は、」
「やめて!!!」
それはあまりに彼と似ている残像だったのだろう、ツララは金切り声をあげた。
今しか存在し得ない彼女には時間がなく、なにもかものむなしさだけがそこにあった。
しかし柔らかな感触で、彼女はツララの肩を抱く。
それはむなしさの存在を認めながら、なお生きようともがく、彼女のまことのぬくもりだ。
「・・・君は彼に愛されていた」
「いやだ、あたしは、ウサおくんのそばに居たい」
ツララは頑なに、彼がそれを望む理由などない、と首をふる。
孤高の男が彼と同じ匂いを纏っていたから、彼の真意であったから。
そんな理由など、なにひとつ彼には関係ない!
顔を両手で覆い、長い髪をツララはふり乱す。
「あたしは、ウサおくんに、まだなんにも返せてないのに!!!」
失うことを誰が望んでいたのだろう、誰が願っていたのだろう。
その真実をとらえることの出来ないまま土曜日が続いていく。
誰の影をも消したまま、この夜さえも消えていく。
こうしてうつつを生きる彼のとおい笑い顔といっしょに、すべての想いは、消えていく。

(ウサ)ツラ&レイヴガール


















Back