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思を攫う


「あ?何・・・?・・・ギター?」
いつものように、お世辞にも上手いとは言えないエッダの文字を、いつものように、男は捉えた。
訝しがってメモ帳に目を近づけたあと、上目にエッダの顔を見れば、「そうだ」と言わんばかりに彼は頷く。
「なんで、お前が?」
そう訊けば、すぐにメモ帳を自分のほうに戻してすらすらとペンを走らせる。
ギター。
自ら発する音を持たないエッダに、楽器をせがまれると思ってもみなかった男は、
その様を見送りながら傾げた首で自分の部屋に散らした五線譜を思い出し、顔をゆるく顰めた。
『ひきたいからです。ギター』
すると、書き終わったらしい簡素な文をふたたびエッダは突き付けてくる。
弾きたい、ということは、弾ける、ということだろう。
そんな風に考え歪めたままの男の顔に少々不思議な表情を見せながら、エッダも首を傾げた。
「・・・ギター、なァ」
男は音に尤も近い場所にいる。居た、と言った方が適切かもしれない。
ギター。音を奏でるもの。音を造るもの。
声を発しながら、それをエッダには与えたくない、と、男は低い温度で思う。
あまりに残酷であまりに幼稚な理由はいつでも途方無く醜い。
随分、顔色の良くないエッダを見つめ、首を横に振る。
「そんなモンは、家には無ェよ。残念だったな」
しかし、その醜さを男が顕わにすることは決してない。
エッダ一人分の重みを、男はもう知ってしまった。
ぬるく残る、膿みのような自我を抱えたまま、表情を変えずに男が言うと、
エッダはそうですか、と頼りなくメモ帳に書き、それきり下を向いて黙った。
指先がペンを弄んでいる。
その細い指が弦を押さえるさまを、なんとなく、男は想像する。
彼自身が紡ぐ、物憂げで力強い、音の色。
半ば自らそれを捨てた男の心地に、空想のエッダの姿はひどく不愉快に映った。

スモーク&エッダ















皮相哀護


「!」
咄嗟の出来事で、私は、とりあえず、言葉を失った。失うべくして、失った。
なぜだか私の目の前は真っ黒で、時折不用意な灰が混ざっていた。
一番頭に残っているだろう赤の色はそこにはなく、その代わりの温もりばかりが私の顔を支配していた。
「・・・・な、は、離れろ」
押し付けられた感触からは、くぐもった声しか出ない。その言葉さえ、高く歪んでいる。
目の前の、着物の持ち主の言葉はない。息遣い。永遠の鼓動。
背を覆う手のひらふたつは背で、きつく締められていた。
・・・私を、頑なに捕らえようとするように。
「・・・おい」
何が一番問題かと言えば、それは、私がこのことに動揺しているだけだ、ということだろう。
不快な感情を私自身が全く抱いていないという、事実だ。
再び声を掛ければ、息が耳越しに掛かった。思わず体が強張る。殺した笑いが幽かに聞こえてくる。
「・・・厭ですよ。折角斯うして掴まえたんだ、離すなんて勿体無い」
低く、高らかに。そうして、私を抱いた講談師は言う。
本心なのか、虚言なのか。跳ねた胸の温度はそれを判断するには適さない。
頭の芯が火照っているような感覚が続く。勿体無い。何がだ。自問自答ばかりが連なる。
暖かい。心地よい。
そう思う自分に、苛立ちと居た堪れなさが重なって離れない。苦し紛れに、聞く。
「ならば、・・・どうする。このまま、こうしているのか」
「ええ、そうですねェ。アンタは中々好い体温をしていらっしゃる」
そうすれば、その想いに追い討ちを掛けるような言葉を講談師は吐き、余程体重を私の身体へ乗せてきた。
逆効果だった、と認識する前に重みが現実となって圧しかかって来る。
少しよろければ、それもそのまま講談師に包まれて覆われた。
・・・何故こうなったのだろうと今更思い返すが、丁度良い理由(勿論、私に都合のよい理由だ)は出ない。
おそらく、それほど些細でどうでもいい切欠だったのだ。
今現在は些細でもどうでもよくもない状況になっているが、確かに、そうだった筈なのだ。
「・・・馬鹿だ、お前は」
私は悔し紛れに目の前に存在している壁に思いきり自分の顔を押しつけた。
つまらない悪態はきっと講談師の感情を助長させるだけだと気づいていたが、それを考えることも面倒だった。
抗うことを忘れれば、そこには不様な真実だけが残る。
そう、こうやって、私が今、重みの先の何かを期待しているように。

淀×鴨川















煌々秘中


「オイ」
「!」
「ドコ行こうッつんだ、ロビン」
「ば、バウム、さ、ん」
大変に不味いところを見られてしまった、とロビンは思った。
それは丁度、ロビンが煤けたバウムの家の玄関ノブに手を掛けようとしていた最中で、
部屋中に広がったバウムの声はひどく不機嫌に、ロビンの耳へと届いた。
「オメー頭痛はどうしたよォ、寝るとか云ってなかったかァ」
「・・・あ。いや。ちょっと、外の空気を・・・」
その不機嫌さを羽織ったマントに吸い込ませながら、視線を外してロビンは呟く。
大きな帽子から上目に覗く赤い眼は、その言葉をまったく信用していないまま、きつく締まった。
「ヘェ、イイご身分だなァ。・・・どうせ相棒でも捜しに行くつもりなんだろォが」
「・・・心配なんだ、もう今日で5日だろ。もしも倒れたりしていたら、助からな、・・・・っ、うわっ!」
図星の言葉に、ロビンは下を向く。
クックが今もどこにいるか分からず、安否さえも知れないのに、
自分ばかりが平穏で安全な場所に居るのはとてもやり切れない思いだった。
だから、己の力で、誰にも迷惑をかけずにクックを捜しに行こうと考えたのだ。
バウムは手に馴染みきった鎌を絶えず片手で動かしながらロビンの話を聞いていたが、
それがいつものような弱気で曖昧なトーンに代わってくると、鎌をロビンの眼前に思いきり振りかざし。
風が切り裂かれる音が響き、ロビンの帽子がそれに煽られて空へ舞った。
まるで当然のように、眼を見開いてロビンは後ろに倒れこむ。
「な、ば、バウム、さ、ん」
「この森の空気はオマエにとっても毒に近いんだよ。テメーの相棒はオレが捜す。
 それともなんだ、オマエも倒れてオレに喰われるか、ニンゲンさんよ」
その顔に鎌をまっすぐ突きつけて、バウムは脅すように言う。
確かにロビンにとって、馴染まないこの森の空気は身体に良いものではなかった。
バウムの凶暴な行動に圧倒されながら、それでも彼の言うことは正しいとロビンは感じた。
厄介者である自分を安全な場所へ置いてくれ、クックのことまで捜してくれている。
それを実感し、腰を抜かしたまま申し訳無さそうに、わずかに微笑む。
少し驚いて、バウムが眼を開かせた。
「・・・ナンだよ、笑いやがって」
「ごめん、君は、僕のために言ってくれるのに。・・・勝手なことは、もうしない」
「・・・・・・・・ケッ。ンなコト言うなら、はじめっからするなってんだよ」
「・・・ほんとだね」
ロビンはゆっくりと、鎌の先のバウムを見つめながら確かめるように喋った。
その言葉に気圧されたように、照れたような顔でバウムは顔を逸らす。
あはは、とロビンは笑った。
バウムは物騒な鎌をようやくロビンの顔から外し、代わりに手を差し伸べてロビンを立たせる。
「・・・オマエが、本気で相棒を捜しに行きたい、ってンなら」
「え?」
「オレと一緒に来い。ダイアナに薬草を作ってもらって、空気を軽くする」
「・・・いいの?今の森は危険だって」
「だから相棒も危ねェんだろうが。・・・テメーぐらいオレが守る。
 付いて来るのか来ねェのか、ハッキリしろ」
「・・・あ。うん、あ、・・・ありがとう。僕も、クックを捜しに行きたい」
立った拍子に少しだけ姿勢を崩すロビンの元に、潜めたバウムの声が届く。
一緒に行ってもいいのか、と問う前に言われた「守る」という言葉にドキリと心臓が鳴った気がし、
それを悟られまいと、掴まれていた手を離し、ロビンは眼を逸らせて礼を言う。
離れた手をゆっくりと振りながら「別に」とバウムは呟き、ドアへと歩き出した。
わずかにどちらかの頬が色づいていたように感じたのは、どちらかの思い違いだろうか。
ノブに手を掛けたバウムの背中をロビンは追い、頭に浮かんだ考えを振り落とした。

バウム&ロビン















名前たち


「おんや、珍しいね。起きたかと思って来てみたら。君がアイツの保護者?」
「ウオッ、・・・オ、オマエ、・・・ダレ?」
いきなり目の前に現れた男の姿に、思わずおれは呆然とした。
毎日ズシンの頭のうえでグラングラン揺れてるせいで、なんだか頭までおかしくなったのかと思った。
いや、でも、人間がいきなり現れるとか、そもそも、それがどうなんだ?とも思った。
おれの目の前に、まるで魔法のように現れた男はどう見ても普通の人間で、
しかもその体型はどーも小柄で、子供のようにも見える。
「俺ー?俺はカミサマ。こいつが起きたの感じてさ。来てみたんだよ」
「・・・? カミサマ?」
おれのヘンな態度に、男はアッケラカーンと笑いながら言う。
・・・え?かみさま?
ちょっとアブナイ奴なんだろうかコイツ、とおれは車輪であからさまに後ずさる。
「そ。かみさま。えーと、君は?」
「オ、オレ?」
「うん」
でも男はその自信に満ちあふれた笑顔を崩さずに、逆におれに向かって聞いてきた。
うーん、なんだコイツ・・・
おれの声はひっくり返って、おかしな発音になっている。
まぁキカイだから、それは元々っちゃ元々なんだけど。
「オ、オレハ、モグー。ショウヒンメイハ、SUPERモグー。エエト。アナホリロボ」
とりあえず質問に答えた。
至ってふつうの答え方だ。ロボットのそれっぽさのカケラもない。
納得するように男はふーん、と言って、まじまじとおれを見る。
「穴掘り屋かー。へー。だからモグラか」
「ア、ハァ・・・」
適当に、なんか申し訳ない感じで相槌をうった。たしかに、おれはモグラタイプだ。
穴掘るからモグラタイプって安易すぎるだろ、とか思うが、そういうもんなのかもしれない。
男は地面を踏んづけて、ズシンが揺らす振動をたしかめてるような感じで、おれと草とを見比べてる。
「・・・あいつはどーよ。戦いに行くって言ってるか?」
「エ!? ア、アンタ、アイツノコト、シッテンノカ!?」
・・・かと思ったら、とんでもない爆弾をいきなり男は放ってきた。
こいつ、ズシンがどういう「モノ」なのかを知ってるぞ!?
おれは誰にもこのことを話してないってのに。
(つうかまぁ、そもそも今まで誰にも会ってないからそれはトーゼンなのだが)
カミサマ、とか言ってたか。まさか・・・なぁ。
素っ頓狂な大声をあげたおれに向かって、男はこくりと頷いた。
「古代の兵器が何で今起きたのかは知らんがね。やっぱりそんなこと言ってんだな、あいつ」
「ナ、ナンデ、アンタ・・・ズシンノコト・・・」
ぐらぐら揺れたまま、遠い目をしてる男に、今度はこっちが尋ねる。
古代の、兵器。
たしかにズシンは自分のことを兵器だと、「戦いのための機械」だといっていた。
それをこいつは知っている。遠い目。
なんだか、何もかものなにかをぜんぶ知っているような目。
カミサマ。・・・カミサマ、ね。もしかしたら、と思う。
おれは旧型のヘッポコでポンコツだ。回路チップもかなり古い。
だから、こいつのことをホントにカミサマかもしれない、と認識してしまったっていいと思った。
おれはズシンがどこへ行くかを知らない。
止めたけど、ズシンは止まってはくれなかった。
『それが自分の生まれた意味なのだ』と言われて、答えることができなかったのだ。
機械にとって、自分を認めてくれる「存在価値」がどんだけ重要なのかは、おれも、痛いほどわかるから。
男は、おれの目をゆっくり見た。
「興味があってね。ああ、兵器としてじゃなく、「いきもの」としてだけどさ・・・ん?って、ズシン?」
「エ?・・・ナ、ナンダ?」
真面目に男は語る。
いきものとして、というのがなんだか妙に、グッとくる。
けど、「ズシン」の名前を口走ると、すぐに男はヘンな顔をして聞いてきた。
「ズシンって、もしかして、こいつの名前?」
え。
地面を指差し、聞かれた。
名前。え。あ、そうだ。こいつの名前、そうだ、おれがつけたんだった・・・
今更ながらおれは、その事実に気づく。
「ア、アア。ソウ。オレガ、ナマエツケタ」
「・・・はは、あはははは!そいつはいいや!ズシン、いい名前だよ、おい!」
気づいたので、仕方なくおれが名前をつけたと認める。
すると、いきなり男は腹をかかえて大声で笑いはじめるた。
な、なんだ。何が起こった。
思わずオロオロしていると、男は笑いを抑えないまま、高めの声で言ってくる。
「なんでズシンなんだ、名前?理由あんだろ、はは」
・・・理由。りゆう。
はずかしい、と、唐突ながらキョーレツに、おれは思った。
さっき認めた自分の回路チップの古さを、再び呪いたい気分になった。
いや。だって。なぁ。
ちょっとおれは口ごもったが、期待にムネ膨らませました、って男の顔を見て、覚悟を決めて言う。
「・・・ズ、ズシンズシン、ッテ、ア、アルクカラ」
「・・・・・っ、あはははははははははは!!!お、お前、サイコー!」
だーかーらー・・・だから言いたくなかったんだ、コノヤロー。
ぼそぼそと言ったおれの言葉に、はじかれたように男はもっとマジに笑った。
爆笑だ。ひどいぐらいの爆笑だ。
少し前の自分のセンスを本気で殴り飛ばしたい。
なんだ。「ズシンズシンって歩くから」って、お前。おれが穴掘りロボでモグラなぐらい安易だろ。おい。
笑いすぎてちょっと呼吸困難になってるような男はおれがグッタリと黙ってるのを見て、
フォローを入れるように手のひらを前に出して告げる。
「あー、いや、あはは、ホントのあいつの名前さ、ひでえ荘厳でさー・・・・、
 ギャップが可笑しくって、あははは!やっべ、マジツボだ!」
「・・・ソースカ」
そんな「ツボ」とか言われて、おれの気持ちが元に戻るだろうか。
いや戻らない。どう考えても戻らない。
おれは呆れと恥ずかしさでそれしか返すことが出来ずに男の笑ってるさまを見送っていたが、ふと思った。
・・・ホントの名前?
いま、男はそう言った。・・・ズシンには、ほんとの名前があるのか?
ズシンって名前は、おれがつけたものだ。
そう考えるなら、確かに。たしかに、ほんとの名前ってものがあるのが当然のような気もする。
荘厳なズシンの、ほんとの名前か。
おれはすこしだけ迷って、けど、ゆっくりと口にしようと思う。
たぶん、いろいろなことのすべてを知ってる、目の前のカミサマに。

SUPERモグー&MZD















永久凍土


「・・・どうしたんだい、エッダ。疲れたかい」
男は、そうやって項垂れているエッダに向かって紅茶を差し出した。
人とまったく異なる顔のつくりは、言葉を失っているエッダをわずかに哀れむように垂れ下がっている。
それをひっそりと見やった後、エッダは湯気の立つ紅茶に蜂蜜を入れ、凍えた指先でカップを取った。
「・・・・・」
一口紅茶を飲み込むと、熱い液体は喉を通る。使われていない喉に熱さが滲む。
すぐにエッダはカップをソーサーに置いた。腕に積もっていた雪が、床に滑り落ちた。
「・・・雪は、美しい。美しいけれど、時折、あまりに残酷だ」
窓の外に降り積もる白い牡丹を見つめ、男は言う。
エッダの求めている「救い」は、彼が尊ぶ雪には見出せないのだ、と。
永劫の孤独を抱えた男もまた、この地に見出せない救いを求めている。
夕日の約束を、悲哀に満ちた希望として。
「・・・・・・」
「それも、知っているかい」
エッダも理解していた。
己の願うものはその身には巨きすぎることも、
或いはこうして生き続けていることさえ、愚かなことでしかないのだと。
だからこそ、雪に身を侵し、窶し、染まる日々を続けているのだ。真実であるすべてを覆い隠すために。
ゆっくりと紅茶を飲み込みながら、エッダは頷いた。
「・・・そうか。君は知っているのだな」
男は、静かに全てを受け入れている姿に、悲しそうに呟く。
遠い友人としてのエッダの姿は、いつかと同じように危うい。今に途切れそうでもある。
「・・・そうだな。私も、知っているよ」
ゆっくりと確かめるように、男は自分自身が受け止めている孤独をなぞる。
求められない孤独と、求めない孤独は似ているようで遥か遠い場所にいる。
それ故に、同じ孤独を持ちながら二人は互いの救済を祈ることしか出来ないのだろうか。
いや、二人は知っているのだ。
自分自身が抱えた孤独は、自分自身の手で昇華させるしかないことを。
男も自分のカップへ紅茶を注ぎ、それを飲んだ。
エッダは男の行動を合図にしたように紅茶を飲み干し、立ち上がる。
「・・・行くかい」
「・・・・」
頷く。また、日々は廻る。軋んだエッダの角はいつもに増して枯れ切っていた。
「また、会おう」
「・・・・」
願っている。祈っている。
再び頷いたエッダは、口の形だけで「ありがとう」と言った。
互いは、己が己で掴むことの出来るものが幸福に導かれる何かであるようにと、心を思う。
エッダはドアを開けて、吹雪の中に身体を晒す。白盲の大地。
生きていてくれと、言葉に出さずエッダの背中に向かい男は言った。
手を振った。すぐにエッダの姿は見えなくなった。
そして、男は独り、アコーディオンを弾いた。軽快なメロディーを、互いの人生という、未来に託して。

イワン&エッダ


















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