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シークレッツ


「やァー。賑やかですねェ」
「・・・ああ。特にお前がな」
人や機械や獣人たちが宴を楽しんでいる少し遠くで、二人はそれを眺めていた。
新参者たちは始めての体験に声を上げ、或いは緊張し、己という歌で祭りを祝っている。
ダースはどこかで手に入れた酒を鴨川に突きつけながら、愉しそうに声を上げた。
鴨川はそれを拒否して、賑やかに大きな銃をぶっ放す少年を遠目に見る。
それに驚いた周囲は、すぐにちょっとした騒ぎになっていた。
「おや冷たい。折角の祭なんです、愉しみなさいよ」
「悪いが私は徹夜明けだ。久々に会う者も居るのだろう、そっちへ行ったらどうだ」
別の場所では幼い少女が自信ありげにたこ焼きを振舞っている。
中々の人気のようで、人が絶えない。
わざとらしく欠伸をすれば、ダースは少しばかり不満そうに突っ返された酒を飲み、息をつく。
「もう粗方会いましたよ、アンタが最後です。毎日会ってる顔へ最初に往く莫迦が何処に居ますか。
 アンタこそ石みたいにジッとしてないで面倒に巻き込まれて来たら如何ですかァ」
「巻き込まれたいのは山々だが、な・・・っ、うわっ!」
ダースの酒癖の悪さを知っている鴨川は心底面倒そうに顔をしかめるが、
背中にぶつかってきた衝撃に、大声をあげた。
「てっちー!久しぶりー!」
「き、みは、ミニッツ、うわわ」
「おやおや、謂った傍から小五月蝿いのが来ましたなァ」
鴨川が振り返り、ダースがひょっこりと視線を傾けると、そこにはウサギの被り物をした少女がひとり。
いきなり白衣にじゃれついて鴨川の肩によじ登ろうとしている姿は、顔見知りの風体だ。
「おっはよー!元気ー?太ったー?ケンキューうまくいってるー?わーん、てっちーだー!」
「そんないっぺんに言われちゃ分からんよ、わっ、君」
「だってさ!うれしくって!わーッ」
忙しなくまくし立てながら素早く肩に乗った少女は、首に手を絡ませて朗らかに笑う。
その重みで体勢を崩す鴨川はわずかにダースへ助けを求める視線を放ったが、ダースは笑うばかりだ。
「お、・・・もい、ぞ。お、降りてくれ」
「レディーに向かってシツレイーッ!今日はミニ活躍するんだもん、どかなーいっ」
「活躍、なァ」
「あー、ホノオさん信じてないーっ。ほんとだもん、すぺしゃる・いべんとの主役だもーんっ」
「スペシャルイベント・・・?」
「そだよっ、てっちー!でもまだヒミツっ。へへん、ミニの出番はもうちょっとあとだからね」
交互に聞き合う二人に、自信満々、といった様子で少女は自らの未来の活躍を語る。
毎回、たしかにこの宴では合間合間に奇想天外なイベントが起こる。
少女の言っているそれは、そのイベントごとに関したものなのだろう。
「だからっ、てっちー、ちゃんと見ててねっ!折角お兄ちゃんとキョーエンできるんだもんっ」
「・・・お兄ちゃん?」
「あ、やばっ」
「ミニッツとやら、御前の兄さんってアレか、時計の・・・」
「な、なななななんでもないっ、なんでもなーいっ!今のなしなしっ、あっ、み、ミニ忙しいからいくねっ!」
「・・・・・おい、うわっ!」
「じゃねっ、今のはわすれてねっ!」
「あー・・・」
「・・・往っちまった」
自分の発言が引き金と知るや、少女は鴨川の肩から飛び降り、すぐに遠くへ行ってしまった。
わずかに呆然として、二人はその様を見送る。ちいさな、おおきなイベントのヒント。
「ま、それを知った処であたし達にはあまり関係無さそうですがねェ」
「・・・・おい。ダース」
「はい?」
「聞かせて貰おう。ミニッツに兄がいたのかっ!?」
「・・・其処からですかァ。アンタの無知の前じゃア、化猫の旦那も形無しだなァ」

淀&鴨川、ミニッツ















変成する


拾ったのは良いとして、会話が出来ないのは聊かに不便だと思い、部屋を引っかき回して適当なメモ帳とペンを渡してみた。
意思表示の出来ない生き物は畜生と同じだ。
声がなくとも言葉は産まれる。それをこいつは知ってるだろう。
すると男は俺の考えを理解しているように素早く、ぎこちない文字をそこに書いた。
『なんでおれを助けたんですか』
感謝の言葉が一番でなかったことに、俺は満足げな気分になる。
助けた、と思われるのすら心外だ。
お前は音を持っていなかった、その存在に俺は出会った。
その現状が事実として存在し、それが何かを齎すと認識したために俺はこいつをここに置いた。
相反する存在同士を放り込んで産まれるのはケミカルな化学反応以外、他にない。
どこか似た匂いを感じるのはこんな偶然性に引っ張られた、俺の無様な感性が捉える誤認だろう。
「・・・倒れてたからな。家も広い、金もある。道楽だ」
適当な言葉で誤魔化す。誤魔化す理由もなかったが。
座りながらの上目の視線は少しだけ疑りを帯びている気がする。攻撃的、には満たない、鈍い刃。
まぁ、実際その目は汚い金髪に隠されて俺には見えないわけだが。
少し間を置き、ふたたび男はメモ帳に文字を書いた。
文字を書くことにあまり慣れていないのか、時々指先が震えて文字が泣いている。
『やさしいですね』
メモ帳に書かれたのは実にアイロニーに満ちた言葉だ。
それをこいつ自身が自覚しているのかいないのかは知らないが、中々巧い返しのように思えた。
面白みなどカケラも期待してなかったが、潜在的なポテンシャルは高い奴のようだ。
俺は肩を竦め、煙草に火をつける。
「・・・どうせ行くとこはないんだろう。暫くここに居たらどうだい」
そして、つまらない提案。
元々か後々かは知らないが、音を持たない人生に何が存在するのか俺は知りたかった。
永遠のように永いスランプの出口が、そこに見出せるなら儲け物だ、とも。
だがそれを口に出せば大概の人間は不快に思うことだろう。
利用を明言し、尚それを受け入れる神経は通常の回路じゃ成し得ない。
それを僅かに危惧し、俺は真の理由を迂回する。
煙草の煙を吐き出した。俺も大人になった、と思う。それは自分自身の面白みを消すことと同様だ。
だからこそ、俺は音の迷路から抜け出せないのかもしれない。
『あなたがいいなら、住みます』
そんな俺の意図を知ってか知らずか、やはり見えないその表情は単純な承諾を示す。
住む。シンプル・イズ・ベストの発言。
これからの共同生活のスタートラインを切るに、あまりに適切な言葉だった。
「なら街だ。適当なもん買いに行くぞ、エッダ」
その適切さに任せて、初めて男の名前を呼ぶ。
声ではなく、文字で見たこいつの名前は鈍く俺の音となって漏れ出た。
良いメロディじゃなく吐き気がしたが、意外に、男は少し驚いたようにした。
あの図太い発言からして、てっきり何事にも動じないように思えたが、案外センチメンタルなのか。
男は慌ててペンを走らせようとしたが、返答を聞くつもりは元よりなかった。
「此処には二人で暮らせるほどまともな生活用品はねえんだよ。好きなもん買ってやるから来い」
顔に指を突き付け、有無を言わさず背を向ける。
ずかずかとドアへ歩くと、ばたばたと音が聞こえた。俺についてくる音だろう。
「・・・ん」
気にせずそのままドアを押し開けた俺は、唐突な背の違和感に気付き、後ろを振り向いた。
見れば、男が幼稚な仕草で俺の服を引っ張り、メモ帳をつきつけている。
『おれはちみつがほしいです』
視界に思いきり飛び込んできたメモ帳には、書き殴ったようないびつな文字でそう書いてあった。
男は心底真面目そうな表情で鼻をひくつかせ、俺を見ている。
「・・・お前、ははっ、なんだそりゃ」
俺はそれを読んで思わず吹き出した。
好きなもん、と言われて慌てて書いたんだろう、そもそも全部ひらがなってのが余計おかしい。
「買ってやる、買ってやるよ蜂蜜くらい」
噛み殺す笑いで俺は言って、男の肩を軽く叩く。
すると、男は安心したのか納得したのか小さく頷いて、ひっそりと笑った。・・・ああ、笑うのか、こいつ。
妙な実感に笑いが引いた。
玄関のドアを開け、外へ飛び出ると呆れるような快晴だった。
蜂蜜なんて何年も食ってない。そもそも甘い食い物がご無沙汰だ。
人間一人の重み、そんなもんは知らないが、何かが来れば変化が起こる。
俺は俺の少し後ろを歩き、律儀についてくるエッダの姿に、おかしな浮遊感を抱いていた。

スモーク&エッダ















興味風霜


「こんなとこに人がくるの、珍しいね」
「・・・おお。こんちは、少年」
にかりと笑ってそこへ現れた男に、少年は冷ややかな視線を投げつけた。
そこは何もない空間のようで、少年はちいさな豆粒のようなものを空中に浮かばせている。
警戒もなく、男はするりと少年に近づいて、朗らかな笑顔を見せた。
「ひとり?」
「今はね」
「そっか」
確かに少年はひとりきりだ。
座っている少年の手元で様々なかたちを描く五色のものを眺めながら、男は相槌を打った。
「・・・で、何の用?」
「ん?俺?」
「そう。何か用があるんでしょ」
「そうだなー。ソイツら、何者?」
「・・・これ?」
「そう」
すると少年は尋ねてくる。
こんな辺鄙な場所に訪れる意はなんなのか、と。
ふたたび男はにかりと笑って、はぐらかすように少年の手から浮遊する五色を指さす。
少年はそれを見ると、興味のなさそうにその形を螺旋にした。
「・・・ただのマカロニ」
「マカロニ?」
「そう。暇だったから、遊んでた」
「へえ、意識を持たせることができるのか?」
「違うよ。ただ操ってるだけ」
五色の、それぞれかたちの違うマカロニはじつに多彩な動き方をしていた。
少年の手は上向きに広げられたまま、ほとんど動いていないというのに。
「どっちにしろ、スゲーな」
「別に。どうでもいいよ、すごいとか、すごくないとか」
「そう?」
「そう。興味、ないんだ」
少年の淡い胸では、永遠に途切れることのない波が一定のリズムで揺れ動いている。
ふうん、と男は呟いて、少年の操るマカロニをじっと見て、言う。
「・・・なぁ。こいつら、生きてたら面白いよな」
「・・・? いきなり、何言ってるの」
「お前が動かしてるのもキレイだけどよ、こいつらが自分で動いたらきっともっと面白いぜ」
「でも、マカロニは生きたりしない」
「俺、じつはカミサマなのよ。だからマカロニも生き物に出来るのよ」
「へぇ。・・・嘘、へただね」
「そう?」
少年は男の飄々とした言葉にあからさまな怪訝の表情を返す。
しかし男はまったく気にせずに、浮いているマカロニを指先でちょんと突ついた。
その瞬間、規律よく並んでいたマカロニは浮遊したままふるふると震え、
バン!と大きな音を立てて四方にはじける。
「うわっ!」
思わず少年は目を瞑って大声をあげた。
その様子に、ケタケタと男は笑う。
「大丈夫だよ、目ェ開けな」
「・・・・、わ」
その笑い声と言葉にゆっくりと少年が目を開くと、
はじけたはずのマカロニは少年の目の前で自由に動いていた。
男が言っていた通り、5色の色が、それぞれの意思をもって動いているようだ。
よくよく見れば、丁寧にちいさな目までついている。
まさしく、「いきもの」のように。
「スゲーでしょ」
「・・・うん、すごい」
感嘆の声を、少年はあらわにする。
動き回るマカロニを見つめる目は、今までになかった輝かしい光を帯びている。
「どーよ。俺、案外カミサマでしょ」
「・・・嘘じゃなかったんだ」
「嘘、俺嫌いだからねー」
「ねぇ。これ、ずっと生きてる?」
「ん?ああ、そうだな。ずっと生きてるよ」
「すごいや。・・・すごい」
「なーんだ、少年。すごいの、充分興味あるじゃん」
「・・・うん。そうだった。ぼく、何かをすごいって思うんだ」
「自分なんてね。自分じゃ分からないことも多いのよ」
「・・・そうかもしれない。・・・すごいや」
「さて、じゃあ本題っ」
「・・・? 今度は、なに?」
「『何しに来たの』、の理由だよ。お前を誘いに来た。とっときのパーティーだ!」

チップ&えれ麺つ、MZD















つきの光


生きてはいないのだろうが、死んでもいないのだろう、とスモークは思った。
真下に翳るその残骸はひどく脆そうで崩れそうだったが、それでも確かに人のかたちをしていた。
「・・・」
ゆっくりとスモークはしゃがみこんで、その口元に煙草が無いことを面倒に思う。
ただの物音だと軽い気持ちでドアを開けたため、その唇は無防備で無造作なままだった。
何となく空を見上げれば、月が息を呑んだ音が聴こえたような気がした。鋭く尖る三日月は自己顕示欲が激しい。
再び視界を戻せば、そこには無様な月光に映える、人のかたちのものがあった。
いや、ヒトのかたちをしているのだから、「あった」ではなく「居た」と言ったほうが正確だろうか。
木の枝のような角が頭から生えている格好は、例えるならばトナカイのそれに近い。
大きなフードから突き伸びたそれは、華奢な身体つきには似合わない大きさだ。
スモークはため息を付き、うつ伏せに倒れている背中を揺すった。手にスエードの感触が染み付く。
「・・・おい」
細く、声を出した。夜の帳に包まれた低音は、丁寧に空気となじむ。
何度か揺すれば、身体ごと、地震が起こったように大きく揺れた。
暫くそうしていると、それは意識を取り戻したように小さな呻き声を上げる。
程なくして身体が動き、指先が地面の土に気付いたように神経質な動きをした。
そしてゆっくりと頭が振られ、四肢に力が入る。月の光のもとで、それは、静かに起き上がった。
「お目覚めかい、トナカイ君」
別段興味も無いように、スモークは低調な態度を崩さずにそれの顔を見る。
頭から生えた角は真正面からの姿で見ると巨きな影となって映り、余程存在を主張しているように思えた。
覚束ない首の動きはここが何処なのか、自分がどうしていたのかをまったく理解していないそれだった。
視線があちらへ行ってこちらへ行って、そうして、ゆっくりとその視線がスモークの元へと訪れる。
確かな重みで、スモークはそれを捕らえた。
大きなフードに隠れたその顔は表情のパーツとして最も重要な目というものが何一つ見えず、 元々癖らしい、わずかに俯いた猫背の姿勢からは陰気な雰囲気が滲み出ている。
くすんだ金髪は地面の土で汚れていた。
鼻の作りから、それが獣人に近い血を持っていることがなんとなく理解出来た。
「土のベッドって中々悪くないと思うぜ、俺も」
「・・・・」
再度声を掛けるが、返答はない。
言葉は理解出来るのか、俄かに考えるような仕草もある。しかし、返答はない。
スモークの唐突な発言に返す言葉がない、という選択肢も考えられたが、そうでもないようだ。
会話の続かない沈黙に、スモークは思考を廻らせる。
倒れていた男。音の謎に苛まれ続ける己。涼しげな月光、この「今」。
「・・・でもまあ。野宿にしちゃ場所が悪いし、自殺なら、他所を当たって欲しいね」
死ぬつもりならそれでいい。
投げた、感情のない言葉にそれは身体を強張らせたようにし、ゆっくりと首を横に振る。
「へえ、違うのか」
初めての意思表示にスモークは僅かな感嘆の声を上げた。
すると、今度は首を縦に振る。返答としては充分な動きだったが、如何せん、味気なかった。
「違うなら、今この状況、お前がそうであった理由が欲しい。お前の言葉で、それを言え」
そう、その返答を味気なく感じるのは、声という音色がないせいだ。
スモークの最も信仰する、その旋律が産まれないせいだ。
梟の囀りも聞こえない都会の外れで、音のない会話は味気ない程に味気ない。
スモークが命令のように指を差すと、それは惑うように両手を胸の前で振った。
しかしそれでは伝わらないことが自分でも分かっているのか、すぐに弱く首を振って目を逸らす。
スモークは目を細め、明確な態度で訝しがる。
「・・・?」
「・・・」
しかし、いくら待っても次の行動が訪れる気配がない。
それは何度かスモークを見たが、それ以上の何かは産まれなかった。
無音。無言。「そうである理由」。
自身が言った言葉で喚起されるように、スモークは思案する。今、そうである理由。
「お前、名前は」
望むピースは求め続けていれば、いつか不意に現れる。
そんなことを言っていたのはどこの誰だったか。
ゆっくりとスモークは聞いた。相手がどう動けばいいのかを考えるための時間を、充分に、与えるように。
「・・・・・」
暫く、それはその言葉を噛み砕くようにスモークを見ていたが、おもむろに下を向くと地面に指を当てる。
夜の湿り気で土は柔らかくなっていたようだった。男は深く指を土にめり込ませ、静かになぞっていく。
月の淡い光の中、徐々に形になるそれはアルファベットで綴られた文字だった。
EDDA。見えやすいようにと配慮された、大きな文字だった。
「・・・エッダ」
「・・・」
アルファベットの綴りを声にすると、それは頷く。
確信したようにスモークもその歪な文字に視線を合わせたまま頷いた。
今この時、そうである存在が、ここに現れた理由。
「お前は音を持ってない。欠損した喉。そうだろ」
顔を上げ、スモークは問う。いや、問うというよりは、確認のそれに近かった。
「・・・」
問いに、音もなくそれは頷いた。明確な肯定。
「・・・」
己の迷い込む袋小路から外れた存在を、スモークは見た。
厄介な現状と例えられるその今を躍起になって打破するつもりなどなかったが、これも一つの可能性なのかもしれないとスモークは思った。
細い身体はこの世の孤独をすべて抱えているように、頼りなく息に上下していた。
「来い」
スモークは乱暴に立ち上がり、男の腕を乱暴に掴んで引っ張り上げる。
掴んだ身体の一部は、頭に生えた枝のように細かった。
名前もその捩りのようなものであることが可笑しい、と今更感じた。
その片腕を掴んだままスモークは足でドアを開け、家の中へと歩みを進める。
どこかでにゃあ、と猫が鳴いた。
少しだけ戸惑いのようなものを見せる男は、しかし抵抗することなく、ずるずると引きずられていく。
「とりあえずシャワーだな。全部洗え。全部洗い流せ」
部屋の中を見渡し、言葉をなぞりながら浴室へと足を進める。
いくら音しか求めていないスモークとは言え、さすがに土に塗れた物体を家にそのまま置いておくのは憚られた。
浴室の扉を開け、その身体を放り込む。
躓く直前で姿勢をたて直し、脅えるように振り返る姿を見、スモークはようやく、新品の煙草に火をつけた。
「俺はスモーク。お前が、俺の出口を見つけるかもしれねえな」
これは必然ではなく、また偶然でもないのだと、なんとなくスモークは思った。
すべてから零れ落ちたエア・ポケット。そこがこの場所であり、この、互いの存在だと思った。
明かりのない部屋の中に頼りなく浮かぶシルエットは実に不気味だったが、それが無性に小気味良かった。
己が信仰する「音」から捨てられた男。
その存在は、一体何を齎すのだろう。
改めてこの男が何者であるかをスモークは翳った視線で考え、自らの取り留めのない行動を、今更心から自嘲する。
まるで不意に現れた救世主に熱中する狂信者のようではないか、と。

スモーク&エッダ















ジュエル


「オマエ、バカだろ。アタシなんかに付き合ってる場合じゃない癖に」
「別にィ。あたしがいつ、誰と飲もうとあたしの勝手だもん。はい乾杯」
だって忙しいのなんてただの言い訳にしかならないじゃん、 とあくまでハッキリ付け加えて、鮮やかなグラスの音と一緒にミクは笑った。
アタシはそれを鼻で笑って、眉を分かりやすく吊り上げて、 キレイな鳴り方をしたグラスの中身を一気に呷った。
ふわふわしたパーマと、バカみたいに持ち上がった扇状まつげと、 ギラギラしたアイシャドウはミョーに相性が良くて、 ミクのでかい眼に映えてて、それをアタシは少しだけ、本気で美しいと思う。
電気のハコの中で人形のように踊ったり唄ったりする女が、ここでは生身の人間になっているのは不思議だ。
それでもミクはホンモノで、アタシの目の前で生ビールを喉に流し込んでいる。
・・・前言撤回、やっぱ美しくは無い。
「・・・乾杯、ね。酒なんか打ち上げで飲みまくってんじゃ無いの」
「シゴトの話しないで。なんの為にアンタと飲んでんの?意味不明」
「アタシがね。なんで今アタシと飲んでんの?意味不明」
1ミリも着飾ったりなんかせずに、崩れた表情でアタシを見るミクは、
寂れたライブハウスで唄ってた時と同じ匂いがする。
アタシの横でドームを一杯にする、とかありえない夢を語ってた時と同じ、バカな女のままの。
ま、今のミクはそのありえない夢の真っ最中なワケで、アタシと飲んだりしてる場合じゃ無いはずだ。
ビールを最後の一滴まで飲み干すと、ダン、とグラスを机に置いて、ミクはアタシを睨みつける。
「昔は毎日アンタと飲んでた。だからアンタと飲んでもぜんぜん意味不明じゃない」
「・・・昔と今は違うだろ。今オマエ、ツアーのど真ん中じゃん」
すっかり遠くへ行った眼は、でも、まだ見世物の業界に染まりきってない半端な色だ。
とはいえ、その半端な色がミクって存在の証明であって、
それが無くなったら、アタシの知ってるミクは居なくなるのと同じだと思う。
酒に強い据わった顔で、ミクはアタシの言葉にピクリと反応する。
「いいの。明日はリハないから」
「そういう問題?」
「そう。そーゆー問題。だからシゴトの話はナシ」
コイツが人気者に仕立て上げられるのをアタシは真横で見てた。
だけど実際、ミクは本気で努力して、自分の力で、・・・夢を掴んだ。それは、間違い無い。
酒のお代わりをアタシは頼んで、ジントニックを欲しがるミクを眺めれば、
長い爪に乗せられ過ぎたスワロフスキーがやたらに輝く。
ハコから抜け出した「ミンナのアコガレ」は、それでもアタシの前では「ただのミク」だ。
それは心地よくて嬉しくて。そしてとても、腹立たしかった。
まだ、手が届きそうな錯覚がするから。
ぬるい仕草で、ショートホープに火を付ける。重いジッポを片手で回す。
「あー。ソレ、あたしがあげたヤツだ」
「そうだっけ」
「そう。高かったなァ、ソレ」
ミクが気付いたようにジッポを指差した。そう。これはオマエがくれた奴。
煙を吐いて、天井を見つめた。
ミクは懐かしいなあ、と呟いて良く泣く癖を少しだけ露わにする。
輝かしい世界は美しいものばかりじゃない。
醜いものに充てられて堕ちてく奴の方がきっと余程多い。
けど、ミクはまだそこに立っている。こうやって、無様に泣いたって。
ミク。・・・オマエのとこまでとっと行くから、そうやって泣いて、アタシが来るのを待ってな。
ガラにも無くそう考えて、笑った。
酒はまだ来ないようで、ミクは不機嫌そうに唇を尖らせた。
何十万のハコを埋める歌声を、今は低い泣き声に変えたままで。

レナ&ミク


















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