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ままごと


「暑いときは寒いのが良くて寒いときは暑いのがいいんだよ、そういうことだろ、要するに」
隣でそんな『無いものねだり』を話しているホストの言葉を斜めに聞いて、
あたしは寒さの中でかろうじて温まったままの、バカみたいに甘い缶コーヒーをすすった。
マフラー巻いてコート着込んで、耳あてして手袋しておろしたブーツ履いて、
ガーナを溶かして生クリーム混ぜて丸めてココアを振ってラッピングしたトリュフを持って、
そうして挑んだ14日という日はいつもの日々と同じような玉砕に終わった。
雪が降った素晴らしいセント・ホワイトバレンタインデーは、
あたしにとっては今日も、ただの「先生にふられた敗戦日」にしかならなかったのだ。
「何がないものねだりよ偉そうに。あんたにそういうこと言われんのが一番むかつく」
「励ましてんだろ、バーカ。それ、誰のおごりだと思ってんだ」
そしてその敗戦日に苛立ちの色を塗りつけてるのは隣のバカホストで、
なんであたしがこいつと一緒にいるかというと、今日、小さな賭けをしていたから。
『あたしが先生と付き合うことになったら、ひとつ、願いを何でも叶えてもらう。』
そんなありきたりでありふれた賭け事を、この日の1週間前にあたしたちは交わしたのだ。
コトの発端はいつもの他愛ない口げんかで、
あたしが先生を落とせなかったらあたしがこいつの願いを叶える、って。
・・・結果は見たまんまの通りこんなことになったから、
バカホストは傷心のあたしから賭けの勝ちを聞いて、あたしを公園に誘った。
『それが願い?』って聞いたら、『それは違う』って言うから、
うわ出たよーみみっちー男、とか思ったけど、
コーヒーおごる、って一言であたしはノコノコとここへついてきた。
雪はまだ降っていて、うっすらと積もるまでになっている。
寒い。息が白い、まだ空は明るい。
「・・・あんたよ。でもおごるって言ったのもあんた」
「・・・ったくなー。で、チョコは?何、受け取っては貰えたのかよ」
手ぶらのあたしを眺めて、ホストは事に突っ込んだ話をふってくる。デリカシーは欠片もなし。
わざとらしくあたしは笑って、そこだけは勝ち誇ったように腕を組んだ。
「そうよ。押し付けて帰ってきたわよ。半日かけたラッピング、つき返されたら泣くわよ、あたしも」
「へー。ふられたのに渡したんだ。マジお前って図々しい女・・・っ、いてえ!」
先生はそこそこ甘いものが好きだから、渡したら食べてくれないことはない、と、思う。
中にはメッセージカードが入ってるから、ここからの大逆転も・・・ないことも、ない、と、思う。
だけどホストはまじまじとあたしを見つめると、なかば感心したように呟いた。
あたしはその頭を思いっきりはたく。
「うっさい。折角作ったのに自分で食べるとかそっちの方が泣くわ」
「・・・泣けよ、めんどいな。そうすりゃあの人も落ちるんじゃね?」
「・・・・・。今ちょっと納得しそうになったわよ、バカ」
頭を押さえて、ホストは恨めしそうにあたしを睨んでくる。
けどそのセリフの中身はホストらしくなかなか姑息で効きそうな作戦だ。
あたしは一瞬頷きそうになって、そんな自分を情けなく思った。
「なんだよ、納得しとけよ。つーか俺にもチョコくれ、ホラ、サブリナが欲しがってるぞ〜」
「サブリナちゃんをダシに使うな、客から貰えっ。まったく、NO.2が聞いて呆れる」
そんなあたしに向かって、ホストは笑って手を差し伸べてくる。
こいつにやるものなんてひとつもない。あたしは軽くあしらって、自分で買え、と言う。
「お客様とプライベートは別だろ〜?つまんねーな、買ったのでもいいんだぜー」
無駄な催促。むだな言葉。
あたしたちは友人同士でも恋人同士でもなく、言葉で例えるなら「仇同士」みたいなものだ。
そんな相手にチョコという、親愛なる証を渡してどうする。
買ったのも、作ったのも、あたしはコイツにあげる気は毛頭おきないのだ。
「やよ、バカ」
「んだよ、張り合いねぇなぁ」
そっぽを向いて缶コーヒーをのどに流し込む。舌打ちと共にホストは会話を打ち切る。
雪、空、チョコレート。あたしたちと先生と、どこかの幸せなやつら。
それは全然つながりの無いまんまで、
今更、なんであたしはめかし込んだ格好をこいつに見せてるんだろ、と思った。

ロミ夫とミサキ















しろい胸


それは妙な感慨に似ていて、学者の感情を少々鈍いものにさせていた。
『こんな行為を』、という物珍しい視線を講談師はまるで当たり前のように受けとめていて、
そこにはいつも垣間見える底意地の悪さがひとつも見え隠れしていなかった(それも珍しい話だった)。
学者がその行為を拒まなかったことに対しても、驚きを見せなかったのだ。
結果と過程はずれているが、そんな講談師の態度を感じて、学者は拒否をしなかったのかもしれない。
今、学者は貧血で倒れたために横になって、講談師の介抱を受けている。
施設内での研究はすでに最終段階にまで至っており、手を離せるものは居なかった。
講談師の存在がそこに浮き上がってくるのは半ば当然の話であって、
倒れた学者を担ぎ上げると、驚くほど淡々と講談師は丁寧なやり方で学者の額にタオルを乗せ、
「大人しくして為さい」などと言って彼を横に寝かせたのだ。
学者はその言葉の通り、同じく驚くほど淡々と大人しく寝ている。
気分は安定していたが、ぬるくなったタオルはまだ額に乗って頼りない形をしていた。
視線を動かせば、講談師は小さな本に目を落とし、学者の寝ている前に陣取るように椅子に座っている。
表情のない顔つきは眉間だけが表情の癖としてしわで刻まれるように寄せられていて、
だからこの男はいつも不機嫌で意地の悪い表情にに写るのか、と、
その事実に初めて気付いたかのように学者は静寂の中、その様を凝視する。
長い間じっと見つめていられたせいか、講談師はふと顔を上げた。
「・・・寝て為さいよ」
「・・・ああ。寝る」
低い声は慣れない仕草で部屋へ解ける。
柔らかな音は心配という感度には満たないが、無関心にも届いていない。
それを一度胸の中で確認してから、素直に学者は頷いてまた天井へと視界を向ける。
その灰の色は、講談師の着物と殆ど同じ底を見せない色だ。
講談師はまた本へと目を落としたが、感覚は常に研ぎ澄ませているようだった。
一挙一動の無い互いは大人しく互いを考えることに終始しているようにも見える。
穏やかな気温の中、学者は目を閉じて講談師の言う通り眠りに落ちよう、と暗闇に身体を委ねた。
意識は休息を求めていたのか、暫くするとその呼吸は静かな寝息に代わっていく。
それが完全なものだと判ってから、講談師は本を閉じてひとつ溜息を吐いた。
ゆっくりと部屋を見、学者を見、その寝息に誘われるように欠伸をする。
外に降り積もる冬の白い綿毛は音を立てずに舞っていた。
気分もなく、感情もなく、憎しみも、迷いもなく。
きみは今白くあると、講談師を囃し立てるように。

淀×鴨川















コスモラヴァー


「暇だな、君も。まだ彼女を追っているのか」
「・・・うっるさい。すんごい、煩い」
少女は、目の前のスタイルの良い色気のある娘に向かって心底面倒そうに吐き出した。
空に星の浮かぶ闇夜の中、そこは大規模な宇宙ステーションの中で、
時折ノイズの混じる娘の格好は妙に平面的だった。
「ははは。そうやってすぐムキになる所がまた子供で可愛いな」
「恋もしてないアンタに、そう言うことをね、笑われる筋合いないわけ。わかるか、ニセモノ」
娘の目の前へ乱暴に座り込み、眉を不愉快に曲げたまま少女は指を突きつけて口汚く唇を動かす。
それをいつもの出来事だと知っているように、娘はニッコリと微笑んだまま足を組み直した。
紺に染められた少女の髪のまわりに浮遊している光の玉がチリチリとした電気を帯びる。
「偽者、な。君らしい言い方だ、女に恋している変わり者の君には丁度いい」
「ケンカ売ってんのか。お姉さまに恋せずに誰にするんだ、ばか」
その電磁波らしきものを見つめながら、娘は長い髪の毛を重力に逆わせてバカ、な、と指を折って数える。
少女はその様を、にわかに怪しく見つめたが。
「君に馬鹿と言われるのは23回目だな、アゲハ」
「・・・うっるさい。うーるさい。うるさーい!」
しっかりと何の数を確認してたかと思えば結局のところ「バカと言われた回数」を数えていた娘に、
机をばんばんと叩いて少女・・・アゲハは大声を上げた。周囲の目線が自然とそちらへ向かうが、
彼女の姿を見ると「いつものことか」といった仕草で何も気にせず元の作業ないし、視線に戻っていく。
ここに於けるアゲハの目立ちすぎる言動は、すでに日常茶飯事なのだ。
それを娘も認識している態度で、やわらかにまあまあ、とアゲハをたしなめる。
「まあ、そう、怒るな。ここへ来たのはまた私に存在を捜して欲しいからなのだろう」
「・・・そーよ。どうせ分かってんでしょ、ケリーお姉さまの居場所ッ!」
娘は人ではなく、人の手で造られた高性能な声音専用のヴァーチャル体であったが、
製作者の手を離れた今は、身体の改造を加え、音を奏でるという生き方から世界を広げている最中だ。
その仕事の一端・・・とってもこれはほぼ趣味の範疇であるが、
特定の生命反応の位置を捉えることが出来る、という機能を利用して、
こうしてこの宇宙ステーションに腰を落ち着かせ、
ぼうっとハレーションなどを眺めては主に「人探し」の仕事をしているのだ。
(ステーションのステージで歌を唄うこともあるので、「主」、だ)
アゲハは彼女の知り合い時々悪友であり、良い顧客である。
ケリーという女を恋の名の下四六時中探し回っている彼女は、たびたびここへ現れて情報を得にやってくる。
「KERRY。いつもの彼女だな。タイプ7-2・OOZE/PNNB。検索を開始・・・・・・」
娘は手早く意識を集中させ、彼女の絶対存在であるケリーを捜そうとする。
「どこ?どこにいるの?この3日、星雲って星雲駆けずり回ったのよ、あたし!」
しかしアゲハはやいのやいのと騒ぎ立て、娘の結果を待ち詫びるように娘を急かす。
ケリーの生体反応及び位置の特定にはそう時間もかからなかったが、
娘が目を開くと怒り心頭、といったアゲハの顔がそこにある。
「・・・落ち着いたらどうだ。彼女も君も、「地球を奪う」という目的をまったく忘れているようだが」
それにため息をつき、娘はケリー・アゲハ両者共通の指令を告げてみるが、
「アンタは、どこの、上司だ!あたしは地球より何より、お姉さまが大事なの!」
・・・もちろんアゲハは動じない。どころか、自信満々に「お姉さまに敵うものはない」と言ってのける。
その彼女の淀みない想いは滑稽というものを通り越し、
感嘆なり賞賛に値する感情なのではないか、と真剣に娘は思う。
しかもそれを同性である女、という存在へ傾けているのだ。それも迷いなく!
「成程。君はやはり面白いよ、アゲハ。彼女の居場所は58星雲の北北西、ペテルギウスの東だな」
机の上で架空のルート図を指先でなぞり、ここだ、と示しながら娘はアゲハを見やる。
アゲハの眼は先程と打って変わり、既に目映いほどの光を帯びていた。
「さん、っきゅ!ペテルギウスなら、ここから近い、追える!ありがとV.B、お礼はいつものね!」
そしてそれはすぐに彼女にとって最上のエネルギーとなって身体を駆け巡り、
跳ねるようにアゲハは出入り口に向かって猛スピードで走り出す。
手を振る仕草と大声。娘は、それを即座に認識し、呆れるように頷いた。
「・・・・ああ、楽しみにしている」
出入り口のシャッターが開き、アゲハの足音が遠ざかり、静寂が戻っていく。
ゆっくりと娘は顔を上げ、視界全体に広がるガラス張りの窓の外に浮かぶ絵のような宇宙を見つめる。
孤高に立ちつくす銀河という空間。そこを、人もヒトでない者も飛び交って、生きている。
娘は「いつものお礼」をわずかに楽しみにしながら、
結局アゲハはまたケリーに会えずじまいになるのだろう、と的中率98%の予想を弾き出した。

V.Bとアゲハ















追儺の火


「今日だけはアンタに騙されて遣りましょう。さァ、あたしは此の世で一等莫迦な鬼です」
「・・・はぁ?」
ダースがそんな妄言を吐き出したのは確かに2月3日の朝だった。
忘れられる筈がない。あそこまで意味不明な目に合っておいて、
それをあっさり忘れられる人間がいたら、私はその人物を無条件に尊敬するだろう。
その日は2月3日であって、この男がその日・・・、
いわゆる節分という行事に執着していることは判りきったことであり、
多少ながらも私はダースに対し警戒をしていたのだが、それも結局は徒労に終わった。
第一声の時点で、私はダースがもたらす「混乱」という現象に負けていたのだ。
騙される?
いや、私はただ机の前の散らかり具合に辟易している最中で、妙な思案はしていない。
この世で一等馬鹿な鬼?
いや、確かにこいつは限りなく馬鹿な男だが、いや、こいつがそれを素直に認める輩か?
壊れた奇声の後、私は訝しげな目をダースへ投げかけ続ける。
数秒黙ったあと、ダースはやれやれといった仕草で口にした。
「あたしはアンタに蓑やら笠やら小槌やらを奪われて、「鬼は外」だと追い遣られるんですよ。
 アンタを美女だと喩えるのはちゃんちゃら可笑しい話ですが、此の場合は致し方無いってモンでしょう」
「だからだな。そもそも意味が分からない」
解説とは程遠い早口、そもそも主語が欠けている内容を、どう汲み取れと言うのか。
そして何がどう致し方ないんだ。
結滞な手振り交じりに話し通す目の前の異形は無駄に楽しそうで、
美女とおそらく揶揄された私は言葉を無くしかけながらも呆れた態度を崩さないまま机を叩く。
意味不明。そんな意味合いの5つのひらがなを想起させるリズムで。
「・・・じゃア何だ、アンタはあたしが「御化け」をしたり太巻寿司を持ってきたりってのを期待してたんですかァ」
「はぁ?お化け?そもそもお前が化け物だろう」
「そう謂う意味じゃ無い、阿呆」
「いっ、だ!」
しかし、こいつがそれに応じるような殊勝な男であったら、
私はどれほど幸福に、また穏やかに日々を過ごせていたことであろうか。
全く私の行動を無視したまま、ダースはよりにもよって豆を投げつけてきた。全力甚だしい速度で。
ばらばらに飛んでくる高速の豆粒を上半身全体に受け、私は痛みにとりあえず声を上げて、顔を押さえた。
いつの間にか手にしている枡にはうず高く、今にも零れ落ちそうな豆が乗っている。
・・・それが今日の武器か、馬鹿者。
「眼が覚めましたかァ」
「帰れ、今すぐ!なんだその物理的な攻撃はッ!」
「・・・まァ確かに、物理的では有りますな。手っきり食べ物を粗末にするな、とでも仰るのかと」
「黙れ!訳が分からん!いつもに増して意味が分からんぞ、お前!」
とぼけている。
いつものことではあるが、さすがに武器を持たれ、更にそれで攻撃されては苛立ちを隠しきれない。
私は立ち上がってダースを怒鳴りつける。
指を鼻先へ突きつけると、温度は無いはずなのに妙に熱い、と思う。錯覚だろうか。
「・・・節分と謂う日はねェ、如何も気分が高揚するんですよ。斯う謂う風にね」
「・・・、!」
それを目線のみで捉え、ダースはやはり気分の良さそうに微笑みながら(気味の悪い話だ)、
左手で少量の豆を弄びながら、言葉が切れると共にそれを私の真横に向かって投げつける。
私は驚いて目を閉じるが、ひとつとしてそれが私に当たった気配はなかった。
横切る風だけをわずかに感じる。
おそるおそる目を開ければ、心底愉快そうに、再びダースは豆を弄びながら私を見ていた。
「御判りに成りましたか?愉しいんですよ、あたしは」
「楽しいのは、分かった。それで結局何がしたいんだ、お前」
笑顔でいて、やはり底の見えない顔つき。多少思案するように私を見つめたままダースは口を閉ざす。
かちゃかちゃと豆の擦れ合う音だけが響き、私は少し居心地が悪くなる。
「・・・そうですなァ、強いて言うなら」
「なんだ」
数秒の後、ゆっくりとダースは声を上げた。沈黙が途切れることに、何故かほっとする。
「あたしとアンタが方相氏に成らん様に祷りたい、と謂う処ですよ」
「は?包装紙?・・・さっぱり分からん」
「学者様は其れで宜しい。あたしは鬼をブッ殺したいだけですからねェ」
しかし、続いて告いでる言葉は突飛なものだった。
悟ったような顔つきのダースに向かい、私は目を伏せて一度その科白を追った後、
やはり分からないと細目をした。・・・物騒な物言いは珍しかったが。
「じゃあとっとと鬼でも何でも殺しにいけばどうだ」
「まァ落ち着きなさいよ。人を誘惑する事の出来ない者は、人を救う事も出来ない。
 ・・・何が有れ、アンタは覚束ないですからなァ」
突飛な言葉は続く。ダースはあれこれと理由をつけて、まだ支部長室へ居座るようだ。
それに私が反論しないのは、きっと含みを持たせて煙に巻く、この男のやり方にもう慣れてしまったからだろう。
椅子に座り、頬杖をついて改めて汚れた・・・しかも所々に豆の残っている机を見やる。
上目をやれば、ダースと目が合う。
「・・・今日は節分か」
「そうですよ。悪を祓い、春を迎える為の儀式です」
「・・・悪、な」
低く呟き、恐らく同じ人物の姿を私は・・・私達は思い浮かべる。薄青い、化物の姿を。
それでも私はこの行事をダースが狂ってしまう日なのだと位置づけ、
この男に手酷くブッ殺される鬼のことを、ただ哀れに思った。

淀と鴨川















決戦前夜


「ハヤタクン。わ、来てくれたー」
「何の用だよ。あのKKだって空気読んで今日はおれにつっかかって来なかったぞ」
ぱちぱち、手を叩いて、キラリンはニッコリといつものスマイルでハヤタを迎えた。
しゃがんでいた体育座りをミニスカートで立ち上がり、長い髪を揺らせる姿に、
ハヤタはいつものように毒づきながらガラ悪くキラリンに近づいて、少し離れて止まった。
そこはレース場の近くの車庫の近くで、太陽はとっくに落ちて、
煌々とした満月だけがぽっかりと浮かんでいるただひとつの夜だった。
「KKサンは関係ないモン。・・・ね。明日、だね」
「・・・結局それね。お前も物好きだな」
首をかしげて、それに呆れて、ふたりはいつものやり取りをして、ちょっと迷ったように笑ってみる。
私服の二人はどこかだぶついた感情の中にいるようで、けれどもそれは自然で普通で、薄味だ。
キラリンは後ろ手で指を絡ませて、ハヤタに向かって上目遣いをする。
「キラリンはね、信じてるよ。あのコ、ちゃ〜んと言うコト聞いてくれるって」
「・・・どうだかなぁ。おれは、自信ないぞ」
その仕草をゆるくかわしながら、ハヤタは脳裏に赤い車を描く。
明日、彼が乗り込む車体の形。炎の色。目玉の動きと、意思の強さ。
そこに生まれるのは、結局、自分の中で渦巻く死への恐怖、というものだ。
ハヤタの言葉にちょっとムスリとしながらも、その気持ちを汲み取るように、
高いヒールのブーツでキラリンは地面をこつこつ、と二回たたいて、おまじない、と言う。
「キラリンね、ずっと、ハヤタくんってほんとのほんとにダメレーサーだと思ってたの。
 でも、あのコと約束して、違うな、って。
 ちゃんと、ハヤタくんは、ちゃんとレーサーなんだって思うようになった」
「・・・・なんだよ、いきなり」
「エヘヘ。キラリンの応援タイム」
「ナンじゃそりゃ」
大丈夫なようにって、と呟くキラリンは、
きゃっきゃと一人で騒いでいるのに、一番奥の部分は妙に冷めているようにハヤタには見えた。
しかし、それを吐き出す気持ちにはなれず、その様をハヤタは見送る。
月光に映える鮮やかな金の髪。軽やかなステップ。
「だから。・・・ね。ミンナをね、驚かせてあげてね。ハヤタクン」
「驚く、かぁ。それっておれが死んじゃって、って」
それを、ほんの少し、あまりにもわずかに、ハヤタは本気で美しいと心から思った。
それにキラリンは気付かず笑った。笑って言った。
届いた言葉にハヤタも思わず笑って、シニカルぶって言ってみた。
どれほど死が恐ろしくても、もうすっかりその覚悟は固まっている。
それでも、賭けの結果はわからないのだ。
彼が、アンカーフラッグを受けるまで。
「・・・ダメ」
「・・・おい、どした?」
「そんなコト言わないで、ダメだよ」
けれど、キラリンはその言葉を聞いてハッとしたように顔を歪めた。
素敵な夢から醒めてしまった少女のように。
ハヤタの顔を見つめ、と思ったら両手で自分の顔を隠し、ひどく掠れた声を出す。
当の本人はぽかん、と、立ち尽くしたまま、と場違いに間抜けな表情を作った。
「・・・え?」
「バカ、怖いのはハヤタクンだけじゃないんだよ」
「・・・・ええ?」
それは彼にとってまったく予想だにしていない状況であった。
あからさまにハヤタはうろたえる。
キラリンは既に泣き出してしまったかのようなしゃくり声を上げた。
「・・・、うっ、・・・ハヤタクンの、バカ」
「え?は?なんで?なんでお前が泣くの?ええ?なに?なに!?」
女子特有の「泣きオーラ」により彼女に近づくことが出来ず、ハヤタはオロオロと頭を抱えた。
うめき声の間にはさまってくるバカ、という雑言に反応することも出来ない。
明日はすべてが決まる日だった。
ハヤタという一人のレーサーの生死も、RZXという一人の悪魔の真贋も、
KKという一人の掃除屋の似合わぬ祈りの成否も、
キラリンという一人のレースクイーンの、あるいは・・・恋と名づけられる想いの成就も。

ハヤタとキラリン


















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