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ストリキニーネ製菓


「夢で終わるよ。私には無理だと思うな」
「・・・その声持ってても?」
言うは易し行うは難しって言うでしょう?
とため息をつけばやれやれ、という顔をされて、私はちょっぴりそれに和んでしまった。
こんな状況には不謹慎なのだけれど。
目の前の黒いタートルネックの上に存在してる見慣れた整ってるカオは、
元々釣り目なのに今日はその鋭さが2割り増しされている。
怒っているような表情は珍しくて、
フェミニストを豪語しているいつものクールで甘い雰囲気は存在しない。
「そうやって言ってくれるのは嬉しいんだけど、ね」
「じゃあ、やろうよ。あの歌、ホントに良かった。あいつの曲だってのが、ちょっと悔しいけどさ」
彼がこうやって妙に不機嫌なのは、とても嬉しい誘いを私が断ろうとしているせい。
口を尖らせて、一度私が誘いに負けて歌ってしまった曲のことをふたたび彼は持ち出して、
私の声をああだこうだと過剰なぐらいに持て囃す。
その口調はおどけているけれど真剣で、
それはなんだか彼が好きなビターチョコレートみたいなほろ苦さだ。
「あれは、たまたま・・・」
「君は君が思ってるよりずっと魅力的だよ」
それは思わぬ科白でも明らかになって、私はすこしだけどきりとした。
勿論、その言葉はこの、喉からあふれ出る声に向かってるのだって判っているけれど、
説得力のある光は、確かに私を足元からぐらつかせた。
困ったように、私は笑う。
「嘘が巧いね」
「君こそ、逃げるのが好きだね」
鋭さのない毒。
この人は、こんな風にときどき冷たい感情をあらわにする。
彼のそんなところが、私は嫌いじゃない。
だから、私は柔らかにそうだね、と呟いた。
オレンジの香りがするリップクリームが口元でべとついて、彼の醒めた煙草の香りを描き出した。

レオとさなえ















わたしという猛獣


それは誰かが誰かの地獄を見つめたいと言う欲望と遜色ない気がする、と彼女は思った。
苦しみが男より授かっているものばかりでない、と、
そんな風に喩えられる事実を己の胸の中で開くのは怖かったし、
この孤独の底に産まれるものが存在する、存在しようとしている事実も彼女の意識を乱雑にさせていた。
誰かを傷つけるために男は生きているのだと彼女はなんの迷いもなく確信したまま、
彼女は自分を軽やかに透かして見ることの出来る地獄なんて、特に面白くもないだろうと思う。
雪原に垂れるあまたの血液はもしかしたら美しいのかもしれないが、
あまりに殺風景で単調で、すぐに飽きてしまうだろう。
だからこそ、自分から発される狂気を、彼女はその両手にもてあましていた。
別にそれは衝動というものでも恨みとか憤りとかいうものでもなく、
彼女にとってはもっと純粋でもっと恐ろしいものだった。
「・・・・・・」
それは、わたしがわたしの地獄を見つめたいという欲望だろうか、と彼女は思った。
今この手は、惑いながらも確かにその躯へ伸ばされようとしている。
自我が迷路へ迷い込んだようで、それでも頑なな己の力は畏怖とも近い。
彼女はひとつの鼓動に冷徹さを望み、真正面に据えた視線の先の、うめく影を睨む。
血溜まりに映える黒い男のざんばらな躯。
締め付けられる胸だけを確かな傷みにしながら、少女は呼吸を整え続ける。
・・・『わたしは、この男を、助けたいのだ』。
彼女の思考の中で反響する、ただひとつの狂気。そして、真実。
純粋で鮮やかな想いは、牢に押し込められた獣のように、彼女の心で遠吠えを繰り返していた。

極卒くん×おんなのこ





















藝術の秋


「セーバスー」
風を切ったなんでもない科白のさきで、指がちらちら生暖かい温度を放っている。
髪の毛をいじる姿は退屈そうで、その表情にはひとつの面白みも忘れたような心地のままだ。
俺は時々強く引っぱられる力にいちいちやっかみを返しながら、楽譜を削っていた羽根ペンをふり回す。
「さっきから痛いぞ、英雄」
「僕は加減してるつもりなんだけどねえ。暇だよ、セバス」
それに返された科白もなかなか無気力で、たぶん後ろの長身は無表情なんだろうな、と思う。
わさわさと突拍子なく動く指先に、皮膚感覚で編まれている実感。
「だから俺の髪をいじるのか。伯爵ならやる事は山ほどあるだろう」
「君の髪はずいぶん良い心地だよ。暖かくて柔らかくて良い素材になりそうだ。だけどもやはり退屈だなあ」
みつ編みのように感じる編みこみ方は、毛先までいって、そこでもう一度ほぐされる。
俺たちの種族の毛は総じて天然パーマのようにくるくるで、
だから何度も何度も同じところを編むのは大変だろう、とまるで俺は他人事だ。
珍しく空々しい感情に浸っているテンにあてられたのかもしれない。
俺は机に楽譜を放って、羽根ペンをいじくりまわした。
「退屈は人生の敵だと言ってなかったか」
「言ったさ。僕がこの世で最も嫌いなものは退屈だよ。そしてその次に嫌いなのが君に構って貰えない事だ」
厚ぼったい自分の指にペンの先っちょを押しつけて、黒いインクを肌に染込ませる一瞬にテンは言う。
まったく平坦な温度だ。
どうにも似合わない、その単調でつまらない声色。
この声で一度歌って欲しいという欲望が浮かんでくるが、すぐに怠惰に潰される。
「そりゃあ光栄だね。だが俺は今ヴィクトリアに想いを馳せてる最中なんだ、すまんな」
「僕も連れて行って欲しいよ。なあセバス、二人でどこかへ逃げないか」
嘘を言えば冗談が帰ってくる。振り返ろうと思いながらもそうしない。
視界にわずかに入る輪郭はひとつも吊りあがっていない。
ヴィクトリア。すべてが浪費されていた時代。
「充実した今を捨てて逃避行か?おめでたい頭だな」
「おめでたいさ。君とならどこへ逃げても生きていけるよ、僕はね」
「そうかい?」
テンの「セバス好き」は異常だ、と知人に言われたことがある。
それを丸っきり自覚していないといえば、それは下手すぎる嘘になってしまうんだろう。
正直、俺はテンの愚かなまでに素直なところが嫌いじゃない。
こんな科白を素面で言う男を嫌うことは難しい、と俺は結構本気で思っている。
なんだ、こいつは相思相愛ってやつか。
世界はどうにも、巧く回っていると悟らざるを得ない。
覚悟を決めて、ようやく俺はふり返った。
指先が止まって、髪で隠れた眼がゆっくりこちらへ向かう。
「ようやくお目覚めか、セバス。僕はもう君の髪で18回も三つ編みを作ったよ」
「じゃあ俺は、お前の髪で20回みつ編みを作るよ」
「そうして欲しいのは山々だがね、僕は外に出たいよ。落ち葉でも拾いながら散歩をしないか」
やっぱりみつ編みか、と思った。
テンはちょっと呆れたように外を指差した。銀杏の黄が眼に焼きつく。
こんな顔もやはり稀で、俺の気分は少しだけ浮きあがる。今日の俺は少しおかしい。
「いいと思うね。じゃあコートを取ってくるか」
「赤いのを拾おう。黄色はありきたりでいけない」
頷いて立ち上がれば、素早くテンは先を陣取りコートを着こんでマフラーを巻く。
さっきの無表情何処へやら、の弾んだ声。
赤く色づいた葉はこの地域だと強風が吹くでもしない限り見つけられないレア物だ。
俺がのそのそコートを引っぱり出して着ると、コートのポケットに手を突っ込んだテンが俺を見て笑う。
「何が可笑しいんだよ、テン」
「いや、僕の技術もなかなか悪くないものだと思ってね。素晴らしいよ、芸術の秋にふさわしい」
その視線の先は紛れもなく俺の頭へ向かっている。
すぐに気づいて、俺は苦い顔のままぐしゃ、と頭へ手を置いてかき混ぜた。
元から渦を巻いている髪の毛は、癖がつきやすく抜けにくい。それでも俺は乱暴に頭を撫でつける。
テンはその様をずっと楽しそうに眺めている。一緒に出てくる口笛は俺の曲だった。
「・・・まだ芸術は成りを留めてるかね?」
「アハハ。残念ながら、今日一日において君は僕が作った最高の芸術作品のようだよ、セバス」

セバス☆ちゃん&カウントテン















相思相思


「例えば、それを・・・希望って、言えるなら」
あたしの眼の奥で、貴方は研ぎ澄まされたその青い想いを豊かな髪に委ねている。
いつか出会った頃のように、枯れることのない静寂をその心に秘めている。
あたしを抱いたままで、そうやって、笑うようになった貴方を・・・・、あたしは、見ている。
「私は、・・・嬉しいよ、姉さん」
だから、あたしの力もあたしの存在も、貴方にとってはもう必要ないのかもしれない。
貴方が持てるものとあたしが持てるものは本来は完全に真逆のものだから、
こうして、貴方が貴方の力で得ようとしている勇気は貴方だけのものであるはずで、
あたしがその想いをいっしょに受け止めようしているのは、
とても、すごく、どうしようもなく、おこがましいことなんだと、あたしは全部、知っている。
『・・・硝子』
「何も言わないで。私は、姉さんが居たから、こうやって、見つけられたの。
 だからね、何も恨んでなんかない。・・・ううん、感謝、してるよ」
それでも貴方は、そのままの綺麗なガラスのかたちで、鋼の強さを見せ付けるのだ。
弱さばかりを連ねてきたその瞳の中に存在してる、幾つもの実感のなかで、掴んできたもの。
それをあたしは今、見つめている。
ほら、強い。とんでもなく、べらぼうに。
「・・・私、嬉しいの。本当に。姉さん・・・、・・・詩織。ありがとう」
内側に居るのにまぶしい、とあたしは思った。あたしの名前。あたしの存在。
それを貴方は知っている。誰よりも強く、誰よりも確かに。
そしてあたしも、貴方のことを知っている。誰よりも強く、誰よりも確かに。
『硝子。あたしも、・・・ありがとう。貴方の中で生きられて、ほんとに、よかった』
手を伸ばしても届かない。知っている。あたしがあたしだった時から。
でも、永遠に届かなくても、今、あたしたちは繋がっている。
こんな、ありふれた笑顔と言葉で、まばゆい光を得て、繋がっている。
そんな尊いことを、あたしは実感している。
貴方の希望がここに確かにあるように、あたしの愛しさも、ずっと、確かに、ここにある。

硝子と詩織















時々まる


「んおっ、来てたの」
「来てたよ、ヒヒッ」
サイバーはちょっとだけ驚いたようにかばんをどさっと肩から落とした。
その拍子におでこの上に乗っていたサングラスが落ちて、すっかり丁寧に目の前へ引っかかる。
それを見て、心底おかしそうに青い肌の男は白い歯を見せて笑ってみた。
だぼだぼの衣服から時折のぞく顔以外の肌はどれもぐるぐるとした包帯に支配されており、
やたらにせまっ苦しくて息苦しくて、そして妙に窮屈だった。
「なに、バンド暇なの」
「ユーリが寝っぱなしなんだよネェ。だから開店休業ー。ネネ、ヨッシーはー」
「へぇ、超人気バンドなのにそれでいいんか・・・あ、ヨッシーはバイトだって、バイト」
「なァんだ。つまんないネー」
「トートツに来るお前もお前っしょ」
「アハハ、冷たいネー」
男・・・スマイルは会話の間中、ガチャガチャDVDロムをどこからともなく出しては、
サイバーに自慢も込めて見せようと広く床に並べている。
それに反応しながらも、暇人だなあ、とサイバーは呟いてみたりした。
かばんを担ぎ直して部屋の奥へ放り、壁にクリーンヒットさせてスマイルの隣に腰を下ろす。
同居人の青ガッパは外出中らしく姿がない。
ロムを見てみれば汚らしい字でアレコレ興味をそそる単語がなぞってある。
どうやら撮りためた特集やら本編やら、
ときおりきちんとプレスされているフルカラーレーベルはDVDボックスのものだろうか、
20枚ほどありそうなそのロムの数にサイバーはサングラスを押し上げてみる。
「全部初代?」
「ウン、今日はネー、初代で懐古シュギってみようかなってね、ヒヒッ」
「ま、元祖は強いわな!ドレ見るよ?」
「サイバーの好きにしたらいーと思うよ、僕は」
「ん、選んでいいの!よっしゃっ」
スマイルの承諾と共にどれにしようかな、と楽しそうに選び始めるサイバーは、キラキラとロムを覗き込む。
その横でスマイルは自分の片手をおもちゃにして、消したり出したり伸ばしたり、
ときどきサイバーの髪をいじくり回して自分勝手に楽しんでいた。
いつもより一人足りない、いつ開かれるかも曖昧なマニアの集会はまだ始まったばかりで、
ようやく「こいつだ!」と一枚のロムを選んだサイバーに、
スマイルはバイト終わったらヨッシー呼ぼうよといつもどおりの赤い片眼で、
いつもどおりの何を考えているのか分からない笑顔のまま、けれどとても、楽しそうに言った。

サイバーとスマイル


















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