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刻下清浄


「おや?」
真空の中、大気の流れに身を任せ、幾日も彼は文字を追っていたが、
ふと目を上げたときに視界を遮った、あるはずのない人影に思わず声を上げた。
星が真近くであまりにまばゆい光を放ち、それはそれは眩しかった。
「あれは・・・・?」
彼はこの空間において充分な視力を持ち合わせていたが、ここ何日かの度重なる読書の所為で眼が霞み、
その素早く去る影を捉えることが出来ず、じっと見つめるようにぐるりと目を凝らした。
「うーん・・・」
その人影は星を従者のように連れて先を急いでいるように見えたが、
かすかに見えた横顔は、その一瞬の影でも美しいつくりだとわかるほどに整っていた。
彼はすこし唸るようにしてその形を記憶に焼き付けていく。
ちょうど彼の真下に存在する青い惑星でまったく見かけない、過ぎ去った人影の格好は、
どこかとおい、異文化を越えた、遙かな距離の匂いを漂わせていた。
「どうだったろう」
彼はなぜか、その気高いような雰囲気に見覚えがあったけれど、
記憶力の許容量がべらぼうな彼にしては珍しく、すぐに思い出すことが出来なかった。
ふわふわと星に懐かれたコートがチリチリと鳴る。
まごまごしている間に人影は見えないほど遠くへ行ってしまって、既に彼の視界には影も形もない。
残像に似た、薄く輝かしい緑の光はその人影が辿ったラインを残す。
それはとても艶やかで、崇高な色をしていた。
彼は無意識じみて口笛を吹く。
高い音は振動せずにその暗いカーテンを埋め尽くす。
「・・・まぁ、こんなこともあるさ」
唐突にして一瞬の出会いと別れはこの黒い場所では非日常的でもあったが、
彼はその記憶をたぐるという、無闇で無粋なことをせずに、
なによりも温厚な気持ちで物語の続きへと視界を戻した。
その本は長いシリーズもののSF小説で、ある星の王子が銀河を旅する話だった。
いよいよ中盤のクライマックスとなるシーンを向かえた彼は、
まるで陽気に口元を綻ばせて、王子の悠々として勇ましい姿を空想していた。
女性を一目で魅了する、澄んだ、青いひとみと薄緑の髪の毛、
そして、光速をあざやかに追い越す、そのなだらかなスピードの美しいフォルムを。

ウォーカー&ステラ


















破壊搾取


無理だ、と一蹴したけど結局何にもならなかった。
おれと同じ格好をした蛍光色の邪悪な顔は、おれだけを見て、おれだけを睨む。
「死ねってのかよ」
是非とも、と向こう側にすり寄られたのを何の迷いもなく
受け入れてここへ来たおれにもきっと責任はある。
けれど呪いを浴びた意思のコントロールなんておれには不可能で、
『そいつ』と向かい合ったまま、おれは一人ごちていた。
「なんで俺を選ぶんだよ。炎だからかよ」
水と風を嫌う、人類の進化に多大な功績を残した形をもたない熱。
それを意識の媒体とするやつを、おれは自分以外で初めて見た。
だから、おれに白羽の矢を立てたのか。
万年クラッシュばっかやってる、へっぽこレーサーのおれに。
「お前なんかには乗らねぇ」
ごうごうとマフラーから出てくるその顔は死を喰う悪魔のようで、
おれは悪態をつきながらも多少そいつの表情を恐ろしく思った。
強くとがった、焦点のない目と有刺鉄線のような口。
そいつが暮らしている鉄の身体自体は、
エッジの効いたデザインの素晴らしさ以外なにも特筆するところがない分、
この悪魔の存在がまやかしのようにも感じてくる。
でも確かにそいつはここにいて、おれを確かに選んだのだ。
乗せたやつを全てあの世に放り込む、魔のレーシングカーのドライバーとして。

ハヤタ&PMGTV-RZX


















伽藍邪気


「あんた」
「・・・ム?」
「憑かれてるよ」
その少年に龍が出会ったのは暗がりの路地でのことだった。
空気の湿り、道のすさんだ、随分さびしい路地でのことだった。
「ほう。・・・憑かれた?」
「ああ、よっぽど酷くて強いのが憑いてる」
少年は暗がりに負けないくらいの真っ黒い容姿をして、じい、と金色の龍を見つめる。
両手でうやうやしくかざした水晶玉は捉えどころのない光を放ち、
少年の頭に乱暴に巻きついた蛇は少年と同じように、龍を旨そうに眺めている。
「お前は見えるのか。我の姿が」
普段の龍は人間には見えない成りをしていたので、少年の目に好奇を返す。
よほど特殊な感性を持っているのか、と思ったのだ。
龍は己の姿をその目に促すようにするが、少年は怪しく微笑んだまま微動だとせず、
ゆっくりと龍の言葉に耳を傾けて、頷く仕草で唇を開く。
「さあね。おれの目は使い物にならないからそんなことは知らないよ。
 けど、あんたがどうしようもないくらい色んなものを超越した存在だってことは、まあなんとなく分かる。
 そしてあんたの背中に憑いてるのは、それよりもっとどうしようもないものだってこともね」
龍はすこしだけ驚いた。
初めはその路地の暗さ、そして少年の肌の黒さから気づかなかったが、
よくよく見れば、少年の目は虚空のような闇に囚われている。
少年の目が見えないということは、その「感覚」のみで龍に感づいたということだ。
己の永い髭をなぞり、龍は目を細める。
憑かれる、というその言葉の真意は如何なるものか、と。
「何者だ?我の背に憑く者は。そして、お前は」
「おれはただの日銭かせぎの占い師。それ以上でも以下でもないよ」
「ウラナイシ、か。主に未来を予知する者だな」
「・・・ふうん。あんたこの辺の者じゃないんだ。別にいいけど」
あまり耳馴染みのない職業に龍が曖昧な記憶を辿ると、少し不審げに少年は声を高くする。
この界隈は何か「占師」たちが集まる路地であるのだろうか。
しかし龍はそれの話題を追うことをせず、己の興味だけに集中する。
「・・・それで、答えはどうだ。我の背に憑くものは」
「ん」
その質疑に、少年はひょいと的確に、龍に向かって手のひらを伸ばした。
綺麗に整った手の平。
「日銭かせぎ。言ったろ?この先は金次第」
「人間は抜け目がない生き物だな。・・・だが、金は持っていないぞ」
「ちっ!なんだ、久々の上物かと思ったのに!しくじったな」
「まあそう言うな。これでどうだ?」
龍は暇つぶしに下へと降りてきただけだったので、今日はあいにく金銭を持ち合わせていなかった。
それを聞いてずいぶん大げさに悔しがる少年は、やけに子供じみた応対だ。
そんな態度を龍はおかしがり、少年の手にあるものを握らせる。
先が気になっている事には変わりない。ならば、代わりを渡せばいい。
「なんだ、これ・・・珠?やけに艶がある」
「それは願の宝玉だ。お前が祈れば如何でも願いが叶う、神の珠」
「・・・胡散臭いな」
龍が渡したものは、深い紫に光る珠だった。
少年の持つ水晶玉より小振りで、よく手に馴染む大きさだ。
「真を見出すか偽りを見出すかはお前次第だ。この珠さえ有ればうらぶれた生き方など昇華するぞ」
「まあ、いいや。先は聞かせてあげるよ」
「さあ、頼む。我の背の者は?」
丹念に宝玉を指先でまさぐった後、少年はそれを懐に納めた。
ため息をついて了承する少年を、龍はまじまじ見つめて先を待つ。
「・・・あんたの背中には『神』がいるよ」
「神、だと」
龍は息を呑んだ。
飛び出てくるはずのない単語が、あまりにあっさりと少年から吐き出された所為だろう。
「ああ、あんたは驚いてるねえ。なんたって二重だ」
「・・・お前、感じ取っていたのか!」
ケラケラと少年は笑う。「二重」。
それが意味するものはたったひとつだ。
「確信したのは今さっきだけどね。神に神が憑くなんて、おもしろい話じゃないか!」
「ぐ・・・」
はじめに随分回りくどい言い方をされて龍はすっかり安堵していたので、
確信を突いた少年の言葉がかなり堪えてしまう。少年は叫ぶような声に愉快そうだ。
「はっはっは!そう驚かないでよ。すこしの言い違いってやつさ」
「まあ、いい。感覚が優れている事は賞賛に値することだ」
思わず自分の崇高な立場を忘れて怒鳴り散らしてしまった龍は、短い片手で自分の顔を覆う。
少々悔しまぎれに、口を濁す。
少年の才覚が並外れたものであることは間違いない、と言い訳しながら。
「どうも。で、その神だけど・・・なんだかあんたとは対極だね」
「対極・・・」
それをまったく気にせず、先を続ける少年は挑戦的に上目を向いた。
ぴくり、と龍は眉を持ちあげ、真剣な表情を放った。両者の目が合う。
龍の存在としての理由を、既に嗅ぎ取っている顔を少年はしていた。
水晶玉が抑揚なく光った。
その光を空中で撫でるように、少年は手を動かす。
「そう。どんなことでも愉しみに代えるような神。あんたとは対極だろ?」
少年の目玉のない瞳が龍を捉える。その裏に一体どんな感情があるのだろうか。
龍にはそれを判断する材料はなかった。
しかし、確かに対極だ、と龍は思う。憑く、愉しみを従える神という者。
少年の言葉ひとつひとつの、紛れもない真実。
一度、龍は自身の背を見やった。
そこにはなにもない、孤独の暗闇が存在しているだけだった。

黄龍&アブラハム


















変化切断


「アンッタ、本当いい加減にしなさいよ!!」
「なによぉ。私のどこがふざけてるって言うの?」
鬼気迫った女が、ひげもじゃでサングラスを掛けた、どこか強面の彼に向かって怒鳴っていた。
ワインボトルひとつと、ワイングラスふたつしかない机の両側で、大騒ぎに対峙して。
「アタシはね、女になりたいの!アンタなんかとは真逆のね!それをアンタはグチグチと・・・!」
「なによォ怒鳴っちゃって。別に私は女になるな、とは言ってないわよ。まだ早いって言ってるだけ」
憎らしげに下唇を噛みながら、熱の入った女を彼はなんでもないようにあしらう。
(話の内容から言って女はまだ女ではないらしいが、都合上この方の事は「女」と呼ばせて頂く)
その表情はサングラスのせいで掴めないが、
ワインを一口流し込んで女を見やる格好は冷静そのものだ。
「感情で喋ってるのは貴方。一生の問題なのよ?」
「その一生を左右する問題だから必死なのよッ!あのね!戸籍よ、戸籍!
 これからは今までみたいに肩身の狭い思いしなくて済むのよッ!」
彼と女は他人が認める親友だったが(自分達では認めていない所が可愛い)、
性別の価値観に於いては相知れないところがあった。
だからこそ、こんな風に喧嘩じみた怒鳴り合いが繰り広げられているのだ。
「戸籍も重要と言えば重要だけど。あー、やっぱり貴方のコトこれだけは分からないわぁ。
 心が女なら、それだけで良いじゃないの」
ダメダメ、と蝶々のように右手を揺らせながら彼は諦め気味に言う。
彼は彼の性別を受け入れた上でこれまでの人生を堂々と歩んできたから、
女の相談に対してもどこか懐疑的だったのだろう。
いままで、女が男に熱を入れあげて見境なく暴走することも間々あったから、
今回もそんな理由で女は相談を持ちかけたのだと、軽く見ていた節もあったかもしれない。
「いつまでもバッッッカなこと言ってんじゃないわよ!この染みったれたオカマ!!」
だが、女は心底呆れた怒声で彼に向かい、テーブルを三回大きい音で叩いた。
既に話にならない、といった面持ちをしている。暴言も、軽く告いでた。
「ま、ひどい!貴方だってオカマじゃないの!女、女ってがっついちゃって、いやらしいわァ」
売り言葉には買い言葉、がこの界隈の人々なら大概のセオリーである。
案の定、女のゆがんだ金切り声に対し、彼は反射的に口に手を当てて眉を顰める。
逆撫でるような暴言はみるみる内に形を変えて、次の売り言葉に変わっていく。
「・・・アンタって、ホンットむかつく奴!!いいわ!もう!
 アンタなんかに相談したアタシが馬鹿だった!最低よ!アンタなんて!サイテーだわ!!」
座っていた椅子に掛けてあったハンドバッグを掴むと、
女は勢い良く立ち上がって、グラスのワインを一気に飲み干した。
温度差の絶望、と名付けてしまえば簡単だけれど、そんな風に片付けるにはあまり余るほど、
今の女の感情は混沌としていた。まるでごちゃ混ぜのミックスジュースのように。
「アタシは絶対女になるの、ならなくちゃいけないのよ!ジャン、アンタには一生分からないだろうけどね!」
カツカツと高いヒールを鳴らして、叫ぶように女は彼へ最後の言葉を残す。
女の、なみだの染みのような泣きぼくろがよく目立った。
ワインボトルひとつとワイングラスふたつしかないテーブルから、
まるで泣き喚く子供が暴れるようなその喧噪から女は消える。
艶やかな身体のラインが、威圧をさらって遠ざかる。
「・・・意地を張る子。でもあの子の言う通り、やっぱりわたしには分からないわ・・・」
彼はひとり、曖昧な形をかろうじて留めたテーブルに残された。
ワイングラスを片手に取り、ワインを飲むでもなく、
薄く細く、呼吸を続けるようにゆっくりとグラスを回す。
呟きに似た独り言は、諦念と情が交錯しながら織り上がっている。
女は「女性になる」、と言った。
心も。身体も。その性別を越えて、女性になると言った。
悲しげであり怒りに満ちた背の色。
それは何処から見ても、ただひとりそこに居る「女性」の姿であった。
彼は思う。
女のミックスジュースの顔を脳裏に浮かべながら、感傷を露わにしたため息をついて、
神はどうにも残酷だと、どうにも暴戻で、非情だと。

ハニー&ジャン


















堕胎落日


僕は一片で、彼に焦がれているような気さえしました。
彼女を何より重要な欠片と見たときに、まるで当たり前のように彼がその真横に居たからです。
「お前の身体を修復すんのは結構骨だったな。あの姉ちゃんも、随分なことするよなぁ」
彼は僕を見て大いに笑いました。
彼女は僕とは違う場所に寝かされているようです。
幾分か前に彼女の居所を尋ねた時の彼の返答はこうでした。
『今あんたに会わせたら、またあの姉ちゃんはあんたを受け止めたがるよ。今度は力ずくでも厭わんだろ』
それは要約すれば危険、だということでした。彼女は興奮していると。
僕の身体は彼の言うとおり、まったく酷い有様だったようです。
受け止めた彼女より酷いとのことでしたから、本当にどうしようもなかったのでしょう。
僕が目覚めたとき、僕自身の身体はまるでがらくたのようでした。
「まあ、もうあとは快方だろ。姉ちゃんも落ち着いてきたし・・・、
 あんたは元々、変なことにゃ動じない性格みたいだしなぁ。あの姉ちゃん囲ってんだから無理ねえか」
彼は僕の腕をぺちぺちと叩きながら、まるで感触を確かめるように言いました。
彼の笑う顔は太陽のようだと僕は思います。彼女の笑顔を月とするなら尚更に。
「彼女とはそろそろ会えますか。落ち着いたとのことですが。
 逆に僕と会えばもう少し安心するかもしれません。・・・それともまだ「嫌え」と言っていますか?」
「んー。それなぁ・・・」
彼女は極度に変わった思考を抱いていましたから、彼も苦労をしたのでしょう。
僕は自分の希望をつつがなく伝えましたが、彼の言葉は珍しくくぐもりました。
「まだ、あんたが口すっぱく言ってる「嫌え」ってのは言ってないぜ。
 ただ・・・姉ちゃんはよっぽどあんたが好きなんだなぁ。ありゃもう狂気って奴だぞ。
 あんたの話になるとどうも目の色が変わってな。自分の世界から出ようと必死になるっつーか。」
彼女は彼の言うように、基本的に自分の中に世界をつくり、その中で生きているような人間でした。
それが僕に出会い、その世界を僕に見せてくれるようにもなりました。
そして最後に、彼女はその造り上げた自己世界から踏み出そうと思ったのです。
あの最大限の優しさで(そうさせたのが僕だと断言するのは今でもおこがましいと思ってます)。
「・・・そうですか。じゃあ、まだ、会わない方がいいですか?」
僕は少し残念に思いました。やはりぼくは彼女のことを愛しているのです。
けれど、どこかで安堵している部分もありました。
まだ、彼に会えるという安堵です。
「んんー、そうさね。もう少しだってこたぁ確かだな。すまんね、もうちっと待ってくれる?」
彼は僕の目をまっすぐに見て、両手を謝るように合わせました。
素直で無邪気で、しかしどこか闇のある目に僕は引き込まれます。
僕の身体の中を巡る血がざわつくのが何となく分かります。
「わかり、ました。じゃあもう少し、待ちます。・・・・。また来て下さい。何分暇で仕方ないので」
「おお!あんたらを助けた責任あるしなー。こっちも暇見つけてまた来るわ。っと、じゃな!」
彼は僕の言葉に相槌を打つと、なにかに急かされるように僕の目の前から消えました。
僕は彼の消えた場所を見つめ、深く深呼吸をして息を整えます。
自分の口から出たあまりに素直な科白をいささか信じ切れませんでした。
彼女に愛していると言ったことはありました。彼女に好きだと言ったことはありました。
足が痛みました。これは罰なのでしょうか。彼女に対する呵責なのでしょうか。
僕はこの瞬間、本当に気付いてしまったのです。
自分自身が今、彼を求めているという、冗談のような現実に。

MZD&トラウマニャミ
















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