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さよなら


「嘘を、ついてくれ。そうすれば、また、会える」
私はそう言って、ぎこちなく笑ってみせた。自分で巧く笑えていたかどうかは分からない。
しかし、その状態はよほど奇妙だったのだろう。
目の前の顔は固い表情をそのままにしては眉を顰め直し、私に向かって口を開く。
「何を、莫迦な事を」
まさしくそれは馬鹿な事だ。
今日、お前がその口で発するすべては、きっと私が言うどんな言葉よりも正しい。
それを何より存じながらも、私はそれに抗う己の心を労わってみようと決めていた。
暴言も、嘲りも、私の中で生み出されてきた憎悪と苦しみも、今や濾過された悟りとなって、
私の感情の内で、むなしげな優しさを放っている。なにも報われないと知っている。
「馬鹿で、いいんだ」
にぶく作る乾いた微笑みに憑いてくる、お前の視線の先の訝しさ。
分かっているのか、分かっていないのか。その判断も、私にはつかない。
本心を隠し続ける自尊心は、恐らく私たちが出会った瞬間から、
お互いに、まるで自動的に植えつけられたものだ。
だからそれに沿おうというお前の考えはなにも間違っていない。
だからこそ悲しいのだと、・・・私は言わない。
「・・・下らない、事だ」
苦々しい言葉。
お前も知っているのだろうかと考える、それは私の願望だろうか。
向かい合った姿は、ここにようやく生まれた結末として素晴らしい形となり、昇華した。
不快に繋がりあった感情の終焉がここまで理想的な形になったことは奇跡にも近い。
ならば、その奇跡に思いを委ねてもいいだろう。ここまで来たのだ。お前の力を借りて、ここまで来た。
「下らなくても、いいんだ。・・・ありがとう」
なにもかもは失せる。消える。絶える。途切れて、記憶の残骸となる。
それでも私は、それを拒みたかった。
失せることも、消えることも、絶たれることも、記憶となることも拒みたかった。
これ以上ないほど、出来るだけ、丁寧に言った。慣れていなくて、掠れてしまった。
笑っている顔が、崩れているだろうと感じた。感謝は別れの合図だと、信じることは怖かった。

淀と鴨川















抱擁と高揚


「ヘンな子だ」
鹿ノ子は至極当然のように、少女に向かって言い放った。
あついメガネに隠れた素顔がドキリとして、慌てた仕草がついて来る。
「そ、そ、そ、・・・す、スミマセンッ」
「ええ?なんで謝んの」
「だ、だって、わ、わたしが・・・っ」
「別にヘンってのを責めてる訳じゃないよ。ヘンなのなんて、素敵なことだし」
「で、も・・・・」
寂れた路地の曲がり角でぶつかってきた少女はここで言う学生というやつで、
鹿ノ子の姿格好に仰天して一度ひっくり返った。
目が覚めたと思えばぐるぐるしたメガネを扱って甲高い声を出しては、ごめんなさいと繰り返す。
だから鹿ノ子は別段理由もなくそう思ったので、素直に言った。
人間は豊かだ、と改めて納得するように。
ヘンなことを変と気付かずに個性として受けとることだって容易くしてみせる、人という存在。
「いいと思うけどな。可愛いよ、ヒトって。ちょっと曲がってたりヤヤコシイけどさ。眩しいよ」
「・・・・か、鹿ノ子さんだって、人じゃないですか!」
かつん、と高下駄で地面を擦れば軽い音色が羽化する。
それは半端に人でなくなった故の羨望に近いのかもしれないが、その味気ない郷愁を鹿ノ子は嫌っていた。
だから、少女の言葉とちょっと大きい声に驚いて、はてな、と首を傾げる。
「へ?ああ。・・・あたし、人間に見えるんだ」
「え、え?に、人間?あ、当たり前じゃないですか!だって、人、ですもん!」
「へぇ。ヒトなのか、あたし。そっか。フシギ」
「?・・・??」
どうしたものだか、とまくしたてる少女の表情は真剣で一片の濁りもない。
ヘンなのは自分もか、と鹿ノ子は笑う。人間の目には人間に映る。
そしていつか愛していた彼らの目には人間でない「なにか」に映る。視線で存在が変化する、不思議。
「ううん、気にしないで欲しい。あたし、嬉しいよ。そう言ってくれて」
「・・・?」
「ありがと、話してくれて。忙しいのにさ」
それはこの世界があまりに雑多で、あまりに多様で、
まるで全部がかき混ざったラーメンのスープのようにぐるぐる濁っているからだろう。
少女は鹿ノ子の微笑みに気圧されたようにメガネを押し上げて、制服のすそを握って口を開いた。
「あ、あの!か、鹿ノ子さんは、人、じゃ、ないんですか?」
「ん?あたし?ヒトだよ。貴方の目にあたしがそう映るなら、それが、ホントだよ」
そう、きっとそれがただひとつの事実だ。流れていく自分の存在は誰がどう決めたっていい。
だからこそ、自分で決める自分の価値がそこに産まれる。
鹿ノ子はおもむろに少女の頭を撫でてみた。黒い髪がつるりとあでやかな感触を誘った。
「わっ」
「キレイな髪だね。すごくきれい」
黒曜石みたいな輝きが反射して、鹿ノ子の瞳をくすぐったく照りつける。
驚いた彼女の顔を見つめると、それさえも眩しそうにして、鹿ノ子は目を細めて笑った。

鹿ノ子&みっちゃん















やさしいけもの


「外に出てはいけないと、父が言っていなかったか」
暗がりのさみだれのような微笑みだった。
じめじめとした土の白さ。骨の青さ。ランタンの明滅。
そこは十字架という咎に囚われた聖者の哀しみとそっくりの形をして、地面にくずれて、また戻る。
「ううん。今日は、いいんだ。神父さまは、ゆるしてくれた」
首を振る。夜の中で息づかいが凍えた空気をゆさぶる。ひととはなれた輪郭がかがやく。
「珍しいものだ。・・・今日は私が空に居るというのに」
鳥は喪をまとい、絶えた呼吸の懐かしみに身をゆだねている。
長く伸びたランタンはあかるい。
生から落ちた魂を預かるては永いときを刻んでいる。夜に舞う死の翼。
「きみが居るから、神父さまはゆるしてくれたんだよ。ちょっと、不安そうだったけど」
「・・・彼はお前を私が連れて行きやしないかと心配なんだ。私の仕事は彼をいつも困らせる」
笑うようになでる。本来住むせかいからの別離はいま悲しみから離れた希望をいだいている。
ランタンのともしびが生き物のようにゆれる。この光もまた、いつか消える。
「・・・みんな、生きたいもんね。でも、神父さまは、きみが嫌いなわけじゃないよ」
「知っている。だからこそ、辛いのだ。彼はお前にも私にも優しい」
ひとの命と同じように、それはいつか消える。
表情のない骨組みが声だけで穏やかな淋しさをあらわす。
こまったように、幼さのちらばる眉と顔が大人びた空気をひた走る。
「うん。やさしい。とても、やさしいよ」
「ああ、優しい。お前も、彼と同じように優しい。だからそんな顔をするな」
「え?変なかお、してたかな、ぼく」
ぺたぺたと自分の顔をさわる。つめたい。すべすべしている、という浮かび上がり方。
それはその想いの中にある、贖罪というもの、なのかもしれない。
さよならを無意識に告げた残酷さという「ごめんね」。
月は三日月のするどさだけで、空を粉々にくだきたがる。いつもの母性をかなぐり捨てる。
それでも二人はそらを見上げて瞳で夜のなかを泳いでいた。
生きるという別離のなかにとどまり、死ぬという別離のなかにとどまっていた。
やさしさだけを器にした、その限りないかたちの底で、余りあるこころの、すべてを賭けて。

ぺぺ&メメ















ビクトリア


「ええと。はい。アコガレ、です」
ぼくは世界新・・・じゃなくって宇宙新のヒーローインタビューで、そう答えた。
アンドロメダ星から来た美人のインタビュアーが、ぼくにむかってにっこり笑いかけている。
「憧れ、ですか。その方は、どんな方なんでしょう?」
「ボクの、ヒーローです」
ぼくはロマンチストだってよく言われる。一人っきりでいつも全速力で走ってるから、
というよりは、やっぱりぼく自身の言動が原因みたいだ。
その最たる原因は、ぼくが「宇宙を駆けぬけているときは、映画を見ているみたいです」と言ったことだろう。
流星群が宝石のようにきらめく中を高速でかけ抜けると、
それはまるで、ぜんぶが宝物みたいな響きをしてぼくの周りをとりかこむ。
その風景は本当に映画の主役になったような気持ちになるんだ。
・・・まあ。こんな話は、余談だけど。
「ヒーロー!貴方に尊敬されるとは、素晴らしい方なんでしょうね」
「・・・はい。ボクがこの世界に入るきっかけを作ってくれたヒトなんです」
そう。ぼくは、その人のおかげでここにいる。
ぼくもニッコリと、インタビュアーにほほ笑みかけた。
かけがえの無い、ぼくのヒーロー。
彼はぼくのことなんか知らないけれど、遠いあの星でいまもきっと、走っているんだ。
「それは凄い!一体、どんな方なんですか?」
「ランナーです。地球で走っている、ニンジャです!」
少し、インタビュアーが驚いた顔をする。
忍者。
地球の、日本という場所で息づいている種族の名前がでてくるなんて、このヒトは思わなかったんだろう。
忍者のくせに身軽なカッコで、でっぷりと太ったカエルをつれて、すこしドジでよく足がつる。
『トクサツ』好きの友達があの時ぼくにDVDを見せてくれなかったら、きっといまのぼくは居ない。
「ニンジャ、ですか。それが、あなたの・・・?」
「はい。ボクの尊敬するヒトです!」
金メダルを光らせて、掲げる笑顔は最高だ。いつでも、そうだ。
それを教えてくれたのはあのひとだ。勝ったときの気持ちよさ。負けたときの悔しさ。
なんだって出来る、と思えたあのときの気持ちを、
ぼくは今でもはっきりと思い出すことができる。ぼくのスタート。ぼくの、始まり。
ありがとうございました、と頭を下げるインタビュアーはおめでとうございます、と付け加える。
ぼくもありがとう、と、2回、言った。一度目は目の前の彼女へ。
そして、二度目は心の中で、地球にいるアンカー好きのヒーローへ。

ベンベン(&シノビアン)















クラッチクラッシュ


「あ、ハヤタクーン!」
「ゲェ」
派手なチェッカーのフラッグをぶんぶん振り回して、彼女はハヤタに手をふった。
きらきらとした金髪と、長い足と、白くて今どきのつなぎ。
その姿に苦い顔をする当人は、見知ったレース場の華を鮮やかすぎるという理由で苦手にしていたが、
小走りで近づいてくる彼女から逃げることもできず、その場に突っ立っていた。
「げぇ〜ってナーニ、ヒドイなぁ!キラリン哀しいぞーッ」
「オマエさぁ、その喋り方止めたらどうよ・・・」
すっかり目の前まで来てしまった彼女を、ハヤタは引きつった顔で見つめる。
人に見られることに充分慣れているその顔は知り合いの前でも完璧なものになっていて、
ころころと変わる百面相は、いい意味でスキだらけだ。
それが天然のものであることが、残念ながらハヤタの呆れを植えつけているのであるが。
「なんでなんでなんでー!オトモダチ、でしょ?そんな言い方ってないと思うなァ」
「オマエはただのレースクイーンだろ!写真撮られてろよ!」
「エーッ、シャチョーはレーサーとも仲良くしろって言ってたもーん。ま、ハヤタクンはヘッポコだけどォ」
「なんだとコラ!おれだって必死なんだぞバカヤロウ!」
「きゃっ、ハヤタクン怖〜い」
これが他のレースクイーンのように、仕事としてそう振舞っているならまだ理解できる。
しかし、彼女はどうしたものだか仕事外でもこの姿と喋りと考えのまま一貫しており、
仕事で見せるものとほとんど変わらない姿でハヤタや他のレーサーに接している。
天然を飛び越えた、電波的ともいえる彼女の性格。
ヒトなのだからさすがにどこか作っている部分もあるのだろうが、
残念ながらそれを見抜けず、突き抜けたようにアッケラカンとしてるキラリンを、
ハヤタはどうも嘘くさい、などと感じては信用できずにいたのである。
顔はかわいいので第一印象は良かったのだが、それもすでに過去の話になってしまった。
「で、何の用だよわざわざこんなトコまで。成績いいやつはとっくに帰っちまったぞ、コラ」
「違うよ、キラリンはハヤタクンに会いに来たの!」
「・・・ハァ?なんだってまた・・・」
「だって!あのコに乗るって聞いたから!キラリン、ホントにビックリ!」
「うっわ、・・・マジか、・・・・・ゲェ〜・・・」
そんな風に近くでニコニコと笑うキラリンに悪態をつけば、
彼女はハヤタに向かってぶりっ子のような仕草をとって大きく声をあげる。
それを聞き、こんなやつのところにまで噂が響いてるのか、とハヤタはげんなりした。
あのコ、つまりは死人製造機、ようするに蛍光の悪魔、RZXだ。
レースクイーンの間でもあの車はいろいろ話の種になっていたから、次の走者の行方が気になるのだろうか。
キラリンは目を輝かせて、ハヤタにずい、と一歩を迫った。
「キラリンね、あのコ、好き。走り方がすごくカッコイイから。
 でも乗りこなせるヒトがいなくって、哀しかったの。だけどね、ハヤタクンが乗るって聞いて、
 もう、嬉しくなっちゃった!ね、ね、あのコ、元気にしてる?」
「ば、バカ言え!元気なワケあるかっ!死ぬわっ!!」
きらきらした目は本気の色をしている。
オレンジに染まった顔の炎の温度をさあ、と低くして、ハヤタはRZXを容易く「好き」と抜かす、
そんな彼女に声を荒げた。ざけんじゃねー、と叫ぶ一歩手前。
「・・・ナニ言ってるのハヤタクン。だって、乗るんでしょ?今からそんなコト言って、どうするの」
しかし、キラリンはすぐに輝かせた目をフッと人間のそれに戻し、
若干に醒めた視線をハヤタへ放る。失望をあらわにした表情は分かりやすい。
「う、うるせえよ!れ、レースクイーンは傘持ってスポンサー宣伝して写真撮ら、っ、・・・でぇ!」
「バカッ、だからハヤタクンはヘッポコなの!」
「なにすんだ、このバカ!」
キラリンらしからぬそんな顔に一瞬たじろいだハヤタは後ずさり、
なんとなく負け惜しみに似た科白を吐いて思わずぎゃあぎゃあと煩く騒いだが、
彼女は手にしていたフラッグをその頭に思いきり振り下ろす。鈍い音が響き、炎がゆがむ。
ぐえ、と叫んで頭をおさえ、ハヤタは彼女を睨みつけた。
あまりに唐突な攻撃は相当効いたらしく、その目には涙が浮かんでいる。
「バカはハヤタクンでしょ!もう2週間もないクセに」
「・・・うっせえ!乗れてりゃとっくに乗ってる、っつんだよ!」
「なにソレ?・・・コワイなら、やめちゃえば?」
「う」
思わず言葉につまる。核心に近い言葉はまったくそのままKKにも言われた科白だ。
フラッグを持ち直したキラリンの頬は分かりやすくぶくりと膨らみ、どう見ても怒っている。
この野郎、とハヤタは思ったが、返す言葉はなかった。
実際時間はなく、ハヤタはわずかに焦燥して日々を過ごしていた。
彼女に言われるまでもなく分かっている筈の、「彼」との駆け引き。やり取り。
すべてを決めたのはハヤタ自身であり、もう逃げも隠れもしない覚悟は決めたつもりでいた。
それでも実際、ハヤタは怖かったのだ。
乗ると言ったことに対する後悔ではない、死との向き合い方。
一番突きつけられたくない相手に図星を突きつけられたことに腹を立てながらも、
なぜかRZXを理解しているような面持ちのキラリンめがけて、もう一度バカヤローと呟いた。

ハヤタ&キラリン


















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