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行方不明間近


とりあえず意味が分からないと思った。
俺は今からこの山に登るつもりで、準備万端でここへ来たわけだ。
ここは寒くて恐ろしくてそれでもただの山なわけだ。
だから、ヘルメットをかぶった学ラン男子が居るのは絶対におかしいわけだ、本気で!
「地獄がさ、とおくて。もう、疲れちゃうよねー。止めてほしいよね」
「・・・地獄ねぇ。そりゃ遠いな。うん、遠すぎる」
しかもこいつはこの山を地獄だとか言って、おじさんも行くのと言ってきた。
まず俺はおじさんじゃない。お兄さんだ。
そしてこの山は地獄じゃない。俺が登るんだ、地獄なワケがない。
だけど学ラン男子のあまりの平然とした表情に引きずられて、俺は常識を忘却した。
うん、地獄は、遠いよな。
「ほんとにねー。何考えてんだろうあそこの人。あんなに遠くてさぁ、不便すぎるって」
「まあ不便な奴が逝くトコだから仕方ねェんじゃないですかね」
学ラン男子は身軽な格好だ。
防寒具着込んでる俺のほうがおかしいの?と思わせてくれるやんちゃな格好だ。
そもそも地獄にいくこと自体おかしくねェ?と考えて、
地獄へいくぐらいの用ってなんだよと思って・・・、
「そんなこと言ってもさぁ・・・ほら、現に行くひとが居るわけじゃないですかー。不親切!」
「地獄で親切にされるっていうのもどうかと思うんですけどな」
・・・いや、やっぱ、なにもかもがおかしいだろ。
たぶん、絶対コレ、なにもかもがおかしい状況だろ。
俺はただ山に登りたいだけであって。
こんな変人学ラン男子の話を真面目な顔つきで聞いたりしてる場合じゃないわけで。
地獄で親切にされるのは絶対おかしいと思うわけで。
「えー?いいじゃない親切にされんだったらどこだって!きみ、変だねー」
「ううんそうなのか?いやいや、んなこた無いでしょ、キミ」
でも、どこまでも学ラン男子の顔は真面目でそれなりなイケメンのままだ。
地獄って山を指差して、こんな場所でひとりっきりで。
俺のツッコミにもまったく動じずに、逆にヘンとか言ってくる。
「どっちにしたってさ、遠すぎるって話なんですよ。あの山の天辺ぐらいに、近ければいいのに」
「今登るとこなんで、そういうセリフは止めていただけないですかね」
「もー、文句の多いひとだなー」
「えー?」
気持ち悪いとも不思議ともつかない自分の感情がビミョーにかすむのと一緒に、
今から登る山を指差して、学ラン男子はハァ、とため息をついた。
あの山のてっぺん。
なるほど、地獄はそこより遠いわけね。
一瞬納得しそうになって、いやいやいやと首を振る。
そうすると学ラン男子は腕を組んでまさかと思える科白を吐いてきた。
文句が多いとは何事だコラ。
俺は不満タラタラの声を発しつつ、今すぐ暴れだして奇声をあげたい気分になった。

椀田さん&バビルハヤト















ときめきっく


「ちがうの!全然別の、もっと大事な存在なのッ!」
はぁ、とわたしは、すごくアイマイに、頷いた。
それは目の前の、アンズちゃんの力説についていけなかったからだ。
わたしが、「ウヲオさんのことは、「ともだち」じゃないの?」
なんていう、そんな質問をしてしまったのがキッカケで、
アンズちゃんはそこからずーっと、こんな調子でわたしに向かって話している。
「アイよ、アイ!ユージョーじゃないの!まだお子様なあんたには分からないと思うけどねっ」
アンズちゃんの言葉に、子供じゃないもん、と言いかけて、やめる。
そんなことを言ったらホントに「おこさま」だ、ってことぐらい、わたしにも分かるから。
人さし指を自信満々でチッチッチ、と左右にふるアンズちゃんはやけに得意気だ。
ぱちぱちとしたまつげが長くて、おおきくて、黒い。
「だってさぁ、あんたにもいるでしょ?好きなひとの、ひとりぐらい」
「・・・・好きなひと」
好きなひと。
それは要するに、「ともだち」じゃない、「こいびと」。
正直にいうと、わたしには好きも嫌いも、よくわからない。
ときどき一緒に会う、青いからだをした男の子のことが、アタマのなかを少しだけよぎる。
わたしには、わからない。
あの男の子のことがどうなのかなんて、わからない。
・・・わかりたくないだけかもしれない。だけど・・・やっぱり、むずかしくて、こわい。
アンズちゃんの質問に答えられないと思って、わたしは口をとじる。
「ったく・・・・だからダメなのよっ、あんたはっ」
「う、いたっ」
そうやっていると、こつん、と頭を軽くはたかれた。
・・・アンズちゃんは、いつでもこんな感じだ。
自分ってものに、まちがいない自信があるように見える。
わたしはたたかれた場所をゆっくりさすって、好きなひと、ともう一度だけ、考えた。

プリティーとアンズ















ストレート140km


「・・・あ」
「誰かと思えば。嗚呼、貴方でしたか」
「・・・こんにちは」
「ええ、今日は」
その会話はあまりに呆気のないものであって、互いを埋める何かは全く存在しない掛け合いだった。
彼女の視界はいつものように透き通るばかりの蒼い色をしており、
男の存在はいつものように異界の空気をまとっていた。
広い屋上と喩えられる場所で、そこは酷いくらいに鮮やかで爽やかな日常だ。
あまりに普遍的な、日常だ。
「鴨川さんの所へは・・・行かないのですか」
彼女は、静かに自身の髪よりも余程青い空を見上げた。その先で鳥が彼方をゆく。
ひとつひとつ呟く言葉は鈴の音のように清らかで、澄みきっている。
その曇った表情とはまるで裏腹に、男の姿を受け入れる。
「おや、如何して又、貴方が其の様な事を申します。此処で一等重宝されて居るのは貴方でしょう?」
ずる、と長くたわんだ着物をためらいなく地面とすり付け、男は彼女を満遍なく眺めた。
赤い姿は、一目で人間と違う生き物だということを示す、物わかりのいい形だ。
高く揺らせる、その声は浅い嘲りを帯びているが。
「・・・でも、淀さんが興味を示しているのは、私ではないですから」
しかし、それに同調するように彼女は笑う。穏やかに、笑う。
男が求めているものは彼女自身でも、彼女の能力でもない。それを彼女は知っている。
「・・・相変わらず、貴方は愉快な事を真顔で仰いますな。
 此方で異能に興味が在る者なら、貴方に擦り寄らない筈が無いと思いますがね」
そして、そのことを充分厄介に感じている男は、それをあっさりとした仕草で退ける。
彼女の存在は不可解だ。不可解で、止め処なく哀れである。
その目線の先にいる、悪疫を含めて、悲しい。
「面白いことを言うのは、淀さんも同じです。そんなことを言って、貴方が見ているのはあの人だもの」
その悲しさを丸ごと受け止めているような瞳と髪で、彼女は冗談交じりに微笑む。
む、と男は珍しい顔をして押し黙った。
彼女の中の「彼女」を含めた彼女は、何もかもを見通しているのだ。
自分自身の中にある途方のない力も、周囲の人間から向けられる好奇心も、徒労に霞むおろかな想いも。
納得じみて、男は自ら負けに走り、強ち間違っていないと認めてやる。
ゆるい仕草で腕を組んで、彼女に判るように表す、ごく単純な天邪鬼の合図。
それはどこか幼稚で、可笑しみが漂うものだった。
「・・・だから、私は淀さんが好きです。鴨川さんにも、そうやって優しくしてあげればいいのに」
少女とも兵器とも名付けられる彼女の存在は、その名の通り、ガラスに似ている。
今にも壊れそうな亀裂をあちこちにはびこらせる、脆弱なガラス。
それでも浮かび上がった屈託のない言葉は冷めた温度を暖めようと空に舞い、
男を見て朗らかな声を含む彼女の、その余りにまっすぐな光景を見て、やれやれ、と男は思った。

淀&硝子















迫害の羊


「ヒマね、アナタも」
ずる、と右肩を押さえながら現れた男を一瞥し、女は冷えた口調で喋った。
不自由な男の動きからは、その右肩が血に塗れたものだということが少なからず判る。
証拠に、その腰に刺さった凶器が赤い色をところどころに纏っていた。
「貴様もな、猫」
しかし男は痛みを支える左手を揺らすこともなく、気味の悪い笑みを浮かべたまま女に向かう。
不安定なふらつきの残る足取りは、規律したいつもの男のものとかけ離れている。
「・・・好きにすれば、いいわ。ここには治癒するものは何もない」
笑うこともなく、闇の空間へ視界を戻す女は空のなく太陽のない場所を恨むように天を仰ぎ、顔に手を翳す。
人ではない者を受け入れる地には安らぎも恵みもない。
石油を流し入れたような色は、暗い死に似ている。男を、いつの日も狙い付けている眼光だ。
「ハ・・・僕が、猫の助けをいつ借りると云った?」
どすり、と女の横へ男は座り込み、凶器を杖にして息を吐く。
その仕草はいつになく、無造作で乱暴だ。
立ち尽くしたままの女に、あからさまな嫌悪が存在しないのは男が傷付いている所為なのだろうか。
どちらにしろ、滑らかな口先には憐憫も労りもなかった。
「別に。わたしは、アナタを介抱する気はないもの」
ゆるく滲み出る血は、溜まりにはならない。男の息も、それほど荒いわけではない。
訪れたそれに、深い理由はないだろう。
すらりと伸びた互いの白い手足は絡み合うことがない。ふれ合うことすらない。
同じ景色を視ながら、男と女は反する色を抱いた。
蒼い紅さ。常闇に茂る黒さに包まれている二層の彩り。それを、二人は阻害することなく、呼吸をしている。

極卒×おんなのこ















「xxx?」


「良い加減にすりゃア如何です」
だん!とその手は空を裂き、壁を背にした真横に叩きつけられた。
見開かれる目。それは驚きを隠す隙がなく、喉笛を鳴らせる息づかいと共に上へ向かう。
・・・・・・・青い色が霞む。
「な、お前、」
惑いじみた音色が告いでる。暴力に近い温度への困窮が表れる。
理解の及ばない領域のような、戸惑い。
押さえ付けられるに満たない体勢は圧迫する苛立ちと寄り添っている。囲い込まれる。
「御自分で仰った事を理解して居るんですか、アンタ」
吐き捨てるような声は遠慮もなく叩き付けられる。逃げることが出来ない。
反論する余地のない視線。強硬な態度は変わらないが、鋭さが増していて容易い凶暴性を帯びている。
冷えた汗が背に滲んだ。
青い色は感情が高ぶっている証だ、と鈍く言い聞かせる。
「・・・‥」
「御判りに成らん様で」
泳いだままの視界に甘んじ、沈黙に守られているとそれはいつもと異なる嘲りによって灼かれる。
何処までも冷徹な杭は、胸を突く。隙間のない距離に預けるままの手は行き場を失っている。
ひゅ、と左に存在していた感覚が浮いた。
視線を動かすと振りかざす拳が目の中を掠め、発作的に目を瞑る。
「!」
しかし、待てども殴打は襲って来ない。代わりに再び、左に強い衝撃が伝わってくる。
身体にまで流れ込むその衝撃。恐る恐る目を開ければ、その掌は壁に居た。
真正面に飛びかかって来る嗤う顔。冷えた怒り。不可視の威圧。呼吸が苦しい。肺が軋む。
「・・・そう遣って、アンタは脅えてりゃア好いんですよ」
擦れた声。唇の動きは乏しく、幻のようだ。強ばった肉体が今更ながら自由を求める。
嫌悪を忘れていた。そこにあるのはただ精製された、怖れと、脅えと、侵食だった。

淀×鴨川


















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