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蒼い喪失


溺れる。世界が沈む。目が覆われる。産まれた場所に還る。
呼吸は奪われ、何もかもが薄いブルーに染まる。止まる。眼球の奥が、光を求めた。溢れる。
「・・・・」
止まった。ずっと、地の底へ落ち続けていた身体が、岩盤にぶつかり、少し浮き上がった。
水の中。いや。海の中だ。
あいつはどうしただろう。一緒になって、ここに、落ちた筈だった。
息が出来ないはずなのに、苦しくない。
なぜだろう。自分の三つ編みが重力を離れて浮いている。
まばたきをした。求めていた光は頭上でこちらに微笑みかけている。きれいだ。どこまでも、きれいだ。
「・・・・」
首だけをひねって辺りを見回す。姿はない。苦しくもない。あいつのことだけが引っかかる。
「起きたかい、娘さん」
「・・・?」
いきなり、頭上右斜めから声が降ってきた。
今回の冒険ではひどい目に遭わされっぱなしだったから、もうそれほど驚くこともできない。
炎の海に焼かれそうになったり、風で服を全部かっ攫われそうになったり。
無意識にため息をつくとゴポリと口から泡が出た。
ゆっくりと横たわったままの身体を起こそうとすると、お腹に冷たい感触が訪れる。
「まだ起きない方がいいね。酸素が廻ってなかろうよ」
それと同時ににゅ、と真上に青い肌をした恰幅のいい女の人が視界に入り込んで笑う。
どっかの人魚アニメの悪い蛸みたいな風貌。でも、悪意は感じない。
こちらを見る目があまりに自然だ。口紅が赤い。
「あたしの歌の所為でまた沈んじまった。すまないね。
 2、3日すりゃ水も引く。濃度は地上と同じにしといたから、心配しないでおくれよ」
べらべらとまくし立てられる。早口。
その肩からはいい感じに悪い色な蛇がこっちに向かって舌を出してくる。しゃー。
話の内容からして、このおばさんが全ての原因のようだ。
あたしたちが普通に浜辺を歩いている最中に、
突然海がもの凄い勢いで増水して周囲をいっぺんに飲み込んだ、その原因。
あたしたちも引きずり込まれて、こうやってはぐれた原因。
地上と濃度が同じって、酸素のことだろうか。だから、苦しくないのか。
息の出来るわけがわかって落ち着いてくる。そうすると出てくるのはやっぱり、ひとつの顔だ。
「あの」
あたしは口を開いた。おばさんがあたしを見つけたなら、知っているかもしれない。
確かめなくちゃいけないことがある。
「なんだい」
おばさんは笑い続けてこちらを見た。寝そべったままの格好は居心地が悪い。
それでも聞かなきゃ、どうしようもない。たったひとりの親友は、今いったいどこに居るのか。
「馬鹿なツラした、ウサギの女は居ませんでしたか。あたしの相棒なんです」
「兎ィ・・・?」
青い色の同じ服着てます、といっしょに告げる。
おばさんの顔は不思議そうだ。見つけてないのか。不安が増した。
あたしの色じゃ、ここを乗り切るのはきつい。
一緒じゃないと、見つかるものも見つからないし、開けられるものも開かなくなる。
それにあいつは更に問題だ。あいつは青を選んで、ここは、青だ。
同じ色なら問題はないかもしれないし、むしろ普通より有利に働くかもしれない。
でも、あいつはどうにも泳げないのだ。弱点をカバーするために青にするとか言っていた。
あたしはいつもより2倍重い身体でがば、と起き上がる。なんで赤にしたかな。くそっ。
「あたし、あいつを探さなきゃいけません!」
おばさんに眼を合わせて叫ぶ。ふたりで進む冒険だ。はぐれるなんてありえない。
おばさんは一瞬眼を丸くしたけど、そしてすぐに元の顔に戻って、微笑んだ。
「・・・それならこいつを連れてきな。ここらは広い。良い案内がいるだろ?」
ウインクをして、おばさんは短い口笛を吹く。
すると、どこからともなくポヨポヨとしたクリオネが現れた。なんと。かわいい。
クリオネはあたしの顔よりすこし小さいくらいだ。普通のクリオネにしちゃ、間違いなくでかい。
ふわふわと浮き上がって、おばさんの手のひらの上で泳ぐ。
「こいつはマイクロ。この海を知り尽くしてる奴さ。ああ、あたしはラゴラ。歌い手さね」
歌い手と道案内。両者を見比べて、あたしは頷いた。
どうやらこのおばさんはこの海を随分詳しく知ってるみたいだ。
助かった、こんなとこで一人にされたら、正直マジでたまらない。
「ありがとうございます!」
思わず感謝を言った。自分の大声に驚く。
「はは、元気だね。こいつに聞きゃあ粗方は案内してくれるだろうよ。
 何か聞いておくことはあるかい。この海は広い。ここに戻ってくるのも難しくなるからね」
聞いておくこと。・・・あ。
「あの。宝箱、ってこの辺にありますか。あたしたち捜してるんです」
地図・・・はあいつのリュックの中だ。
宝箱は二人じゃないと開けられないし、どっちにしろあいつを見つけなきゃいけない。
それでも宝箱はこの青い地のどこかにある。おばさんは、妙に納得したように頬に手を当てた。
「ほォ、宝箱ねぇ。そうさね・・・その相棒さんを見つけたらこいつにでも訊いてごらんよ。
 きっと、欲しい答えを教えてくれるだろう」
おばさんはクリオネをあたしの肩へ移動させる。なにから含みのありすぎる科白。
もしや、と考えが過ぎったが、あたしはそれを飲み込んで頭を下げる。
「何から何まですいません。ほんとにありがとうございます、ラゴラさん」
「いや、そもそもあたしの歌の所為でこうなっちまったんだからね。そんなに頭下げないでおくれ」
ぽん、と肩に手が乗る。顔を上げて、おばさんの顔を見れば優しい。
あたしはもう一度頭を軽く下げて、それからとりあえず南へ向かった。
身体が重くなってるせいか、海の底を歩けるので、それだけは助かった。
クリオネ・・・マイクロはあたしの隣でふわふわ浮いているだけだ。
「・・・で、ミミちゃんはどこにいるかね、マイクロくんよ」
地図もなくして案外今の状況は八方ふさがりかもしれない。
確かに海は広くて、途方がなかった。
あたしは赤いシャツの鬱陶しさを身体全体で実感しながら、
話すたびにゴボゴボ浮かぶ水泡には慣れそうにないな、とふたたび大きなため息をついた。

ニャミ&マダム・ラゴラ、マイクロ















永続


「ねえ、粗方回り終わったよね?」
「ん?ああ。そうだね、地図、どこも光ってないし。これで終わりたぁ、神様も生易しくなったねぇ」
「ほんまだねぇ。山あり谷ありって、別にそこまですごくないじゃんか」
ミミとニャミはそんな風に会話していた。
手にしている地図はその色を4色に分け、神から手渡されたものだ。
今回はこいつを使っての宝探しだ、とか言っていた。
その数は2桁に少々数を足したぐらいで、百戦錬磨、
あらゆる困難と不条理を神から突きつけられていた二人にとってはそれ程難しい探索ではなかった。
入り組んだ迷路は、どこか目に慣れれば簡単に切り抜けられる形をしていたし、
出会う人々たちも良い人たちばかりだった。
全てにおいて楽すぎる、とでもいうのだろうか。
二人は神から好きに選んでと言われた赤と青の衣装を身に着けて、ずんずんと進んでいた。
「ちょっと、もうすぐスタート地点に戻るよー!?マジでこれで終わり?」
「だあって地図からしてここ戻るしかないじゃんかー。宝物も3種類づつ全部確認したし・・・」
悪態をつくニャミを抑えつつ、ミミは地図を睨んで、すべての宝物につけたペケマークと迷路とを見比べる。
宝箱にはどれも3種の小さな箱が入っており、そのひとつひとつには似ているようで違う宝が入っていた。
迷路の奥ではその小さな箱ひとつひとつに鍵が掛かっており、
まったく悪趣味な、と愚痴をこぼしたのを二人はよく憶えている。
どこまでも知りたがりな二人は勿論、全ての箱を開け、全ての宝を手に入れた。
ニャミはミミの前を進み、青い宝を眺めている。それは美しい色をした貝の装飾品だった。
「好きだなー、それ」
「ウン。吸い込まれそうで、眼、離せないんだよねー・・・・・・ん?」
空越しにそれを眺めて、その優美さに感嘆していたニャミの声が不可思議に上擦った。
ミミは気付いたように顔を上げる。
「ん?どした、ニャミちゃ・・・・・・あれ」
「・・・ここ、スタート地点だよね。地図、ちょうだいよ」
不可思議さの声が重なる。
ニャミは極めて慎重に、ミミへ地図をねだった。
拒むこともなく、ミミは素直にニャミへ一枚しかない地図を渡す。
二人の位置が点滅している場所は、紛れもないスタート地点だった。
「・・・・あれ、何?」
訝しげなニャミの声と眼は、地図と「それ」を行ったり来たりしている。
ミミもあからさまに疑りかかった。二人の目線の先。
「「扉・・・?」」
初めて迷路に訪れたとき、スタート地点には左右にただ4方の道が広がっているばかりだった。
しかし、今は何故かそこに墨で塗られたような、漆黒の重い扉が鎮座している。
「・・・何だ?・・・進めってこと?」
「そう来たかァ!ひゃー、神!こうでなくっちゃ!!」
ひとりは慎重に、ひとりは陽気に。
二人が発した反応は、サカサマのようで、結局はまるっきり同じものだ。
「ミミちゃん、早く!次はなんだろ、くっろいねー、コイツ!!」
「いやー、さすが神様。・・・一筋縄じゃ帰してくれない、ってか」
ミミとニャミはゆっくりと扉に近づいていく。
大きくそびえる扉はなかなかの威圧感で二人を見下ろしていた。
なにか、冷たい空気が漏れ出ているのは気のせいだろうか。底のない闇、そんな温度。
「行くっしょ、ホラ!」
「そりゃね。じゃ、一緒に開けよ」
ミミとニャミは顔を見合わせて、二つ手のついた大きな扉を同時に押し開けた。
この先何が待ち受けているのか、何故神がこのような冒険を仕掛けたのか。
そして、その最後に何があるのか。
なにも知らないまま、二人は扉の先に広がる、常しえのような闇を見た。

わくわくミミニャミ探検隊















ダークシード@night


「・・・お久シブリです、お師匠サマ」
彼は、低い声で喋った。
夜の気配が森に浸透している凶暴なその時間に、悪魔のように低く喋った。
怒り。憤り。憐み。驕り。偽り。・・・或いは、慈しみ。
それらの感情を掻き集めたように内包しているその声は、彼がここへ向かう直前に足を運んだ・・・、
そう、あの灰色の猫に見せた顔や声とは、まるで、違うものだった。
「・・・オヤ」
彼はゆらりと視線を左右に揺らす。
草が荒れ、丸い足跡が無造作に周りに染み付いている。
師匠の元に何者かが訪れたのだろう。彼は嘲笑うように口を曲げる。
「三等星が訪レましたか・・・鬱陶しイ猫め。道理で、貴方ガ起きて居る訳ダ」
「・・・パロット、か。アルビレオの謂った事は、正しかったという訳だな」
「今日は、・・・お師匠サマ。私が起こして差し上げタかったのデすがネェ」
そして、彼の師匠は、眼を開ける。
誰をも近づけない森の一角で、一人の、暗い悪夢を迎え入れる為に。
「お前は今、この森に還って来た。それはわしを絶つ為か」
「・・・下らナイ議論ハ結構です。私は貴方に会ウ、
 其れダけの為にコの忌々シイ地に降り立ッタ訳ではありまセんのデね」
静かな空間は何を生み出すことも拒否しているようだ。
ふたりという最中、そこにはただ一つの安らぎも、穏やかさもない。
夜の森は牙を見せて、何者も構わずに襲い掛かろうとしている。
「・・・では、この森自体が目的か。お前のあの日の言葉を、わしは良く憶えている。
 だからこそ、今、その凝りを砕こうとしているのだな。パロット」
「お黙り下サい。貴方を、私は遠い昔尊敬して居まシた。しかし。そレも終わリだ。
 お師匠サマ。・・・この森は無に還しテ頂きまス。貴方と、コの森に生きる、総ての命と共に」
彼は、片羽根を広げた。
紅い羽根が闇に妬き付き、その粗野な感情が彼の周りから染み出してゆく。
言葉は廻り、絶望的な攻撃性の微笑みが浮かんだ。
それは、彼の示す最大限の憎しみであり、ただひとつ彼が心から望む、「復讐」であった。
「・・・どうしても滅するのか。それが・・・お前の、祈りなのか」
師匠の眼がほんのわずかに、揺れた。
何もかもを理解しながら、抗えない鈍さのような光を放っているようにも思えた。
その眼の色を、哀しみと名付けられるだろうか。
祈りに似た、願いだと喩えられるだろうか。
「凡テです。貴方は森と寄り添イ最期を迎えレば宜しい」
彼は羽根を下ろし、後ろ手で羽根を組み直す。
悪夢を包み、悪意を抱く。ひとときの失意と破滅を己の心に秘め続けて、彼は呼吸をしている。
「・・・・・そうか」
それを飲み込み、昇華させることは不可能に近いのかもしれないと師匠は思う。
奇跡を信じるなどという愚かな考えを師匠は持ち合わせていなかったが、
彼を「こちら側」に引き戻す為のなにか、そんな魔法のような幻が起きることをわずかに祈った。
森が死に絶えることと彼を択ばせることとの天秤。
彼は今一度、やわらかに歪な物語を謳うだろう。
何もかもが緩慢に狂っていく、その朝と夜の小夜曲を静かに紡ぎながら。

パロット&グランドハンマー















百鬼繚乱


「あ、男のナカジだ」
開口一番、タローはそう言ってナカジを思い切り指さした。
冬の朝は寒い。タローの頭には毛糸の帽子が被っていて、妙にそこだけ温かそうだ。
その他はだらりとした学ランが皺くちゃで、ところどころ肌が出ていて、何かと寒気を連想させる。
にこにこ笑っているタローを見て、ナカジはぶっきらぼうに返した。
「俺ははじめから男だっつんだよ」
彼を男と見ず何と見ればよいのか。
しかしタローは訝しげにナカジを見回して顔を顰めさせる。
女って・・・、とナカジも訝しがって両者はヘンな格好で向かい合うかたちになった。
「えー。でも、っかしいなぁ〜俺、昨日、女のナカジに会ったよ」
「はぁ?」
素っ頓狂なナカジの声。
それも当然だ、「女の自分」と言われて驚かない人間のほうがおかしい。
学ランの代わりにセーラー服だったかんね!と妙にタローは自信気だ。
「あ、信じてねーな、その顔!俺は嘘つかねーぞ、ナカジ!」
だって髪の毛は黒くて、あ、おさげだったけど眼鏡しててマフラーで、
お前と同じギターケース持ってたぞ!とか、とやかくタローはまし立てる。
朝っぱらからなんて話だ、とナカジは顔を押さえて呆れるが、確かにタローは嘘をつかない。
それは自分自身というものにはめっぽう正直なタローが、嘘をなにより嫌っているので明らかだ。
「昨日サザンカ通りで会ったからさあ、今日も行きゃ会えると思うよ〜。
 ブアイソだったなー、話しかけたけどガン無視だったよ、ひどくねぇ!?」
「山茶花通り?・・・女の、俺・・・・」
ナカジは一人っ子だ。妹も姉もいない。親戚は皆遠くに住んでいるので、この街にはいないだろう。
それでもってもそっくりだという、女のナカジ。
タローの眼はどうにも真剣で、ただならない。
「あー!そうそう、マフラーも同じ色だったよ。うん、濃い群青っ!」
「・・・マフラー?」
じい、と睨んでいたから気付いたのだろうか、
ナカジのマフラーをつついて、タローはのんびりと再び共通点を差し出してくる。
マフラー。
これはナカジが自分で白いのを買って、自分で染料を買って、自分でぐつぐつ煮出したものだ。
同じものを誰かがしているはずはない(何故そんなことをしたのかといえば、藍染にすこし憧れたからだ)。
「だからさ、会ってみろって!な!俺の話、嘘じゃねーかんな!」
「・・・フン、そうかもな」
同じギターケースを持っていると言っていた。
なににでも無駄にこだわりたがるナカジの所有物に、
なにからなにまで類似しているというのに、ナカジ自身すこし気に食わないふしもあった。
底のない明るさで怒鳴るタローを眺めつつ、まさかドッペルゲンガーじゃあるまいな、と、
ナカジは少しだけ山茶花通りの方向へ目を向けた。

タローとナカジと















海ススキ


「夢?」
私は聞いた。やさしいその眼はすぐに私を捕まえて、
驚いたような、照れたような、とても可愛らしい温度で私に届いた。
「ええ、夢。貴方にもあるでしょう?」
少し首を傾げて、意地悪をするように含み笑いをしてみる。
困った様子で、あなたはうーん、と考える仕草をする。
さらさらと空には満月が浮かんでいて、辺りは一面のススキの海だった。
風が吹くたびに、それらはすれ合って幽かな音を立てる。
さらさら、さらさら。
「・・・そうだなあ」
そうやって、私がススキの音に耳を傾けていると、あなたはようやく口にする。
けれど、やっぱりそこには答えは無くて、私は再び笑った。
「もったいぶらないで、教えて?」
「ん・・・」
跳ねるように言うと、遂にあなたは腕を組んで、真剣に考え込んでしまう。
可笑しな人。
お遊びのような質問にさえ、こうやって本気で考えてしまうんだもの。
私はその様子を見守って、ススキの音に耳を傾けた。
「・・・お前とずっと、一緒に居ることだよ」
しばらくして、私の目を見つめると、あなたは少しだけ笑って、言った。
思わずかけられた言葉に、ちょっとだけ、顔が赤くなっていくような気がした。
なんだか、あなたも頬が赤い気がする。
「・・・嬉しい」
思わず、つぶやく。呟いて、ああ、幸せだ、と、私は思う。
こうしてあなたと居るだけで、私はほんとうに幸せなんだ、と。
あなたにも伝わるように、私は、こころの底から嬉しい、と、微笑んだ。

桔梗&かつての彼


















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