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午後の遺失物


「あれェ」
ダースは研究室に入るなり、素っ頓狂な声をあげた。
そしてドアを開けたままの格好で少しだけ不思議そうな顔をした後、にやりと笑った。
「如何されたんで、学者様ァ!」
それは心底、その状況を可笑しがっている音色だった。
楽しい声を浴びた張本人、鴨川はそんなこともお構いなしに憮然とした顔でダースの方へ眼を細める。
その視線はどこか心許ない力で放たれていた。
「・・・・その声、は・・・ダース、か?いや、確かにそうだな・・・くそっ、面倒な時に来る奴だ・・・」
何故か声までも心許ない。
確信などひとつも持たないような惑いが混じる。
いつものような癖で眉間を押さえて、肌の感触に顔を顰める仕草が珍しかった。
「随分と御顔がさっぱりして居られますなァ。酷い顔だ」
ダースはそんな悪態を何一つ気にしない様子で、しかし名前を呼ばれたことに多少驚いたように目を開き、
ずかずか進んでだん!と鴨川が微妙に縋り付いている(ように見える)机を思いっきり手のひらで叩く。
唐突な衝撃に、鴨川の肩がすくんで、耳を押さえる仕草が付いてきた。
「うわっ!!な、なんだ、貴様っ!」
ダースの行動ではなく、そこから発せられた『音』で気付いたのだろう。
定まらない目線をぐるぐると回して、鴨川はあちこちを睨み付ける。
「不便なモンだねェ、今の眼は死んでるようなモンですな」
「黙れッ!いいから帰れっ、貴様っ、今日は文字も読めんのだ、鬱陶しい!」
言葉で発せられた、死んでいる視界の意。確かに、間違っていない。
今日の鴨川の眼は使い物にならない。それは今の彼を一目見れば、誰もが理解できるに違いなかった。
「大方、御自分の所為でそんな間抜けな状況になったんでしょうが。
 今日の日和は雫が堕ちると聞いているんでねェ、置かせて頂きますよ学者様ァ」
研究室はいつもの通り、あからさまに散らかっている。
ダースが床を踏むその数歩で、あわれ犠牲になった資料もいるほどに、だ。
それならば仕方がないと言えるのかもしれない。この部屋で物を失くすことはあまりに容易だ。
未だ晴れている空は、ダースの目にだけ湿った雨の匂いを漂わせて微笑んでいる。
「ここを雨宿り代わりに使うな!大体、私は間抜けではないッ!」
「其処に突っ掛りますかァ。アンタらしい応えだねェ」
若干、指す方向が間違いながらも鴨川は懲りずに吼えた。
ダースはこっちですよ、と言わんばかりに手を振ってみせる。
見えないと知りながら、柔らかく笑う。
こちらの表情が伝わらないことは案外、心地の好いものだとか思う。
「・・・全く!居るなら居るで、ややこしく動くんじゃない!私の眼鏡が割れたらどうする!」
「ええ、酷い顔も一日視りゃア馴れます。御安心を」
足元は見えない。割れたガラスも見当たらない。
居るのは炎のばけものと、己の城で己の眼鏡をなくした男だけだ。
見慣れた顔は見慣れたままで、パーツがひとつ欠けた危うさは影を潜めている。
今はただ、不穏もなにもない抗いのままだ。いつものような。
「慣れてたまるか!あれが無ければ仕事にならん!」
「御自分で失くされた癖に随分な言草ですなァ。置物は置物らしく、黙って座ってりゃア善いでしょう」
「誰が置物だッ!炎の分際でたわけた事を!」
だからこそ、その毒にも薬にもならない問答に終着は見えない。
それが可笑しいから、ダースは今、口だけを滑らかに動かしているのかもしれない。
五秒後に、十秒後に、はたまた、一時間後に。
その目の前で何が起ころうとも動じることの出来ない愉快な視界を抱えたまま、
鴨川はじいっとダースを見つめるように睨んでいた。
雨はまだ、降らない。お互いの感情が、冷えることを恐れるように。

ダース×鴨川















ダークシード@one after


「手紙を書いてくれ。あの間抜けな鹿にだ、今すぐ!!」
そう言って、ロキがダイアナの店に訪れたのは彼女が薬酒を作っている最中のことだった。
驚くべき音の大きさでドアを開けたロキのあでやかに肌に縫い付けられた純白のドレスが、泥や草を纏っている。
あからさまに不機嫌な顔の隈はいつもに増して濃く、髪の毛は逆立っている。
遅れて入ってきた蜘蛛が主人の様子を伺うようにして、ダイアナに頭を下げた。
「・・・ロキ?どうしたの、貴方がこんなところに来るなんて珍しい・・・」
「無駄な世間話は後だ!あの悪魔は耄碌している、もう使い物に成らん!
 妾は妾で動く!蜘蛛、氷鳩に伝書を書け!!」
手を止めて驚いたまま、ロキに声をかけるダイアナの言葉をあっさりと無視して、
ロキは術を唱え、指先から真っ黒なレターセットを取り出し、蜘蛛に投げつける。
「・・・ロキ、用件があるなら、もっときちんと話して・・・」
「ダイアナ、貴様は一刻も速く、あの鹿に手紙を書け、判ったな!
 内容は、『すぐさま氷鳩の所へ赴け』、それだけだ!!」
頭を乱暴に書き、ダイアナの言葉を最後阻もうとするロキの態度に、
ダイアナはため息をついて薬酒の瓶を机に置いた。
今の彼女は余裕を失っている、・・・そう思いながら。
ロキがこんな状態になることは、侭、あることだった。
蜘蛛を叱咤しながら、天に簡単な呪術を組もうとしているロキに、静かにダイアナは近づいた。
「・・・・ロキ!説明してくれなければ、私は動けないわ」
「!」
そして、ロキの真横に来ると、ダイアナは強い口調で諌めるようにロキの名前を発した。
彼女の腕を掴み、怒りと驚きの混じる彼女の視線を、その冷静さを保った眼で受け止める。
ロキの感情がダイアナに吸い込まれ、解放されるような一瞬。
その一瞬に、ロキはダイアナの手を払って、息をつく。
「・・・・すまない。悪魔の所で、問題が起きた」
「お爺様?何故、貴方がそんなところに・・・」
もう一度ダイアナに見返ったとき、ロキの感情は平常さを取り戻していた。
簡素な謝罪は彼女には似合わなかったが、ダイアナはそれを気にせずに疑問を呈す。
ロキと、森の主は仲が悪い。・・・というよりは、お互い、好んで諍いをしているように見える。
どちらにしろ、自ら望んで訪問に行くような間柄ではなかった。
それが、彼女は森の主の元へ行ったと言っている。
「知っているか?ほら吹き鳥が帰ってきたことを」
「・・・なんですって?彼は・・・」
「そうだ。あの森を出て、二度と帰って来ない筈だった。しかし、可笑しなことに濃灰猫の所へ表れたそうだ」
そして、その答えはロキからすぐさま、その口で示された。ずっとずっと昔に、この森を出て行った赤い鳥。
彼のことは、森全体が傷跡を隠すように仕舞っていた事柄だった。
無論、ダイアナもそうだった。森の主が唯一、感情を顕わにした彼という存在を、ダイアナも仕舞い隠していた。
彼は、森を出て、二度と帰って来ない。それは森の必然であり、願いでもあり、祈りでもあった。
しかし。彼は、帰って来たと言うのだ。
「アルビレオの所に!冗談では・・・ないのよね。そう、よね。それで、そうね・・・貴方が?」
「悪魔にそれを伝えた濃灰は、妾の元に来た。そして次に妾が悪魔の元に馳せ参じた訳だ」
ダイアナは困惑していたが、努めて冷淡に真実を受取ろうと、確かめるように口にする。
ロキはそれを知ってか知らずか、やや遅い口調で喋る。
蜘蛛は離れたカウンターで、レターセットと格闘していた。
「それで・・・貴方は、お爺様と意見をたがったのね。そして・・・私の元へ?」
「そうだ。悪魔は此処まで来て尚、奴を庇おうとした。話に成らん。
妾は奴が不吉な物を運んできたようにしか思えんのだ。・・・だからこそ、貴様の元へ来た」
ようやく、ロキがこの場所に現れた意味の分かったダイアナは、真剣な眼でロキを見る。
森の主が彼を庇った。それは、事実として受け止めるしかないものだった。
「お爺様は彼を未だ想っているのね・・・・仕方ないわ。・・・それで、私は何を?」
「嗚呼。すぐにあの鹿へ手紙を書いてくれ。今蜘蛛が書いている、氷鳩へ送る伝書の完遂に必要だ」
ロキは蜘蛛を見やり、腕を組む。
『鹿』というのは、彼女が幾分か前に押し付けられた名家の食み出し者で、
正確には鹿ではなくトナカイの血を引いているのであるが、ロキは嫌がらせで彼のことを鹿と呼んでいた。
今は、北の地で「贈り、見届ける」為の修行をしている。彼は、ダイアナによく懐いていた。
「判ったわ。でも、何故私が?貴方の手紙の方が、彼にはよく効くと思うけれど」
「ふん、あいつは貴様に随分入れ込んでいたようだからな。・・・まあ念の為これを一緒に入れておけ」
ロキは彼を随分、厳しく指導した。それをダイアナはよく見てきたものだった。
恐れるべき、反発するべき師匠。
それはロキが森の主に抱いている感情と似ているのかもしれない。
厳しくしていた表情を僅かに緩ませ、ロキを見るダイアナに、ロキは小さなカードを放る。
そこには禍々しい黒い蜘蛛が描かれていた。
「・・・血族の紋章、ね。これなら効果はありそうだわ。
 早速、・・・書くわね。女王陛下に・・・何を成さって頂くの?」
「それは全て氷鳩に送る手紙に書いてある。あいつはそれを受取るだけで良い」
カードを受取ったダイアナは頷き、奥の棚から蒼いレターセットを取り出した。
「・・・ロキ様。書き終わりました」
その時、蜘蛛が声を上げ、ロキに近づいて黒いレターセットを差し出す。
黒い便箋に、銀の達筆な文章が浮かんでいた。
「遅い!!・・・・・・ふん、お前にして上出来だ。ではこれを即刻送れ。判ったな」
「畏まりました」
パチン、とレターセットを爪先で弾くと、自らそれは封を閉じ、手紙の形に収まる。
ロキは天に指先で文字を書き、術を唱えて手紙に貼り付けた。それを、蜘蛛は受け取って頭を下げた。
「では、あとは貴様の物を待つまでだ。それを送ったら、妾は次の仕事に掛かる」
「次の?・・・私は、何をしたらいいかしら?」
カウンターにゆるく腰掛け、ペンを滑らせていたダイアナは顔を上げる。
「・・・そうだな。あの悪魔の下らない論でも訊いて見たらどうだ。哂えるぞ」
「・・・悪趣味ね」
腕を組んでいたロキは、首を傾げるように嘲笑う。それを見たダイアナは渋く口を濁した。
・・・しかし、一度は森の主の元へ向かうべきだろう。次に足を運ぶべき場所を思い、
素早く手紙を書き上げたダイアナはさっと文に目を通して、カードを入れ封をし、裏に己のサインを書いた。
それをロキに手渡す。
「終わったわ。お願い」
「ああ」
ロキは、先程と同じように手紙に術を施して、ダイアナの手紙を待っていた蜘蛛へと投げる。
「では、妾は失礼する。努々、気を付けておけ。今や奴の名をこの森で訊かぬ日はないぞ」
「・・・ええ。心に留めておくわ」
ドレスを翻し、ロキはダイアナに向かって忠告し、ドアへ手を掛ける。
ダイアナはゆっくりと首を縦に振った。
彼がこの森へ帰って来た実感は、まだ湧かない。
しかし、胸がざわめく心地の悪さを、彼女はじっと、かみ締めていた。

ダイアナ&ロキ&蜘蛛















ウミベデュエット


「ふんふんふーん♪」
男は陽気に歌っていた。暑い夏の日、豪勢なクルーザーに乗って、一人揚々と、海を走っていた。
それは自由というものに満ち溢れた一人の航海で、そこにはなんの邪魔もない、筈だった。
「あぁわわわわわあぁあぁぁあぁぁあああああ!」
「!?」
・・・筈だった。
筈だったのだが、男は減速気味に走行していたクルーザーの淵に足を掛けていて、
そこに唐突に海に降って・・・そう、確かに空から海に降ってきた「なにか」の衝撃で、
目の前からかぶさって来る大きな波を真正面から受けた。
「なななな、なんだなんだなんなんだ!!オイオイオイオイ!!!」
男は海水を浴びながら、同時に大声で叫んでサングラスを取る。
海はその衝撃で瞬時に荒れて、船をぐらぐらと動かしていく。
とっさに柵に掴まりながら男は眼を細めて海を凝視した。
しばらくすると、落ち着いてくる海、なにかが落ちたその場所は大きな波紋が浮かび上がってくる。
「一体どうしたってんだ!?オイオイ・・・・お・・・」
男はまったく訳がわからない、というような豆鉄砲顔でぽっかりと海を眺める。
が、そこに落ちたものが何だったのかが判ると、その太い声で、再び大声を上げた。
それが、あまりに予想だにしないものであったから。
「・・・イルカァ!?」
海には、一匹のイルカが腹を見せて浮いていた。いや、イルカならば、むしろ海に居なければおかしい。
そう、普通の人間は思うだろう。
しかし、このイルカはなにしろ、男の頭上、つまり空から降ってきたのだ。
海の生き物が空から落ちてくることがまずおかしい。
しかも、そのイルカはなんと、その背中にパラシュートを背負っていたのだ。
その証拠に、海には不自然な黄色いパラシュートの開いたものが、ぷかぷかとイルカから伸びて浮き上がっている。
男は目を丸くし、そして頭上にクエスチョンマークを出来うる限り出して、唾を飲んだ。
イルカがすぐに起きる気配はない。
「し・・・死んで・・・んのか・・・・?」
弱く声を掛ける・・・というよりは、独り言のように男は呟く。まだ、放心を抜け出すきっかけは出来ない。
辛うじて転覆はしなかった船から身を乗り出し、表情の見えないイルカを覗き込む。
姿や色は完全に、海に住むイルカと同じ容姿をしていた。やはり、背のものが気になる。
「おー・・・い」
再び、声を掛けた。今度は、イルカを多少労わっているような気がしないでもない響きだ。
それを悟ったのか、イルカの身体がほんのわずか、ピクリと動いた。死んでは、いないようだ。
「・・・・お、・・・い、生きてる・・・?」
死んでいないならば・・・助けてみようか。男は一瞬そう思った。いや。しかし。
こんな怪しいイルカを助けて、どうしようというのだろう。幾分、男は迷う。
「うむぅ・・・・」
間抜けにサングラス焼けをした顔を、男は精一杯歪めて、唸った。
そしておもむろに肩に掛けたシャツを取ると、じゃぱりと海へ飛び込む。
結局、悩んだ挙句に男はイルカを助けることに決めたようだった。
パラシュートの浮かぶ異様な海は、常夏に見合った、温かく穏やかな水温をしている。
男は静かに泳いでイルカに近づく。
「おーい・・・・大丈夫かー・・・」
周りを漂ってイルカの様子を眺める。そっと触れてみれば、ヌルッとした感触がする。
「おおっ・・・」
その感触に若干気持ちがしぼむが、男はめげずにイルカに触れて、優しく揺すった。
イルカの身体がゆっくりと海の中で動く。
「ん・・・・うう・・・う・・・」
「おッ!?」
その動きで、イルカはようやく意識を覚ましたように、もどかしく声を上げた。
男はその声に、少しばかり嬉しそうに、そしてほっとしたように息をつく。
「・・・ん?」
しかし、その安堵も一瞬だった。
声を上げる?イルカが?
瞬時に湧き上がった疑問は、すぐさま男に次の問題を叩きつける。
「う・・・ここは・・・?」
「え・・・?え・・・えええええええええ!!?」
腹を見せた格好のまま、イルカはぐい、と海面に顔を持ち上げて、喋った。
そう、まるで、人間のように。
そして、その問題を目の前に叩きつけられた男は、ありったけの声で叫んだ。
そう、まるで、動物のように。
「なんで・・・これ・・・海・・・?」
「い、い、イルカが!しゃ、喋ったッ!!イルカが!イルカが!!」
「え・・・?ひ、ヒト・・・?」
男を見つめ、眼を見開き、驚いたように辺りを見回し、水に驚く、ゴーグルをつけたイルカ。
イルカを指さし、若干溺れかけ、大声で一人っきり叫び続ける、サングラス焼けをした男。
この広い大海原で出会ってしまった二人の、長い船旅の始まりは、こんな風に、あまりに簡単なものだった。

洋次郎&ククー















山紫水明


「久しぶり、あにさん」
少女は跳んでいた。
跳んで、跳ねて。それはまるで空飛ぶ翼を失って、その代わりに跳ねる翼を獲た鳥のようだった。
壱つ足の下駄が、白と黒で線を刻む長い足袋の上で霧の立ち込める森の木々たちを足場にして暴れる。
振袖のような着物の袖が、白で彩られたその場所で、濁った芥子と緑の色をして舞った。
「・・・主は」
「相変わらず、ここに居んだ」
舞った紅葉の、高揚のいろ。
それは、一人の人物の前でブレーキを付けるように止まる。
少女は不適に光る笑みを崩さずに、一本杉の頂点で立ち尽くしているその者の前の木に、下駄を這わせた。
木がしなり、少女の身体を揺らす。
「・・・下界に身を寄せた者を還す寝場所は無いぞ」
「フン。あにさんは変わらないね」
その者は無垢のように白いからだをした、鳥だった。
細く、しなやかな足にめかし付けられた下駄は、少女と似た形をしている。
手には、鮮やかな朱の色をした大扇子を抱いていた。
「・・・嗤うだけならば、帰れ。此処へ俗世を持ち込むな。何故帰って来た」
「あたしの唄。漸く視止められそうでさ。あにさんには、伝えとこうと思ったんだ」
その大扇子の色を懐かしそうに見つめながら、少女は片手で羽を模す。
訝しげな眼でそれを見つめる鳥の黒目に、振袖になめされた髑髏が映った。異界の死神。
「詩など、如何でもいい。血に迎えられなかった者と話す道理はない」
「・・・あたしが汚れてようと、あたしは生きてる。あにさんがこの山に生かされてるのとはわけが違うな」
この森は、選ばれた血を宿していないものとっては瘴気の空気を纏う、地獄の森だ。
少女は、白の立ち込める澄んだ空気の先を眺めた。鳥は、祓うように扇でその場を一閃する。
「成らば、下界でその詩を喚いているがいい。彼の地にその身体を置く必要がどこにある」
「それはあにさんに会いたかったから。アンタの顔、好きだから」
その光は、風を起こして少女の髪を強く舞わせた。
けれど少女は動じずに、ケタケタと笑う。
「・・・お前はヒトの容で生きている。相容れない血を、何故好む」
高らかに笑う声に、鳥が返す。
遠くで風が雲を突いた。
少し意外な質問に、少女の眼は円くなる。それでも感情は微動だにして動かない。
微笑みが混じる。淋しさ、つらさ、悲しさ。
そんな感情は、少女の中でとっくの疾うに枯れていた。
「それは、あにさんがあたしを嫌ってるのときっと同じ理由だよ。適わないから、届かないから、視る。それだけ」
「・・・?」
神々が棲むと謂われるその地。いつか、少女が自ら捨てた地。望まれなかった血。
そのどれもは、今の少女にとってはただの脆い錠だ。
鍵など見つからなくとも、少女が力任せに弄れば、今直ぐにでも壊れる錠だ。
しかし、少女はそれを壊そうとしない。それは、その錠を開く鍵を、この手に得たいからだ。
その、あらゆる枷から少女を解き放つ鍵を、自分自身のその手で、得たいからだ。
鳥は細めた眼のまま、眉だけを曲げた。理解不能、という趣。
それを眺めながら、片足で遊ぶように、少女はその場でクルリと一回転し、跳んだ。空を翔る鳶のように。
月に跳ねる兎のように。漆黒の帳を裂いて散らす、飛天狗の姿で。

鹿ノ子&智羅















依頼


「ん?コレ・・・」
その日、一通の郵便物がひそやかに、彼の元へと届けられた。
蒼い封筒に、蒼い花の紋章が刻まれた、小ぶりな封筒。
それはどこか彼にとって嗅ぎなれた、心地のよい香りをしていた。
「・・・露姫?」
裏を返せば達筆な署名が書かれている。
その名前は、彼が憧れている女性の名に他ならない。丁寧に糊を剥がし、彼は封筒の中身を取り出す。
中には2枚の蒼い便箋と、黒い蜘蛛の描かれた小ぶりなカードが入っていた。
「・・・ゲェ」
そのカードを見た途端、彼は若干に高揚していた感情を押し潰されて、苦々しい声を上げる。
その形は、彼がこの世で尤も苦手としている女が自らを示す印だった。
彼はカードを封筒に押し込めるようにして、便箋に眼を通す。
『親愛なる見届け人へ  
 お久しぶりです。突然、こんな手紙が届いて驚いていることでしょうね。
 しかし、前置きを書く時間も今はありません。
 至急、貴方に、氷雪の女王より預かって頂きたいものがあるのです。
 女王には既に親書を送らせて有りますので、手配は済ませている筈です。安心して下さい。
 これは一刻を争う事態です。
 貴方の橇の速さを私はよく覚えています。だからこそ、貴方に頼むのです。どうか、宜しくお願いします。
 今の貴方に、あの森の総てが、懸かっているのです――――』
文面は、表の筆跡より大分粗い文字で、そのような内容のものが書かれていた。
彼は少し首をひねって、二枚の便箋を再び読み比べる。
柄に合わず、彼女が随分焦っていることは文章からなんとなく分かる。
彼女が言う雪の女王だって、この場所から程遠くない城に住んでいる。
しかし、彼は、配達人ではないのだ。
いや、配達人は配達人であるが、郵便や小包を日常的に配るそれとはまったく別種の、配達人なのだ。
しかも彼はつい先日の試験でようやく「ビギナー」の称号を脱した新人であって、
こんな大層な依頼をこなせるような力量を持っているとはお世辞にも言えなかった。
「でも・・・なァ・・・」
便箋を握りしめたまま、ぐるぐると彼はその場をまわって口元を押さえる。
まず、これは敬愛する女性からの依頼だ。
次に、幼い頃さんざん罰されてきた師の、悪魔の印が入っている。
そして更に、第二の故郷である「森」が危機だと示されている・・・・・・。
彼は己の被る帽子の先に付いている小さな髑髏を目の前へ持ってきて、ピンと指先で小突いた。
「・・・オイ、お前はどう思うよ。露姫と蜘蛛婆のダブルだぜ」
その声色は晴れていないし、冴えてもいない。
しかし、そんなことをまるで気にしていないように、髑髏は自らの力でガタガタと歯を鳴らして笑い声を上げた。
三本指で髑髏を支えるようにしていた彼は、その笑い声に舌打ちをし、ギ、と髑髏を睨みつける。
「テメーはそういう奴だよな。・・・クソッ、橇は手入れしてあったっけな・・・」
ケタケタと笑ったままの髑髏を彼は背に追いやり、独り言のように呟いて、小走りに部屋を出た。
目指す先は、寮の裏に作られている橇の格納庫だ。
幸い、今は春を過ぎた休暇の最中だった。これならば抜け出しても文句は無かろう。
彼は便箋を握りしめたまま、女王の国への最短ルートを、その脳裏に書きつけた。

デイヴ


















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