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夜霧に詠う


旅人はひとり、煙ったような霧の中を方角も判らずに進んでいた。
濃い深緑のマントは厚い湿りを帯びて、背に掛けた大きな琴はわずかに塗装がはげている。
羽根を挿したつばの長い帽子を目深に被ったその表情は、僅かな不安に揺らいでいるように見えた。
「迷った、・・・・のかな」
独り言はすぐさま霧に消える。連れともはぐれてしまった。前も見えない。
小一時間ほど前に二又に分かれた道を左だと紅い鳥に示され、漸く森を抜け出せると安堵したらこの有様だ。
「・・・クックは大丈夫かな」
連れは小さいために、中々見つけるのが困難だろう、と旅人は思う。
息を吸い込めば重い空気が我先に肺の寝床へ飛び込んでくる。
「・・・オォイ、耳長ァ」
「・・・?」
質量のある柔和な霧を最大限まで飲み干した直後、ざく、とおもむろに旅人は立ち止まった。
背で声が、聞こえた。
まるで、錆びれた針金が軋みを立てるような音だった。
「・・・誰?」
旅人は振り返る。遠くで、この場と切り離された、現の世界が転がっていく。
そこには一つの人影が、気だるそうに立ち尽くしていた。
今までなんの気配も感じなかった彼の目の前に、その姿は存在していた。
小さい身体に濁った眼。色の悪い肌、帽子の底の無愛想な表情は目玉だけが爛々と光っている。
そして何より目立つのは、その風体にまるで似合わない、肩にかけた巨大な鎌だった。
よくよく見ればそれには赤いものがこびり付いているような気もし、
思わず旅人は、霧にまみれたその姿に言葉を失くす。
「オマエが、迷い人か」
「え・・・」
「フタリとか訊いてたんだがなぁ。もう一匹はどーした」
きょろきょろと辺りを見回し、鎌人は苛立たしげに旅人を見据えたまま歩み寄った。
惑ったままの旅人の目を覚ますように、一度鎌で地面を叩く。
「・・・あ。ああ、ご免、なさい。その、・・・はぐれちゃったんだ」
「間抜けなヤローだな。霧迷路は初めてか」
「霧、迷路・・・・ここに来たのも、初めてなんだ。だからこの森の事はよく・・・」
その音で気付いたように、頭に浮かぶものを考えなくそのまま言葉として吐き出し、旅人は早口で喋る。
この森へ入り込んだのは、つい4日前ほどだ。
初めて森へ入った時に感じた言い知れない感覚に、
早く抜け出した方が良いという直感が働いたことを旅人はよく覚えている。
「そうか。じゃあ、誰に訊いた?こっちが出口だとか」
「紅い・・・鳥。帽子を被って、服も着ていた。確かに南だって言っていたよ」
「・・・やっぱパロットかァ。他にはナンか言ってたか」
「ええと・・・何だったろう、・・・ああ、そうだ、自分は師匠のところに行くって」
旅人は、もう随分遠い昔の出来事のように感じる、鳥との会話を思い返す。
執拗に『左』を指し示したその紅い羽根は、あまりに美しい極彩色をしていた。
だから、未だに焼きついているのだ。その素晴らしく艶やかな色を丸々穢すような、彼のさもしい声色を。
「・・・ジジイかよ!寄りによって!!」
「?」
鎌人は地団駄を踏む仕草で大声を振り回す。
ぬかるんだ地面の泥が跳ねて、鎌人の簡素なブーツに付いた。
「ああ、いや、オマエには関係ねェ。霧が消えるトコ迄案内するから付いてこい」
「あ、うん・・・ねえ、君は?」
「オレ?・・・オレはバウム。喰われたくなけりゃア、大人しくしときな」
「ぼ、僕はロビン。宜しくね」
「ああ、ヨロシク」
早足で鎌人が旅人の先を歩く。暗い森の乳白色。
ようやく、この厄介な霧を抜け出す手段を見つけたようで、少し旅人は胸を撫で下ろす。
しかし、連れはまだ見つかっていないし、霧の中では見つけ出すのも困難だろう。
彼をこんな場に追いやった鳥は、『師匠の元へ行く』と呟いたとき、実に嫌な顔をして笑った。
まるで惨劇を模すようなその顔。
目の前でやや不機嫌そうに肩を揺らす鎌人に向かい、わずかに旅人は口を開き掛けた。

ロビン&バウム















光圧浄土


「・・・貴様、何者だ。何故あの男を庇う」
「さぁ?別に、理由なんてないけど。面白そうだったから?」
黒衣の二人が、四方山の間に対峙していた。仮面の男と、紫猫の薄ら笑いの相違は甚だしい。
風が吹き、そして止まる。
次元の歪みは早々塞がるものではない。男が表れた空間は、未だ不安定に揺らいでいた。
「・・・近頃はそう言った物言いをする輩が多いな。ふざけているのか」
男は、手中で練っていた目映い光の弾を消し、仮面越しに紫猫を見据える。
目の前にいる少女とも少年ともつかないその姿は、わずかな不気味さを帯びていた。
「ふざける?ジョーダン!本気だよ。ねぇ、どうしてあのヒト追ってるの?」
「貴様に話す道理は無かろう。私は私の真理に従い、動いているだけだ」
「へぇ」
紫猫の口笛。音階のない響きは不甲斐ない湿度で男へ届く。
不可解な生き物だ、と男は思った。人ではないし、死者の臭いもしない。
その癖、狂喜に似た渇望だけが痛いほど襲い掛かってくる。
「それイイね。ウン、じゃあこっちの理由もそれにしよ。自分は、自分のシンリで、動いてるんだよ」
「・・・どちらにしろ、私の邪魔をしたい事に変わりは無いらしい」
「そうだね。約束、しちゃったしね。時間カセギ?」
「成らば、もう目的は果たされただろう。奴はもう違う空間へ逃げた」
男が追っているガスマスクは紫猫と別れた後、すぐに新たな裂け目を作り、そこに逃げこんだ。
紫猫がガスマスクに約束したことは既に達成されている筈だ。
「・・・ザンネン。違うよ。こっちが約束したのは、キミを、追い払うことだよ」
「言葉遊びは好かない。御託を並べるだけなら、去って貰おうか」
男は軽い否定を持ち出した紫猫へ、再度光の弾を練る。
「怖いね、こっちのヒトは。それ、危ないからしまってくれない?」
ほんの少し、紫猫は後ずさる。しかし超然と保ち続けた笑みは消えないままだ。
男もまた、人ではない。
今、男の指先ひとつひとつで編まれている光も、物理的な範疇を越えた破壊をもたらす。
おそらく、紫猫の身体にさえ傷みを与えるほどの。
「残念だが、聞けぬ相談だ」
バチバチと、雷光に似た閃光が弾の周囲で舞う。
男は仮面に隠された意図の掴めぬ表情で、呟くように異界の呪を唱える。
紫猫はその光景をつぶさに見るように眼を細めた。何かの真贋を確かめるような眼差し。男の呪が止まる。
「・・・消えろ」
ゆるやかな動きで男の手が啓かれた。
幾分男の手の中で生き物のように動いた光の弾が、戒めから放たれたように一直線に跳ぶ。
紫猫だけを捉えた光は光速をも越えたスピードで、黒い身体を貫こうとしている。
「違った。ゴメンね。・・・それは、欲しい光じゃない」
その眼に迫る光が瞳孔を溢れさせようとした時、紫猫は心底、惜しむような口調で言った。
同時に、光が目標に届いた合図で爆発が起きる。ひとつの命を危めるには巨きすぎる力。
男は、爆風に伴う熱風を無表情に浴びながら、たった今起こった断絶を眺めようとその場に近寄る。
灼炎が舞っていた着地点は、一瞬にしてなんの温度も感じさせない灰色に戻っていた。
「・・・・な、」
・・・しかし、そこにある筈のひとつの死はなく、清らかな無が存在するだけだった。
そこに有り得える筈のない狼狽が散らばる。
男は、まるで信じられないと言わんばかりに仮面を取った。
「・・・何処へ、消えた」
紫猫は逃げる様子を見せていなかった。むしろ、光の弾を望むように、立ち尽くしていた。
ならば、何故、居ない。男は意味もなく周囲を見回し、誰の存在も消えた空間を睨む。
既に、男が造った時空の裂け目も、消えていた。

ヴィルヘルム&説ニャミ















白濁桃源


「ヘェ。アンタ、人間じゃァないのかい」
「・・・ええ。堕ちて、来ました」
「ふゥん」
女は、煙管を咥えた、一等に赤い唇で娘をにやにやと眺めまわした。
雪の白い肌が僅かに紅潮しているが、口調は余りに素っ気無い。
娘は確りと立ち尽くしたまま、凛とした声を放った。
「アタシは椿。アンタを最初に見つけたから、アンタはアタシの物だね」
「覚悟はしております。私は罰を受けなければなりません」
キツ、と締めた娘の視線に、煙管の煙が噴きかかる。女の、笑い。
「上等だねェ。喰ってやろうと思っていたが、それも惜しい・・・どうだい、アンタは?生きたいかい?」
「・・・私は、死ぬために此処に来たようなものです。貴方のご自由になさって下さいませ」
娘の肩に巻き付いた羽衣は風もないのにふわふわと浮き上がっている。
それを見るだけで、娘は人間ではないと判る異様さだ。
では、女は?
胸元のはだけた着物の下の、さらしに巻かれた豊かな乳房と黒く長い髪は、
一見、人間にしか見えない柔らかさと暖かさをしている。
「アタシはね、そういう澄ました女を汚すのが好きなのさ。
 ・・・ふん、良いだろう。アンタはこれから、アタシの鬼子だ。従いな」
「・・・承知致しました。椿様」
娘は、伏目がちにした表情で深々と腰を折った。
女はあちこちの肌を顕わにしたまま、空に向かって煙を吐く。
「・・・それで、アンタの名は?力は奪われたんだろうが、名ぐらいは残ってるだろ。言いな」
「・・・はい。タオシャン、と申します」

椿&桃香















ダークシード@one befor


「・・・開店は月霜の刻からです」
銀食器を磨いていたアルビレオの耳がぴくりと動き、ドアのベルが鳴った。
同時に、規律した声が響く。徹底した教育の賜物である鈴色。
暗い店内は静まりかえり、深い色に沈んでいたが、ドアを開けた主の来訪によって軽々しく彩りを持つ。
「やァヤぁ、猫くン、お久シぶリだネェ」
ひとり、揚々とした格好で滑り込んできたのは、紅い派手な色をした鳥だった。
やけに甲高い声は小うるさく、少々苛立ちを抱かせる声のようにも感じる。
赤青黄でめかし付けられたあでやかな羽と、いつも何かに媚びているような眼。
アルビレオはその姿を見た途端、銀食器をテーブルの上に取り落とし、
給仕という仕事を忘れ、鈴色に整った声を掻き消した。
「・・・パロット。いつ・・・帰ってきたんだ」
「オやオヤ、君は客に仕エる者ダろウ?そんナ態度でイいのカい?」
ゆっくりと名を呼ばれた鳥、・・・パロットは己の首元に巻いた蝶ネクタイを撫でる。
中々に優雅で、この場所には似合う仕草だ。
しかし、アルビレオは憎悪にも似た表情を憚ることなく見せ付け、彼を睨む。
「開店は、月霜、から・・・ですが」
「ハ・・・此処の食事なドにハ興味が無イヨ。まァ、君ニは挨拶位してオこうト思っタものデね」
「・・・どういう、意味だ。君はこの森を出て、二度と帰って来ない筈だろう」
パロットはそんなアルビレオの様子を、まるで憐れむように眺めていた。
幾許、昔には感じられなかった・・・余裕、というものだろうか。
それはこの鳥に全く似合わない感情であった。
「漸く、私の願いが叶いソうなノだヨ。曲ガりナりにモ幼少ヲ過ごしタ、
 こノ森が死ヌのは多少、哀しクテね・・・最期に立ち会おウと思ッたノさ。既に此処に名残ハなイがな。
 ・・・嗚呼そウだ、お師匠さマはオ元気かイ?彼モそロそろ潮時だろウ。逢イに往っテやらナけレばネぇ」
仰々しく、鳥は尚も続ける。
頭に乗せた帽子を終始気にしながら、愛情の欠片もない単語が並ぶ。
アルビレオはその刺々しい連なり達に憎しみを抑えきれないと、唇を噛むが、
『死ぬ』という単語が発された瞬間、パロットに惑った視線を向けた。
死ぬ?
彼には一瞬、意味がよく分からなかった。心臓が自分勝手に、どきりと戦慄く。
「・・・な、・・・パロット!先生に、会う?・・・この森が死ぬ!?」
「・・・おっト。もウ時間か。君は最期マで愚鈍な、小五月蝿い猫の侭ダったナ・・・三等星。
 残念だヨ。予測しテいたガ・・・別れがコんな間抜ケな形にナるダなんてテね」
「待て!先生に会って・・・どうするつもりなんだ!」
声まで、自分勝手に飛び出してきた。
それはパロットが師匠と呼び、アルビレオが先生と呼ぶ楽器が登場した為だろうか。
だがパロットはひとつも動じず、過去に見せていたあまりに卑屈で暗い、歪んだ微笑みを浮かべる。
「私がコの森で出会ウ総てノ生き物は、地獄ヲ観るだロう。無論、君もだ。
 こレで、私の・・・僕の願イが、漸く、漸く、適うノだヨ!」
問いに答える様子さえ見せなかった。
そこにあるのは、実現をその手に潜めた理想だけだ。
慌てふためき、見境なく金切り散らすアルビレオを放置したまま、
パロット・・・後に森で悪夢の使者と呼ばれる鳥は、律したベルを鳴らして店を出る。
息を荒げ、半ば懇願するような眼をするアルビレオの顔が、よく磨かれた銀食器に反射した。
「先生・・・・」
彼という鳥がその店に訪れたのは、夕暮れ間近の、空が一面茜に輝く刻だった。
森が闇の匂いを漂わせる直前の、まるで血を噴出すような、紅い色の刻だった。

パロット&アルビレオ















スイートピークリーム


ふわふわ、ふわふわ。入っちゃいけないよ。今はダメだよ。
「ダメだよ」
「ダメだよ」
「どーしてよぉ!あたしはパパに会いにきたんだよ!ふわわも知ってるでしょ!」
少女の凛として、それでいて、すこし甘えた、駄々っ子のような叫び声。
ふたりの、綿毛のような容姿をした精霊は、困った顔をして眼と眼とを交し合う。
少女は垂れた耳をびょこびょこ動かして、頬を膨らませて、口を尖らせた。
両手いっぱいに持った白露草がいっしょに揺れる。
いつもは、ここには誰も居ないのに、と思う少女の目は森のずっとずっと、奥を見ていた。
「ダメなの」
「ダメなの」
「だから、どーして!今日はパパ、会ってくれるって言ってたもん!」
ダメなの、と繰り返して、精霊たちはそこでぐるぐる回って、空中でバツを描く。
いつも少女のパパは忙しいので、今日はちゃんと約束をしたのだ。
それなのに、ふたりは森に入ることを許してくれない。
「悪夢が来るの」
「悪夢が居るの」
「・・・悪夢?・・・、そんなの、知らない!ほら見て!
 パパの大好きなお花が枯れちゃうよ!せっかく持ってきたんだよ!?」
精霊たちは真剣なまなざしだ。
悪夢という単語が妙に胸に引っかかって、ちょっと少女は気圧されたけれど、
すぐに首をふってずいと精霊たちに花を押し付けるようにする。
「ダメだよ」
「ダメだよ」
「もう!わからずや!メリー、これまで頑張ってきたもん!
 ずっとパパに会うの我慢して、頑張ったんだもん!ふわわのイジワル!ばか!きらい!!」
「それでもダメなの」
「ダメなの」
「うっ、ううっ・・・・」
「ごめんね」
「ごめんね」
たくさんの花にあふれた妖精たちはごろごろ転がるように白い花に包まれる。
少女はなおも譲らないで、半泣きになって、怒鳴る。
精霊たちは悲しげな顔で謝った。
それでも通せない理由があるのだから、少女の願いを叶えられなくても、仕方がなかった。
それは少女を守ることに直結していたし、約束を破るようなことを精霊たちは絶対にしなかった。
けれどやっぱり、精霊たちはパパに会えない少女をかわいそうだと思った。
だから、もうほとんど泣いている少女の目じりにふたりは優しくキスをする。
「ごめんね」
「ごめんね」
花を抱きしめた少女の目から、泪が落ちた。
悪夢はここに訪れない。パパにもきっと会える。だから、大丈夫。
そんな風に、精霊たちはちいさな身体で、願いをかけた。

ホワイトメリー&ふわわ


















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