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白光毒香


「おい、猫ォ。邪魔すんじゃねえ、どけよ」
「逃げてんの?追ってんの?」
逃げている、とジャックは心の中だけで答えた。
急がなければその内、いや、幾分の時間も経たない内に仮面の男はジャックを捕えに来るだろう。
しかし目の前には猫がいる。袈裟のような服を纏った、紫色の着物を着た。
「テメーには関係ねェだろうが。俺は急いでんだ、阻むなら殺す」
「へえ?やってみればぁ」
まるで楽しんでいる、間延びした声を猫は出し、その言葉にジャックは舌打ちをする。
大きく、よく、目立つ音。それに猫は動じず、にこにこと首を傾げて笑った。
その饐えた眼は些細な理由では揺らぎそうにない。
一度ジャックは猫の心臓を見つめる。己が取るべき行動の何かを今一度確認するために。
「・・・いいんだな?」
それは一回一回の度に麻痺する感覚を取り戻すために必要な行為だ。
息を呑み込み、止める。一歩後ずさり、素足の底に力を込める。そして、ジャックは跳んだ。
その瞬間に猫は口笛を吹く。高音に空気は裂かれ、殺気がその隙間を埋める。
ぎらり、と何かが光る。短い鉤爪の、鈍い光だ。
二言はない、ということだろう。その眼は猫を刺すことしか見えていない。
「死ね!」
高らかに叫ぶ、その声は良く響いた。仮面の男にも、きっと届いたに違いない。
ジャックは真っ直ぐに猫の胸を突いた。生業だ。確実だった。
肉の繊維が引きちぎられる感触が、その腕へ伝わる。
「・・・うまいね。さっすが」
「!?」
だが、しかし、どうだろう。
猫はそのまま、何の痛みも感じていない素振りで眼を細め、
一度自分の胸を確認してから、褒め言葉と共にジャックに突っ込むように前へ動いた。
まるでそのまま鉤爪を身体へ貫通させるような行動。一瞬、訳が分からないようにジャックは怯む。
その瞬間、猫は幽霊のようにその鉤爪、その身体をすり抜けて、彼の背後へ立った。
「キミ、人でしょ?無理だよ、殺すの。でも凄い。その爪、相当イイね。まさか身体に刺さると思ってなかった」
ジャックが振り返ると、猫はすこし裂けた着物を見せ付ける。血は流れていない。
ひゅう、とジャックは息を飲んだ。人で無い者とは何度か手を合わせたことがある。
しかしこの猫はそのどれもと違う奇妙な感覚を帯びている。殺せない、とジャックは思った。
それはただ、これまで、人を殺して生きてきた中に培ってきた、確かな勘だった。
「・・・テメェ何だ?俺に何か用が・・・、・・・くそ、来たか」
「ねぇ、アレ追い払えるよ。もう、すぐそこまで来てる。強いね。逃げてんだ。罪だ?アハハ」
その時、僅かに次元のぶれる音が聞こえる。仮面の男だ。だが猫は構わず、悠長に喋った。
ジャックの眼の色が変わる。追い払える?逃げているとは言っていない。あれが強いということを理解している。
もう時間がなかった。ジャックは、急ぎ早に訊いた。
「マジか」
「マジだよ。嗚呼ホラ、来た」
疑問。肯定。猫は指さす。仮面の男だった。浮遊したまま高速で進み、光の弾を練っている。
ガスマスクを手早く付け、叫ぶようにジャックは言った。
「くそっ・・・やってくれ、猫!今捕まる訳にはいかねえ!」
「判った。好いよ、先行ってて」
了承。承諾。猫は笑った。頷くと、ジャックは猫をすり抜けて矢のように走った。
遠くなるその姿。猫はゆっくりと仮面の男へ視界を定めた。
ああ求める物は君だろうか、いや違うだろうか、そんなことを可笑しげに考えながら。

ジャック&説ニャミ















オリーブ・ノア


白いふくろうがいました。
白いふくろうはいつもテレビをかついでいる変なふくろうでした。
ふくろうはしずかだけれど少し退屈なくらしをしている森の動物たちに、
にぎやかなテレビの映像を見せてあげるのをなによりの楽しみにしていました。
今日も今日とて、ふくろうは森へ向かうべくぱたぱたと飛んでいましたが、
そこにみどりの葉をつけた枝を持ってちょこちょこ翼を羽ばたかせている白い鳩を見かけました。
その姿はいつも森でみかける動物とはどこかちがっていましたし、
おなじ白さに親しみをおぼえたふくろうはその鳩に近づいて、
いっしょに飛びながら横からきいてみました。
「きみはだあれ?」
「わたし?わたし、ナナ。これをとどけるの。しあわせなたよりなのよ」
そういうと、鳩はちゃんと目に入るようにその枝をふくろうに見せてやりました。
でもその枝にはべつに手紙がくくりつけられているわけでもありませんでしたし、
どこが「たより」なのだろう、とふくろうは少し首をかしげました。
「なんできみはそんなことをするの?」
「わたしがとどける役目なの。はやく知らせてあげないと」
だから、素直にふくろうは聞きましたが、鳩はぱたぱた翼をつよく羽ばたかせるだけでした。
ぐん、と少しだけ鳩の飛ぶスピードがあがります。
「だれに?とどけてあげるの?」
「わたしを待っているひと。これを、望んでいるひと」
鳩は、みずみずしい色をした小枝を咥えなおします。
望んでいる人や待っている人に、それを届ける。
それはふくろうがこうやってテレビを森まで運ぶのと似ているような気がしました。
「・・・とおいの?」
「もうすこし。ここを越えれば、すぐ。」
ちょっとだけ羽根で先をかかげるようにして、鳩は山のむこうを見つめました
そこはだれも行ったことがない、深い森のもっともっと先でした。
「だいじょうぶ?あそこは、怖いかいぶつがいるって」
「それでもね、わたしを待ってるひとがいるのよ」
恐ろしさにも鳩はくじけないと言います。
それはおそらく、強い信念というものでしたが、そのすべてをふくろうが理解するのはむずかしいことでした。
しかしその目はとても力のあるものでしたし、それを納得させるだけの雰囲気がありました。
ふくろうはすこし言いよどんで、こう返します。
「・・・きを、つけてね。」
「ええ。ありがとう。さようなら」
別れはいつだって壮大のようで些細なものです。
ゆっくりと速度を落とすふくろうと対照的に、鳩は翼をつよくふりました。
勢いをつけて、鳩は山のむこうへと遠ざかってゆきます。
「・・・ぼくは、・・・ううん」
どんどんちいさくなっていく鳩の白さをみつめて、
ふくろうはひとり、小声でなにかをつぶやきました。けれど首をふって、その声は森にきえました。
鳩の力強い声が、まだふくろうの耳に残っています。
『私を待ってるひとがいる』。
みずみずしい小枝は何を表していたのでしょう?
ふくろうがそれを知ることはありません。
しずかにふくろうは森を見下ろして、動物がまっているいつもの場所へとぼう、そう想いました。
もうすっかり、鳩のすがたは遠くなって、見つけることはできませんでした。

しろろ&ナナ















嫉妬と濁流


「おや」
それを見つけたのは、ただ単に偶然という名の悪魔が笑い声を上げたからだろう。
別に、お互いが変な気を回したわけでも、それを贈った本人が仕掛けをしていたわけでもなかった。
ただただ、偶然に、とっ散らかったその部屋の中で、講談師はそれを見つけたのだ。
「まさか学者様がねェ」
「あっ、貴様ッ、勝手に!」
それは悪魔と呼ぶには平凡すぎる、なんの変哲もない茶封筒だった。
しかし講談師はそれをさも可笑しそうに引き抜き、学者は少なく慌てたように立ち上がった。
睨みに満たない視線を交わし合うふたりがそんな行為を行ったのは、ほぼ同時の出来事だ。
固定を拒む手が包むしわがれた老人のような封筒は、どこにでもある様なありふれた形をしている。
「誘われたんですか、アンタも?あの木偶の坊に?」
「・・違う。一方的に捲し立て、置いて行っただけだ」
「へェ。アンタが押し流され無かったとは、珍しい事も在るもんですな。否残念、是非とも拝見したかった」
薄暗い光にかざす仕草で講談師は茶封筒を覗く。
透けて見える、濃いビビッドカラーで彩られた長四角の招待状は、
この頽廃をまとった空間には似合わない快活さを遠慮なく放っている。
音の宴の光。そして、音の宴の闇。
「下らない戯言を並べるな。お前は彼と顔見知りなのだろう、返しておいてくれ」
がたん、と多少苛立ったそぶりで乱暴に椅子へ座り直し、学者は追い払うように手を動かす。
かつて自分がそうであったような無関心さは、講談師の感情を少しだけ揺らす燃料になる。
あの傲慢で奔放な生き物には誰も逆らうことなど出来ない、と。
「返したいなら御自分で遣りゃあ善いでしょう。あたしに押し付けるのは如何かと思いますがねェ?」
他愛のない、いつものような幼い遊戯の格好でゆっくりと歩みを進めた講談師は、
遠い目を放っている学者の視界を指先でくるんだ茶封筒で蓋をする。
一瞬、息を止めたように学者は驚く、が、すぐにその手を横に退かした。
呆れた上目と嗤う下目がぶつかって離れる。
「事実だろう。私が渡すより早い」
「如何だかなァ、あいつは阿呆な位しつこいですよ。承諾を貰う迄昼夜問わず襲って来ます」
「・・何だ、随分知った口だな。お前も彼に纏わりつかれたか」
そこまで本気の訳なく、特に理由もなく、退かされた手を引いて、
講談師は開いた学者の手の甲に封筒を置いた。学者はそれを揶揄のように右手で取り、
含みを持たせる、そんな風に喋る。それは複雑に見せかけた、単純な想いだ。
「そいつはアンタにゃ関係の無い話でしょう。取り敢えず其れはアンタが還すべきです」
「・・・・・。まったく、貴様は融通が効かなくて困る」
「・・・学者様に謂われたくは有りませんなァ」
しかしそんな含みはただあっさりと回避されて、宙ぶらりんになる。
少しだけ封筒を見回して、中の招待状を見て、講談師をちらりと見て、学者はため息をついた。
それはそんな含みが、ただあっさりと闇に葬られてしまったからだろうか。
「・・・うるさい。彼の望みは聞くのに私の望みは聞かんのか」
「はァ?行き成り何を仰るんで」
ばしん、とその哀れみか悲しみを招待状と共に机に叩きつけ、学者は顔を背ける。
何だか拗ねるような仕草に講談師が返したものは突発的な疑問であったが、
まじまじ見つめればそれは中々にいい眺めであって、そのままの姿を講談師はゆっくりと見ていた。
藍の混じったざんばらな髪に掛かるこけた頬。それを支える細い指。小さな眼鏡。
そのどれもは常にそこにある有触れた造形だったが、例に見ない感情をまとったそれらは
妙に馨しく色づいたように講談師の眼へ写った。学者が気付いた素振りでその炎に目を向ける。
「何を見ている。・・・・私が返せば良いんだろう。さぁ、さっさと帰れ煩わしい」
「おや、また随分手厳しいですなァ」
幾分タイミングが違えばその横顔に講談師は手を触れていただろうが、
その何ともいえない瞬間を巧くすり抜けて学者は講談師へ退出を命じた。
手の中には茶封筒が乱雑に納まったままだ。
「誰の所為だと思っている」
「さてねェ、奴じゃア無いですか?」
茶封筒を贈った張本人はこの出来事をまるで知らないまま、
学者にまた誘いをかけ、執拗とも言える態度で出演を迫るのだろう。
講談師はそんな風に学者を誑かす男を想像してすこしだけ濁った想いを浮かべ、
学者は目の前の炎すら融かすような男の存在を想い、講談師に放った目をもう少しばかりきつくした。

淀×鴨川















喪中徘徊


「・・・化猫、か?」
「違うよ、ザンネン」
それは余りに唐突な出会いだった。
どこかの単純に連なった道端で、暗い路地で、宵に醒めた青梅だった。
「化けてる訳じゃあ無いなァ・・・何者だ、御前さん」
「闇。オッチャンと似た様なとこの、闇」
短い獣の耳と茶の髪を二つに編んだ形。緑の眼。
それは確かに彼女であった。声が同じで表情も同じなのだ。
しかし何故だろう、彼女である筈の彼女は、彼と似たような格好をして笑っている。
「・・・闇、なァ。随分曖昧に喋るねェ」
「知ってることべらべら喋られんのキライでしょ?」
濃紺に繋がる帷の中で、それはどこか悟っている眼であった。
闇を視ている、といえば簡単だ。
それは彼と同じような眼だ。闇を支配し、同時に闇に支配されている眼だ。
それは、彼と近い場所に堕ちた顔だ。彼女とは違う、沈殿の眼だ。
「・・・御前さんは如何して上へ来た?」
「光。ねえ、オッチャン暇でしょ?協力してよ」
闇は光に触れれば消える。
世界の理は、一つの歪みもないほどに普遍的で、常識のままで、正確だ。
けれど彼女ではない彼女は、毒を帯びたように問いかける。
光を欲している、というあまりに簡単な理由は鮮明な形をして、彼の前に差し出される。
「・・・生意気な餓鬼は好かんなァ。消えてくれるか」
「いうと思った。あんな奇麗なのにね?」
あはは、と黒衣が揺れて乾いた風が生温さをかき消していく。
生者にも死人にも満たないそちら側を憶えさせる身形は底のない溜りのようだ。
彼女と同じ顔で虚を包む姿は、彼の感覚に違和感ばかりを刻みつける。
影がいっそう深く路地に落ちた。闇が力を増していく。

淀と説ニャミ















ソノラマ


「+*`>"$#'%'」
「・・・お茶を召し上がる?疲れていらっしゃるみたい」
「@/.[@(%94#'''」
それは不気味な墓場の中には似つかわしくない白いテーブルでの出来事だった。
二組の椅子に二人の・・・人、には見えない形の生き物が、人のように座っている。
テーブルの上にはティーポットとカップが置いてあり、ポットからは湯気が立ちのぼる。
娘、とも称せるだろうか、一人の、レースを多く使った衣装を着た生き物は、
らんらんと光るまるで電球を取りつけたような虚空の眼を細めて、笑っているように見える。
「大丈夫。ここは鼠しかいないもの。ほら、もうすぐ淹れあがりますわ」
「+&#&%)~)'=・・・」
もう一つの人影は、その娘と似た肌の色をしていた。
しかし背は娘を優に越し、表情はなく、誰をも寄せつけない空気を放っている。
発せられるその言葉はこの世界のものではない。しかし、娘はそんな事を気にはしていないようだ。
気付いたように、ティーポットからカップへ、優雅な仕草で紅茶を淹れる。
元々、こんな場所で生を受けた存在だ。
死から培われた者に、怖れという感情は既に失せているのかもしれない。
「はい、どうぞ。すぐ冷めてしまうから、お早めにね」
「・・・%'%%#"()''&%%%#%&%???」
ふわりと林檎の香りが辺りを包む。娘は人影の前へカップを置いた。
人影はカップの使い方、その中身をまったく知らないように不可思議そうな動きをする。
「こうやって持つのよ。そうして、こうやって飲むの。害はありません。大丈夫」
そんな様子に娘は楽しげな声をあげ、そして、ひとつづつ教えてやるように、ゆっくりと人影に向かって紅茶を飲む。
「・・・)'&$'&('&)%」
少しだけ人影は固まったが、おもむろに動くと、律儀にその動きをそのまま真似る。
カップの取っ手に手を掛け、皿とともに持ち上げ、カップを口につけ、斜めにして紅茶を飲む。
「・・・美味しい?私は上手く淹れられたと思うの。お口に合わなかったら・・・それは、ごめんなさいね」
「・・・'&)%&$'%'?>_???<。」
たしかに人影の喉へ紅茶が通ったのを確認してから、娘は言う。
人影はもう一口紅茶を飲んで、カップをテーブルへ置き、なにか言葉を発する。
その意味、その意図はやはり判らない。娘は首を傾げるようにして人影を見た。
「貴方はとても・・・崇高な人なのね。それだけは、確かですね。私のところへ・・・、偶然でも、来てくれてありがとう」
朝になれば、娘は死の寝床へ還る。人影は未だ闇に閉ざされた世界と、そうやって笑った娘を眺めている。
人ではない、このふたりの交わりはどの時間にも影響を及ぼすことはない。
黒い鼠が娘の足元で鳴いた。人影の首に巻かれた布が、それに応えるようになびいた。

リデル&イマ



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