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追尾逃亡


お前に触れたい、と僕は思った。
それは焦がれている、という意味では、恋や愛に似ているのかもしれない。
僕はお前を捕えたいのだ。
心から、心臓の底から、喉の奥から叫ぶほどに。
一枚の羽根を見つめて、僕はそんな想いの最中にいた。
巷を騒がせている黒い怪盗の落とした、たったひとつの持ち物の一部分。
それは警察の元から流れ流れて、僕の元へとやってきた。
透き通るように白い羽根は、感触として羽根に似つかわしくない硬さをしている。
柔らかさの欠片もない。
下一桁に1の付く日に必ず何かを盗んでいく怪盗は、
何の前触れもなく僕たちの前に現れて、僕たちを翻弄している。
宝石や絵画、彫刻といったスタンダードなものから、
動物や人、何の価値も見出せないようながらくた、書物、家具、果ては記憶まで。
何にでも手を出す怪盗の手口に規則性はなく、大々的な予告すら、ない。
鬱蒼とした夜更けに、彼は静かに何かを盗む。ひどく手際よく、時折、僕たちの前に姿を晒す。
「・・・いつまでも、逃げられると思うなよ」
それはあまりに素晴らしい盗難であり出現であり逃走であり、それを僕は美しいと思ったことがある。
けれどいつでも怪盗は冷たい顔で、奪うことを当然だと言っているような面持ちをする。
それが、僕は許せないのだ。
ゆっくりと羽根を太陽にかざすと、その白さは色を変えないまま沈殿していく。無垢の色。
彼のおぼろげに揺らめく黒衣を思う。僕はあの怪盗の姿さえ満足に知らない。
それでも、僕はお前に触れたい。お前を、この手で捕える、その時に。

星のひと


















故知繰師


その面を、彼はまるで触れるような仕草で撫でた。
また戻ってきてしまった、と俄かに笑っているようにも思えた。
生きとし生けるものから外れた仄かな揺らめきと透明さは蝋燭の炎を無視していく。
緑と赤と黄と青で乱雑に塗りたくられた長四角の紙が、その明かりで影を作る。
「・・・・」
彼が見上げるのは、無数に並ぶ人形達だ。
とりわけ、男女一対で作られた人形のうつろな表情を眺めている風にも見える。
これまでの「舞台」に連れていった唯一の、人形だ。
彼にとってこの人形は特別な存在である。
真正面からそれを聞けば、ひどく顔をゆがめて彼は否定をするだろうが、
事実、彼の行動を見ていればその想いは明らかだろう。
コツコツと、座っている椅子の肘掛けをゆるやかに彼は叩き、その後、人差し指を持ち上げる。
操り、操られる関係は決して風化することはない。
しかし、そこに新たな風が吹き始めていることも否めなかった。
全てを知っているような顔をして、彼は指先でその人形をたぐり寄せる。
無表情な顔つきを湛えたままの人形は、冷たいそのままの温度をしていた。
彼のひだのような記憶を含むように抱えた、そのあたたかくやわらかな肉質を欠片も持たない姿で。

ジズ(と、めばえ)


















コンセント


テレビは写していた。
その手の中で、淑やかな情景を写していた。
誰とも似つかわない鮮やかな花を咲かせたあなたは、そうして、
テレビを抱えたまま、ひそやかに立ち尽くしていた。
ぱくぱくと呼吸をする口は頭上でひくつき、人間のそれと離れて久しい。
テレビは極彩色を場面に写し、すべてを捉え続けていく。
嘆く誰か。焦土。唄う女。影。塔。肉塊。
そして、時折砂嵐に見え隠れする、ただひとりの男の顔。
伝えんが為。維持せんが為。
存在しているあなたを、誰が知ることが出来るだろう。
テレビの中で黒い霊魂が孤独な地を笑う。
あなたの眼に誇る、たったひとつの花が美しく廻る。
暗い闇にも似ている寒い星のほとり。
同調する思念は賭して写していく。あなたを、真実の生命として認識するために。

星のひと


















天啓の丘


『貴方には私が見えますか?』
『私の祈りが届きますか?』
『貴方の元へ届くその距離で、私は哀しみの芽を摘み取れますか?』

その少女が天高い丘の上で見据えていたものは、
たった一度きり抛たれてしまった狂気と病臥の海であった。
肉を焼いた臭いと業火の痕に穿つものは少女の持つ裁きの剣と少女自身の身体のみである。
愕然と立ち尽くしたまま、永劫の時を喪い掛けたかのように少女は細く息をする。
目の前に広がるのは全てに逆らった罪を一心にして受けた氷海の囁きだ。
豊かに萌えていた緑は最早その一滴も存在して居ない。
それは少女の憤怒に折り重なっていた悲嘆の産み出した凍土なのだろうか。
声を上げることも出来ないまま、少女は剣を取り落として己の成した行為の全てを理解する。
鈍い金属音を立て、影のように黒い黙示は力なく丘の上で横たわり、
罪を重ねた人間という生き物を密やかに高らかに嘲笑う。
少女は自らの腕にきつく爪を立てた。
無数に散らばる人形のような肢体を眺める覚悟をも保てない己を呵むように。
褪めた空気の底に取り巻く冷気は余りに耽美に写った。
まるで絵画を思わせるそのフォルム。
しかし、それは地を焼き尽くす死の炎に罰せられた骸の屑籠としてしか機能しない、
あらゆる生命を絶つ為の、残忍で冷酷な大地だ。
少女の吐息が痺れるように続いていく。
息をしているたった一つの生き物。崩れる寸前の表情。
その地がコキュトスと名付けられるまでの絶望の淵は、ただ少女の放った死だけを見つめていた。

『私は願ったのですか?』
『この手で行ってしまったのですか?』
『貴方は何処にいるのですか?』
『待って下さい、待って下さい、待って下さい・・・!』


アンネース


















生まれゆく赤


大地は踊る。
その轟きにリズムを湛える。唸り、叫び、震える。
それは生命の響きだ。
この何十億年という日々を繰り返し培われてきた、地に根付く命の重みだ。
飽くまでも赤く白んだ陽に包まれ、暖かい仮面を顔としたマントの人影が音階を響かせ、
隣では骨の色を残したままの獣人が逞しい身体を使い打楽器を叩いていた。
強固さと安穏さが混じり合い、質量を帯びたメロディが大地の中に染み込んでいく。
勇ましくもどこか懐かしい音色は、星の記憶が呼び覚まされる為だろう。
この地を育んできた根。
この一日を照らすための指標。
朝に導かれる光。
目覚めを祝う祈り。
すべてが彼らの太陽に照らされ、その抱擁を敬意を以て受け入れる。
生きる鼓動が揺れる。
生き続ける生命を讃える。
続いていく。受け継いでゆく。
二人に表情はなく、そこには一欠片の感情も無いようにさえ思える。
しかし、そこから産み出される音の熱は何もかもの負を祓うようでもあった。
僅かに視線を交わし合い、その呼吸は高みを増していく。
朝日が大地を埋める。
渦巻くように旋律が舞う。
それは生命が産まれ続ける歓びを謳う、永続する、始まりの鼓動だ。

チチカカ&ウェルダン


















緑がきこえる


風が吹く。
みどりの色をまとい、皇かなかたちを残す。
少年はその風に乗っていた。
葉を共に連れ、息吹をこころの糧にする。
目指す場所は森の奥底で硝子のように美しい輝きを持つ女性の処だ。
髪が羽根のように躍動し、風を友に高く飛ぶ。
まるでそれは重力のない世界を駆け回る鳥のようだ。
暴れまわる葉を見てほほえみ、少年はヒュウ、と口笛を吹いた。
薄い金色が跳ねて揺れる。
革のサンダルに馴染んだ風切り羽根が空気を裂き、スピードを増してゆく。
「音、か」
独り言のように少年は呟いた。
鮮やかすぎる純度を保った声は清流のようになめらかだ。
どこまでも続く豊かな風に吹かれて、緑の地を少年は駆け抜ける。
軽やかな笛の音に似た温度を、身体じゅうに受け止めて。

フィリ


















ニエンテ


闇を見なさい。
光を見なさい。
そして、扉を見なさい。
あなたたちが見つめるものはすべて真実として、あなたたちの中に刻まれるでしょう。
今を見なさい。
過去を見なさい。
未来を見なさい。
あなたたちはそれを見るべきだと擁かれたのです。彼に。
時を見なさい。
太陽を見なさい。
星を見なさい。
大地を見なさい。
ならば、あなたたちには感じる意味があるのです。その足で、その瞳で、その心で。
空間を見なさい。
風を見なさい。
音階を見なさい。
海を見なさい。
そして、あなたたちは最後に見つめるでしょう。
無を。
ただ、何もない、無を。
そして、あなたたちは出会うでしょう。
冒険の、最後の旅で、ただそこにいる、ひとつの影に。
そう、あなたたちは会うのです。
今ここにいる、たったひとりの、この私に。



















ロシアンブルー


それは秘密の約束だった。
いつも、いつも、秘密の約束のもと、私たちはその時間を楽しく過ごした。
私は村から遠巻きに嫌われている厄介者だったが、
彼らはそんなことをまるで気にしないまま、私に笑顔を見せてくれた。
古めかしいアコーディオンを鳴らせば彼らは笑い声をあげてダンスをしたし、
故郷のことを昔話のように話せば、真剣な顔をして、私に向かい合い眼を輝かせた。
私はどうあれ、ただの孤独な邪魔者だった。
それを気にしない彼らの態度は、何よりの、私の救いだった。
しかし、それを快く思わない者もたくさんいる。
だからこそ、秘密の約束として、このことは誰にも言わないと言って、私たちは指切りをしたのだ。
『うそついたら、針千本飲ーます』。
そんなありきたりで言葉で交わされた尊い約束。それを破るのは、どうやら私になりそうだった。
もうすぐ夕陽が地平線に傾く。
約束に守られた期限は近い。彼らがほんとうの自分の居場所に帰る時間だ。
「おじさん?」
ぼんやりしている私を彼らは見上げた。
一生続く、そんな魔法のような約束は存在しない。初めから、分かっていることだった。
「さあ、もう時間だよ。お家へお帰り」
私の言葉に、彼らはすこし淋しそうにドアへ進んだ。
これが最後になるとは、まったく知らないその無垢な顔つき。彼らは天使だ。
促すように、やわらかく私は彼らの背を押し、ドアを開ける。
まっすぐに、赤い、夕焼けが私の部屋の中に入り込む。
紅い。どこまでも。秘密の消えるその夜を導く、その赤い光。
「・・・うん。ばいばい、おじさん」
彼らは手を振った。私も手を振った。
滲んだ赤い太陽。それは、私の孤独な生き方にとてもよく似合う、悲しい眩しさだった。

イワン


















雨の音、


ぱらぱらと靡く、その雨は深夜に振り出したものだった。
勇ましい毛皮をまとった男は上目にその雲を見上げる。目指している目的地まではまだ、距離がある。
最新の技術で作られたカラクリの猪は煙をあげ、凄まじいスピードで曇った荒野を走る。
顔に当たる雫は、誰かが泣いているような悲しさを帯びていた。
片目を奪われた時から、感受することを男は自ら拒むような心を抱いてきた。
しかし、戦に赴く時の、ある種自害を志願するようなその感情はいつも男を沈む泥流に浸している。
男の友が、今、我武者羅に多勢へ刃をかざしている様に。
「・・・」
視界は悪く、遠くでは焦土と化した大地が叫び声をあげている。
手綱を持ち、無言でひた走る路。孤独に支配された死がその背に張り付いて回る。
か細い雨の音は耳に宿っていく。生を願う、その祈りを地面に反響させるように。
男は強く手綱を振った。猪のスピードが上がる。それは悪名高い雪の将軍がこの国の姫を浚い、
友が小規模な軍を連れて無謀とも言える戦を挑んだ、ほぼ3日ほど後の出来事であった。

獅子若




































ハロー&ハロー


息をついた。ひとつ、ふたつ、みっつ。
遠くから聞こえてくる音と、自分の呼吸と。
両方とを、比べるように数えている。
外はもう真っ暗で、ぼやりとした灯かりがあちこちで光っている。
ぼくは箒を持ったまま、目線だけで星空を見上げていた。
キラキラと瞬く冬の第三角形が眩しい。
しばらくしたら、お店にはたくさんの人が訪れてくるのだろう。
頬を寒さで赤く染めて、笑って、別れと再来を両方、祝いに来る。
この日だけは、別れが淋しさという感情に支配されない。それが、ぼくは好きだ。
お店の中から漂ってくる、いい匂いがお腹を鳴らす。
さっと箒で地面を払うと61回目の鐘が鳴った。
遠くで鳴る、鐘の音。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
変わりのないリズムで鳴るその音は、今という時間を刻む、確かな証だ。
ぼくは息を吐く。白い息が舞った。
冬の日、12月31日。寒空の下。もうすぐ、年が明ける。

そばっ子




























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