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フラッシュダンス!


「なに、アンタ」
そこはずいぶんと寂れた車道のすみの寂れた販売店の外側で、
赤毛の少女はペットボトルの水を飲んでいるところだった。
久しく声を上げたのは、ずっと少女を見つめている男が斜め前に居るのがけっこう鬱陶しくて、
とっとと立ち去って欲しいと苦い顔で思っていたからだ。
「いんや。なんでもないよ」
大きい黒革のケースを背負った男は狼の血が混じった暑っ苦しい容姿をしている。
ビチッとした黄色のストライプスーツに身を包んだ格好が、その暑さを際立たせていた。
すさんだ木箱に座っている少女のことを見ては店の方を遠めで眺めたり、なにかと落ち着きがない。
じりじりと照りつける太陽は、爽やかな夏を運んでいる。
「なんでもないならどっか行けば」
ごく、とひと口水を飲み込んで、あっさりと少女は自分の望みを告げる。
そうだ、元々少女はこんな風に素直で攻撃的な性格だ。
まっすぐな敵意のまなざしは見上げる形で、男へとナイフのように突き刺さる。
少女の言葉に男はすこし目を丸くして、あらら、と呟いてみる。
「そうだなあ。あ、親父さんは居ないんだっけ」
それでも、そんな事実にさえも男はめげることがない。
少女に話しかけることも止めないで、口笛を吹いて店の奥へ視線を移す。
サングラスに隠された目は感情をとらえるのが難しかった。
「オヤジは品物調達で朝に出たまんま」
ぎゅ、とペットボトルのフタを閉めて、男の視線を追わずに少女は木箱の上にそれを置いた。
質問にはよどみなく応える声色は、少女の性格がけして悪くないことを表している。
黄塵ばかりが吹きすさぶ車道はその目的に反してがらんとしたまま、
枯れきってすっかり水分を失った、すこぶる色の悪いサボテンたちに支配されていた。
「あ、そう。なんだ、どうしよっかな。あれ、いま何時だっけ」
ふさふさの濃い地毛を癖のようにさわりながら、男はずらずらとまくし立てる。
思いついたまま、浮かび上がる言葉をつかまえる自由な質問。
にこりと笑って少女を見るひとり言は「教えてくれ」という催促をしているみたいだった。
少女はしばらく男のほほ笑みをことごとく無視していたが、
それが長い時間に変わっていくと、おもむろにホットパンツのポケットから古びた時計を取り出す。
「11時8分」
「お。ありがとう!助かったな〜、11時8分ね。ウン、まだ大丈夫ね」
節目がちにしてちいさく時刻を告げた少女に、ぱん!と手を叩いて、男は大げさに感謝した。
横目で時計だけを追う、少女の視線はすこし照れているようにも見える。
その手が持つ時計はくすんだ金色をしていたがぱっと見でもわかるほど上等で、
柔らかい手つきをする少女はそれを心底大事にしている様子だ。
男はひゅう、と高い音階で口笛を吹いた。
上空をゆったりとした速度で飛ぶ鳥を見やり、まぶしそうに額へ手をかかげる。
「いいとこね、ここ。君がいい子に育つのもわかるわ」
と同時に、肩に掛けていた黒いなめし革のケースを器用に地面に置いて、
なんともなく男は呟き、ぼうっとした雰囲気をただ漂わせる。
まるで郷愁の念にからだを押されるような、
どすりと重い感覚は足元の砂を舞わせて、少女の座っている木箱にまで響いた。
「何それ?」
それがすっかりゴツゴツした少女のブーツに覆いかぶさって、
その革の色をすこしだけ薄く色づかせたぐらいの微妙な間を置いて、
不可思議そうに、少女は初めて・・・いや、2回目ぐらいに男のほうを向いた。
遠くに視線をはなつ男に対し、いい子と例えられたことに目を丸くする。
青いばかりの空に意識を吸いこまれている男の顔を、うかがうように、まじまじ眺める。
少女がいい子だとまっ正面にいわれたのは、もしかしたら初めてのことだ。
「別に。ただ、そう思っただけよ。あ、その時計、素敵ね。なんか味があって」
んー、とできる限りに伸びをして、男はちょっと驚いている少女の顔に視線をもどす。
限界で呼吸をして、格好をぴっちり戻して、自信ありげに少女を射る。
にやりと笑い、そう思えば即座に、少女の左手におさめられている時計を指さして、
あくまでも自然に、屈託ない褒め言葉をうやうやしく贈る。
「・・・ふーん。アンタ、案外見る目あるじゃん」
少女は自慢げな視線のさきで、はじめて男に対して笑う。
男がとっておきで取り出すていねいなプレゼントは、かなり効き目があるらしい。
ベルトを通す穴に長い金のチェーンを引っかけた時計をぽんと空中にほうり投げて、
ぴんとそのチェーンがギリギリまで張ったと思ったら軽やかに受け止める。
やけにアクロバティックな一瞬の演技は、男の感嘆をすぐに誘った。
「おお。なんか心外。でも笑った顔がいいから、許す」
スゲエね、と呟きつつ、腕を組んで男はわざとらしく眉をひそめる。
あははと少女は声をあげて、手のひらの時計を見つめた。
透きとおった目線は男に対しての警戒を既にといている温かみがある。
「これ、母さんの形見。母さんは婆ちゃんに貰ったって言ってた。年代モノ。すごいだろ」
それはハキハキとした喋り方で、すべらかに顔を出した。
器用に片手で時計をまわして、ひとつも悲しげな表情を見せることなく言う、
その中身はとても扱いきれなさそうで、けれど少女は誇らしげだ。
こころの底で、永く伝わってきた想いが消化されているためだろう。
だからこそ、少女の顔は輝いたままでゆらがない。
危なげな手の動きにもぶれがないのは、もうその手にすっかり時計が馴染んでいるからだ。
どちらも、少女の一部になっている。
まるであたり前に、寄り添うものになっている。
「うん、いい物はそうやって、受け継がれていくもんよ。俺のコレもそう。中々スゲーよ」
にこりとして、男も憐れみなんかおくびに出すことなく笑いかえす。
讃えるべきことに、安易な哀しみをささげることは失礼だ。
尊びの顔をして足で黒革のケースを小突けば、そこには男自身の誇りもかいま見える。
受け継がれていくものは、だれの手の中にだってある。
少女は男が見せる気高そうなほほ笑みの先にちょっとくすぐったそうにしながら、
木箱に腰かけている身体をぐいと押し出して、ケースをまじまじ眺める。
「何が入ってんの?」
あそぶように男は、リズムをとってケースをぴかぴかの革靴ごしに叩いている。
はじけるみたいにシンプルで面白みのある音は軽快だ。
そこに浮かびあがってくる質問は興味しんしん、といったそぶりで、
少女は無意識に、ゆらゆらと身体をゆらせてみる。
その動きで木箱はしずかにごとごと鳴って、楽しい音色をひびかせる。
「サックス。俺は親父に貰ったんだけどね。商売道具。大事よ、すごく。宝もん」
足を動かすのをやめて、男はそのサックスを吹くまねをしてみせた。
負けるわけなし、とまるで自慢げにケースを見やる、高らかな声。
意外な答えに少女は男がそうやって空想に楽器をふいている姿をちょっと驚くように追う。
宝もの、と称される目くばせ。
それに少女はため息まじりの息をついて、おもむろにふり返る。
じいっと見つめるその先には少女の店があって、そのわりにその目線はとおい。
店じゃなく、もっと先をみているような遠さ。
「サックスかあ。オヤジ、そういうの好きだよ。あたしはよく、わかんないけど」
少女の父は豪快で、陽気で、ずぶとくて、繊細なところなんかカケラもない。
だけどこと音楽、とくにジャズといったジャンルにはめっぽうご執心で、それに使われる楽器もすきだ。
父の部屋にはなんだか古めかしい楽器がたくさんならんでいて、
それを見たことのある少女は、「自分の知らない父がいる」とか、思ったことがあった。
自分の踏みこめない、父の領域。
なぜか遠慮するようにつぶやかれた少女の科白は、その気持ちがこめられているのかもしれない。
そこで見たたくさん並んだレコードや、楽器や、写真を少女はなんだか今も忘れられずにいる。
ぐー、と少女もきつめに伸びをして、限界のところで、ぷは、と息をつく。
もうすっかりサックスを吹くことを中止している男はそのさまを優しく見守りつつ、
少女と同じように店をなつかしそうに見つめて、言った。
「うん。だからここに戻って来たんだ、俺」
「え?」
それはとても意味深な呟きで、思わず少女はのびのあとで力のぬけた身体を男へ向ける。
にこにこと笑っているばかりの男ははぐらかすようで、
少女の疑問にみちた目を軽々と受けかわすような態度をとっている。
そうすればまるでタイミングよく、遠くでエンジンがうなる音が聞こえてきて、
少女と男は同時に、車道へ向かって首を伸ばす。
長らく何も通っていなかったその道に、ひとつの大きなトラクターが見えた。
どんどん視界に大きくなってこっちへ向かってくる、カラフルな車体。
それは少女にとって、人生の中で一番見ている車のかたちだ。
「あ、オヤジの車・・・」
「お。ご到着ー」
ゆっくりとトラクターは店に入ろうと速度をよわめてくる。
それを確認して、がしゃり、と地面のケースを男はかついだ。
すこしほこりを払って、うんうん、と自分勝手に満足そうに、店へとのんびり歩き出す。
くせのように紡がれる口笛は軽快で、夏の太陽はあつい。どこまでも。
思わぬ男の行動に焦ったように、少女は木箱から飛びおりた。
「ちょ、ちょっと!アンタ、誰なの!」
トラクターと男の背、それぞれで視線をとっかえひっかえしながら、
赤毛をおおきく揺らして、少女はおそい歩調にむかって叫ぶ。
少女の問いかけと共に、トラクターが店の前の敷地で止まる音がかさなる。
乱暴に、バタリと扉がひらくような音も聞こえる。
低い男性の声、たぶん少女の父のものである声がすこし届いて、それはしばらくして大声になる。
「ねえ!答えて!」
出会ったときには、興味すらうかばなかった疑問。
それは今や、飛びあがって転がるようにスピードをあげて止まらなくなった、
まっすぐな好奇心となって少女の内側であばれている。
吹かない風。流れる雲。サボテンの荒野。ここで見つけ合った少女と男。
すべて存在している今に感謝するように男はゆるくふり返って、跳ねるように答えた。
「今を届ける配達人だよ、お嬢ちゃん!」

パティ&フォクシー





















夏至植物


それは艶かしく、ただ清楚な人影だった。
優美な旋律をなびかせる、髪の長く麗しい、椅子へ腰掛けたひとつの人影だった。
「誂いの悪い張りぼてが」
重みを要し切っ先の鋭いそれは、人影の真後ろに確かに居た。
銀に光る猛々しい立ち振る舞いは、高名な騎士そのものを表している。
「尚、仰るのですか。私は・・・・・・」
「黙れ。欠くも甚だしい魔物が」
騎士は人影の首筋へ、美しく磨かれたレイピアを突きつけていた。
仮面に隠れ、黒い影を纏う顔は一時の揺らぎもない。
人影の持つ確かな輪郭は白く透き通った硝子のように純度高く研ぎ澄まされ、
そこには如何にでも理解できる、軽やかな微笑みだけが存在している。
「愚かしい事です。己の正義を通す道理の正しさを・・・、貴方様が見出すと?」
「貴様は普遍なる全てを根絶やしにして来た。その浅ましい美貌を用いて」
人影の持つ、精巧なハープから聞こえてくる旋律は優雅にして穏やかだ。
この、ただ張詰めている糸のような緊迫には似合わず、
何もかもをすり抜けてゆく、風にも似た音色を一人奏でる。
「貴方様はその御考えで数多の贖罪を抱えて来たと言うのに・・・、
 ・・・私を裂く事で貴方様が救われると、貴方様が御思いならば話は別ですが」
「少なくとも・・・貴様を斬れば、この地には永劫なる平穏が訪れるだろう」
「ほう」
関心するように人影は呟く。整った顔立ちは、溜息を忘れる程に美しい。
騎士のビロードに光るマントが無風の中を舞う。
楽園と名付けられたどこまでも白んだ地は温度も、色も、空気も失せたまま、
ふたりと称されたその形だけを保つために存在している。
「では、貴方様は・・・やはり私を裂くのですね」
「無論だ。貴様の行った全てをその肉体に刻み付ながら絶えろ」
甲冑に包まれた腕から甲へ騎士が力を込めると、
整った土地のように滑らかな人影の首筋にレイピアが数ミリ刺さり、そこから黒い粒が浮く。
人影は動かず、また、表情を変えることもない。
「幾ら平穏を努めようと無駄な事だ」
その光景に、鞣革に似た騎士の声が響き、白く撫で付けた色を忘れた地には漆黒の血液が落ちた。
染まってゆく足元のまだらを人影は見やる。
永久凍土のような微笑みは崩れない。
「・・・人に在らざる血は如何ですか」
「滑稽にして愉快・・・、とでも言えば満足か?」
皮肉交じりの互いの意図は互いを容易くすり抜け、何も生み出さずに解けていく。
赤い血肉の「生」というものを全く感じさせない黒い液体は冷たく、無感情だ。
まるですべてがこの二人の関係を顕しているようにさえ見えた。
首筋を流れる血は、既に人影の衣服にまで滲みている。
騎士の手は何をも超越した風に揺らがない。
「満足、ですか。それは私より貴方様が欲しい物でしょう?」
「・・・そうだ。この経った今に適う満足だ」
荒げる様な立ち振る舞いに似た凝固の後、微かに二人は視線をすれ違わせた。
一秒にも満たないその刹那の愛撫は即座に靄がかり、
徐に、騎士は針のように細く造られたレイピアを人影の首から抜く。
焦点を持たない切っ先。
人影はそこで初めて、無為という表情を湛えた。
聖者にも常闇にも映るその空の顔を、騎士はどの様な眼で受け取ったのだろうか。
騎士がレイピアを構え直す。
捉える眼。その時を待つレイピアが空を裂き、人影の髪が浮かびあがる。
「さらばだ」
騎士が呟いた。
それは正に全ての終わりを迎える為に、騎士がこの状況へと誂えた言葉だった。
何もかもが鮮やかなまま、騎士はレイピアを振り翳す。
人影の眼が、強制的に見開かれた。
その腕の中で紡がれていた清流のような響きが、ひとときの者を貫いた鈍い音で掻き消える。
瞬間的な息遣いと、硬直する身体は喪失の灯を点す。
豊かなハープから紡がれて居た安らぎが、遂に途絶えた証だった。
弾けるように白き場所へ黒い溜りが飛び散っていく。
騎士はその黒さを一心に受け、握りしめた両手の先にあるレイピアに「それ」を貫通させたまま、
何処か息を乱雑にしながらぞんざいに、哀れな姿を見つめていた。
ただ残骸と化したような、誂えの悪い張りぼて。
優美でたおやかな、連理の旋律の最後。
人では無い、硬く無機質な手応えは騎士の感覚を多少鈍感にさせたが、
ぐたりと散らばった「それ」からは禍々しい黒い霧が溢れ出ている。
騎士はキツとそれを睨み付け、祓うように貫かれたままのレイピアを真横に裂いた。
「悪魔よ、去れ!」
その瞬間、麗しさを託っていた長い繋がりは断ち切られ、
所業の権化とも取れる、深く絶望的な叫びが「それ」からけたたましく反響した。
辛苦する様にも聞こえる叫びは脅えるかのように永く、永く続いたが、
「それ」を取り巻いていた霧が薄れ始めると、その様に倣うように叫びも薄れていく。
そして完全に霧が晴れると「それ」は真の残骸となり、
白き場所には、何も訪れない平穏が再び息を取り戻した。
騎士は粘り気のある黒さの附着したレイピアをマントでぬぐい、
乱暴にそれを腰元へと取り付けた。金属質な音が鳴る。
視線は変らずに低きを捉え、変る事は無い。
「・・・私は、遂に喪ってしまいましたね」
独りごち語り、地へ還るような声と言葉。微動だにしない影。持ち上がったままの薄い唇。
それは騎士の発するものではなかった。長い髪が、揺れる。
「嗚呼、その通りだ。貴様は貴様を遂に失ったのだ」
椅子へと手を掛け、騎士は労わりも慰みも悼みもない音程を保っていた。
低きを捉えた視線は薄い金色の髪に見え隠れする輪郭だけを頑なに追っている。
「今、私と言う鏡を死なせた私へ、貴方様はまだ続けるのか」
強張りと諦めの落陽に、その視線は残骸となった竪琴へと向う。
規律された弦は騎士のレイピアによって壊れた神経のようにだらしなく切れ、
肉体とも取れる華奢な装飾は黒い液体でその全てが汚れている。
嘆くように、首を弱く左右に振る。
静かに零れる堅調な感情。僅かな、たった一滴分滑り落ちる抗いの念。
切迫しているようにも聴こえる声は弱い。
「・・・・・・続けよう。貴様が望まずとも、己が望む限り」
眼を伏せる仕草が見える。これも、騎士のものではない。
騎士は確固たる姿勢を崩さず、また、視線も変えず、その揺らぎの不確かさを見る。
吐き出す呼吸はあまりにも軽く質感がない。
眉が歪み、喉が痞る。それは苦しみと例えられる物だろう。
言葉として形を得た騎士の感情が、その「苦しみ」を助長させる。
胸を抑えた。
「私を、・・・掬おうと、言うのですか?」
寸分程で適う隙間。高きを舞う震えた声。
たった一言呟く困惑と、諦念と、憎悪と、悲哀。
表情という軽やかな微笑みも、硬化した真一文字も追い遣られていくその顔。
それは確かに、清楚で麗しい、ここに存在しているただひとつの、
椅子に腰掛けた、影という黒を失った、人影の物だった。
眼はおぼろげに霞み、両腕は凍る。
細く、白く、美しい細工のような身体は整ったまま固まり、遠く見えた。
今にも壊死に捕われそうな背中。凝り。善の支配者。
「・・・・そうだ」
騎士は、そこに己が全身全霊を掛ける意味を再び見出し、僅かに、しかし強く肯いた。
その応えに、白き場所に凝った黒い染みはゆっくりと血という赤さへと変化していく。
それに気づいた人影は、崩れるように、深く、その赤さを見つめた。
闇を繋げる鏡は真に喪われたと告げるその違えようの無い赤さ、
己を終に生だと認める、その、生暖かい赤さを。

ナイト×ルシフェル




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