ドーナツインスペクター




※本文サンプルとなります。



「……」
「……」
「……」
 ひどいことになった、と鴨川は思った。すべての元を辿れば、情報が得られるからと言っておかしな異形とおかしな取引をしたのが間違いだった。
「……」
 いやいや、それはさすがに物事の根源すぎて、今の問題にはふさわしくない。もっと先の事柄が原因だ。そう、おそらく原因は、鴨川が不用意にこの異形を支部長室に入れてしまい、それが恒常化していたのが原因なのだ。
「……」
 いやいやいや、それも既に今更の話題であって、その事象は鴨川にすら日常と化してしまった現実だ。ならば、原因はもっと先、もっとも最近に起きた出来事なのだろう。
「誰、このオカシイヒト」
「どっちがだ、小娘」
 ……つまりは、今差し向かいあっているこの二人を、鴨川が引き合わせてしまったことこそが原因、となる……のかもしれない。
「おい、二人とも……」
 二人のうちの一人、「オカシナヒト」ことダース淀は殊の外不機嫌だ。ここまで感情を顕わにするのも珍しい。それは二人のうちのもう一人、「小娘」ことルートが、ダースに対して敵意むき出しの姿勢で挑んでいるからだろう。
 今更ながら、ここ支部長室には三人の人物が居る。この部屋の所有者にしてIDAAの武蔵野支部長代行・鴨川と、妖怪の総大将にして炎を頭部に宿した異形・ダース淀、そして私立ポップン学園にある超ドーナツ研究所、約して超ドー研の部長にして、存在におけるドーナツの素晴らしさを更なるものに高める求道者・ルートの三人だ(注・ルートの説明に関しては彼女の自称に基づいている)。
 そしてそんなどう間違っても交わることのない三人が、この支部長室で顔を合わせ、おまけにダースとルートは険悪な状態になっている。
「……」
 どうしたものだろうか、と鴨川は過敏に火花を散らしあう両者を見る。そもそも、この状態はダースがここへ訪れたことで勃発した状況だった。
 それまでは支部長室に強襲したルートが持ち出したドーナツを、どうやって切り抜けようかと考える鴨川の些細な思考戦のみだったのだ。それがダースが現れたことでそのバランスが崩れ、謎の交戦状態が起こってしまった。
「なァ、学者様」
「え、ああ、なんだ」
 と、突然ダースは鴨川に向き直り、不機嫌な表情のまま訊いてくる。唐突な質問に戸惑いながら、鴨川は不格好に頷いた。
「コイツは誰です?」
 ダースはルートを指差し、彼特有の無遠慮なやり方で彼女の存在を尋ねてくる。
 コイツは誰です。
 当人を前にしてはあまりに横暴な、単刀直入な質問だった。
「……ルート君だ。ポップン学園に在籍している。蒼井君と同級生らしい」
「アオイとォ? ……コレが?」
「チョット、コレってナニ、コレって」
 ダースの言動、ルートの横槍を含めて突っ込みどころは山ほどあったが、鴨川は余計な口を挟まないことに辛うじて成功し、説明者としての役割を全うする。
 そう、この少女は蒼井と同級生なのだ。
 蒼井というのはここIDAAで重要な役割を持つ女子高校生、蒼井硝子のことである。特殊な能力、「異能」を所持しているために、IDAAに協力してくれているのだ。その彼女とルートは同じ学園に通う、同い年の同級生だった。
「ヘェ……」
 ダースは指を差した格好をとき、まじまじとルートを見つめている。そのしげしげとした、ある種興味深い様子に、鴨川は自分と同じようなことを思っているのだろうな、と感じる。
 なにしろ蒼井は年よりも随分大人びており、充分な大人である鴨川や、化物と化した歳のダースとも難なく渡り合うほどの人格を持ち合わせている。その完成された性格に慣れきってしまっている両者には、歳相応というよりも別の方向に飛んでいるルートの様相はどう転んでも「蒼井と同い年」という事実には至らない。
 結果的にその矛盾めいた感情は紆余曲折の道を辿り、興味、という位置にたどり着いてしまったのだろう、……などと、他人事のように鴨川は考えていた。鴨川も彼女からその事実を聞いたときには俄かに信じられず、興味を顕わにしてルートを見つめてしまったのだ。
「まァ、つまり。コイツは不法侵入者、って訳ですな」
「え」
「はぁ? どーしてそーなんのよ。あたしはちゃんとカモガワさんの許可得て来てるもん」
「いや、許可という許可はしていないが」
「知らないよ」
「……」
「いや知らないよじゃないだろう」
「だって入れてるってことはキョカ出てるってことでしょ?」
「……」
「いやだからそれは君が勝手にだな」
「あーもーうるさい」
「なんだね、君は都合が悪いとすぐそうやって投げ出して」
「だーかーらー、」
「……結局どっちなんですか、アンタ等」
 理不尽なルートの物言いに思わず鴨川が反応し、それが売り言葉に買い言葉の喧嘩と化したところで、氷のように冷えたダースの声が飛んだ。呼応し、鴨川とルートは同時にそちらを見ると、燦然と、
「このひと」
「彼女だ」
 ……、と、言い放つ。