§ミズシマさんの
とっておき雑楽ノート§
(第九話)
〜西部の大河、スネークリバーの憂鬱〜
十数年前の初夏、
アメリカのワシントン州にあるプルマン(Pullman)という町に出かけた。
ここはワシントン州立大学のあるところで、
地理的にはアイダホ州との境に位置する人口2万人位の西部の町だ。
シアトルから乗った飛行機は50人乗り位のプロペラ機。
乗客はほとんど白人の男ばかりで、
みんな田舎のおっさんよろしくラフなシャツにGパンかコットンパンツ姿。
抱えて乗り込む荷物の大きさを別にすれば乗り合いバスとあまり違わない。
真ん中の通路を挟んだ左右二人掛けのシートは満席。
座って程なく飛行機はプロペラの回転音を目一杯上げながら飛び出す。
「ハーイ、皆さん。私に注目!」
明るいブルーのタイトスカートに白いシャツ、
少し日焼けした元気のよさそうな金髪のスチューワデスが、
ハンドマイクを片手に呼びかける。
雑談と物音でざわざわしていた機内は一瞬静かになる。
「シアトル発プルマン行きXXX便にようこそ。私の名前はトレーシー。」
お決まりの機内の安全説明をしてから、
改めて乗客を見渡しながら、
「これから1時間半の旅、私が面倒を見るからみんな楽しんでね。」
みんなニヤニヤ笑い出す。
「あら、今日のお客さん、みんないい人ばかりね。
じゃー思い切ってサービスしちゃう。」
と言って、箱からスナックパッケージの山を取り出す。
「これ、トレーシーからのプレゼントよ。」
配られたパッケージの中身は普通の塩味ビスケットであるが、
すごく得をしたような感じで、
何人かのおっさんは握手をしながら受け取っている。
以降機内は観光バスさながらトレーシーの独演会。
歌こそやらなかったが冗談を言っては笑わせ、機内のオヤジどもは大喜び。
やがて土饅頭を並べたような丘陵の町、プルマンが見えてくる。
「みんないい子だったわね。」
トレーシー先生に送られてみんな園児の様に幸せな顔で空港に降り立った。
かつて先住民の地域であったプルマンは今は学園都市となり、
一部は先端技術を持つ工業地域になっている。
ただ小さな町をちょっと離れると農業地帯となり、
丘の起伏にそってだだっ広い穀物畑と草原が続く。
一日半の短い滞在中、少し時間が出来たので、
訪問先の会社の電子技師、デービッドがドライブに誘ってくれた。
私と同じフライフィッシングが趣味で釣り談義をしながら、
近くの川を見に行こうということになる。
フライフィッシングとは毛鉤釣りの一種で、
リールに巻き込んだラインを繰り出して、
細くて弾力のあるロッド(竿)を鞭のように振りながら、
フライと呼ぶ昆虫に似せた毛鉤で川や湖の魚を狙う釣りである。
マニヤックなこの釣りをやる人は、
どちらかというとやや変わり者が多い。
大人になっても虫網を持って蝶を追いかける、あの感じかな。
私の場合は奥多摩や道志川など、近くの川へ出かけての釣りになるが、
たまに機会があれば旅先の川などに寄って釣りをしてくる事もある。
大体20センチ前後のニジマスやヤマメが1,2匹釣れると、
良しとする釣りであるが、
アメリカやカナダでは40センチ、50センチの大型のサケやマスが対象魚となる。
つまり釣りのスケールが違うのである。
そんなこんなで話しに熱が入ってくると、
デービッドは会話の中でユノゥ(you know)を連発してくる。
「知ってるか」とか「ほら例の」という感じだ。
ユノゥに少しうんざりしかけてきたころ、
丘の向こうに目指す川、スネークリバーが現れる。
スネークリバーはコロラド川の水系でイエローストーンから、
ワイオミング、アイダホ、オレゴン、ワシントン州を名前の通り蛇行しながら、
1600キロメートルの長さを流れる西部の大河である。
ただこの大河はアメリカの環境問題を背景にシンボリックな歴史を持っている。
ワシントン州を中心に点在する下流域のダムに問題があるのだ。
これらのダムは治水と水力発電のために設けられたが、
自然保護や生態系への配慮があまりなされず、
その必要性の有無と共に社会問題となっている。
例えばサケやスチールヘッドなどは、
もともとマス系の魚の一部が川から海に降りたもので、
栄養の豊富な海で大きく育った後、生まれ故郷の川を遡上してくる。
ところがこのダム群がサケ族の遡上を阻害するわけだ。
ダムの脇に降り立った私たちは、
濃い青緑色に水を溜めたダム湖をしばし眺めてから、
ダムにくっついた工場のような建物の階段を下りながら中に入る。
大きな建物の中はほとんど空洞で、
壁に張り付いたように並ぶ三つのタービンと大きな安全標識から、
かろうじて水力発電所であることが分かる。
さらに下へ降りると管理室があり、
その隣に壁の片面が窓になった見学室がある。
ガラス窓の向こうは水族館さながらに魚が泳いでいる。
よく観るとただ泳いでいるのではなく、
階段状に作られた魚道を上っているところである。
銀毛や茶色の濃淡の混じったサケたちが一つ上っては休み、
ゆっくり遡上していくのだ。
水族館の美しさは無いが、
太平洋で育ったサケ達の数百キロの旅を垣間見ることは胸を打つ。
「なんだ、魚はちゃんとケアされているじゃない。」と、
デービッドに水を向けると首を横に振って、
「ユノゥ、発電所のタービンに巻き込まれたり、
ダムに止水された温かい水に消耗したりして、
多くの魚が遡上途中にて死んでいくんだ。
ユノゥ、近い将来、野生のサケはおそらくこの川からいなくなるだろう。」
なるほど、どこの国もダムの存在や設置には多くの問題があるようだ。
プルマンからシアトルへの帰りの便。
スチューワデスは期待したトレーシーではなかった。
機内では前日と同じスナックが事務的に配られた。
みんな黙々とそれを口にしていた。
デービッドとは次の機会に一緒に釣行する事を約束したが、
今だ果たせていない。
2009.02.24