§ミズシマさんの
とっておき雑楽ノート§
(第三話)
〜カルメン、タンゴを踊る?〜
好きなオペラの一つにカルメンがある。
スペイン的エキゾチズムを、
メリハリのある音楽の中に取り入れたこのオペラは、
ストーリーの展開と共に文句なしに楽しめる。
3月のはじめ、アメリカ出張の際、
久しぶりにニューヨークに立ち寄った。
お目当ての一つはメトロポリタン・オペラ(MET)、初体験。
そしてこの日の出し物はカルメン。
夕方ニューヨーク入りし、
ブロードウェイの一角にあるホテルにチェックイン。
慌しくシャワーと着替えを済ませてタクシーに飛び乗り、
夜8時の開演にぎりぎりセーフ。
ネットで取った私の席は1階後方の席。
チケット代は$150.00。日本公演の相場の半額というところか。
さて、ご期待。おなじみの前奏曲と共に幕があがる。
ライトの下にぱぁっと広が広場。
集う群衆。女たち。兵隊たち。
そして狂言回し役として、ホセを探すミカエラが現れすぐに消える。
やがてカルメン登場。
この日のカルメンはオルガ・ボロディナ。
兵隊たちが彼女に熱い視線を送る中、
一人無視を決め込むドン・ホセの役はマルチェロ・アルバレツ。
ホセに眼をとめたカルメンは挑発するようにあのハバネラを歌いだす。
体の締まった踊り子たちとジプシーダンスを踊る年増のボロディナ・カルメン、
やや太めに見えるが大見得をきりながら歌う声と存在感は他を圧する。
天衣無縫の直情女、恋の手管は百戦錬磨、
このカルメンに堅物のホセはどこまで抵抗できるのか?
カルメンの投げた赤い花を手にしたとき、ホセの運命は決まる。
アルバレツ扮するホセ、
甘いテノールで許婚のミカエラを前にして心の葛藤を歌う。
ミカエラはクラシミラ・スタヤノヴァ。
ホセの心を取り戻そうとこちらも思いを切々と歌う。
やんやの拍手を浴びるこの日のミカエラはカルメンを超える人気。
だけど物語の中では勝負にならない恋の駆け引き。
悪女の誘惑に免疫のないホセはカルメンにあっさり降参。
全4幕物のこのオペラ、幕間の休憩時間が30分ほどあり、
黒いスーツできめた紳士と、
黒っぽいイブニングでめかした淑女達が飲み物とおしゃべりのために、
どっと客席の外に出てくる。
ニューヨーク中のセレブが集まったのかと思うくらいの華やかさ。
この日は土曜日の上、
カルメンのシーズン最終日だから余計そうなのかも知れない。
連れのいない私はグラスワインを片手に、
壁に寄りかかりながら人間ウォッチング。
じろじろやるのははしたないので、
適度の間合いで何気にみているとこれが結構面白い。
若い人はあまり見られず、
中高年のカップルや仲間があちこちに社交の輪をつくり、
いろんな表情と仕草で語り合っている。
ふと、ピート・ハミルの書くニューヨーカーの1シーンを思い出す。
(これは後日機会があったら)。
さて話は進み第3幕、ホセや悪人共と山中に逃れてきたカルメン。
岩場の椅子にどかっと座り、
仲間とホセを威圧しながら歌うシーン。
このカルメンは誰かに似ている。
朝青龍!?
そうだ最後の仕切りに入るとき、
周りをぐっと睨む彼と何故か仕草がそっくり。
カルメンから朝青龍を連想する私はどうかしているが
(私は朝青龍のファンでもある)。
ミカエラが再び現れ、さらに闘牛士のエスカミーロが出てきて、
二つの三角関係が交差しながら佳境に進む。
さて、最後の第4幕、
背後に闘牛場の歓声を聞きながらカルメンとホセは対峙する。
したたかなカルメンは殺されるのを承知で、
言い縋るホセをきっぱり袖にする。
あわれなのはホセ、
嫉妬と怒りで抜いてしまったナイフは惚れた女を刺すしか収まらない。
天晴れなのはカルメン、
女の意地と性を貫いて懺悔の言葉もなく死んでいく。
で、おなじみのストーリーが喝采を浴びながら幕を下ろす。
劇場を出ると時計は真夜中の12時を大分回っていた。
この夜のニューヨークはまだ寒かった。
外の気温は10℃くらい。
露出したイブニングの肩に毛皮のコートを羽織った淑女たちと、
それをエスコートする男たちを横目に、
私は一人10ブロックほど先のホテルに向かって急ぎ足で歩く。
冷たい風の中、
ハバネラの情熱的なメロディを、
頭の中で繰り返しながら歩いているうちにふと思った。
カルメンの前にドン・ホセではなく、
稀代の色事師ドン・ジョヴァンニが現れていたらどんな物語になるだろうか?
そう、モーツアルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の主人公である。
時代設定は違うけど、たしか同じセビリヤが舞台。
並みの女と同様にカルメンもジョヴァンニの切り捨てごめんで終わるのか?
それともカルメンの毒香にジョヴァンニがひれ伏すのか?
あるいは話がこじれて殺すのはカルメン、
殺されるのはジョヴァンニなんていう決着もありか、
(オリジナルでもジョヴァンニは地獄に落とされるが)。
ビゼーもモーツアルトも関わり知らぬ勝手な想像をしながら歩いている内に、
凍えることもなくホテルに帰り着いた。
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4月の日曜日、
2、3ヵ月後に迫った発表会の曲が決まらないまま、
自宅でギターのCDを流しているといい曲が流れてくる。
なに、フェレールの「タンゴ第三番」? うん、曲名もいい。
で、解説書を読むと、
この曲のリズムはカルメンのハバネラを意識すれば自然に弾けるとある。
いいじゃん、いいじゃん。
―稽古場で−
弟子:発表会はフェレールのタンゴ三番で行きます。
師匠:いい曲ですね。私も若い頃弾きました。
―数週間後−
弟子:発表会の準備も大変ですね。
師匠:今プログラムの原稿を作っています。
印刷に回す前にきちっとチェックしないとすぐ間違いが出るので大変なんですよ。
弟子:(そういえばクリスマス会のプログラムでは私の名前を間違えていたもんな・・・)
―さらに二週間後−
師匠:やっと印刷に回しましたよ。ところで、あなたの曲はタンゴNo.5でしたよね。
弟子:え、えっ、違いますよ。タンゴNo.3, 三番です。
No.5はマンボでしょ。ほら、ペレス・プラードのマンボNo.5。
師匠:・・・ま、印刷に回ってしまったし。
この際語呂もいいからタンゴNo.5という事にしておきましょう。
弟子:は、はい。(泣く子と師匠には逆らえない)
―後日発表会の後−
師匠:いゃー、あれはまさにタンゴNo.5でしたね。
弟子:・・・・・(弾いているうちに怪しげな曲になったもんな)