§ミズシマさんの
           とっておき雑楽ノート§




                                  (第二十一話)

                           
アムステルダムのバッハ

             
― カンタータ127番、140番、147番 ―


  神奈川ギターフェスティバルは、

震災の重い余韻を引っ張りながらも
3月下旬に予定通りに開催された。

教室からは合奏のアンサンブル・ヴェルデとソロの3名が参加した。

私もメンバーにしてもらっている合奏では、

バッハの管弦楽組曲
2番から「ブーレ1,2」と「バディヌリ」を演奏した。

それぞれが1分半ほどの短い曲だが、

速いテンポに全員で呼吸を合わせるのは結構大変だった。

特にテンポの速いバディヌリは脱線しかかりながらスリル満点で駆け抜けた。

ソロでも二人がバッハを取り上げ、

今回は「バッハの野村教室」となった。



 バッハがらみの話を昨年に戻して語らせてもらいたい。

まだ憶えておいでと思うが昨年の夏は特別暑かった。

残暑の続く9月の中旬、日本から逃げるようにヨーロッパへ出かけた。

ヨーロッパはカレンダー通りすっかり秋になっていて、

夏支度のまま行った私は場違いのファッションになってしまった。

北イタリア、スイスと周ってオランダのアムステルダムに入ると気温はさらに下がって、

街の人たちはもう冬のコートに身を包んでいた。

極端な気候の変化にさらされて、

寒がりの私は夏ズボンの下に防寒タイツがほしくなったくらいである。



 アムステルダムに入って二日目の夕方、

仕事を終えてから中央駅の近くにある「ミュージックへボウ」に出かけた。

 アムステルダムは何と言ってもロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラを抱える、

音楽の殿堂「コンセルトヘボウ」が有名だが、

この日行く「ミュージックヘボウ」の方は
5年前に出来たまだ新しい音楽ホールで、

コンテンポラリーな作品から古典まで幅広いジャンルの音楽をこなす。

この日の公演はトン・コープマンと、

アムステルダム・バロック・オーケストラによるバッハのカンタータで、

チケットは現地の知人に調達してもらっておいた。



 中央駅の裏手は港につながる湾になっていて、

湾沿いに延びる路の先にこの音楽ホールが見える。

ガラス張りの建物はぎらぎら夕陽を反射しながら、

あたかも停泊した船のように湾上に浮かんでいる。

海風にあたりながらぶらり歩いて行くと10分ほどで建物の前に着いた。


 アーチ状の大きな桟橋を渡って建物の中に入ると、

天井が吹き抜けの開放的なロビーがあり、

その向こうがメインホールになっている。

 開演まで1時間ほどあったので、

海側に面したカフェ風のレストランで何か食べることにした。

ほぼ満席の中、相席でスペースをつくってもらい、

大型のカップに具のいっぱい入ったシーフードのスープをすすり、

皿いっぱいに盛ったシーザーサラダを突きながらビールを飲む。

食事をしながら、湾内を行き来する船を眺めていると、

隣に座った初老の夫婦が話しかけてきた。

なんでも今日の公演はラジオ協会の抽選に当たって、

近くの町から列車に乗って来たそうである。

 バロック音楽が大好きだという旦那の方は頭の中にいろんな情報が詰まっているらしく、

日本の鈴木雅明の名前が出てきたのにはたじろいだ。

バッハ・コレギウム・ジャパンの主宰者でチェンバロ奏者の鈴木は、

たしかコープマンの弟子でもあるが、

それにしてもなんとマニュアックな世界であろうか。



 開演の時間が近づくとレストランの客たちは慌ただしく勘定を済ませて、

メインホールの中に流れ込んだ。

木板を美しく張りつめたホール内は船倉の中にいるようで、

ゆったりと落ち着いた気持ちにしてくれる。

700席ほどの座席はぎっしり埋まったが、

傾斜した席並びなので中ほどの私の席からもステージは良く見える。

ほどなく234名の器楽オーケストラと178名のコーラスがステージにつき、

その前にソプラノ、アルト、テノール、バスの
4人のソリストが控えた。


 この日のプログラムはJ.S.バッハのカンタータ127番、140番、147番である。

まだ若い女性コンマスによるチューニングが終わると、

拍手とともに白いあごひげのコープマンが現れた。

拍手が鳴り終わると同時にさっとタクトを振りだす。

 チェンバロ奏者でもあるコープマンは指揮をしたり弾いたりで大忙しだが、

きびきびした動きの中に自身の世界を創りだしていく。

器楽は古楽器が使われ、音が全体に柔らかく落ち着き、

コーラスあるいはソロとの調和が距離感をおかずに親密にとられている。

ドイツ語で歌われる詩の内容は解らないが、

ソロの歌い手は、各パートそれぞれが美しく通る声を抑え気味に、

イエスの受難と魂の喜びを語り、歌う。


 バッハのカンタータの中でも馴染みの140番と147番はこの日の圧巻であった。

 140番の「目覚めよとわれらに呼ばれる物見の声」では、

冒頭で有名なコラール「シオンは物見らの歌を聞き」が歌われる。

合唱に合わせて器楽の伴奏が一音ずつ天上の高みに歩を進めて行き、

高揚感で胸が熱くなってくる。

このあとレチタティーヴォ、アリア、コラールが交互に歌われて終わる。

特に器楽部に織り込まれたバイオリン、チェロ、チェンバロの三重奏は、

隙のないバランスの中に荘厳と優雅さを同調させながら見事に聞かせてくれた。

 147番「心と口と行いと生きざまで」は2部編成になっている。

まず第1部ではトランペットの高らかな音色を交えた合唱で始まり、

そのあとレチタティーヴォとアリアが交互に入り、

コラールにおいてあの「主よ人の望みの喜びよ」が歌われる。

2部でアリア、レチタティーヴォ、アリアと続いて、

最後に再びコラール「主よ人の望みの喜びよ」が歌われる。

演奏が終わるとしばし静寂が流れ、

そのあと心満たされた会場から、強く熱い拍手が湧き上がった。



 いやー、バッハはいいですね。

しきりに感心していると、次の発表会に向けて先生からバッハ作品を1曲頂いた。

オリジナルはヴァイオリンパルティータ1番のサラバンド (BWV1002)

これを先生の師である石月一匡がギター用に編曲したものである。

曲は短いが、弾いてみるとやたら難しい。

何カ所かで左手の押さえが指のナチュラルな運動機能に逆らっている。

いびつな形で無理やり押さえると指が辛抱できなくなってテンポがずれてくる。

そばで先生が「バッハはテンポです」と厳しい顔でおっしゃる。

発表会まであと二カ月。

さてどうなるものやら。  2011/05/1

     

    




         
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