§ミズシマさんの
             とっておき雑楽ノート§




                                       (第十九話)

                           
ニューヨークのプリマドンナ
             
― 再びMET(メトロポリタン歌劇場)へ ―


                    
   



 今月(3)初めに2年ぶりでアメリカに出張した。

昨年は出発当日にドタキャンした苦い思い出がある(雑楽ノート No.13)。

今回も2年前と同様に、

仕事を終えてから
ニューヨークで二日間の休暇を取ることにしていた。


この冬はアメリカ全土が例年に無く寒く、

特に東海岸のニューヨークやワシントンDCでは

前の週まで大雪のニュースが報道されていた。

仕事は暖かいフロリダだったので、

3時間の飛行でニューヨークに向かって北上する時は、

初夏から冬に戻る思いだった。

JFK空港についてみると想いのほか暖かかった。

タクシーの運転手に聞くと積もった雪は大方溶け、

ここ数日も天気が良さそうだとの事だ。

 

 宿泊ホテルはMET(メトロポリタン歌劇場)のある

リンカーンセンターのすぐ側にとってある。

着いて早々、

その日の夜にMETでオペラを見ることに決めていた。

2年前にもちょうどこの時期に、

ここでビゼーの「カルメン」を観ている(雑楽ノートNO.3)。

 

 今回の出し物はロッシーニの「セビリアの理髪師」

METはホテルの目の前だが、

開演8時の30分ほど前に会場に入る。

中はすでにニューヨーカーの社交場となっていて、

華やかの空気の中で賑わっていた。

 この日は、この「セビリアの理髪師」のシーズン最終日だったので、

4000人収容の6階まである客席はぎっしり満員である。

 

事前にインターネットでとった私の席は1階のやや左側で、

前から4列目と願っても無い絶好の場所。

2幕、約3時間の「セビリアの理髪師」。

物語はざっとこうだ、

街で見かけた美しい女性ロジーナ追いかけて

セビリアまでやってきたアルマビーア伯爵が、

機転の利く床屋フィガロの助けを借りて、

ドタバタ騒動の上ハッピーエンドにするというもの・・・<

 

指揮:マウリツィオ・ベニーニ

フィガロ:フランコ・バッサッロ

アルマビーア伯爵:ロウレンス・ブラウンリー                                                   

ロジーナ:ディアナ・ダムラウ

バルトロ:マウリツィオ・ムラーロ

 

 伯爵役のブラウンリーは、

この役には珍しいオハイオ州出身の黒人テナーで、

METには2007年にデビューしている若手である。

アメリカらしいキャスティングだが、やや小柄なヒーローは、

その歌唱力と大きな演技で十分に存在感を示してくれた。

 

 ロジーナ役のダムラウはドイツ出身のソプラノ。

幅広いレパートリーとキャリアを持ち、

特に「魔笛」における夜の女王役は有名で、

難曲のアリアを美しく歌い上げて以来

屈指のプリマドンナとなっている。

この日も美しい歌と共に愛らしいロジーナを演じた。

 

 フィガロのバッサッロは滑らかなバリトンを歌いながら

舞台狭し、と動き回る。

「フィガロ、フィガロ・・」と

自分の名前を連呼しながら歌う有名なシーンで

観客はしっかり舞台に同化する。

 

このオペラの狂言回し役がバルトロに仕える腰の曲がった老召使で、

歌は一切歌わないが大事なシーンで

コミカルな演技をしては笑わせる。

幕が下りた瞬間に腰がピンと伸びて

ピョンピョン踊りまわり客は大喜び。

実はモダンダンスや多くの芝居、

プロジェクトに参加している
大物ダンサーだそうだ。

 

 2幕目途中では、休憩時間に飲んだコニャックと

時差から来る眠気のせいで一瞬舟を漕いだりしたが

目の前の舞台の迫力はすぐに興奮の覚醒をさせてくれた。

 

 間近で聞く歌手達の美しい声と、

マイク無しで劇場の隅々まで声を響き渡らせる豊かな声量。

持って生まれた才能と、

鍛錬により作り上げたフィジカルな要素が合わさって、

一流といわれる歌手の音の共鳴体になっていることが分かる。

 

音楽、演技、演出のすべてにおいて、

極上の総合芸術を満喫させてくれたMETのオペラは

ブラボーの連呼と熱狂的スタンディング・オベーションで幕となる。

 

 

 次の日の朝は時差と旅の疲れで少し遅くまで惰眠を貪っていた。

と、閉めきったドアの向こうから大きな音が聞こえてきた。

いや、女性の歌う声だ。

スピーカーのボリュームを最大限に上げた様な音量で

オペラのアリアか何かを歌っている。

起きだして顔を洗って、シャワーを浴びて、着替える間も

ずーっと歌う声が聞こえてくる。

このホテルのすぐ側にあるリンカーセンターは

METのほか4つの劇場と有名なジュリアード音楽院がある。

どこかの劇場で歌う歌手が部屋にこもって練習しているのだろう。

それにしてもこの声の美しさと音量はタダモノではない。

 

着替えを済ませてから、

すぐ近くにあるセントラルパークを歩いてみようと部屋のドアを開けると、

先ほどの声が廊下を通して倍の音量で聞こえてきた。

声の元を探るようにエレベータの方に向かってゆっくり歩き出すと、

突然歌が止まり、その部屋から女性が出てきた。

おそらく何かの予定の時間

ぎりぎりまで練習をしていたのだろう。

前を歩くその女性は体格も立派で

縦横共に私より一回り大きく堂々としていた。

あの美しい声と、圧倒する声量はこの共鳴体から発するのだ。

エレベータの中で向き合ったので

二言三言、言葉を交わすと会話は普通の声であった。

 

 セントラルパーク角のコロンバス・サークルに出来た

新しいビルの1階に巨大な女性の裸像がある。

堂々たる体躯はオペラ歌手の声の共鳴体を連想させる。

この巨女がアリアを歌ったら、

セントラルパークの向こうまで聞こえるだろうな。

                              2010/03/24

 
 


         
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