§ミズシマさんの
とっておき雑楽ノート§
(第十六話)
〜オペラ「アイーダ」鑑賞顛末記〜
−ヴェローナの野外劇場−
6月の出張、第3話である。
ウィーンに二日間滞在した後、
仕事の目的地であるイタリアのベルガモに周った。
ベルガモは以前にも紹介したが、
北イタリア、ミラノの近くにある人口13万人位の小都市で、
ここに私の仕事のパートナー会社がある。
6月のウィーンは少し肌寒い感じであったが、
ベルガモに来ると初夏の陽気で、
アルプスと一緒に季節を一つ越えてきた気分になった。
三日間の滞在中は、
マーケティングや新製品開発の打ち合わせに明け暮れたが、
最終日はイタリアのマネジャーのCさんと
ヴェローナに行くことにしていた。
アレーナ・デ・ヴェローナでオペラを観ようということだ。
古代の闘技場をそのまま野外劇場にしたここの大きな舞台は
スペクタクルなオペラを得意とし、
夏を挟んだごく限られた時期にだけ上演される。
当日の出し物はスペクタクルオペラの定番中の定番、
ヴェルディーの「アイーダ」である。
イタリアの地図で見られる例のブーツの形から上に抜け出すと、
西から東にトリノ、ミラノ、ヴェネチアと
北イタリアのメジャーな都市がほぼ横に並び、
高速道路で一本に結ばれている。
ミラノとヴェネチアの間にはベルガモとヴェローナがある。
ヴェローナはこの東西道路のほか
アルプスを突き切ってドイツを結ぶ国道が通り、
南下すればそのままローマとつながる。
つまり南北、東西に走る幹線道路の十字路になっていて、
古代ローマの時代から交通の要所である。
仕事を終えて、夕方Cさんとベルガモを出発する。
ヴェローナまでは100Kmちょっとの距離で、
車で1時間半ほどの行程である。
軽い夕方のラッシュを抜けてヴェローナの街に入ると
中世の石造りの重厚な建築物が立ち並び、
街中を進むにつれて車と人が増えてくる。
やがて目指す建物、アレーナ・デ・ヴェローナが現れてくる。
駐車場を探しながらアレーナの周りを観察すると、
大きさは見慣れた横浜スタジアムくらいであり、
周りは広場になっていて、
そこにレストランやショッピングが店を並べている。
オペラの開演は午後9時15分、
時間はたっぷりあるので街中を散策し、
そのあと食事を取りながら時間まで待とうということになる。
ここヴェローナは「ロミオとジュリエット」の舞台になっており、
架空の物語とはいえジュリエットの家があり、
階には小さな広場に面してせり出した例のバルコニーがある。
観光客であふれた狭い広場のにぎわいから、
若い二人の密やかな逢瀬はイメージしづらいので、
しばらくたたずんでからアレーナの前に戻る。
レストランの広場に張り出した、
テント屋根の下のテーブルに着きながら
メニューを探る。
気になるのは日が暮れてくるにつれて
空の雲がどんどん厚くなってくることだ。
Cさんはウエーターに天気の予想を問うが、
確証?を得られない。
ワインを飲み、食事を進めていく中、
私とCさんの話題も
期待と不安の混じった天気の予想が中心である。
すっかり暗くなり周りの灯が映える頃、
雨がぽつぽつ降り出してきた。
広場の前の人々が慌しく動き出す。
降り出すと雨足は加速度的に速くなってくる。
目の前のアレーナは濡れた光の中で
黒い影となってどんより沈んでいく。
ウエーターに代わってCさんが
「この雨は止むはずだ」と断言する。
Cさんの言葉には折角用意したチケットと、
楽しみにしていた時間を無駄にしたくない
強い願いが含まれている。
私も同感、強くうなずく。
ちなみにチケットは
開演前に中止になれば払い戻しになるが、
開演後は途中で終わっても払い戻しにならないと
パンフレットに書かれている。
予定時間の過ぎていく中、アレーナからは
天候の様子見中なので待ってほしいと
再三放送が流れてくる。
少し小降りになってきた頃
気の早い人達はゲートの前に群れを作りだす。
やがて雨は止み、ゲートをくぐったのは
一時間遅れの10時過ぎ。
雨にぬれたベンチにレンタルしている角型のマットを敷き、
まずは一息。
見渡すと、階段状のベンチは上のほうまで伸び、
それがアレーナをぐるっと周回している。
席は観客のざわめきに包まれながらどんどん埋まっていく。
Cさんによると観客はイタリア人のほかにドイツ人も多く、
車や観光バスでやってくるそうだ。
ただ、この夜は日本人をまったく見かけなかった。
正面は舞台が横に大きく広がっていて
コーナーの奥にはスフインクスだけがぽつんと照明に照らされ、
開演前の舞台を見守っている。
やがてファンファーレと共に第一幕が始まる。
舞台はエジプト、
物語はエジプトの武将、敵国エチオピアの捕らわれの王女、
それに絡むエジプトの王女の3人の愛憎をもとに展開される。
横に大きく広がる舞台に槍を携えた兵隊が並び、
さらに舞台奥は砦のように上に延び、
そこにも兵隊の隊列が松明を持って待機する。
巫女たちが踊りながら神官と共に舞台中央に現われ、
それを縫うように3人の主役が次々と出てきて歌い、
やがて3重唱となる。
アレーナのすり鉢構造は音響効果を美しく増幅させ、
暗闇に浮かび上がった舞台を惹きたてる。
ハープの音と共に再び巫女たちが出てきて、
踊りを始めたところで雨がぱらつきだす。
舞台は一瞬にして止まり、
すかさずオーケストラが楽器を抱えて退場。
場内の観客はビニール傘を開き、カッパを着て待機する。
このあとの第2幕では舞台のハイライトである凱旋行進曲が入り、
この大舞台がもっとも生かされるシーンである。
折角のアレーナで観客はこの場面だけは外したくない。
ここからが長い我慢の時間となる。
想定内の成り行きと腹をくくっていた観客も
時間が経つにつれ空を見上げてため息をつく。
それでも席を立って帰る人はほとんどいない。
少し小降りになってくると手拍子をしながら再開を促す。
中断後待つこと1時間半、
場内アナウンスは雨にデリケートな楽器への配慮を理由として、
本日の舞台の中止を伝えた。
待ち疲れた客の多くには残念さと合わせて、
ようやく出た結論への安堵感が顔に浮かんでいた。
ベルガモのホテルに着いたのは夜中の1時過ぎ。
雨はすっかり止んでいた。
2009/09/23