§ミズシマさんの
             とっておき雑楽ノート§




                                       (第十五話)

                               
ウィーン美術史美術館
                    
   −ハプスブルグの至宝−




 

 今年6月のウィーン立ち寄り話の続き。

楽友協会でのコンサートを聴く前日、

もう一つの目的である美術史美術館へ行った。

ここはハプスブルク家の領土であったオーストリア、ドイツ、

スペイン、イタリア、ベルギー、オランダから集められた

古代から19世紀に至る膨大な量の美術品を収蔵している。

ホテルから56分も歩くと石造りの宮殿のような建物、

美術史美術館と自然史博物館が広い庭を挟んで向い合って現われる。

美しく整備された庭には女帝マリア・テレージャの

大きな像が鎮座し、周りを睥睨している。

この像を横に眺めて石段から玄関に入り、

さらにホール内の豪華な階段を2階に昇っていくと

作家、年代、形式別に仕切られた40近くの展示室がある。




 今回の一番のお目当てはピーテル・ブリューゲルである。

この美術館のブリューゲルの所蔵点数は14点と世界最大で、

「雪中の狩人」、「バベルの塔」、「農民の婚宴」、「農民の踊り」、

「子供の遊戯」などそのすべてが名作である。

2階の一室がこの画家の展示室になっていた。

ブリューゲルは好きな絵描きの一人であるが、

1989年にブリヂストン美術館で観た版画展を別にすると、

油彩はメトロポリタン、ルーブル、

大英博物館で一、二点ずつ見た程度で、


ここのように沢山のブリューゲルを、

一堂に集めて見られる贅沢は特別である。


部屋の真ん中にはソファーが置かれているので、

休みながら一点ずつじっくりと見ることができる。


 ブリューゲルは16世紀のフランドル絵画を代表する画家で、

農民派とも言われるその画題の多くは農民や庶民の生活を

時には深慮なる寓話を交えて描き込んでいる。

その綿密精細なる描写は、たとえば「バベルの塔」における

夥しい人々の動きに見られる。




 建築途中の巨大な建物の壁や側道に人々は蟻のごとく張り付き、

あるいは作業をしている。

あまりの細かさに目を凝らさなければ見落とす事になるが、

よく見るとひとりひとりの作業や行動が違い、

工程の説明図のように緻密に描き込まれている。

石材を運ぶ人、重機で吊上げる人、岩盤を削る人、梯子を昇る人、

下の方では馬車で材料を運ぶ人、船から荷役する人。

左手前のわずかな部分には神への反抗ともいえる

この巨大建造物の工事を視察にきた王の一団が近景描写されている。


 高慢な形相の王の前にひざまずく石工たち。

一団の背後には人々の生活の場である街がぎっしりと並び、

巨大な塊である塔の存在を浮き立たせている。

デフォルメ化された極端な透視画法は建物、人、風景の展開に

アンバランスな対比を生み、不思議な魅力で強烈に訴える。

画家は同じ題材を全部で3点製作しているが、

旧約聖書の有名なこの話に特別に惹かれるものがあったのだろう。


 もう一枚の絵「農民の婚宴」を見てみよう。

土色の壁の広間に作られた宴席に集う農民たちの

開放的な仕草と表情。

画面中央の食卓を前に横一杯に並び、

飲食と雑談の喧騒が聞こえてくるようだ。

人々の屈託のない表情は

ふんだんに供されるパンとスープと酒に増幅される。

ブリューゲルのいろんな作品に共通しているが、

描かれる人物の中に美男美女はまずいない。

いろんな作品の中に描かれた夥しい人の仕草や表情から

知性や聡明さを見つけることもまた皆無である。



 画面中央の奥で、冠をかぶって座っているのが花嫁である。

花嫁の頑ななまでに無表情の顔は

宴席の空気と別次元の中に心を封印しているようにも見える。

いつ終わるとも知れない宴を辛抱強く我慢しているのだろう。

花婿はこの場にいない。

二人は初夜のベッドまでは顔を合わせることはないのだ。


 人々の開けっ広げの喧騒と花嫁の静寂。

画家は、この時代の農民が抱える日常的な辛苦と、

宴における非日常的な歓楽の対比を鋭く見つめているのである。


 ブリューゲルの多くの作品に言えることだが、

題材になるモチーフは、

聖書や伝説の中の一事件や村の行事だったりするのに、

描写の焦点は物語の主人公を横に外し、

傍観者や無関心の農民や庶民に当てられる。

人々の表情や動きは気取りや理性と全く縁の無い、

在りのままの欲望と無知ともいえる凡庸で描かれている。


 ブリューゲルの絵を堪能したあと別の部屋に進む。

この美術館はルーブルやメトロポリタンのような

巨大なスケールではなく、

その気になれば一日で見て周れる広さだが

ハプスブルクの年月と財力かけたコレクションはやはり膨大で密度が高い。


 17世紀になるとフランドルから北に位置するオランダで

レンブラントが現れる。

生涯を通して多くの自画像を描いた画家の、

中でも傑作と言える一点がこの美術館にある。

ここでの晩年の自画像は事業に失敗し、

老いの見え始めた画家の苦悩を伴う内面性が心に迫ってくる。

           

 レンブラントは貴族や実業家を対象に

多くの肖像画や集団図を描いているが、

描かれる人々は可能な限りの威厳と格式をもたせて表現されている。

そこには農民や庶民の生の生活を

画面一杯に描き込んだブリューゲルと全く違う形式美がある。


 レンブラントと同じオランダ画家フェルメールの絵が一点ある。

フェルメールもまた私の好きな画家の一人であり、

実は現存する30数点の作品をすべて見てみたい

という思いを持っている。

正確には数えていないが今のところ半分くらいは見たと思う。

この美術館ではフェルメールの作品の中でも、

特に人気の高い「画家のアトリエ」がある。

         

光と影のコントラストの中に

人物の物語的動きの一瞬を捉えた繊細な描写は

フェルメールの多くの作品に共通するものである。

モデルの意図的仕草と大げさな衣装は理解できるが、

描かれている画家自身が帽子を被り正装しているのは

美的表現への意図的演出であろうか。

ブリューゲルとはまったく異質の美の世界を創り出している。


 日の高いうちに美術館を出ると

重くなった足を励まして街の中心部に向かって歩く。

この時期は観光客も少ないようで

ウィーン子に混じってカフェで一休み。

コーヒーとウィーン名物のザッハトルテで一息つく。



トルテの味は本家ホテル・ザッハや他の店との違いは分からないが、

ここではチョコレートで包んだスポンジケーキ

と言うだけで特別の感激も無かった。

私のデリカシーの無さだろうか。


 それにしても街の大きさも動き回るのに手ごろだし、

今回は行けなかった所も多いウィーン。

再び訪れたいと思う。


                                   2009/08/27




         
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