§ミズシマさんの
             とっておき雑楽ノート§




                                       (第十三話)

                          
〜パガニーニの主題による狂詩曲・・・(二)〜
                   
―映画「ある日どこかでSomewhere in time」―





 1980年のアメリカ映画で、

「ある日どこかで(
Somewhere in time」というのがある。

主人公の新進脚本家が自身の作品完成パーティの最中、

見知らぬ老女から懐中時計を渡されるところからストーリーは始まる。


老女は“Come back to me”の言葉を残して立ち去る。

数年後クリストファー・リーブ扮する脚本家は、

ある偶然からあの老女は若い頃は一世を風靡した女優で、

しかも数十年の時間差の中で自身が彼女と結ばれていたことを知る。


 彼はシカゴ近郊のミシガン湖に面したグランドホテルに宿泊し、

かって二人で愛し合った同じ部屋のベッドで横たわり、

自己催眠による時間移動を試みる。

やがて時間移動による過去への遡上に成功した脚本家は、

ジーン・シーモア扮する美しい女優と湖畔で出会い、

たった二日間だけの時間共有の中で愛を深めていく。

が、やがてアクシデントがあって、

時差の空間から現実に引き戻される。

主人公は狂おしい恋慕の中、

再度時間移動を試みるがかなわず、

衰弱しながら死んでいく。


 物語の中で流れるジョン・バリー作曲のテーマ音楽は実に美しく、

ドラマテックである。

そしてもう一つサブテーマとして効果的に使われる曲が、

ラフマニノフの“パガニーニの主題による狂詩曲、

(パガニーニ・ラプソディ)”である。

物語の中で主人公がこのパガニーニ・ラプソディを、

自身のテーマ曲だと言っているのには、

戦後の「希望音楽会」世代の私としては別の共感を持った。


 二つの音楽はSF作家の原作による、

このストーリーの突飛さを美しくカモフラージュし、

この上なくロマンテックな映画に仕上げている。

残念ながら映画は興行的成功を疑問視され、

上映後2週間ほどで中止になってしまう。

ところが映画を観た人たちの間で徐々に評判が高まり、

30年近く経った今も世界中にファンクラブが出来、

定期的に会合を持っているという。


私はこの映画を偶然テレビで見たが,

今でも
DVDでは見られるはずである。


 今年の3月のある日、

私は苦痛に顔をゆがめながら車で成田に向かっていた。


行き先はシカゴ。

予定は数ヶ月前から決まっていて、シカゴでの会合と展示会。

そして滞在中にミシガン湖沿いを車で走りながら、

カラマズー
(Kalamazoo)という街に出かける予定も入っていた。

カラマズーまでの片道3時間ほどのドライブ途中では、

あの映画「ある日どこかで」のロケーションイメージを、

楽しめるかもしれないと期待していた。



 アメリカへ出発の丁度5日前、

あるはずみに左の首から肩にかけてグッと違和感が走った。

過去にもあったが首の頚椎にゆがみが生じ、

肩から腕にかけて伸びている神経を圧迫しているようだ。

顔を少し上げるだけで重苦しい痛みが走る。


2日ほどは何とか仕事になった。

少しでも首への負担を減らそうと、

パソコンのディスプレイは机の上から床の上に直接置いて、

見下ろしながらの仕事をした。


だが徐々に増してくる重苦しい痛みは仕事への気持ちも削いでくる。

夜も痛みで眠れなくなってくる。

ベッドの上で身もだえしながら、

最後は痛みによる疲れが勝ったときにようやく眠っている。


近所の整形外科に飛び込むと「この痛みは直すのに時間が掛かる」といって、

痛み止めの薬をくれるだけ。


冗談じゃない、あと三日で出張しなくちゃならないのだ。

埒のあかない私は次に家族の勧めで中国整体に走る。

出発まで時間がない。

この痛みを少しでも和らげたい。

なかば懇願するように訴える私に女整体師はうなずくと、

「時間がないからちょっと荒療法になるよ」と、

中国訛りの日本語で言って仕事に取り掛かった。


どちらかというとやせ気味のこの女整体師、

どこにこんな力があるのかと思うくらい強い力で、

腕と肩のあちこちにひねり上げ、引っ張りまわす。


ほとんど容赦なく。


 ベッドにうつぶせた私は、

顔の埋まる部分にくり抜かれた穴に向かって、

ウーッと声にならないうめきを発しながら悶える。


追い込まれた私は普通の人の倍の90分コースを取ったが、

半分ほどの時間経過で既にギブアップ寸前。


「少し休憩しませんか?」声にならない声で提案するが、

「治したいのでしょ」と一蹴される。


なんとか耐えて終わったときは疲れと痛みで自失状態。

タフな女整体師に翌日の予定も勧められるままに予約。

翌日、心の中で嫌がる自分を叱咤しながら再び90分の拷問に向かう。

何しろもう明日は出発だから。

「今日しかないから、しっかりやるね」、

女整体師の言葉はほとんど脅しに聞こえる。


この日は前日よりきつかった。

実際何回かはうめきが悲鳴に近いものになった。


長い悪夢の90分が過ぎると肩をマッサージしながら、

「よく、我慢したね。女の人なら泣いているよ」と整体師。


これだけ痛い目にあったのだから明日は何としても行くぞ!


 出発当日の朝。

痛みは変わらない。

気分は穏やかならず。

体への負担を考えて、

中身を最小限に減らしたスーツケースを車のトランクに突っ込み、

「あとは運任せ!」半分やけくその気持ちで車を走らせる。


痛いのは左側だから、

右手だけの運転であればそれほどのことはないだろうと思っていたが、

人間の体は左右でバランスを取るように出来ていて、

いざ走ってみると使わない左側も、

ハンドル操作の度に痛みが蓄積されてくる。


都筑で第三京浜に入り首都高から湾岸に入る。

肩から腕にかけて重く、

痛い左を運転席の肘掛に投げるように預けながら走る。


混乱しかけた頭は自己問答を始める。

このまま飛行機に乗って12時間余り痛みをこらえて、

機内でじっとしておれるのか?


向こうに着いてから重い荷物を持って一人で移動できるのか?

そもそも、この痛みを抱えて仕事になるのか?

ベイブリッジを越すころ行き先は成田ではなく、

拷問を待ち受ける収容所に思えてくる。



 気を紛らわせるためにつけたラジオから聞こえてきたのは、

ラフマニノフではなくチャイコフスキー、「交響曲第6番」。


「駄目だ!こりゃ。」

大井南のパーキングで車を止めて一息つくと決心がつく。

「今回は中止!」

心に浮かぶ関係者たちの恨めしそうな顔を払いのけて目をつぶると、

はじめて不思議な安堵感がわいてきた。


事の次第の後始末に少し時間が掛かったが、

その後リハビリに専念し、

3週間後には神奈川ギターフェスティバルのアンサンブルメンバーに、

奇跡的に(?)参加することも出来た。



稽古場にて

師匠「今度のアンサンブルは久し振りにまとまったいい演奏でした。」

弟子「うれしいですね。 痛い道のりでした。」

師匠「・・・?」

                                  2009/06/18





         
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