§ミズシマさんの
             とっておき雑楽ノート§




                                       (第十二話)

                         
〜パガニーニの主題による狂詩曲・・・(一)〜
                          
―希望音楽会―






 「明治は遠くなりにけり」若い頃、

懐古的に言われた言葉である。

その明治部分が「戦後」になり、

いまや「昭和は遠くなりにけり」なんて言われることもある。



 戦後の昭和20年代、

まだテレビもない時代は、

大方の情報や娯楽はラジオ放送に求められていた。

みんながNHKのAM放送で同じ番組を聴き、

歌謡曲、軽音楽、浪曲、落語、

ドラマ、クイズ、ニュースと他に選択肢のない娯楽源、

情報源として同じものを好き嫌いなく聴いていた。


 その中に「希望音楽会」という番組があった。

歌謡曲、ポピュラー、
(この言葉も死語になりかけているが、当時は軽音楽と言っていた)

クラシックを混ぜこぜにして聞かせる音楽番組で、

いろんな音楽を聴くのに当時としては貴重な存在であった。


10数年は続いたであろうこの番組も、

テレビが普及する前後にはなくなった。


後年になって曲名は覚えていなくても、

何処かで聞いたことがある曲だな、という場合は、

その記憶のルーツの多くはこの番組で流されたものだと思う。



 「希望音楽会」の番組テーマに使われていた曲は、

ずいぶん経ってからその曲名を知った。

ラフマニノフの“パガニーニの主題による狂詩曲
            (パガニーニ・ラプソディ)”である。


この曲はラフマニノフが、

パガニーニのヴァイオリン曲“24の奇想曲”の中の主題の一つを取り上げ、

ピアノとオーケストラで25部からなる主題と変奏曲に構成したもので、

番組の冒頭に流れる曲はハイライト部の第18変奏である。



 私の勝手な展開描写であるが、

曲はまずピアノが変奏テーマを静かに語りかける。

ゆっくりとしたピアノの語りかけに、

オーケストラが少しずつ呼応しはじめ、

徐々に甘美なエネルギーが内在されていく。

そして、ピアノとオーケストレーションが和合し、

外に解き放たれたエネルギーは壮大に広がっていく。

華麗なる歓喜のあと曲はおだやかな余韻を保ち、

やがて静かに閉じる。


番組の冒頭に毎回聞こえてきたこの曲は、

子供の頃の記憶にしっかり刷り込まれ、

私にとってもっとも美しい曲の一つとなり、

自分自身のテーマ曲であると勝手にきめている。

 

稽古場で:

師匠「楽器の上達に音と音楽に対する感性が大変重要です」

弟子「それは音楽の受け容れ方と言うことになりますね」

師匠「そうです。いろんな音楽を、壁を作らずに聞くということも大切です。
           今の人たちは好き嫌いが強すぎて自分で感性を狭めている」

弟子「昔、ラジオしかない時代は、
         浪花節(浪曲)とか歌謡曲とか軽音楽とかをごっちゃに聞き、
           その中にクラシックやジャズが混じっていた。
               だから、好き嫌いなく受け容れていたし、
                    好きにもなれたと思います」

師匠「私もラジオの時代の経験が長く、
         いろんな音楽を聞きました。それが感性の基になっています」

弟子「今の人たちが今の環境下で感性を磨くにはどうすればいいのでしょうね」

師匠「そうですね。例えば私のホームページのギター音楽年表です。
               ああいう古い時代の音楽からも感性が磨かれるのです」

弟子「ああ、あれは大変貴重な内容だと思います。取り上げている音楽も絵もいいですね」

師匠「そうです。音と絵の両方から感性が磨かれるのです」

弟子「しかし、あの内容はずいぶんマニヤックで細かいですね。
       あそこまで細かいと終わりに辿り着くのはずいぶん先じゃないですか?」

師匠「書いている私も見当がつきません」

弟子「でしょう。だから読む方も大変だと思いますよ」

師匠「ま、まともに読んでいるのはあなたぐらいだと思います」

弟子「え、・・・・・!」

(ご心配なく、これは師匠得意のひねりジョーク。念のために。)

                                            2009/05/22


 



         
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