§ミズシマさんの
             とっておき雑楽ノート§




                                       (第十一話)

                                  
〜カタカナとオランダ人






 勤めていた会社が東京の八重洲にあった頃、

お昼を「ヤン・ヨーステン」という洋食屋で時々食べた。


雑居ビルの地下にあるこの店は、

階段の壁面から店の中までラッカー仕上げの羽目板で内装されていて、

さながら船のキャビンといった感じ。

 壁には見事な帆船の油絵が飾られ、

席もゆったりして贅沢な居心地を楽しめる。

ただ、出てくる料理は、ランチメニューとはいえ極めてシンプル。

値段も安かったが、量が少なく、

まだ若かった当時は腹6、7分くらいの食後感であった。


 夜の居酒屋がメインで、

お昼にはそんなに力を入れていなかったのかもしれない。


それでもランチタイムもほとんど待たずに座れたのと、

ゆったりとした居心地のよさで、

あまり食欲の無いときはよく行ったものだ。


10年以上昔なので、今もこの店が残っているかは知らないし、

残っていても変わっているだろうな。


 さて、店の名前の「ヤン・ヨーステン」。

これは江戸時代初期に日本に漂着したオランダの商人の名前で、

家康の信を得てこの界隈に住んでいたといわれる。


八重洲の地名はこの人の名前から「ヤンスー」、

「ヤエス」と変じてなったそうだ。

外国人の名前を日本語に表記するというのは必ずしも簡単ではないが、

調べてみれば面白い名前も出てくるはずである。



 ある年の春、オランダに出張してアムステルダムにいた。

私の出張はおおかた一人旅なので、

取引先などの相手がいない時は余暇も食事も一人ということになる。


この日も一人、食事をかねてぶらりと夜の街に出る。

ホテルの前の大通りを横切り、

それに並行する大きな運河の橋を渡ると、

すぐにライツェ広場という繁華街がある。

広場そのものは小さいが、周りには市立劇場をはじめ、

様々なレストランやバー、銀行にオフイス、それにカジノまであり、

昼夜を通して賑わっている。



一人で食事する場合、仰々しい店は間が持たないので、

カジュアルな店に入るようにしている。

この夜もそんなわけでシーフード&オイスターバーの看板のある、

ややカジュアルな外観の店を見つけて入った。

中は結構きちんとしていて、

広くて清潔そうな店内にはきちんとした身なりの客が、

3,4組静かに食事をしていた。

うーん、私のドレスコードはNGかな?

 

愛想のいいウエーターが出てきて2階に続く階段に案内してくれた。

階段を上がると薄暗い空間に丸テーブルが5つぐらいと、

セットの椅子が何脚か並んでいる。

1階に比べて2階のこの空間は2等客室といった感じ。


客も私一人。

案内されたテーブルは調理場に面した配膳のカウンターのすぐ傍。

Tシャツとジーパンにジャケットを羽織っただけのいでたちは、

まずかったかな、ともう一度思いながら席に着く。


案内してくれたウエーターはあくまでも愛想がいい。


 はじめは大好きな生牡蠣とサラダをおかずに、

ビールを飲もうと思って入ったが、

今日は魚が美味しくてムニエルで食べると最高だと、

愛想のいいウエーターはメニューを開きながら、熱心に勧める。


あまりこだわりの無いまま、ではそれを頂こうと私。

料理が出てくる間ウエーターは付かず離れずの位置から話しかけてくる。

「日本から来たのか?」「日本のどこに住んでいる?」

「オランダにはよく来るのか?」「仕事は何だ?」


一人客を飽きさせまいというサービス精神か、

そうこうしているうちに料理が運ばれてくる。


定番ビールのハイネケンと共に、

デルフト焼きの大皿には舌平目より一回り大きく肉厚の魚が盛られ、

ジャガイモとブロッコリがたっぷり添えられている。


魚の白身をナイフでそいで一口入れる。

「おいしい〜」思わず顔がゆるむ。

調理場から男が二人出てきて私を覗き込む。

「この魚は北海で取れたものだ」

「この店は新鮮な魚を最高の調理で出す」などとひとしきり説明し、

奥に引っ込む。


食べきれるかな?

と心配したボリュームも美味しさのあまりすっかり片付け、

魚の骨だけが皿に残る。

先ほどの調理人二人がサービスだといって、

ハイネケンのお替りと小皿に入れたチーズを持って来る。


料理の味をほめたりしているうちに、

全員座り込みの雑談となる。


おいおい、仕事しなくていいのかよ。

それとも今日は暇なのか?

心配しながら調理場に目を凝らすと、

気がつかなかったが、何人もの人間が忙しそうに動いている。


となるとウエーターを含むこの3人は、

今は休憩時間のようなものか。


雑談の中でウエーターが、

自宅で鯉を数匹飼っていると言い出した。


体に赤とか黒のまだらがあるというから鑑賞用の錦鯉だろう。

3人とも日本の文化にあこがれていて、

是非一度行ってみたいという。



日本とオランダの歴史的関係なんかを話しているうちに、

やがて日本語の話になる。


ここで、彼らが身を乗りだして頼みがあるという。

自分たちの名前を日本語で表記してほしいというのだ。

名前の音をカタカナで表記するのは簡単だが、

これを漢字にするとなると途端に難しくなる。



 知っている限りエドガー・ア・ランポー転じての江戸川乱歩は、

人物は別人だが文句無く傑作だと思う。

八重洲のヤン・ヨーステンの同僚であるウイリアム・アダムスの三浦按針も、

やや飛躍しすぎだが玄人受けする(?)なかなかのものだと思う。


過去にも取引先の欧米人に頼まれて、

名前の漢字表記を試みたことがあるが、これは難しい。


単に音に合わせて適当に漢字をあてがうのであれば何とかなるが、

当然使う漢字の選択と並び方は品格やイメージに影響を与える。


特に名前にパピプペポが入ってくると、

漢字で雰囲気を出すのはほんとに難しい。


 そんなわけで今回はカタカナ表記にすることにした。

紙の上に彼らの名前を書いてもらって、

その発音を確認しながらカタカナを書き込む。


書いた後、私が確かめるようにカタカナを一字ずつ指しながら読むと、

大男どもは小学生のように後に続く。

「ヘンク・xxxx」、「ローランド・xxxx」、「ペーター・xxxx」

コースターみたいなカードを一枚ずつ持ってきたので、

改めてそこに清書すると、

うれしそうに見せ合いながらカタカナ風に読み返していた。



 2階に他の客も入ってきたので、

ようやく彼らは席を立って、持ち場に戻った。


私もビールを飲み干し、勘定を済ませて席を立つ。

あくまでも愛想のいいウエーターに続いて階段を下りると、

1階はいつの間にか満席になっていた。


                               2009/04/18


 





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