ギターエッセイ
♪♪♪♪♪ ギター狂時代 ♪♪♪♪♪
前回、シューベルトとギターの関係について書いた時に、
19世紀初頭のヨーロッパでギターが大流行した事に触れました。
今回はそのヨーロッパの「ギター騒動」について、私なりに少し掘り下げて書いてみようと思います。
本当ならいろいろと資料を揃えてなるべく正確に書きたいところですが、
それをやっているとトテツもなく長くなりますし紙面にも制限があるので、
特に重要と思われるところを拾って書かせていただきます。
何分素人がやっている事ですので、誤った部分等出てくる事があるかも知れませんが、
ご意見等ある方はどうぞ掲示板にご指摘下さるなり抗議されるなり、何なりなさって下さいませ。
厳粛に受け止めさせていただきます。m(_ _)m
当時のヨーロッパでギターが大流行したキッカケの一つとして、
F・ソル、D・アグアド、F・カルリ、M・ジュリアーニ等が出現した事が挙げられると思います。
特にソルは1812年以降パリを拠点にロンドンやロシアを訪れ、演奏を披露しました。
その演奏は各地で喝采を浴び、時に小鳥のさえずりの様に、
時にため息をつく様な多彩な演奏表現を当時のフランスの批評家は「ギターのベートーベン」と言ったほどでした。
同じ頃、スペインではアグアドが名ギタリストとしてその名を轟かせていました。
一方イタリアのギタリスト、ジュリアーニは長年ウィーンに住み、
ベートーベンとも親交を持った事で知られています。
演奏家としてはもちろんの事、
ギター曲も「英雄ソナタ」や「ロッシニアーナ」「ギター協奏曲」と言った名曲や優れた練習曲も多数作曲しました。
やはりイタリア出身でパリで活躍したギタリストのカルリは、
ギタリスト兼作曲家であると同時に優れたギター教師でもあったようです。
現在もギターの教則本の著作者として必ず登場するカルカッシは、カルリの後継者でした。
この4人はそれぞれ教則本を出しており、
特にソルの教則本は当時のどのギター教師が出したものよりも優れていたらしく、
その中身は楽器の構え方から両手の位置等を挿絵で示し、
入念な運指法、ハーモニックスの上手な出し方、装飾音の綺麗な引き方等、親切極まりない物であったそうです。
今でもソルやカルリの練習曲はギターを志す人にとっては、
無くてはならないバイブルのような物になっていますが、
当時の人たちにとっては本当に画期的な物であったでしょうし、
彼らのような優れたギタリストが出した教則本とあっては、
師事を求める人たちがたくさん出たであろう事も想像できます。
優れたギタリストは彼らだけではなく、
ツァニ・ディ・フェランティ、トリニタリオ・ウェルタ、ジュリオ・レゴンディらも、
当時の音楽評論家を感嘆させた演奏家たちでした。
彼らの演奏は当時ヴァイオリンの天才として名を轟かせていたパガニーニに例えられ、
「パガニーニがヴァイオリンで示した腕をギターで発揮し、ギターは歌と魂を持つ楽器と化した」とか、
「パガニーニがヴァイオリンでなしたと同じように、ギターを最高の位置に引き上げた」、
または「まるでピアノやハープ、ヴァイオリンの音を模しているような演奏で、しかもそれが極めて自然である。
それを確かめるために君はそれを見聞きしなければならない」などと絶大な評価をし、
フェランティこそ、ウェルタこそ、レゴンディこそが
「ギターのパガニーニである」とこぞって書き連ねたほどだったようです。
これらのスターとも言えるギタリストの出現が、
ヨーロッパでのギター熱を一気に過熱させて行ったと言うのは、ちょっと言い過ぎでしょうか?
もちろん、彼らが現れる前からギターは演奏されていました。
モーツァルトやロッシーニのオペラを見ると、登場人物がギターで弾き語りをするシーンがあったり、
絵画にもギターを弾く貴族の絵があります(フェルメールのギターを弾く少女の絵は有名ですよね)。
かつて中世ヨーロッパの貴族の間でリュートを弾く事がステイタスだったのと同じように、
ギターを弾く事もやはりこの時代の嗜みの一つだったのではないかと思います。
ただ、当時ウィーンで有名なギタリストだった
シモン・モリトール(1766〜1848)が「ボッケリーニ以外に優れたギター曲の作曲家を知らないし、
これこそギター曲と言う楽曲にお目にかかったことがない」と言っているように、
ギター界を揺さぶるような曲はほとんど無いに等しかったようです。
そのような時にスペインやイタリアからギターの名手が現れ、パリやウィーンのサロンでその演奏を聴き、
美しい音色と多彩な音楽表現が可能なギターの魅力に引き付けられて、
瞬く間にその虜になった事は容易に想像が出来るでしょう。
その魅力的な楽器に心奪われた人達は夕食後には家族と共にギターを弾きながら歌を歌い、
休日には野外に出て木陰でギターを弾き、夕べには窓辺でセレナーデを奏でたのでした。
そしてこの空前のギター・ブームの中で、
一部特に熱狂的(頭の中はギターで一杯!!)になった人達がいたようで、
そういった人達を皮肉って「ギタロマニー(Guitaromanie=ギター狂)」と言う言葉が生まれ、
新聞や雑誌にはカリカチュア(風刺画)が掲載さたのでした。
ご存知の事と思いますが、Guitaromanieは私が掲示板に書き込みをする時に使っているニックネームです。
なぜ決して良い意味とはいえないこの言葉を選んだかと言うと、
私がもし、当時のヨーロッパに生きていたとしたら、間違いなくGuitaromanieになっていただろうと思うからです。
私は随分長い事ギターを弾いていますが、最近は独奏だけではなく、
合奏や三重奏等のギター・アンサンブルやフルート、ハーモニカ等他楽器との合わせ物も好んで取り組んでいます。
以前、自主企画のコンサートで朗読との共演も経験した事がありますし、
年間の演奏回数を考えると一年の半分は人前に出て演奏しています。
ここまでやるとさすがに周りの人も呆れていますし、自分でも相当なマニアだなぁと思います。
でもギターを弾いて来たお陰で自分の世界も持てたし、色々な人達ともめぐり合う事が出来ました。
仕事でイヤな事があったり精神的に落ち込む事があっても、ギターを弾けば忘れられる事ができます。
本当にギターに助けられていると思う事がしばしばあります。「ギターに狂っている」お陰で今
の私があるのだと思うと、私も立派な「Guitaromanie」なんですね。
考えると、あの時代に一時でもギターに狂っていた時期があったからこそ、
今私たちもこうしてギターを楽しむ事ができるのではないでしょうか。
当時の人達は私にとっては本当に愛すべき人達なのです。
*参考資料:クラシックギターとギターの歴史(高橋 功 著/音楽の友社)